ちょい悪組に夜食を振る舞う

「よお凪沙! 飛鷹!」

 半開きだった戸を豪快に開け切ったのは綱海だった。厨房に入りかけていた凪沙は足を止め、椅子に座っていた飛鷹もリーゼントを解いた長髪を揺らして振り返る。

「おい放せ!」

 二人の視線が集まった瞬間、戸の方から荒々しい声が続いた。──綱海の手が無遠慮に掴んでいたのは、猫のように暴れる不動の首根っこだった。

「条介くん何してんの……」
「いや〜自主練してたら腹減っちまってよ。そしたら食堂前でこいつもうろうろしてたから引っ張ってきたんだ」
「いい加減にしやがれ!」

 不動が綱海の手をはたき落としてようやく解放される。不機嫌そうに襟を直す姿を見ながら、凪沙は「概ね、自分と飛鷹という先客がいたから中に入りたくなかったのだろう」と察した。

「それで? 二人も夜食狙い?」
「そうそう! バナナあるか?」
「今日はもう売り切れ」
「ああ〜クソッ遅かったか……!」
「チッ……」

 綱海は残念そうに肩を落とし、不動もあてが外れたように舌を打った。
 彼らは中学サッカー日本代表選手。皆、日中は厳しいトレーニングに勤しむアスリートだ。その上中学生という育ち盛りの男子たち。そんな彼らが自由に補食できるように、食堂には栄養バランスと手軽さを兼ね備えたバナナがたくさん常備されていたが、今日は特に売れ行きがよく、たまたま切らしてしまっていた。

「これからおにぎり作るけど、食べる?」
「えっ! 食う食う! 凪沙の料理は大体旨いからなぁ!」
「そこは嘘でも全部って言えや……不動も食べる? 食べるね」
「おい、勝手に決めんな」
「飛鷹、量増えたから少し待ってて……飛鷹?」
「……いや、」

 飛鷹とは先ほどまで何往復か会話を交わしていたが、綱海と不動が入ってきてから彼の様子はどうにもおかしい。
 飛鷹は元々社交タイプではなく、どちらかといえば寡黙なほうだった。円堂や自分が声を掛ければ受け答えはするものの、自ら雑談を振るような姿は見ない。だから場の人数が増えて口数が減ったのであれば、それは凪沙としても共感するところであるが、それより頭を隠すように片手で覆ったり、どこか縮こまっているのが気になった。──もしかして、セットされていない髪型を、彼らにはあまり見られたくないのだろうか。
 イナズマジャパンには、各人の個性が出た髪型が多い。毎朝セットしている者はとくに、就寝前だと普段とはまるで違った印象を纏い、最初のうちはあらゆるメンバーに「誰だ!?」とたびたび素で反応されたりもしていた。飛鷹も日中は、空を翔ける鳥のような派手なリーゼントを作っており、それが解かれた今は落ち着いたシルエットの長髪に様変わりしている。
 飛鷹の繊細な胸中など推し量れるはずもなく、綱海は大股で移動して飛鷹の隣の椅子を引いた。不動も不動で、流されたように食堂に入り、彼らとは別のテーブルに付く。飛鷹はどこか諦めたように息を吐いていた。

「てか、米あんのか?」
「余ったやつがあるから」
「ハッ、補食とはいえ選手に硬くなった冷や飯出すとはねぇ」
「も……、ハァ……」

 文句があるなら食べなくていい、なんてテンプレート台詞を打ち返そうとしたが、そんなことをして不動が去ったところで、この場も明日からも気まずさと苛立ちが残るだけだ。一つ大人になるつもりで、あるいは呆れたように凪沙は言葉を飲み込んだ。

「おい。振る舞ってもらう側として、礼儀がなっていないんじゃないのか」
「そうだぜ不動。せっかく凪沙が作ってくれんだ、ケチつけんなって」

 ……が、彼女以外はそうはいかなかった。飛鷹と綱海に苦言を呈された不動は、明らかに機嫌を損ねたように眉根を寄せている。そのまま席を立とうとするものだから、凪沙は冷蔵していた余りの白米をレンジに掛けつつ、カウンターキッチンから声を張り上げた。

「そっちは空腹でこっちは残りを減らしたいんだから食べていけば」

 不動明王という男は、きっと他者に一方的に借りを作ることを忌避している。凪沙としてはお前なぞに何か貸してやるつもりはないという心待ちだが、不動の感じ方は違うのだろう。どうしたって、憎まれ口を叩かずに受け取ることは難しいらしい。
 矜持か、別の何かかは知らない。しかし、彼のそれをないがしろにしたところで損はあれど得など誰にもない。だから凪沙は、彼の生き方を少しだけ尊重してみることにした。

「利害一致でしょ」

 ここまでお膳立てしてやれば、きっと彼は舌打ちでもしてから座り直すだろう。そう予想していると案の定「……チッ」と柄の悪い音が聞こえてきた。

「ったく……」
「米ってよく余るのか?」
「え? ああ、おかわり足りるよう多めにしてるから、どうしてもキリよく終わらないだけ。でも選手らには毎食炊き立て出してるよ」
「……だからいつもあんなに旨いんだな」

 ぽつりと呟く飛鷹に、凪沙はなんとなく胸の内が温まるような心地がした。ここでの食事は、主に凪沙たちマネージャーや大人たちで作っている。だから、彼の飾らない言葉は率直に嬉しかった。普段心の内をあまり開示しない飛鷹の言葉は、特に。

「余ったのって、マネージャーや監督たちで食べてんのか?」
「皆が気にすることじゃないよ」
「じゃあ俺たちが食べ切れば、凪沙たちは明日炊き立てのメシが食えるんだな?」
「いやだから……まあ……」

 綱海の勢いに押されて曖昧に頷くと、「よし、余り全部ぶち込め! 今なら十個くらい余裕で食えっからよ!」と綱海はおおらかに笑った。すでに余りの米を全て温めていることを黙って、凪沙は「はいはい」と頷いた。

「……あの、華那芽さん、やっぱり俺も手伝います」
「おっ、俺も俺も」
「や、簡単なものだからいいよ。こんな時間から火も包丁も使いたくないし」
「必要なものを出すくらいはできますから」
「……そう? じゃあ冷蔵庫から醤油と白ゴマ出しといて。袋のやつ。あと、しそ昆布のパックもあったはずだからそれも」
「わかりました」
「条介くんはそっちの棚にあるごま油……は夜だしやっぱいいや。鰹節の小袋三つ持ってきて。あと適当な箸とラップ」
「鰹節と箸とラップな!」

 飛鷹と綱海が厨房をうろつき始める。不動から声が掛かることは案の定なかったが、大人しく座ってくれているだけで凪沙としては助かることだった。
 改めてジャージの袖を捲ってから、先に温めていた白米と、追加で増やしたものをボウルに入れる。それから飛鷹と綱海が集めてくれた材料を、大体の目分量でどかどかと投入した。熱々のごはんに、旨味成分が次々混ざっていく。

「……手慣れていますね」
「まあ……たまに作ってるから」

 横に立つ飛鷹が、凪沙の手元を興味深そうに覗き込む。鰹節の茶色に染まっていく米からは、絶妙に食欲をそそる香りがした。

「学校で円堂たちに差し入れしてたのか?」
「いや、普通に余った米を美味しく食べるための……ああでも、あったな。円堂たちに作ったこと」
「お、やっぱそうか」
「一年の時にさぁ、急に雨降ってきて、洗濯物取り込んでたら家の前円堂たちが走ってきたんだよ。河川敷での練習帰りだったらしくて」
「へえ〜、そんで凪沙んちで雨宿りしたのか」
「そうそう。それで円堂が腹減ったっていうからさ。結構評判良かったな」
「凪沙のメシはどれも旨えからなぁ」
「さっき大体とかほざいてたくせに」
「いやだってにんじんがお前……最近は食べやすいけどよ」
「誰かさんのために工夫してんだよ」
「お前俺のこと大好きだよな」
「自惚れんな」

 従兄妹同士の気軽なやりとり。凪沙の口数がいつもより多いことに、飛鷹は少し目を丸めながらも耳を傾けていた。
 それから凪沙は、適当な長さに切ったラップに箸でいくらか米を流していく。本当はしゃもじのほうがやりやすかったが、しそ昆布を適量出すのには向かなかった。洗い物はなるべく少ないほうが良い。

「これ、もう片付けちまうぞ」
「ああ、よろしく」
「俺、食器洗います」
「いいの? ありがとう」

 凪沙が米を握っている間に、綱海と飛鷹は後片付けを請け負ってくれた。自宅に来た際に手伝わせることの多い綱海はともかく、飛鷹も自然とこうしてくれることは少し意外に思えたが、ありがたく甘えることにする。柄の悪そうな風貌とは裏腹に、彼はこういう時に割と気のつくタイプらしかった。
 ラップ越しに三角に握ってを繰り返し、とうとう空になったボウルを飛鷹が回収してくれる。最後の一つも握り終え、味のしみた混ぜ込みおにぎりが複数完成した。

「おおっ、うまそ〜!!」
「飛鷹、洗い物代わるから食べなよ。就寝時間近づいてるし」
「あ……ありがとうございます華那芽さん。すみません、わざわざ作らせちまって……」
「飛鷹、あれは凪沙流の『冷めないうちに召し上がれ』だ」
「……」

 凪沙は反論しなかった。聞こえなかったふりをして、不動の元にも二つ、おにぎりを持っていく。彼は怠そうに頬杖を付いたまま凪沙を見上げたが、少ししておにぎりに手を伸ばした。

「そんじゃ、いっただきまーす! ……んぅめ!!」
「これは……旨いな。いい組み合わせですね」
「簡単だからおすすめだよ。余ったご飯ってそのままだとちょっとアレだけど、これなら気にならないし」

 感情表現の豊かな綱海はもちろん、平生無愛想の飛鷹も分かりやすく表情を綻ばせている。作り手が特定されない普段の食事ならまだしも、自分が作ったことを知っている彼らに目の前で感想を呟かれるのは、少し落ち着かない心地がした。誤魔化すように、凪沙は洗い物の続きを始める。流れる水の音が、何となく空気をかき混ぜてくれた。

「フン……まあまあだな」

 不動も不動で、口に合わなかったなら怒るか黙っていそうなところ、わざわざ中途半端な感想を残したあたり気に召したのだろう。共同生活をする中で、凪沙はほんの少しずつ、難解な不動の気持ちが汲み取れるようになってきていた。
 飛鷹も不動も、依然としてチームに溶け込めてはいない。だが、いくらでも理由をつけて、部屋に持って帰って食べたって良かったのだ。強制されない状況で、それでも同じ部屋で、同じものを食べられるくらいには、互いを突っぱねてはいないらしい。

「ほんとうめーなこれ……凪沙は食わねーのか? 余ってるじゃねえか」
「ああ、誰か余裕があったら食べていいよ。そんなに空いてなければ置いといていいから」
「凪沙は未だに男子中学生ってヤツの胃袋をナメてんだよ。俺が凪沙んちで三合食った時もちょっとビビってたぜ。カワイイとこあるよな」
「ちょっと、さっきから人のこと解説すんのやめて」
「そしてあの低い声は怒ってると見せかけて照れてる時だ」
「飛鷹、その人軽めにはたいといて」
「やめろやめろ! そんな指示すんな!」
「……ふ、」

 ちょうど食器を洗い終え、水を止めた頃。飛鷹のほうから少しだけ空気が漏れるような低い声がした。珍しいものが聞けたことに、凪沙は手を拭きながら僅かに口元を緩ませる。

「そういや、何で凪沙までここにいたんだ? 飛鷹に頼まれたのか?」
「や、部屋のペットボトル切らして……水もらいに来たら飛鷹がいたから」
「で夜食作ってやろうとしたのか。仲良かったんだなぁお前ら」
「な……、」
「仲……、」

 綱海の何気ない感想に凪沙と飛鷹は固まった。二人はある経緯で、合宿開始当初から顔見知りの仲ではあったが、仲良しと言えるほどに親睦を深めたつもりは双方にはなかった。互いにあまりフレンドリーなたちでもない。彼らはどちらともなく顔を見合わせると、眉根を寄せ、すぐにぎこちなく逸らした。

「俺ァ飛鷹のことはまだ全然知んねーけど、凪沙のダチならいい奴だろうしな!」
「や、ダチっていうか……いや……、」
「……」

 本人を前に下手に否定するのも失礼で、うやむやに返事をする。飛鷹も気まずそうに斜め下に視線をずらして、逃げるように黙々と米を頬張っていた。

「ほら、やっぱお前も食えよ」
「ハァ……まあ、いっか」

 あまりにもあっけらかんとした綱海につられて、凪沙は切り替えるようにおにぎりを手に取った。
 運動量の多い選手たちはともかく、自分がこんな時間に下手に食べると太りそうだと気にしていたが、本当は作っている段階で匂いに誘われ食欲が湧いていた。うまい口実ができたのは、決して悪いことではなかった。
 綱海の隣に腰を下ろし、まだ熱を帯びたおにぎりのラップを開くと、鰹節としそ昆布の香りがふわりと解放される。一口齧れば、つややかなしそ昆布の風味と甘さ、鰹節とほんの少しの醤油のしょっぱさ、ごまの香ばしさがいっぱいに広がった。
 人の少ない静かな食堂。普段より声やテンションがやや抑え気味の従兄に、率先して料理の手伝いをしてくれた寡黙なチームメイト。いつもよりは棘の少ない孤高のメンバー。変わった面子で同じ味を共有するのはどこか奇妙で、不思議な心地になる。「……うま」「だろ」「なんでそっちが得意げなの」凪沙は少し笑って、気に入りの味の米をまた齧った。

back
topへ