詰まらなさそうに生きている人だと思った。誘ったときの印象といえばそれだけだ。いま彼女は裸のままベッドの上で膝を抱え、どこという訳でもないどこかを眺めていた。たぶんチャコールグレーのソファーの角だとか、黒いテーブルの天板にできた奇妙なかたちの光だとかを。そしてシャルナークはソファーに掛けて、黙ったままそうしているナマエを眺めていた。
さっきまでセックスをしていたのだという事実を、手のひらで無意味な石を転がすようになんとなく思い出す。彼女の意見はまだ聞いていないけれど、自分たちはなかなか体の相性がいいんじゃないかと彼は思う。容姿の好みも、趣味も、されたいこともされたくないことも上手くかみあっていた。そういう相手は探しても見つからないものだし、だからこそ彼女とするセックスは愉しかった。それに物静かなところも気に入った。気怠い暗がりの中で随分長く黙ったあと、シャルナークは口を開いた。

「これから時間ある?」

ナマエは瞑想を邪魔された人のように目を開き、声が形づくる意味を受け入れるために時間をかけているようだった。眠たげにおうむ返しをした彼女にシャルナークはたたみかけた。オレの仕事は不定期で次の案件まで三ヶ月くらい空いてるんだ。その間すごく暇だから一緒に旅行でもしようよ。もちろん金は全部もつし君が行きたいところに行く。見たとこ君の仕事も多少穴が開いたって調整がきくし三ヶ月居なくなったところで差し支えないようなものなんだろ?オレと同じ。慈善事業だと思って付き合ってよ。

彼女は目の前の男の顔を見つめるとたしかに一度だけ頷いて膝に頭をうずめた。そしてゆっくりと姿勢を崩してベッドに横たわり、毛布を被るとすぐに寝息を立てはじめた。彼女が滑るように眠りの中へ落ちたせいで、疲れていたのだろうかとシャルナークは思った。もともと疲れているところに自分が追い打ちをかけたのか、自分との行為によって疲れたのかは分からない。シャルナークは灯を消してベッドに入り彼女の寝顔を覗き込んだけれど、シーツと髪に隠されて見えなかった。


「朝メシどうする?」
「いらない」

助手席でシャルナークの分厚いジャケットを着込み、コーヒー缶で両手を温めながらナマエは返事をした。いくら暖房をたいても底冷えは消えず、出会ったときから低血圧そうだった彼女の顔には朝の雨と寒さも手伝ってか、どことなく絶望的とすらいえるような陰影がかたちづくられていた。ここから三十分位行ったところに牧場があるからそこで何か食べようと提案すれば頷きはする。しかし十日間は何も食べられなさそうだと伝えたところで反応は同じだっただろう。
旅行を始めてから二週間、この女は主体性というものを母の胎に置いてきたのではないかと疑うほどシャルナークのいいなりだった。いつ求めても応えるし、何をさせても文句なくやり遂げる。旅にありがちな意見のすれ違いもわがままもいさかいもない。しかしその代わりに何を見せてもどこに連れて行っても微笑ひとつ見せなかった。ただ彼女はいつも寒そうで、温泉に連れて行った時だけはかすかに幸福そうなオーラを纏って助手席に座るのだった。
ある日に泊まった古いモーテルのベッドで眠る彼女の髪を梳きながら、シャルナークは無料より怖いものは無いよな、と思った。初日に針を刺して一通り尋問したのだから問題はないはずだが同業者や暗殺者であるという可能性も捨て切れるわけではない。それでも意思を持たない彼女との時間は春泥のように足をとり、長い寒さに耐える精神を絡めとってしまう。暖かい国に行けば良かったのだけれど、寒がるナマエが自分の体に寄ってくるのは悪くない気分だった。結局シャルナークがしたのは二度目の尋問でも航空船のチケットの確保でもなく、生乳のようになめらかな彼女の体にキスして抱き寄せることだけだった。


「さよなら」

三ヶ月後の別れの日、空はどこまでも続いていた。抑揚のない彼女の声はいつもと少しも変わらなかった。
シャルナークは退廃的な長い休暇が終わったことを感じながら、開いた車窓越しに彼女と最後のキスをした。態度には出さなかったけれど名残惜しかった。しかしナマエはそれほどの感情を持っている訳でもなさそうだ。だからこちらも、それじゃ元気でねといつもと少しも変わらない軽やかさで挨拶をする。

「好きだったよ、シャルナーク」

不意に降ったのは確かにナマエの声だったけれどナマエが口にする言葉だとは思えない台詞だった。彼はひらめくように息を飲んだ。自分は今しがたのキスを最後とまで思わなくとも良かったのかもしれない。少なくとも自分の方では。しかし過去形の好意を残した以上、彼女にとっては最後のつもりだったのだろう。
彼はサイドブレーキのグリップに手を置いたまま訥々と考えた。オレたちは約九十日間も共に過ごしたというのに何ひとつ真剣にはしてこなかったみたいだ。途中で飽きやしないかと思うほど何度もしたキスはしていないも同然だった。話らしい話もまともにしなかった。もしかすればあの従順は難解な愛の表明だったのかもしれない。かじかんだ細い指、風に吹かれる髪、ストーブのそばの席に座る癖。全て初めからやり直さなければならないと思った。シャルナークはうんざりしながら車を降りたけれど、やはり彼女の姿はもうどこにも見当たらなかった。世界は春を迎えていた。金髪と頬を抜けた風は花の匂いを含んでいた。

キスの前に世界が終わってしまいそうだ

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