人の部屋でくつろぐな一星

「なんでアンタがいるんだよ」
「え〜? 僕と凪沙さんの仲じゃ」
「聞き飽きたっつーの」

 幾度となく聞いた適当極まりない返事を食い気味にぶった切る。夕食の時間も終え、マネージャーの仕事も一区切りついたということで自室に戻ればそこにはさも当たり前みたいな顔で人のベッドに腰を下ろした青色メンダコヘッド。しかも勝手に冷蔵庫から私のポッキーを取り出してこれ見よがしに食っている。ふざけんなテメェそれ秋ちゃんが私にくれたやつなんだよ何でお前が食べてんだ、いい加減にしろよ窓から放り投げるぞ。

「いいでしょ別に、一人部屋なんだし」
「何も良くないしアンタのせいで一人部屋じゃなくなってんだよ。そのポッキー置いて自室に戻れ」
「俺がずっとどっかり居座ってたら、岩戸さんが気まずくて可哀想でしょ」
「そんな殊勝な心掛けがあるなら私にも気を遣え。帰れ」
「ケチだなあもう。俺疲れてるんで、ちょっとくらい休憩くらいさせてくださいよ」

 そう言って一星は空になったポッキーの外袋をゴミ箱に器用に投げ入れると、雑に靴を脱ぎ捨てて我が物顔でベッドに転がった。オイお前どの面下げて私の寝床に堂々とひっくり返ってんだ蹴り落とされたいか。

「はー疲れたなぁ」
「ふざっけんなよ……」

 どうして私が、鬼道の仇のような人間を部屋に入れ、あまつさえ寝床まで貸し出してやらなければならないのか。訳がわからない。不快だ。腹の奥で気持ちの悪い苛立ちが溜まり、蠢いている。それが逆流し、喉を焼きながら這い出そうになって、なんとか無理矢理飲み込んだ。

 疲れる。一星がそう言う理由はわかっている。彼はもうあのわざとらしい猫かぶりはやめ、とうとう本性を現した。チームの大方も、彼をすでに裏切り者、もしくはそれに準ずるような意識を向けているに違いない。つまりどこへ行っても疑うような、あるいは敵意の籠った侮蔑の目がこいつには向けられていた。自室にだって、先程言っていたように岩戸がいる。彼は灰崎や吉良あたりの気性の荒い奴らと比べれば大人しいタイプだから、一星に特別突っかかることもないのだろうが、双方居心地が良くないのも確かだろう。
 つまるところ、一星はこの合宿所において、落ち着いていられる場所がないのだ。

(だからって何故に私の部屋に来る?)

 私の視線は痛くも痒くもないとでもいうのか? 確かに出会ったその日から、一星は明らかに私を舐めてかかっていた。その認識は今でも変わっていないのかもしれない。とはいえ私は他のメンバーと比較すれば、随分と一星と余計な関わり合いをしている。その中で互いに腹の探り合いや牽制、あるいは実力行使などがあれば、むしろ警戒するべきではないのだろうか。というかしろよ。立つ瀬ないだろうが。鬼道に次どんな顔して会えばいいんだよ。
 それとも本当に一星は、ただ単に煽りに来ているだけなのか。もしそうならあまりにも暇人を極めすぎている。お前腐っても選手だろそんな暇あるのか。布団の上で脱力しているその男に睨みを利かせるも、彼はゆったりと瞼を閉じており効果はなかった。実家気分かお前は。

「一星アンタいい加減に出てけって……、」

 苛立ちと嫌悪感と呆れがない交ぜになった声が出る。どうせ効果がないことも半ばわかっていながら、帰るように催促しようとしたが、続けようとした言葉はそこで途切れた。
 弛緩した表情。規則正しく、わずかに上下している身体。

「……一星?」

 再び声を掛ける。返事はない。それどころか身じろぐことすらない。いやいや待て、たったさっきまで会話してただろ。この一瞬でそんな、あるわけがない。嫌な予感を振り払うように、ベッドに早足で近付き、彼の肩に手を置いてゆさゆさと強めに揺さぶる。

「ねえ、ちょっと、オイ、ふざけんなよ」

 いくら揺すっても声をかけても、せいぜい僅かに眉間に皺が寄る程度で一星が目を開くことはない。いや待て嘘だろお前本当に勘弁しろよ。だがそんな願いも空しく、彼は完全に寝入ってしまったようだった。

「……自分を警戒してる人間のベッドで何易々と寝てんだよ……」

 本当にポンコツ過ぎでしょ……そんなことを言ったってもうこいつの耳には届くわけもないのだから、仕方なく口を閉ざす。
 すうすうと心地良さそうに寝息を立てる一星。だがその顔は確かに酷く疲れているようにも見えた。ハードな練習に加えてチームにも疑われ、心身ともに疲弊しているのかもしれない。だがそれに同情の余地はないし、むしろ疲れ果てて余計なことをする力さえなくなれば良いと思った。……いや、というかそもそもこいつ、自分がいると揉めるだとか理由付けて練習の不参加が続くようになってなかったか? どこで身体疲労蓄積してきたんだよ隠れて真面目に自主練でもしてるの?

 ああ、気の抜けた寝顔が酷く忌々しい。こんなあどけない顔の一年生が今までのことをしてのけたと考えると、あまりの不釣り合いさに頭がどうにかなりそうだった。一体こいつは、どんな大義名分があって、円堂に手を掛けようとし、鬼道を追いやったんだ。豪炎寺だって、一星が直接手を下したわけではないけど、こいつの仲間によって怪我をする事態になったと見て間違いない。治る見通しが立つような怪我で済んで幸いだったが、一歩間違えれば選手生命も危ぶまれていた可能性だってある。
 一体どんな気持ちで、サッカーが人生と言っても過言ではない円堂に、一人のサッカー選手に、取り返しのつかないかもしれない怪我を負わせようとした? 一体どんな気持ちで、これまで正々堂々と戦ってきた鬼道にあろうことか、彼が誰より憎んでいるであろうドーピングの疑惑なんて掛けた? どうしてそんな後戻りのできない、他人の人生を、夢を踏みにじる真似ができた?
 ねえ、一星。いつかアンタの口からそれを教えてくれる時は来るの?

「……、」

 仰向けだった一星は、私に背を向けるようにゆっくりと寝返りを打った。……やっぱりこいつ、どうにかしてるって。世が世ならこのがら空きの背中、恨みと憎しみを込めて今刺してたぞ私が。
 疲れが残っているせいか、寒いからか、他人のベッドだという自覚が残っているからかはわからなかったが、よく見れば手足は窮屈そうに縮こまっていた。このままでは起きた時に身体中バキバキになっていそうだと思ったが、それはそれで良い気味なのでそっとしておこう。何をしでかすかわからないこいつが、少しでも機動力を失うのはありがたい。

 溜まった疲れを少しでも吐き出すように、大きくため息をつく。それから私は自分の机に向かい、彼に弄られた形跡がないか確かめ始めた。蹴り起こすなり引きずり出すなりして、あいつを外に追い出すのは後だ。今はそういう気分にもなれなかった。そうしてしばらく眠りこけていればいい。むしろそのまま永遠の眠りにつけばいい。いや嘘。死ぬなら自分の部屋で死んでくれ。
 朧気な記憶だから怪しいが、机周辺で盗まれたり見られたり、あるいは余計な「何か」を取り付けられた形跡はなかった。ノート類は見られていてもわからないから割り切るしかないが。
 あとは……と、クローゼットに目を向ける。いや、まさか。流石に異性のクローゼットを漁るほど倫理観が欠けてはいないだろう。というか思いたくもない。そんな男に寝床を奪われているとなれば気が狂うわ。だが彼には前科がある。それに今日だって勝手に人様の菓子を食い漁っていた。となれば仕舞い込んだ服に、何か仕掛けられていないとも限らない。いやでも、下着類とかも中のタンスに収納しているわけだし、流石にない。ないな。ないだろう。ないと言ってくれ。

「……」

 訝しげにちらりと一星を見やる。彼は本当に、休憩所くらいの感覚でこの部屋に立ち寄ったのだろうか。それだけが理由なのか。それを確かめる術もないのだけれど。

「……い…………」

 不意に、何かがほんの小さな声で呟かれる。一星が起きたのか、それとも寝言だろうか。足音を立てないよう近くに寄って、彼の顔が見える方に回り込む。彼はまだ眠っているように見えた。
 口が小さく開いたり閉じたり、何か言いたげに動いている。もしかしたら弱味を握れるかもしれないなどと馬鹿馬鹿しいことを思い、身を空気に溶け込ませるようにじっと耳を澄ませた。

「……にい、ちゃんが…………」

 零れ落ちるように。
 薄く開かれた口から紡がれた言葉を、私の耳は拾う。震えるような声色だった。苦しそうに、酷く悲しそうに歪められた寝顔だった。

(……いい気味だ)

 私は円堂のように、できた人間じゃないから。彼らに危害を加え、これからも加えようとしている人間に、優しくなんてできない。できるわけもない。仲間だなんて思えない。こいつが一体何を抱えてるのかなんて知らないが、彼らが苦しめられた分、苦しめばいいと、そんなことさえ思ってしまう。
 それなのに体は心と相反し、おもむろに動き出す。
 その手はゆっくりと一星の顔に伸びていき、ひたりと彼の頬に添えられた。指先に冷たさがゆっくり伝わる。それからやはり私の意思とは無関係に、その手は今度は彼の頭に向かう。ぽん、と少し癖のある髪の毛を手のひら全体が押さえ、その感触が伝わってきた。ぽん、ぽん。まるで力のないその手は、繰り返し押さえつけるように撫でていた。そして今度は、往復するようにやわらかく撫で付ける。その手は慰めのような、あるいは壊れ物にそっと触れるような手つきをしていた。
 まるで不思議で、自分でも理解ができない行動だった。悪い魔法にでも掛かったみたいだった。そうしているうちに、どこか魘されていたような一星の顔は、いつのまにか少し穏やかさを取り戻していた。

「……何やってんだろ」

 我に返ったように独りごち、彼の頭から手を離す。髪の毛の感触が手に残って消えないうちに、また一星の口元が動き出すのが見えた。ほんの少し身構えてしまった理由なんて、考えたくもない。そしてあまり色の無いその唇が紡いだ言葉は、凪のようにその場のすべてを静まらせた。

「…………凪沙、さん……」

 ──こいつ、本当に、寝てんだろうな……?
 一瞬忘れさえした息を、どうにか取り戻す。しばらく息を潜めていたせいか、いくらか前から随分と呼吸が浅くなっていたようだった。酸素を余分に取り込んで吐き出すと、いくらか頭が正常に回り出したように感じられた。だがさて、まともな頭になったほうが都合が良かったかといえば、どうだろうか。
 一体どんな夢を見れば、あんな寝顔で人の名前を呟けるというんだ。

「……チッ」

 彼から目線を外し、舌打ちを漏らす。もはや目下の問題は、どうやって彼を部屋から運び出すかということだけだった。しばらくこいつとは話したくなくて──余計な感情に囚われたくなくて、叩き起こすという選択肢はすでに脳内から消え去っていた。私は半ば自棄になりながら、チェストに畳んで置いてあったブランケットを一星に雑に掛けると、寝ている人間も抱えられそうな力のあるメンバーを、一人一人確かめるように頭に思い浮かべた。


back
topへ