闇の中の太陽
光が、闇に飲まれていく。光を拒み、闇を喜び、宵に覆われる。
闇が私を、呼び寄せる――。
……また、また。
また、闇の世界の声がする。誰かが私のことを呼んでいる。
“闇”の声。闇の世界。光の無い宵闇の空間。私は何度も何度も、この空間――闇の世界に引き寄せられた。
この空間で、いつも声がする。自分を誘う者、自分に縋る者、自分に救いを求める者、何かを悲しむ声、何かを憎む声……。それらの全てが流れ込み、思わず立ち尽くしてしまう。
何度闇に引き寄せられても、闇を振り払うことができない。私に対して何かを求める者たちのことを、振り払うことが、できない。姿も形もないそれは、何も無いと同じなのに。それでも私には聞こえてしまう。聞こえてしまうから、振り払うことができなかった。
もう何度も、それこそ幼い頃から、この闇の空間に迷い込み、宵闇を彷徨った。
闇の世界で一人になる恐怖を、抜け出せない焦燥を、自らを呼ぶ声を、何度も……。
「……私、を、呼ばないで……」
不意に紡いだ言葉は、心の内を表したものだった。この闇の世界で聞こえる声のことを、否定したくはない。できない。でも、呼ばれても、求められても、私は何も答えることができないのだ。いつも呼ばれる、いつも見られている。けれどそれは姿がないもので、どのように答えたらいいのかが、わからない。救いを求められても、誘われても、私からはどうすることもできない。
「私に何を求めているの? どうすればよいの? 私は……あなたたちのことがわからないのに……」
これは本当に“声”なのだろうか。もはやそれさえもわからなくなってしまった。誰の声なのかも、どこから聞こえてくるのかも、何もわからない。存在を認識することはできず、ただただそこに無明の闇が広がるのみ。
「お願い……私を、この世界に呼ばないで……」
もう、何度も迷い込んだ。彷徨ってきた。けれど自分からはこの世界から抜け出すことができない。私には応える力も振り払う力も何もなく、一人では何もできない。何もできないから一人でいるしかなくて、この世界から抜け出せなくて……。どうすればよいのかがわからず、その場で耳を塞いだ。しかし逃げる私を許さないかのように、“闇”は私に取りつこうとする。
宵に覆われた、何も無い世界。光を拒み、闇を喜び……全てのものを闇に染め上げようとする。これはデジモンなの? ずっと前から思っていた疑問を心の中で呟いても、答えてくれる者はいないのに。この声は、私の言葉に答えてはくれないのに。
けれど、時折。いけないとはわかっていても。この闇の世界に、身を委ねたくなる。恐怖も焦燥も全てを飲み込まれるかのような、その感覚をどこか心地好いと感じてしまう。心地好いと思ってしまうことに背徳を感じ、さらに侵食されるかのよう。
「いや……」
全身に闇が取りつく感覚に襲われ、思わず涙が零れた。誰かを求めても、この世界では誰も求められない。この世界の者が、この声が、デジモンなのか、誰なのか、何もわからない、わからない――いや、私を、誰か……。
「――ア」
また声がする。
「――レア」
私を呼んでいる? 闇が、私を……。
「――メレア」
「――!」
その瞬間、宵闇の空間に光が溢れ、闇ではない何かが私の傍に寄り添う感じがした。
鮮明に聞こえた力強い声。いつも私のことを救ってくださる声。闇から掬い上げてくださる存在。闇に覆われていた心を光で照らしてくださるかのようなその声に、顔を上げる。
「……ウォー、グレイモン……」
その存在――ウォーグレイモンは、闇に怯える私の頬に手を添え、包み込んでくださった。大きくて暖かい、驚くほどに優しい、その手で。
「大丈夫だ、メレア」
……どこかで――。
「オレがいる」
「――」
どこかで、聞いた言葉。思い出せない。思い出せないけれど、過去に――……。
「…………」
「メレア、もう大丈夫だ」
呆けていると、ウォーグレイモンが傷つかないように優しく涙を拭ってくださった。闇から解放された私は徐々に平常心を取り戻し、今度は一気に全身に熱が集中する。頬に添えられた暖かくて大きな手は何よりも安心するものではあるけれど、同時に。
「あ、ありがとう、ウォーグレイモン……あの、大丈夫、大丈夫だから、も、もう……」
平静に戻った途端に溢れる羞恥心にどのような対応をすればいいのかがわからなくなった。今は羞恥で涙が溢れている感じさえする。ウォーグレイモンは私の心境を理解しているのかしていないのか、手を離した。
その瞬間、宵闇の空間は消え、元にいたデジタルワールドの光景に戻る。真っ暗な空間とは違う青い空と広がる大地に自然。太陽の光が私たちを照らす。
「……またウォーグレイモンに迷惑をかけてしまったわ……ごめんなさい」
申し訳なさから、顔を俯かせて地面を見た。闇を振り払おうと思っても振り払うことができない私はいつもウォーグレイモンに救っていただいている。ウォーグレイモンがいつも闇を祓ってくださる。今回もそう。ウォーグレイモンが掬い上げてくださらなかったら、そのまま闇に飲み込まれていたかもしれない。ウォーグレイモンは気にする必要はないと仰るけれど、こうして解放されるたびにウォーグレイモンのパートナーとしてこれではいけないと自覚をさせられる。けれど引き寄せられてしまうと抗えず、同じことを何度も繰り返してしまう自分のことを情けなく思う。
「……いつも、ありがとう」
もう一度謝罪を述べたとしても必要ないと返されそうなので、代わりに感謝の言葉を伝える。言葉では伝えられないほどの思いがあるのに、言葉以外では伝えられないことがもどかしい。
「……顔を上げてくれ」
「いえ、それは、あの……」
視線を合わせていないことを不思議に思ったのか、それともずっと俯いているから気にしてくださっているのか、混乱している思考では答えを導き出せない。感謝の言葉を述べるのならば視線を合わせないことは失礼であるとはわかっていた。けれど今はウォーグレイモンのことを見ることができなかった。先程のことを思い出してしまうから。
ただ、このままではウォーグレイモンにさらなる迷惑をかけてしまうのではと考え、覚悟を決めて顔を上げ、ウォーグレイモンに視線を向けた。
「…………」
しかし、そのまま固まってしまった。私のことを見つめる翡翠の双眸からは力強さと揺るがぬ意志を感じさせ、クロンデジゾイドの鎧を身にまとう姿は凛々しい……太陽の光を受けたウォーグレイモンの姿はあまりにも格好よく、伝説の戦士のようで、神秘的でもあった。凛々しく、たくましく、勇敢なその姿は、正しく太陽の如き――私にとっては、太陽そのものである。
(……格好いい……)
とは言葉にはできないので、心の中で呟く。何度見ても、いつに見ても、言葉では表せないほどに強く凛々しい。その姿に、いつも救ってくださるその存在に、何度心を揺らがされたのかはわからない。ただ私は、ウォーグレイモンというデジモンに――。
「メレア?」
「あ……ごめんなさい! 旅の途中だった、よね」
ウォーグレイモンに呼びかけられ、我に返る。即座に旅を再開しようとする私をウォーグレイモンは特に気にすることもなかった。ウォーグレイモンに見惚れてしまうと、いつも違う世界に入り込んでしまう。それは闇の世界とは違う世界、けれど闇の世界とは違う切なさと悲しみを私にもたらすもの。
パートナーへの信頼、それ以外の想いを私は抱いてしまっていた。
「……ウォーグレイモン」
「どうした?」
思いを切り替えたものの、一つ気になることがありウォーグレイモンを呼び止める。でも、これは……。
「……いいえ。やはり大丈夫……」
「……」
私が紡ごうとした言葉を、ウォーグレイモンは悟っているかもしれない。しかし追求することはなかったので、呼び止めてしまったことに謝罪を入れ、ようやく歩き始めた。
(……今はまだ、いけない感じがするわ……)
闇の世界でウォーグレイモンが言葉をかけてくださった際。その言葉を、私は知っている感じがした。心の中から消えず、ずっと残っている。ウォーグレイモンに聞いたら何かがわかるかもしれないと思った。けれど、ウォーグレイモンに聞くには何となく、怖かった。
いずれ――デジタルワールドで旅を続けていたら、わかるのかもしれない。そうして私はウォーグレイモンと共に、再び大地を踏みしめた。
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