円堂にあずかりものを返す

「華那芽ー!」

 暮れなずむ空から注がれた橙が、辺りを染め上げる。人のいない鉄塔広場で、手すりにもたれ掛かりぼんやりと足元を眺めていた私は、聞こえてきた声にぱっと顔を挙げた。遠くから駆けてくるのは、夕日の色を溶かして染めたようなバンダナ頭。

「円堂」
「やー悪い悪い! 待たせたな!」
「別に……むしろこっちこそ悪いね、別に私がそっちまで返しに行ったのに」
「いや、俺も最後にここに来たかったし、そもそも俺がお前に頼んで持っててもらってたやつだしな!」

 にっと快活な笑みを見せた円堂に、釣られるように口元が緩む。本当に、その笑顔ひとつがどれほど周りの心に影響を与えるのか、熱を伝染させるのか、きっと円堂はわかってもいないのだろう。
 私は手にしていた『あずかりもの』を差し出した。家にあった紙袋の中で一番綺麗だったものに、丁寧に畳んで仕舞い込まれているのは、円堂が雷門を去る直前に私に預けた、彼のジャージだった。

「はい、これ」
「おう! 預かっててくれて、ありがとな!」

 それはきっと、ジャージのことでもあり、また雷門サッカー部のことでもあったのかもしれない。彼は袋から中身を取り出すと、パンッと畳まれていたのを広げた。青と黄色で構成された雷門のジャージ。ふたつの稲妻模様が刻まれたそれには、円堂の数え切れないほどの想いが詰まったままだ。そのバトンを託された私は、雷門への想いを、そこに重ねられただろうか。ちゃんと受け継げただろうか。
 懐かしそうにジャージを見つめた円堂は、やはり「懐かしいなぁ」と呟いた。

「これを着て、ここでいつも特訓してたなぁ」
「タイヤね……円堂、たぶん、利根川東泉でもやってたでしょ」
「そりゃそうさ! サッカーの特訓といえばタイヤだろ?」
「ぶはっ! どこの世界の常識……いやぁ、うん、ふふっ、そうだね」

 真面目な顔で返す円堂が面白くて、円堂らしくて、安心してしまう。変わってしまったことばかりだけど、変わらないものはちゃんとある。それが本当に嬉しくて、後引くようにしばらく笑い続けた。一頻り笑って、ようやく落ち着くと、円堂はどこかにこにこと嬉しそうにこちらに顔を向けていた。

「何?」
「いや? なんでもないよ」

 そうして彼はまた笑った。なんてことだろうか。まさかあの円堂に、はぐらかされる日が来ようとは。気になったけど、こんなにすっきりした顔で言われれば、聞き出すのは困難だろうし、野暮な気もしたからやめた。よくわからないけど、円堂が楽しそうだからそれでいいや、なんて、いや、何考えてんだ私は。
 なんとなく気恥ずかしくなって頭を掻くと、いつの間にかジャージを紙袋にしまっていた円堂が「うおー!」と夕日に向かって突然雄叫びを上げた。多少驚きはしたものの、その行動には円堂らしさが全面に出ていて、やはり笑ってしまう。

「俺たちが、とうとう世界かぁ……!」
「円堂が、秋ちゃんとサッカー部作ったばっかりの頃はさ。ここまでこられるなんて思ってなかった」
「俺も、あの頃は部員も足りなけりゃグラウンドも使えないし、とにかく目の前を見て走るのだけで精一杯だったなぁ」
「……そうだね」

 ひとつひとつ、あの頃を思い出す。
 円堂は秋ちゃんと、それまで無かったサッカー部を作るために、入学したその日から動き出した。私はサッカー部なんて興味無かったけど、どうしてか二人のことが気掛かりになって、わざわざ学校の敷地内をあちこち探し回った。ようやく小さな掘っ建て小屋から、二人の声が聞こえてくるのに気付いて、見れば二人は掃除をしているようだった。
 その古ぼけた小屋はどうやら物置になっていたようで、埃を被った大量のダンボールや大道具を運び出し、中を一生懸命に掃除していた。それも、凄く楽しそうに。変わった人たちだと思った。それと同時に、人の心を動かせる人たちだとも思った。
 あの頃私は、なるべく周りと関わりたくなくて、何かを自分の意思でするのも億劫だった。一人で何もせずに生きていれば、つまらなくても楽だった。そう思ってたはずだった。あの時から私はもうずっと、二人の眩しさにあてられてたのかもしれない。
 気付けば私は、真新しい制服が汚れることも気にせず、二人が運び出した物の片付けを手伝っていた。自分で自分がわからなかった。出会ってまだ数時間。他人と言っても遜色ない人間に。慣れない場所で疲れていて、さっさと帰りたいとすら思ってたのに。
 でも今ならわかる。
 私はきっと、あんなにも無愛想でつまらなくてクソみたいな顔してた、どうしようもない、格好悪いクソガキの私に。声を掛けてくれた、縁を繋いでくれた二人に。真っ直ぐでひたむきで、一生懸命な彼らに、何かをしたくなったのだ。

「最初は二人だけだったね」

 円堂も秋ちゃんも、本当に一生懸命だった。勧誘ポスターを作って学校中に貼ったり、周囲に声を掛けて回ったり。それでも最初のうちは、たった二人だけのサッカー部のままだった。そのせいであらぬ噂を立てられたこともあったし、陰口や、心無い言葉を掛けられていたことも知ってる。それを、二人が傷つけられることを、見て見ぬふりできなくなったのはいつからだろう。
 それでも二人は絶対に負けなかったし、諦めなかった。毎日放課後になれば、楽しそうにあの小さな彼らの城に向かった。本当にサッカーが大好きだったんだ。

「いつの間にかたくさん仲間が増えた」

 部員が増えてからも、なんとかサッカー部としてしっかり活動できるように、精力的だった。他の部員達がすっかりやる気をなくしてしまっても、二人は前を向いて走り続けた。それはどんなに難しいことだろう。どんなに凄いことだろう。

「帝国に勝って、皆に認められて、たくさん練習して、フットボールフロンティアに出場して、優勝まで果たした」

 円堂は雷門サッカー部を作り上げた、それは大袈裟に言えば伝説とも呼べるようなものだった。いや、実際に、世間では円堂守は伝説のキャプテンだと言われていた。

「円堂が作り上げた、円堂たちの雷門サッカー部は、結局その後離散しちゃったけどさ。それでもまた、敵同士としてフィールドで会えた。それで、今度は同じ場所で一緒に戦えるんだね」
「ああ。俺もう、今から楽しみで仕方ないんだ。またあいつらと一緒にサッカーできることも、世界を相手に戦えることも」

 円堂の大きな瞳にはいつも、これからやってくる未来に対する希望と期待が宿っている。それが眩しくて、羨ましくて、憧れていた。同時に、己の卑小さを自覚してしまうから、同じ場所に立つのが怖かった。今でも、まったくそう思っていないわけではない。だけどそれ以上に、彼らの隣に立てるようになりたいと、そう思えるようになったのも、また彼らの存在のおかげだった。

「……私さ、結局円堂たちと同じ『チーム』でいられたこと、今までなかったから……嬉しい、んだよね」
「? 何言ってんだ?」
「は?」

 さも不思議そうに聞き返してくる円堂に、思わず間の抜けた声が喉から出てくる。だがそれを気にしている余裕もなかった。
 円堂の真っ直ぐな双眸が、私の目を捉える。強い瞳だと思った。決して視線を外すことが許されないような気がしたし、実際に外すことができなかった。

「華那芽は確かに、正式にサッカー部に所属してはいなかった。でも、いつも俺たちのこと応援してくれてた。いつも俺たちと一緒に戦ってくれてただろ? だから、俺はお前だから、ジャージを預けた」

 夕日に照らされたその顔は、怒っているわけでも、笑っているわけでもない。ともすれば無表情じみていたが、しかしそこには確かな感情が籠められている。円堂の、ひとつひとつ拾い上げて"確かめさせる"ような言葉が、私に心を"曝け出させる"。

「俺にとってお前は、ずっと前から俺たちのチームメイトだ。華那芽は違うのか?」

 ―――そんなことを、寸分の疑いもなく、当たり前に言ってのけられちゃあ、私は私を認め直さないわけにはいかない。

「……ううん、違わない」
「だろ!」

 円堂はまた豪快に笑う。それが苦しいくらい嬉しくて、私は今度は上手く笑えなかった。
 ありがとう、はきっと言うべきじゃないことくらいわかってる。思う必要だってないのだと、きっと円堂は思っている。だから零れ落ちるほどに溢れたこの気持ちは、これからにぶつければいいのだろう。私が彼らとともに進むための糧にすればいいのだろう。

「さあ、明日からは代表キャンプの始まりだ。気合い入れて頑張ろうぜ、華那芽!」
「……おうよ」

 円堂のよくやる、歯を見せた笑い方だ。暖かくて、元気がみなぎってくる。好きだなぁ、この笑顔。これが曇ることのないように、私にできることはあるのだろうか。それはまだわからない。もうずっとわからないけど。わからなくても、前を向いて走り続ければ道が見えるのだと、円堂たちの背中からずっと学んできた。
 だから、私は私の精一杯を尽くせばいい。前を向いてひた走ればいい。
 円堂が、幾度となくゴールを守ってきたその手のひらを固め、拳をこちらに突き出してくる。私もそれに呼応するように、意志を込めて固めた拳をそれにぶつけた。


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