円堂に勧誘される
放課後。それは学校のありとあらゆる面倒事から解放され、家に直行するでも、好きな場所に赴くでも、何でもできる幸せで自由な時間……で、あった。過去形の理由は、別に放課後が嫌いになってしまったわけではない。そんなことは、例え天地がひっくり返ったって、サッカー馬鹿が突然野球馬鹿になったって起こり得ない。では何故か。現れたのだ。何が。その時間を邪魔する、不届き者が。
名前は、円堂守。
去年同じクラスで、個人的には仲の良い友人である、と思っている。入学したその日に、現在のマネージャーである木野秋ちゃんと一緒に、今までなかったサッカー部を持ち前の気合いと根性と暑苦しさで再建させた、生粋の熱血サッカー馬鹿。天然で鈍感だけど人当たりが良くて、多分きっと、人の陰口や悪口なんて生まれてこの方一度もしたことがないのではないかと思うくらい、良い奴。それが円堂だった。
それじゃあどうしてそんな奴が私を困らせているのか。その理由もまた、彼の大好きなサッカーにある。
数日前のことだ。サッカーの名門校であるという帝国学園から、この雷門サッカー部に練習試合の申し込みが来たらしい。それとともに、理事長代理の雷門夏未生徒会長から叩きつけられたのは「試合に負ける、もしくは試合までに部員を集められなかった場合、サッカー部はただちに廃部にする」という竹取物語ばりの無理難題。だが現在雷門サッカー部には、マネージャーである秋ちゃんを除くと部員が七人しかいなかった。試合すらできない状態である。一体全体、帝国学園というサッカーのエリート様が、我らが雷門セブンに何の用だというのか。皆目検討もつかなかった。
かくして、円堂は部員集めに奔走することとなったのだが、そこで彼が真っ先に目を付けたのが私だった、というわけだ。恐らく彼の脳内友人フォルダに帰宅部というフィルターを掛けて、一番に出てきたのだろう。帰宅部の人間に絞れば、これまでの一年と少しで円堂と最も時間を共有していたのは、恐らく私だ。これは少しだけ、自信があった。真偽の方は定かではないが、そう思う分には自由だろう。
まあ、だからといって、私が彼の勧誘に乗るなんてことは、絶対にありえないことだったのだ。
*
「起立ー、礼ー」
日直の号令を合図に帰りのHRが終了し、教室が途端に騒がしくなる。疲れただの今日どこ行くーだの腹減っただの、気の抜けた声をどこか遠くで聞きながら、予めすべての荷物をしまっておいた鞄を豪快に肩に掛けた。教科書の重みが肩にのしかかるが、それを煩わしいと思う暇もなく、勢いよく机に椅子をしまう。
「今日こそは彼に捕まらないといいわね、華那芽さん」
「ありがとう、ついでに私が逃げ切れるように祈っといて」
忙しない私に憐みの目を向ける桂木さんは、この間の席替えで前後になったクラスメイトだった。理知的な顔立ちに、眼鏡が良く似合う。レンズ越しのシャープな瞳を細め、軽く手を振る彼女に申し訳程度にこちらも振り返しつつ、扉まで駆けた。右、いない。左、いない。よし、今日はいける。なんて心の中でとったガッツポーズは、遠くから響いてきた私を呼ぶ声に寄って粉々に崩れていった。
「華那芽ー! サッカーやろうぜー!!」
「うるっせ……」
廊下を全力疾走してくる円堂を見て、思わずため息が口から漏れた。ここで走って逃げようもんなら、丁度前を通る教室から生活指導の菅田先生が、そのごつい顔面を真っ赤に染め上げ飛び出してくることだろう。そんなのは御免被る。流石に円堂と先生を天秤に掛けたら、後者に傾くに決まっていた。
観念して壁にもたれ掛かり脱力すると、駆けてきた円堂が勢いよく私の両肩に手を乗せた。
「なあ、華那芽! サッカーやろうぜ!」
「それさっきも聞いた」
「去年体育でサッカーやった時、めちゃくちゃ上手かったじゃないか! あのキック力! テクニック! それから、」
「おだてられたくらいで舞い上がって了承するような馬鹿じゃない。てか私本当にサッカーなんてできないって。あれはたまたま」
「そんなこと言わずにさあ! 俺、お前とサッカーできたら絶対楽しいと思うんだよ!」
「いや本当やめてそういうの。そういう私が隠れた才能持った凄い奴みたいに仕立て上げんのやめて、居た堪れない。あんたあの試合フィルター何十枚越しに観てたの」
「確かに途中でスタミナ切れしてたな! 華那芽すげー顔してたぞ」
「なんでそういうこと笑顔で言うの華那芽吃驚だよ」
ああ、一つ彼に関する情報を追加するとすれば、円堂には見ての通りデリカシーというものがあまり無かった。人のことをしっかり見る目はあるくせに、こういうところは何故か疎い。とはいえそこが改善されたスマートで紳士性の強い円堂など最早円堂ではないし、それによってもし円堂に恋人なんてできたら堪ったもんじゃないから現状維持で良いのだろう。何を隠そう私の大事な友人の秋ちゃんは、彼にひそやかな想いを寄せていた。それを本人がどれほど自覚しているのかはわからないけど、それでも彼女が傷付くところなんて絶対に見たくない。
あとは、やっぱり。これは本当に勝手な願いなのだけれど、私はもう少しだけ、自由気ままでサッカーが恋人な円堂と友人でいたいと、そう思っていた。
「でもさ、華那芽サッカー好きだろ?」
「……いや、特には」
「え! だって今までずっとサッカー部応援してくれてたじゃないか! だったらなんでいつも顔出したり差し入れくれたりするんだ?」
「そりゃ、秋ちゃんと……秋ちゃんが……いるからだよ」
秋ちゃんとあんたがいるから、とは流石に本人目の前に言えるわけがなかった。まあ、伝える必要性だってないし、きっと今後伝えることもないことだろうけれど。気の迷いで一瞬言い淀んでしまったのは、失敗だった。
「あ! 今一瞬詰まっただろ! 他にも何かあるんじゃないのか?」
「(何こんな時ばっかり鋭くなってんの)」
「絶対なんか誤魔化したよな!? なあ! 教えてくれよー!」
「しつこい、理由なんて秋ちゃん一択だよこのサッカー馬鹿」
「……え? 俺ってサッカーバカなのか?」
「……え?」
……ああ、こうして今日の放課後もまた、私にも円堂にも何も残らない無駄な時間を過ごす羽目となるのか。なんて思ったって、いつもサッカーしか見えてない円堂に、こうやって私個人を見て絡まれることが本当に嫌なわけではないことも、自覚していた。
帝国と試合が終われば、また私が自ら赴かねば、彼に会う機会なんて早々得られなくなる。去年は同じクラスだったけど、今年は別々なこともあって、本当に話す機会が少なくなってしまった。それに、来るもの拒まずな彼は、去るものを追う暇があればサッカーに費やすのだ。そうして、あちらから来るのを待つ。それだけ彼には人の心を動かす力があった。
だから逃げる私を円堂が追いかけるなんて、きっと今だけの、もう今後二度と起こることもないであろう希少な光景で。
(本当振り回されっぱなしじゃん……)
──それでも私は、サッカー部の助っ人として、彼の差し出す手を取ってやることはできなかった。女であることが理由ではない。どうせ練習試合だ、公式でない限り性別なんて関係ない。だから円堂は私に声を掛けてくるんだ。そしてサッカーが別段得意なわけではないというのも、本当の理由ではない。
私は、彼らと肩を並べられるような人間じゃなかった。彼らのように、サッカーに対する真っ直ぐで純粋な気持ちを持ち合わせてなどいないし、目標に向かって真っ直ぐ突き進めるような愚直さも無い。私には彼らが、美しすぎるくらい、泣きたくなるくらい、眩しく見えた。人間どうして、あれほどまでに透明で綺麗な心でいられるんだろう? 私は彼らの中には入っていけない。居た堪れない。きっと息ができなくなってしまう。
彼らのことが好きだ。心から大切だと思ってる。
でも、だからこそ。彼らの中に入れば嫌でも、自分という凡庸で何も持っていない、何かに本気で打ち込んだこともない、誰よりも自分を優先するような人間の醜さを痛感してしまう。浮き彫りになって、自覚してしまう。それを自分で感じることも、彼らに感じ取られてしまうことも怖かった。結局は臆病なのだ。
だから私は、少し離れたこの位置から、彼らを応援していたかった。そうして、もし何か危害が加えられそうになったら、盾になろうと思ってた。何も持っていなければ、失うことも迷惑をかけることもなければ、それが存分にできるから。何を大袈裟な、漫画の中の話じゃないんだからって、そう思うかもしれないが、事実どういうわけかこの雷門中学校では、サッカー部を嫌う敵が多かった。それでも去年の今頃と比べれば、随分とマシにはなったけれど。
円堂には、私なんかに構うその一分一秒を、練習や他の人への勧誘に使ってほしかった。私なんかでは、彼らの力にはなれないのだから。
──それでも、円堂と秋ちゃんが傷つくのが見たくないと思うのは、我儘なのだろうか。
帝国との練習試合まで、あと五日だった。
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