どうして自分がこんな質の人間に生まれたのか、わからない。けれど他のすべての物事と同じように無意味なのだろう。
パリストンは書類の束を片手に、顔を上げて広窓の外の黒い糸杉に降りかかる冷えた雨を眺めていた。反射する室内にはぐったりと横たわっているナマエが見えた。何人かの部下たちがこの寒い夜の中でこの子のために必要な仕事をしているはずだった。

今のところ、ビヨンド=ネテロのもとに企てた計画は全て仔細なく動いていた。うまくいったところは吟味して、つかえたところは組み換える。パズルのようだ。簡単だからつまらない。しかしこれは下拵えなのだ。だからきわめて慎重に行わなければならない。片手にした書類の最後の行を目でなぞりあげてから、パリストンはソファーに寝そべるナマエに向き直った。心配などしていない無温の声で。

「傷の具合はどうです?」
「痛みはなくなりました」

ナマエはワンピースの裾を胸下までめくり、下着とともになめらかで薄い腹部を見せた。大きなひびに似たグロテスクな傷跡(それはほんらいパリストンが受けるはずのものだった)は数時間前よりもずっと小さく薄いかがやきの図のようになっていた。

「それじゃ首尾よく行ったみたいですね。担当者からの報告を待ちましょう」

そう言いながら背中をかがめてナマエにキスをする。ちょうど電話がかかってきた。唇を離したパリストンは乾いた愛想良さでその報告を受ける。そして通話が終わると携帯をソファーセットの反対側に投げてナマエにのしかかり、ベルトを外しながら滔々と報告する。

「標的は死亡したそうです。肌もすぐ元に戻るでしょう。よかったですね」
「はい。だから……」
「だからしたくないっていうんですか?」
「あなたがわたしとしたいのは、わたしが激痛に苦しんでる時くらいでしょう?」
「普通の状態でもしたいですよ。キミほど魅力的な女性もいませんから」
「さっきあなたに拷問されているみたいだったからすごく疲れたんです」
「別に寝てていいですよ」
「やめて下さい」

二回目を楽しもうとすれば彼女は生意気にも小さく無力な手で自分の胸を押し返してくる。ま、当たり前かとパリストンは思った。先程まで腹部を抉られ苦痛にあえでいたナマエを犯したのだから。
花をつぶすように細い腕をソファーへ沈めて目を合わせればそれだけでナマエは黙る。簡単だ。だからつまらない。でも今はそれでいい。リモコンで照明を落として闇をつくる。何を見たくないと言うわけでもないのだが。ガラスが分厚いから雨音は聴こえない。けれど午前に見た予報を思い出せば、嵐が近づいているはずだった。

ナマエの髪からわずかに漂ってくるアニック・グタールの匂いだけが物量をもって性欲を刺激する。数年前に自分も一度つけていた時期がある品だから憶えていた。この子には重すぎるアロマティック。ここへ移って以来、香水なんて贈った事は無いから元々持っていたものなのだろう。さっきは自分の悦楽とナマエの苦痛でかき消されていたその匂いの中で事を終わらせてしまうと、どことなく不愉快な気分になった。

シャワーを浴びてリビングに戻ると部屋は明るくなっていた。強まった雨がガラスに流れるのが視えた。ナマエはテレビをつけて、いかにも楽しそうな感じでペットボトルのトニックウォーターを飲んでいる。その後ろ頭に向かって、さっきまでタオルを噛ませなければうるさいくらい叫んでいたくせにあなたって能天気ですよね、と呆れた。皮肉も言い忘れた。

「痛みはすぐに忘れられます」
「忘れっぽいからこんな能力にしたんですか?」
「便利でしょう」
「ボクは便利ですが」

キミは痛がりのくせに他人の痛みを引き受ける事を選ぶなんてすごく頭が悪いですよね。雑に煽る。──神様に選び出されるほどの能力なら、悪い頭を使って身につけた甲斐がありますとナマエが呟いた。

「カミサマ?」
「はい。あなたのことです」
「……ボクはそんなものじゃありません」

ナマエは事もなげに言った。でも、パリストンさん。あの日にあなたはわたしを買い取りましたね。そしてあなたはわたしをこの四角い世界に閉じ込めた。そしてすべてを知り尽くしたような目をしてわたしの運命も生命も握っている。雷鳴。あなたはわたしを嵐の目の中で飼って、そのきれいな手で使い果たしてしまう。代償を支払ってわたしを手懐けたのだから、その資格がある。だから神様。そう呼んではいけませんか。ナマエは眩しがるように目を細めて言った。

「カミサマ扱いなんてぞっとしない」

演説をしすぎているせいか、明確に動じないままその場にふさわしい固い声で応えられたのだが、そうしながら小さな違和感を覚えた。
どうして自分がこんな質の人間に生まれたのかはわからない。けれど神格化と狂信を集めるのが常なのだから、いつものように受け入れてしまえばいい。しかし驚いていた。まさかナマエの口からもそんな言葉が出てくるとは。それを残念に思うとは……男物のアニック・グタールにそう感じたように。

「……ましてやキミの神様なんかごめんです。ボクは一人の男でしかありません。でも信じたいならお好きにどうぞ、人間、内心は自由ですから。それに今のボクらほど多様性を必要とする組織は無いのですから。背信より他のものなら、なんでも受け取りましょう」

ナマエは立ち上がりながら言った。背信はあり得ません。恋愛も尊敬もありません。ただ信仰といえばそれが一番近いのです。あなたがわたしを救けてくれた日からそういうふうに思っていたのです。ねえわたしの感じ方ひとつの事です。そんなに考え込まないでください。

「わたしもシャワー浴びてきますね、パリストンさん」

神様

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