マサラタウンのレッド。カスミとタケシから話を聞いていたその少年は、彼らが話した通りの真っ直ぐで優しい人間だった。
何もかもを投げ捨てて、傷ついたイーブイを守るために力を尽くしてくれる。イーブイを道具のように扱った人間に怒ってくれる。
イーブイが彼に懐き、行動を共にしたいと意思表示するのも当然だと思った。彼は正に私達が待ち望んだ強く、優しい心を持ったポケモントレーナーだった。──そう。私は彼がタマムシシティを訪れ、タマムシジムの扉を叩くその瞬間を待ち望んでいた。
「レッド。イーブイを無事保護してくださり、ありがとうございます」
「気にすんなって。イーブイが助かってよかったよ」
「──もう一つ、あなたに聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「……?オレが答えられることだったらいいけど……?」
赤い目が不思議そうに瞬く。大丈夫。間違いなくあなたが答えられることですわ。そう思いながら、私は彼の名前を紡ぐ。
「パープルというトレーナーに心当たりはありますか?」
「パープル……知ってるけど……オレの知ってるパープルかな?」
「白い髪に紫色の瞳──サンドを連れているポケモントレーナーですわ」
柔らかな白い髪。優しい光を灯す紫色の瞳。数週間前に突然姿を消した、私の友人。心優しいけれど、どこか脆いところのある少年。カスミからその名前を聞いたとき、どれだけ安心したか。共にロケット団に立ち向かったと聞いてどれだけ心配したか。
「白い髪に紫色の瞳にサンド──ならオレの知ってるパープルで間違いないと思うけど……エリカとパープルは知り合いなのか?」
「パープルから聞いてはいませんか?パープルはここタマムシシティ出身ですのよ」
「あー……初めて会ったとき、そんなことを言ってたような……言ってなかったような……?」
「ああ、いえ。そこはそんなに重要ではありませんので、そんなに考え込まなくても大丈夫ですわ。──レッドからの質問に答えますわね。私とパープルは友人ですの」
「へえ、そうなんだ!」
思っていた通り、パープルは自分のことをあまりレッドに明かしていないようだった。この様子では、レッドはパープルの性別を勘違いしているのだろう。あの子が話したくない気持ちは痛いほど分かるけれど、それはどこか悲しいことのように思えた。だからといって、私がパープルの本当の性別をレッドに教えることは出来ない。簡単に触れていい部分ではないのだ。
あの子の脆さ、その原因の大部分はあの容姿が占めている。自分らしさや、男らしさ。私にはあの子が母親から無理矢理はぎ取られたそれらが、いつか帰ってくることを祈ることしかできない。
「今どこにいるかは分かりますか?」
「あ、それはごめん、分かんないや。昨日まではタマムシにいたんだけど……」
「昨日まで……そうですか……」
昨日タマムシジムの扉が叩かれることはついぞなかった。会いに来てはくださらなかったのですね、と心の中でパープルを責めてしまうけれど、あの子の事情を考えると私に会いに来るはずないということぐらい理解していた。それでも、無事な姿をこの目で確認したかった。カスミやレッドの言葉からだけではなく確かな彼の存在を、私自身で感じたかった。
「な、なんかごめんな。ええっと……エリカは忙しくてタマムシを離れられないもんな……パープルに伝言とかあれば聞くけど……ある?」
「伝言……今後パープルと合流する予定があるのですか?」
「や、予定はないけどさ、パープルとは何回も行く先々で会ってるんだ。もう一回くらいあるだろ!」
明るく笑うレッドの言葉にはなんの保障もないけれど、ここでじっとパープルの帰りを待つよりもずっと光が見えた。でしたら、と呟きながら立ち上がって棚に近づき一つのモンスターボールを手に取る。中に入っているクサイハナが、私を見つめた。
「偶然会ったらで構いません。この子をパープルに渡してはいただけないでしょうか」
「こいつ──クサイハナ?」
「ええ。パープルが旅立ったのは本当に突然で……」
「なるほどな。分かった!このクサイハナはオレが責任持ってパープルに渡すよ!」
私の手からクサイハナが入ったモンスターボールを受け取ったレッドは、大きく頷いて見せる。ボールの中のクサイハナもパープルのことは自分に任せて、とでも言うように体を揺らした。
「……それでは、お願いいたしますね」
「おう!でも、渡すだけでいいのか?」
「渡してくださるだけで十分ですわ。……きっと、それだけでパープルには伝わると思いますの」
「そっか……」
レッドはどこか納得していないようだったけれど、私は本当にそれだけで十分だと思うのだ。
パープルのことをとても心配していること。私は危険なことに巻き込まれておらず無事だということ。パープルの笑顔がもう一度見たいということ。傍にいられなくても、私がパープルの力なりたいと思っていること。
彼が突然旅立って以来ずっと暗い顔をしているクサイハナの顔を見れば、きっと何もかも伝わるはずだ。
「レッド」
「ん?」
「これからもあの子の──パープルの、良き友人であってくださいね」
「そんなの、エリカに頼まれなくたって当然だろ!」
笑って言い切ったレッドのその言葉にどれだけ私が救われた気持ちになったか、彼が知ることは永遠にないだろう。
タマムシシティという狭い世界でも誰にも受け入れられることのなかったパープル。男でありながら女の恰好をしている。それだけで、彼と同世代の少年たちは彼を爪はじきにした。彼が自身の恰好に苦しんでいることは明白だったというのに。
彼の母親が精神的におかしいことを聞きつけた大人たちは、自身の子供たちに彼と関わることを禁じた。彼には何の問題もないというのに。
その結果、パープルはこの街でずっと一人だった。エリカちゃん、と私を見つけるたびに救われたと言わんばかりの表情を浮かべる彼が、私以外の人間といるところを見かけたことは一度もなかった。けれど私に出来ることは少なかった。あの子の居場所にはなれてもいつでも守ってあげることや、彼を彼自身が望む姿に戻すことは私にはできなかった。
レッド。あなたが強く、優しい心を持つ少年で本当に良かった。自分の目で彼の人と成りを確認して、ようやく安心することができる。
いつかパープルの秘密が暴かれる日が来ても、きっとレッドなら受け入れてくれる。パープルは誰かに守られなくては生きていけないような、弱い人間から立ち上がることができる。
「レッド、どうかお気を付けて」
「ああ!」
イーブイを伴い、旅に出るレッドの背を見送る。彼は振り返ることなく、道を進んでいった。
もう不安なことは何もない。きっとレッドなら、パープルにクサイハナを届けてくれる。そしてそのクサイハナがパープルを支えてくれる。彼の秘密が暴かれるその日も。私がそばにいられないときも、ずっと。
20210612