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利弥が帰ってきたのは、小牧が出て行ってから、4時間後のことであった。
ただいま、と笑う利弥はいつもどおりで。
小牧の家にこの5日入り浸っていたとは思えないくらい、普段通りであった。菜月に対し、気まずそうにしているそぶりもなければ、遠巻きにしている様子もない。
「利弥さん…、話したいこと、あるんだ…」
改まって菜月が切り出せば、菜月の緊張した空気が伝わったのだろう。
利弥も、わかったとだけいって、ダイニングテーブルについた。
「すまないな…仕事が途中で入って…留守を任せてすまなかった。忙しくて連絡もできなかったんだ。心配しただろ?」
すまなそうな顔をして、利弥は詫びる。
普段の菜月であれば、その言葉を素直に信じて、『疲れてない大丈夫?』などと、心配しただろう。
しかし、小牧の出現で、その言葉は利弥の嘘だと気づいてしまった。
(…小牧さんの言葉が嘘だったら、よかったのに…)
ポッケには、利弥に渡したクリスマスプレゼントの手袋がある。
利弥がもっているはずのクリスマスプレゼントを何故、小牧が持っていたか。答えは…小牧とあっていたからである。
出張で忙しいと言っているのに、わざわざ小牧に会う時間など作れるだろうか。
以上のことから考えられることは、利弥の言葉がそもそも嘘だということだ。
(俺に後ろめたいって思ってる?だから、嘘を?)
「利弥さん…教えてくれませんか?
あなたの好きな人…。貴方の一喜一憂させる、切ない気持ちにさせる大事なひとのことを…」
菜月はダイニングテーブルに備え付けられた椅子に座る利弥に対し、問いかける。菜月自身は、椅子には座らずに、立ったまま、強張った表情をしていた。
「…わたしの…?」
「はい。あなたの好きな人のこと。
俺に話してくれませんか?俺、利弥さんのこと、好きです。
男だけど、恋愛感情を抱いてしまっているんです。
だから教えてほしい。
利弥さんの好きな人のこと教えてもらって、俺なんか、とうてい叶わない人って諦めさせてほしいんです。
もしその人のことで悩んでいるのなら、俺、力になりたいんです」
利弥の口からしっかりと相手のことを聞くことができれば、この思いに諦めもつくのではないか。
自分が到底かなわないと思う相手ならば、すんなりと諦めることもできるのではないだろうか。
菜月が懇願すれば、
「わたしのすきなひと…か…」
ふっと、利弥は笑った。
陰ったその笑みは、どこか虚無的な笑みだった。
「菜月がどう思おうと、力には、なれないよ…。
もう、その人物は、この世にはいないのだから。
私が届くことのない、遠い場所へいってしまったね…」
「死んだ…」
愛しい存在"だった"
過去形である。
思い返せば、ずっと利弥は、大事な人はもういない、といっていなかったか。
なのに、どうして、今更実は生きているなどと勘違いしてしまったのだろう。
香月という人物にあてた利弥の手紙をみて、小牧が利弥が好きな香月と勘違いしてしまったからか。
「菜月に、確か病院でいったことがあったな。
大好きな人が車の事故にあって死んだ…と。
以来、大事なものを作るのをやめた、と。
私の家族の話…話したことあったかな…?」
「凄い貧乏で…大変だった…って…」
「あぁ。すっごい貧乏だった。
そして、とても歪な家族だったよ」
利弥は、静かにそういうと、瞼を閉じた。
「まるで、細い線のように、不安定ですぐに切れてしまいそうな、そんな家族関係だったよ。
風がふいたら切れてしまう。
少しの亀裂で、ばっさりとなくなってしまうような、そんなすぐに壊れてしまいそうな家族だった。
もろく、歪みが生じてねじ曲がった…。
だけど、わたしにとっては、大事な家族だった。
どれだけ、歪でも。
どれだけ、普通でなくても。
私は、家族を大事に思っていたし、“あいつ”も家族同様に思っていた。いや…、それ以上に…、愛していた。
でも…そんな家族も、一瞬にして奪われた。
あの男のせいで…。
あいつのせいで、私達家族は、またぐちゃぐちゃになったんだ…」
「利弥さん…」
憎しみに揺らぐ、利弥の瞳。
利弥のその表情は、普段菜月に優しくしてくれる利弥のものではなく、酷く寒々しい。
何かに捕らわれたような、暗い瞳をしていた。
百万回の愛してるを君に