任務


 禍々しい空気に、包まれる。空は穢れもない程に青く澄み渡っているのに、場の空気は禍々しく、重い。呪霊がいることを暗示しているかのようだった。

 神楽は、憲紀といる。任務に当たる人数が足らないから来てほしいと、京都校からの頼みを受け、京都に遠征をしている。京都校の他の学生は皆、任務を抱えており、東京校に頼らざるを得なかったと説明された。神楽が赴くことになったのはちょうど任務が空いていたからもあるが、等級も関わっており、さらにこの任務に当たる憲紀との連携が取れることから人選されたようだ。
 薄暗い森の中に、二人の足音が響く。静謐な空気に溶け込みながら、歩くたびにその音を刻んだ。

「憲紀なら、一人でも問題なさそうなのに」
「この森にはどんな呪霊がいるのか分からない。索敵できない以上、任務の危険度は上がる。一人でも多くの呪術師を呼ぶべき任務だよ」

 柔らかながらに、淡々と言葉を紡ぐ。憲紀は準1級呪術師だ。呪術師としての実力が高いだけではなく、博識でもあり、状況の判断に長けている。常に己を高め、研鑽しているのだろう。それでも己の力を過信していない所は、克己的な憲紀らしいと神楽は思う。

 京都を離れ、東京校を選択した神楽は、許嫁である憲紀と共に任務を行く機会はほぼない。会うことすら久々であるが、以前は共に在ることが多かったため、神楽は憲紀の能力も術式も熟知している。そういう意味でも、憲紀と共に任務に赴く者として納得の人選だった。

 返答に納得をしながら、神楽は前を向く。森の中はまるで迷路の如く、迷い込んでしまえば抜け出すことができなさそうな程に広い。住宅街とは離れているため、一般人の存在を気にする必要はないものの、慎重に行わなければいけないだろう。この森の中を索敵することもできず、呪霊がどこにいるのかも分からない中で、ただただ奥へと踏み込むのみだった。
 一旦歩みを止め、立ち止まる。視界を覆い尽くす程の木々が一面にあり、その奥の状況など確認することはできない。

「呪霊がいるのはこの先だが、奥を探ることはできなさそうだ」

 その先の森は、空の明るさも太陽の光もまるで受けていない闇の世界のように、訪れる者を待ち受けているのみ。

「私が先に探って――」
「あソぼぉ〜」
「!」

 神楽が憲紀の方を向いた瞬間、背後からおぞましい声が聞こえる。反応し、振り返った刹那。憲紀が素早く弓を構え、矢を放つ。呪力を纏った矢は物理の法則を覆し、神楽を避けるように軌道を曲げ、その後ろにいる呪霊を目掛けて飛んでいく。低級の呪霊は矢を避けることはできず、矢は呪霊を貫き、消滅させた。

「神楽。気を抜くな」

 憲紀は冷静さを崩さずに、強く低い声で神楽のことを窘める。神楽が構える前に、瞬時に呪いを祓う様は非常に洗練されていた。

「低級の呪いならすぐに祓えるわ」
「そういう慢心から隙が生じる。常に危機感は持つべきだ」
「……分かった、ありがとう」

 依然として強い声で最もな理屈を述べられ、先に呪いを祓ってくれたことも合わせ、神楽は憲紀に礼を言う。

「これでは状況を把握できないけれど、二手に分かれる?」
「いや……無闇に行動するのは危機を招く。単独行動は控えた方がいい」

 憲紀がそのように言うならば、と、神楽はそれに従う。常に状況を把握し、的確な判断を行う憲紀に委ねた方がいいと、神楽は分かっていた。憲紀に指揮を取ってもらう方が自分も動きやすいのだ。

「特に神楽は周囲を見ずに動くことがある」

 しかしそうに続けられ、神楽は思わず言葉を返す。

「……そんなに油断はしていないわ。私も、東京では単独で任務に行っているのよ」
「そうだとしても、私は神楽のその様子を見ていないから分からない」

 そのように言われ、口を噤む。神楽は、自身では常に周囲を見ているつもりではあった。しかし憲紀からすればそうではないようで、その点について前々から注意をされることが多い。確かに普段は少し呆けていることもあるかもしれないけれど、と思いながらも、憲紀に返す言葉は出てこなかった。

 そして、このような会話をしている間でも、憲紀は常に周囲の動向を確認しており、警戒を怠っていない。佇まいは以前から変わらないものの、前に会った際よりも実力も能力も、さらに向上している感じがした。

 憲紀と神楽は許嫁でもあり、呪術師として同期でもある。神楽も今では憲紀と同じく準1級呪術師ではあるが、同じ等級であるにも関わらず、憲紀とは随分と差が開いていると感じ取れる。様々な意味で憲紀に敵うことはない。
 憲紀は呪術師としても加茂家の嫡男としても、強く、頼もしく、立派になったのであると、改めて思い知る。

「!」

 その瞬間、森の奥深くから形容できない音が聞こえ、そちらに視線を向けた。

「……呪霊の声が聞こえる。憲紀」
「あぁ。私達の気配を感じ取って表に出てきたようだね」

 果てのなさそうな奥へと踏み込む。周囲を見回せど、視界に入るものは木々と、木々を彩る葉のみ。しかし呪霊が潜んでいることによる影響なのか、どことなく陰気だ。肌に触れる風は冷気を帯びていた。

「禍々しい……」

 思わず呟いた一言も全て呑み込まれる。呪いの気配を感じ、重い空気が全身を包み込む。この先にどれだけの呪霊がいるのだろうか、森に潜むのは低級の呪霊だけではないことは窺えた。自ずと緊張感が増し、思いが逸るようだ。

 憲紀は神楽の腰に手を回し、己の傍に抱き寄せた。

「憲紀……!?」

 唐突に距離が狭まり、思考が乱れ、体が強張る。この緊迫した状況においても、心が音を立ててしまう。しかし憲紀の体温は温かく、それによって徐々に心が鎮められていく。
「神楽。私から離れるなよ」

 強い声で紡がれる言葉は、命令であることを意味している。憲紀は神楽が己から離れると思っているのだろうか、強い力で神楽のことを抱いている。神楽が無謀な行動を起こさないように、制限しているのだろう。それだけ、この任務が危険であるということを教えているのだ。

 憲紀に従うかのように、神楽は深く頷き。闇の先に待ち受けているであろう呪いを見据えた。






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