一星は疲れているらしい
マジシャンにとってのタブーとして、同じマジックを繰り返し披露してはいけない、というものがあるらしい。これは、一度めは純粋にその不思議な現象を楽しむことができるが、二度めからは「一体どうなっているのだろう?」とトリックの方に観客の意識が向いてしまうからだという。
もちろん「この場合」は、一度めにその現象を楽しんだ者がいるわけもなく、またトリックというほど複雑な事象があったわけでもない。けれど、かといって、わざわざこの短いスパンで、普通同じ手を繰り返し使うか? だから失敗するんだよ。
「やっぱりポンコツなの?」
「うるさい!」
仕留め損ねた標的にことごとく馬鹿にされ、通路に立ち尽くしていた一星に声を掛ければ、彼は噛みつくように吼えた。飢えた獣が餌を前にした時のような反応速度だった。それも、例えば虎のような獰猛な動物ではなく、ウサギ程度の小動物。
第三試合でようやく帰国し、皆と合流した野坂悠馬は、鬼道という指導者も円堂という精神的支柱も失ったチームを、手段を選ばずに勝利へと導いた。どうにもこうにもまともにサッカーやらない奴らばかりだが、こすい手ばかり使う相手を慮っていたら、イナズマジャパンは確実に潰されてしまうということだろう。あんたが手を汚す必要はないなんて、漫画みたいな月並みな綺麗事は、本当に何の実にもならない綺麗事に過ぎなかったのだと理解するしかなかった。
正直者が馬鹿を見る。これは馬鹿正直で真っ直ぐな奴らばかりのイナズマジャパンには酷なことだが、どうにも汚い大人たちの汚い陰謀が渦巻いているらしいこの世界大会では、肝に命じておくべきなのだろう。
「……まさか、お前か? 華那芽凪沙……お前が野坂悠馬に情報を流したな?」
「何、私が悪いことしたみたいに言わないでほしいんだけど。仲間に用心しておけって伝えるのは可笑しなことじゃないでしょ」
「ふざけるなよ……! どこまで俺の邪魔をすれば気が済むんだ!」
「アンタこそ、どこまであいつらの邪魔したら気が済むの。……まあ、どこまでやっても済まないんだろうけど」
一星は何らかの組織に従っている。その命令は恐らく日本を敗北させることと見て間違いないだろう。そんな彼は鬼道や円堂を陥れ、一時離脱に追い込んだ。そしてまた、今度は野坂を標的にし、鬼道の時と同じようにドーピング疑惑を掛けようとした。しかし、数手先を読んでいた野坂のほうが一枚上手だったというわけだ。
しかし、実のところ私がこれこれこういう風に用心しておけと伝えたわけではない。試合が始まる数日前に、野坂本人から連絡が来たのだ。どこから私の電話番号を入手したのかはこの際不問にしつつ、彼は選手よりは手透きの
マネージャーに、現在のイナズマジャパンの状況を尋ねてきた。そこで、今までの試合における数々の不審点や、円堂たちが離脱していることとその経緯、それのほとんどに一星が絡んでいることを説明しただけだ。アイツは出る杭をわかりやすく打ってくるから、あんたも用心しておけ、とも。
だから野坂は、例え一星がどのような手で仕掛けてこようとも難なく対処しただろう。彼は今までのイナズマジャパンにはなかった狡猾さを持っていた。
「……今まで、たかがマネージャーだからと見逃してやってたが、アンタから排除してやってもいいんだぞ? 華那芽凪沙」
「え……なんでわざわざ宣言するの。騙し討ちのほうが勝率高くない?」
「!!」
疲れているのか、私が何か無意識にそうさせているのか、やたらめったらこいつは私の前でボロを出す。もしかしたらただの馬鹿なのかもしれないけど。
「べっ……別に、ただの忠告ですよ」
「何それ、親切だね。なんだかんだ私にいなくなってほしくないの?」
「だっ……れが! そんな! お前なんか! お前のことなんか……!」
「いや冗談だって……そんな狼狽える?」
「ぐぬぅっ……!!」
その迂闊っぷりはあまりに清々しく、一周回って可哀想にすら思えてくる。──彼は、本当は人を騙して、陥れるような真似は得意じゃないのだろうか。
野坂は、何のためらいもなくあらゆる手段を決行できる。そこには罪悪感すらないのかもしれない。もしくは、感情を一切挟むことなく行動ができる、そういう人間なのだろう。
だけど一星はどうだ。今までの数々の愚行は感情丸出し、下手をすれば私怨で動いていると思われる時もあった。突かれたら言い逃れできないような「痛いところ」もぽろぽろと目立つ。まるで後先を考えていないようだった。計画していた殺人に成功すれば、あと自分が捕まろうが死罪になろうがどうでもいいと思っている犯罪者みたいだ。
彼が言うところの「後ろ楯」が自分を守ってくれるだろうと、確信しているのか。それとも、目的さえ果たせれば自分はどうなっても良いと思っているのか。それは本人にしかわからない。
「……一星さあ、いい加減諦めたら」
「……なんだと?」
「あんたが何かをすればするほど、あんたへの警戒心は高まっていく。そろそろ限界だよ、これ以上あんたの好きにはできないと思う」
「……凪沙さんには関係ないことですよ。もう俺に構わないでください」
思考がまとまらないのだろうか。言っていることが滅茶苦茶だ。私という存在をどうすればいいのかも、もうわかっていないように感じられる。
きっと一星は焦っているのだろう。彼が全うしようとしているであろう使命は、イナズマジャパンを敗退に追い込むことだ。それなのに、悉く内部から妨害しているにも関わらず、円堂たちは第三試合まで勝ち進んでいる。そろそろお上から警告を受けたって可笑しくはないだろう。だから焦って、演技も妨害も事後処理もどんどん杜撰になっている。──もしくは、恐ろしいくらいに真っ直ぐ人を信じる円堂に、思考を乱されてしまったか。どちらにせよ、彼はもう余裕と冷静さを保つのは難しいのかもしれない。
一星は私の返事を聞くことなく歩き始めた。その後ろを、私は一定の距離を開けて着いていく。それに気がついた一星が速度を上げれば、私もそれに合わせた。
「……ちょっと、何でついてくるんですか」
「バスまでの道のりが一緒なだけ」
「嘘つけ、俺がまた変なことしないよう見張ってんだろ!」
「よくわかったじゃん。バスも隣だからね」
「んぐぐぐぐ……!!」
足を止めていれば地団駄を踏んでいそうな悔しがり方だ。小学生か、と呟きそうになって、そういえば一年前まではまだランドセルを背負っていたのかと気がつき、そんな幼い奴が一体どうしてこんな使命を課されるのだと、やるせない気持ちを誤魔化すように小さく息を吐き出した。
*
「……で本当に隣来るんですか」
心底嫌そうな顔をして見せる一星だが、そんなことは知ったこっちゃない。無視を決め込んで彼の隣のシートに腰を下ろした。
一星は何も喋らない。私を視界から消すように窓の方を向いているが、私の方からはその窓に映る表情が見えた。不機嫌そうに眉が寄せられている。それからすぐに瞳を閉じて視界をシャットアウトしていたのは、何も考えたくないからなのか。
とくに何かをする様子もなかったので、私もヘッドフォンで耳をふさぐ。音量は、交通の騒音でギリギリかき消されない程度に小さく設定した。
お気に入りの音楽が数曲流れたところで、ポケットに入れていたスマホが小さく振動する。取り出して画面を確認すれば、数列離れた風丸からのLINE通知だった。『大丈夫か? 何かあったらすぐ言えよ』と私を心配する文面が打たれているが、むしろこの状態で相手に何かできるのは私のほうな気もするなと半笑いした。
「なんだ、妙に静かだと思ったら一星寝てんのか」
前の席にいた剛陣が、背もたれの上から乗り出してこちらを見下ろした。「こいつも寝顔だけはまだまだ素直なガキって感じなのになぁ」少し不満そうな声色だ。それにしても、素直な寝顔には見えなかったけど……そもそも目を伏せているだけで、寝ているわけではなかったはず。というか、自分を警戒してる人間のまえで易々と眠りこけるほど愚かでは──そこまで考えて、彼にはそれに関して前科があることを思い出した。
再び顔の映る窓を見やれば、いつの間にか一星の眉間の皺は取れていた。確かに剛陣の言う通り、どこかあどけなさの残る顔に見えないでもない。だが憎らしいことに変わりはなかった。狸寝入りかどうかはわからないが、この顔の下で何を考えているかなんてわかったもんじゃ……。
と、急にバスがガクンと揺れ、私を含め一同の頭が同じように動いた。
「危ねっ!」剛陣のでかい声を右耳から左耳へ流しつつ、背もたれに深くもたれ直す。すると、左肩に軽い衝撃と多少の重みを感じた。
「え?」
「いや……だってよぉ、窓に激突しそうになってたからよ……」
「いや……いやいや、」
あろうことか、剛陣は私の肩に一星の頭を預けるように凭れかけさせていた。いや、え? 何で? 何故に? というか一星アンタ本当に寝てたの? だからなんで自分の味方とも言えない人間の隣でそんな簡単に寝落ちるの? 危機感って言葉知ってる?
「だからって私に立て掛けることないじゃん……?」
「もう右にも左にも安定しねえんだよホラ。起こしてやるなよ、せっかく寝てんだから」
「や、何言って……」
「スパイかもしれなくても、後輩に必要ねえ意地悪するこたぁねェだろ」
「……意地悪っつーか私が迷惑してる場合どうなの」
「んなみみっちいこと言うなよ。ま、でもなんだかんだ華那芽はいい奴だからな!」
そう笑って剛陣はようやく前を向いた。
最悪だ。今なら寄り掛かる一星を押し退けられるというのに、「いい奴」なんてレッテルを貼られたせいで妙にやりにくい。私は別にいい奴なんかじゃないし、むしろどちらかにわけるなら嫌な奴に入るだろう。いい奴っていうのは剛陣、アンタや円堂たちみたいな奴らのことを言うんだよ。だから、そんなに私なんぞの人間性に期待を寄せないでほしい。
いっそそのまま後ろを向いて見張っててくれりゃ良かったのに、私が一星を起こさないと信用して前を向くものだから、やりにくいったらありゃしない。
ちらりと一星を覗き見る。幼い寝顔だった。少し疲れているようにも見えた。私はついぞ彼を押し退けることはできず、左肩には重みと熱がずっとのし掛かっていた。剛陣がかけていった言葉の呪いのせいか、それ以外の理由かはわからなかった。
結局左隣の一年坊は、バスがキャンプ場に到着するまで目覚めることはなかった。
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