なぜいつも残酷を孕むの(2/2)

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     ひんやりとした冷たい心地にまどろみから持ち上げられるような感覚に陥り、私はふと、薄目を開いた。

    「……」

     見慣れない景色——そういえば藤真さんの部屋に来ていたんだっけ。部屋についてワインを飲んで、肌を重ねて、それから……
     服がまだ乾いていないから、と少し会話をしていたら疲れて眠ってしまったのか。肌寒さは感じないけれど以前としてむき出しの肩に、どうやら私は下着だけを身に付けた格好で、シーツにくるまっているみたいだった。藤真さんはといえば、そんな私の隣で同じようにシーツに身を預けながらその瞳を伏せている。普段、起きているときも聡明な顔つきをしているけれど、寝ているときはそれがいくらか緩和されて、穏やかな表情をしているようにも見える。いつも多少なりとて刻まれている眉間の皺が、ほとんど確認出来ないほどに薄らいでいるからかも知れない。それを見て心が温まるのを感じながら私はまた意識を夢の世界へと手放していった。


     *


     ——夢の中、眠る私の隣で、彼が起き上がる。ふらりと一度首を揺らしてそれから私の方を見て微笑むとばらばらに散らばる私の髪の毛を掬ってまとめ髪をすいている。
     優しい感触に私がもぞと体を動かすとその手の動きを一瞬止めて、それから起きる気配がないのだと分かると再開する。時折、その髪の毛を持ち上げて唇を添えながら藤真さんは楽しそうに私を撫でていた。

     髪の毛を遊ぶ指はそのままに、やがて、整ったその顔が私の顔に近づいて唇に触れるか触れないかのキスを落とす。一度、二度、三度——ちゅ、という可愛いリップ音だけを飛ばして。唇だけでなく頬や鼻にも同じキスを落としていく。それを私は確かに覚醒している意識の中、リアルな夢だなぁと、夢の中なのに眠ったフリを続けてもっともっとと、藤真さんに強請った。


    「……好きだ」


     キスの途中——空気に含ませるように放たれた呟きに、夢の中の私が目を開ける。

    「——藤真、さん……」
    「……目は覚めたか?シンデレラ」

     夢と同じシチュエーション。再度の眠りに落ちる前と同じように彼は私の隣でシーツにくるまる私を見つめている。そうだ……眠っていたんだ。それを少しだけ残念に思いながら、酷く現実味を帯びたまどろみの中に迷走していたせいか、その区別がいまいちつかない頭で彼の質問に答える。
     
    「……はい、すっかり。藤真さんは……?」
    「俺は先に起きてた……が、こうして人の寝顔を見るのも悪くないもんだな」

     横を向き、腕を折り曲げ手のひらで頭を支えるようにして寝転がりながら彼はそう言ってくっと笑う。冗談とも本気とも分からぬその言葉に怪訝そうな顔を返せば更にその笑い声が大きくなる。

    「だったら、起こしてくれればよかったのにっ」
    「気持ち良さそうに寝ていて、よく言うよ」
    「えぇ……何分くらいですか?」
    「冗談だ。俺もほんの少し前に目が覚めたんだ」
    「……なぁんだ」
    「安心したか?」
    「……まさか、それも冗談?」
    「ハッ、どうだかな、内緒。」

     寝起きというにははっきりした声色だったから恐らく最初に述べていたことが真実なのだろう。どこまで私が起きるのを眺めていたかは分からないけれど、やけに楽しげに口角を引き上げる彼の筋張った私より遥かに太いふくらはぎをそのお返しと言わんばかりに柔く力を込めたつま先で蹴り上げる。その拍子にやや仰向け気味のままだった体を顔ごと彼の方へ向けて、それから、私の攻撃など全く効いていない様子の相手を見て、悪態を漏らす。

    「もう……酷いです。いじわるな王子様……」

     彼の方へ向き直ろうと体を浮かしたときシーツが山なりに靡いて隠されていた両腕が空気に一瞬晒されていた。
     ——言葉は��それ�≠謔閧焉A少し遅れていた。私が��それ�≠ノ気付いたときには、既に言葉は、口から出たあとだった。

    「え……」
    「……」

     藤真さんは、私が��気がついた�≠ニいうことに気がついていたのか私の幼稚な反論には何も言わないまま、少しだけ眉を下げて、私を見ていた。それを見ても状況が飲み込めなくて困惑のような自分でもよく分からない吃音のような声が出て、いまはもう元の位置へと収まったシーツを捲るのが怖かった。
     固まる私をよそに、彼自身の頭を支える手とは逆の手がシーツの中を這って、私の手をそこから救出してしまう。大きな手のひらに覆われてその下の、藤真さんの手よりも一回り小さい私の手のひらは、すっぽりと隠されている。


    「名前」


     名前を呼ばれる。熱を込めた、滑らかな声だった。瞳を細めて、藤真さんがその手をゆっくりとほどいていく。
     ——左手。順を追うように姿を現す私の左手の指、最後の二本のうちの、長い方。薬指に見慣れない指輪がはめてある。銀色のそれは、私の眼下まで指ごとずいと差し出されると、ライトを反射させて金色を帯びる。

    「これって……」
    「……見れば分かるだろ」
    「そうじゃなくって……!藤真さん、これ……」

     自分の薬指だけが、切り取られてしまったかのように現実が受け止めきれなくてまるで他人事のように同じことを繰り返す私のその指を、改めて彼に撫でられる。
     そこから伝わる確かな体温に、ああ……自分の指だ、と当たり前のことを思ってどっと押し寄せてくる感情を整理しようとする前に、それは両の瞳から制止を振り切って溢れ出ていってしまう。

    「——っ、」
    「泣くなよ」
    「だ、だって……っ」

     嬉しいも、ありがとうも——どうしても、何も言えなくて。言葉が出ないってことは、こういうことを言うんだろうな、と私は思った。それほどに、ぐちゃぐちゃと色々な感情が混ざり合って、どれを一番に伝えればいいのか咄嗟の判断が効かなかった。
     真っ白になる頭のまま、それでも彼を見ていたくて。涙でぐしゃぐしゃの顔を、彼へ向けると、藤真さんは私が『好きだ』と伝えたときみたいに困った顔をしていた。


    「……愛してるよ。」


     呆れたような声で……子供をあやすように彼が言う。それは今までの一度も彼が口にすることは無かった台詞だった。

     『保証』は——出来ていたのだろうか。今までの私の、彼に比べたらうんと幼い愛情表現は彼の許しに、答えてあげられていたのだろうか。その答えは今、私の薬指を確かに彩っていた。
     そこだけが私のちっぽけな世界から切り取られたみたいに、彼と同じ色をしていたから——。


     *


     しばらくベッドの上でいちゃいちゃしたあと、別々にシャワーを浴びて、先に上がった私は広いキッチンに立って高揚する気持ちを抑えきれないままに腰を振りながら鼻歌まじりにフライパンで調理をしていた。

    「朝から元気がいいね」

     背後から密やかに聞こえた声に反応して、ちらと視線だけで振り返ると、シャワーを浴びてきたらしい藤真さんが、カウンターキッチンの向こう側で、頬杖をついて私のことを眺めていた。

    「おはようございます。お腹すきました?」

     また視線を正面に戻して調理に集中すれば彼がすぐ真後ろに寄ってきた気配を感じた。私を後ろから抱くようにくっついてきた彼が、私のお尻を撫で付ける。不思議だったのは、それがまったくもっていやらしくないということ。繊細で神経質そうな彼の手が大切なものを扱うように私の臀部を撫で回したり、優しく叩いてみたりする。そうして彼は私の耳元で囁くようにぽつりと言った。

    「飢えてる」
    「ふふ……今、パンケーキ作ってるんです」

     藤真さんは息を吐くように「ふうん」と言い、すぐにガスの火を止めた。そうしてそのまま私を横抱きにする。俗に言うお姫様抱っこというやつだ。私は突然の衝撃に「きゃっ」と何とも女の子らしい声を発して、けれどもしっかりと彼の太い首に腕を回し、しがみつく。昨晩と同様に自室の奥にある部屋への短い距離を歩く最中も彼は私の首筋に唇を這わしながらちゅと小さなリップ音を立てる。私はそれがやっぱりくすぐったくて瞳をぎゅっと瞑って体を捩ると、やっぱり面白そうに藤真さんが笑うのだ。それでも昨日と違うのは、その二人の笑い声が何となく軽やかだという事。
     
     昨晩一緒に眠った、大きすぎるほどのベッド。彼は私をそこにゆっくりと下ろすと彼から借りて着ていた太ももの少し上くらいまでの長さがあるワイシャツへと手をかけた。外気に触れ、少しの寒さが肌を突いたが彼の視線に中てられ、一瞬で体が熱くなる。私を跨ぐようにして、膝を突いた彼が一瞬の間をおいて、言葉を紡ぐ。

    「俺を信じる?」
    「ん……?」
    「なるって言え」
    「……、何に?」
    「俺のものに——」

     私の答えを聞く前にぎい……とベッドに体重をかけながら彼が私との距離を一気に詰める。
     仰向けになっていたために彼の腰が、丁度私のお腹にぶつかって苦しがっていると、よりぐっとその腰を私の体へと彼が近付けた。これも昨晩と同じ光景だ——。視線を合わせてしまえばそれを待っていたようにキスが降ってくる事を私はすでに知っている。


    「——健ちゃん?健ちゃーん?」

     その声に藤真さんが、ぴたりと動きを止めた。珍しく寝室のドアを開けっぱなしで行為に及んでいたため、玄関付近から聞こえてきたはずの声がどんどん近くなってくる気がする。

    「まずい——継母だ」
    「えっ……!?」
    「兄貴の母親だ」
    「え、あ……突然?合鍵、持ってるんですか?」
    「ああ。あの人はいいんだ、強引だからな」
    「はぁ……でも、二人とも素っ裸ですよ?」
    「……、服を着ろ」

     そう指示した彼がさっさとベッドから降りて、先ほど自分で、これまたさっさと脱ぎ去っていたTシャツに袖を通し、何事もなかったかのように寝室を出て行った。珍しく焦ったようなその背中を笑いながら見送ってから私ももぞもぞとベッドを降りる。そばにあった服は先ほどまで着ていた彼から借りていた大きめのシャツのみだったので仕方なく下はショーツのみとし、上から真っ白なそのシャツを着て、私も寝室を出ることにした。


    「なに?こんな時間まで寝てたの?あなたらしくないわね」
    「あのな、こういう使い方をさせるために合鍵を渡したんじゃないんだぞ」
    「いいじゃないの、健ちゃんとご飯に行きたかっただけよ。あなた、電話にまったく出ないから」
    「に、したって……突然押しかけてくるのだけは勘弁してくれと、あれほど……」

     藤真さんは言葉に反して、呆れているような、仕方ないと諦めているような声色で、継母らしいその人物と、リビングで立って会話をしていた。私の存在に先に気づいたのは彼女で「あら、綺麗な方」と、笑みを投げかけられたので咄嗟の事で動揺した私はとりあえずぺこりと頭を下げた。それに気づいた藤真さんも振り返って私を見やる。

    「ああ……、彼女は名字名前。婚約してる」
    「まあ!彼女が……。名前さん、よろしくね」

     そう言って彼女が私の元へ歩み寄ってきて私を下から上まで眺めたあと軽くウインクを投げてよこし、握手を求めてきたので「あっ……よろしくお願いします」と、私はその手を取って握った。そうしてその手を離した彼女は「今夜の食事に、彼女も誘ってね」と笑顔で言い残し風を切るようにマンションを出て行った。
     突然の出来事にぽかんとその場で立ち尽くしていた私の目の前に今度は藤真さんが立って、苦笑しながら言った。

    「下ぐらい穿いて出てきてくれよ」
    「だって、そばになかったから……」
    「海外ドラマじゃないんだぞ?」
    「はは、そんな冗談言えるんですね、藤真さん」

     その私の言葉に彼は不機嫌そうに顔を歪めたがすぐに私を横抱きにした彼によって私は寝室へとまた連れ込まれてしまう羽目になったのだった。





     *


    「名前」

     ベッドの上——愛おしそうに名前を呼ぶ、その無骨な指が頬をゆったりと撫でていく。その一分一秒が果てしない時間にも、そして一瞬にも感じられる不思議な空間で、私は胸が熱くなり時間の許す限りに涙を流した。瞳から溢れる透明の球体に様々なものが反射して、色を付けていく。
     藤真さん、藤真さん……と呼び返す事も出来ないくらいに咽ぶ私の心の声は——けれども彼には聞こえているようだった。


    「……結婚しよう」


     はっきりと思いを口にされたのは——これが、二回目だった。そう言って攫った左手の指輪に、そっと、口づけられる。言葉が出ないでいる私を目敏く見た彼が優しげに「返事は?」と、囁く。

    「……はい」

     突然だと、非難する言葉を用意するよりも先に私はただひとつ絞り出した声に乗せて頷き返すと攫われたままのその手に誘われるように彼の胸へと飛び込んだ。

     きっと大丈夫。この人とはこの人との思い出を積み重ねていけばいい。
     古い思い出は捨てて新しい思い出を積み重ねていくんだ——。








     残影は、いつもきみを 孕 む。



    (挨拶に行かないとな)
    (え……?)
    (お前の、親御さんに)
    (……うん。紹介するね、私のお父さん——。)


    ※『僕の横で眠るキミが/Ryuki』&『絆/竹内
    唯人』を題材に

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