信じない


何者かの呼び声に、意識が浮上する。深い海の底から引き上げられるような、それくらい強い力と声に引き寄せられた。眠りを妨げられたことに、なぜだか怒りは湧かなかった。瞼を開くと辺りに桜の花びらが舞っていた。地に足を着けている感触、肌というものから感じる空気、何もかもが未知の感覚だった。それでも何をすればいいか、分かっていた。

「……大倶利伽羅だ」

目の前に立つ人に、名を告げたその瞬間、縁が結ばれる。この人間が己を呼び覚ました主だと、強固な繋がりを感じた。それでも、最後まで言わねばと声を発する。

「別に語ることはない。慣れ合う気はないからな」

他者を突っぱねる発言に、審神者の横にいた紫髪の男が、何だこいつはという嫌悪感丸出しの顔をする。しかし当の主、審神者は動じなかった。そんな言葉よりも、戦場でも太刀を手にすることができるのかと喜んでいた。あろうことか己の手を取って、これからよろしくお願いしますと、言ってのけたのだ。手袋越しとはいえ、初めて人に触れた。柄を握られるときとは違うと分かるのだが、上手く表現することができない。柔らかくて、温かい。とにかく、自分とはかけ離れた存在なのだと思った。

「早速だけど、何か覚えていることとか、ある?」
「前の主は伊達政宗」

そこまで言ったところで、部屋の外に気配を感じて、入口の方へと目を向ける。釣られるように審神者がそこへ顔を向けたとき、一人の男が入ってきた。

「主、顕現は.......伽羅ちゃん?」

右目を眼帯で覆い、前の主を思わせる風貌と、その呼び方に思わずため息を吐いた。そのまま審神者は知り合いであれば後は任せる、と紫髪の男と共に去っていった。訝しげに大倶利伽羅を見る目は気に食わなかったが、既に本人は居ない。

「僕もほんの数日前にここに来たばかりなんだけどね」

そう言いながら、燭台切光忠は本丸の中を案内する。顕現された時点で、最低限の知識は備わっていたが、実際に目で見て確認するのとでは大分違った。詳しくは分からないが、人間と同じように食事をしなければ力がでなかったり、体調が悪くなったりするという。怪我は手入れをすればすぐに治るが、睡眠を取らなければ疲労は取れないらしい。物として過ごしていた時でも、なんとなく人がそうしていることは理解していたが、自分が実際それをするとなると何とも奇妙なものだと思った。

「頭では理解出来ないかもしれないけれど、知識としては備わっているから、そんなに戸惑うことはないと思うんだ」

燭台切が言ったことは本当の事だったようで、大倶利伽羅は最初こそ戸惑うこともあったが、すぐに人としての暮らし方に慣れた。戦いも嫌いでは無い。むしろ好きな方であると自負している。よく単騎で突出しようとして、審神者に咎められることはあるが、判断を誤ったつもりはなかった。破壊しきれなかった敵を追おうとしたときや、それが罠で、思わぬ伏兵に出くわして傷を負うことがあるだけだ。

「大倶利伽羅」

手入れ部屋で、名前を呼ばれる。顔を上げると、何か言いたげな審神者の瞳が映った。
確かに、今日は重傷だったこともあり、審神者がそういう顔をするのも分かる。ただ、これは最近現れるようになった検非違使という時間遡行軍とは別の第三の勢力によるもので、部隊内で経験の差があったために苦戦しただけだ。突破するために危ない橋を渡ったかもしれないが、それが最善だと思ったまで。責められる謂れはない。そういう意味を込めて大倶利伽羅は審神者を見つめ返した。

「協力することが嫌なのは知っているけれど、それで全部一人で背負うのは間違ってると思う.......そんなに誰も信じられない?」

そう言われて、本丸にいる刀剣たちを思い浮かべる。例えば窮地に追い込まれた時、自分と同じ行動に出られる奴がいるかどうか。仮にできたとして、自分がやろうとしていることが上手く伝わるか分からない。一刻を争う事態ならば、そんなことで時間を労するよりも自分で動いた方が早い。そう結論付けて、俺一人で十分だと答えれば、審神者は肩を落とした。
別に、悪い事をしたとは思っていない。手入れを拒否したことはあるが、結局自然には治らないと身をもって体感したのでそれからは従っている。誰にも迷惑をかけていない。どうして審神者は他者と関わることに拘るのか、大倶利伽羅には到底理解できなかった。

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