一星光という少年2

 一星光は無性に嬉しかった。それと同時に、酷く悲しかった。

 イナズマジャパンはやさしい人たちばかりだ。それは、初めて出会った時からわかっていた。以前はそれこそ、馬鹿で愚かな奴等であると形容していたが、そう思わなければやっていけなかったのかもしれない。少しでも好意やそれに近いものを抱えたまま、彼らを『弟』を救うための礎にすることはできなかった。
 だから、鬼道や灰崎、吉良のように、あからさまに敵意を剥き出しにしてくれたほうがいっそ楽だった。稲森のように、こちらに笑顔を向けて、手を差しのべてこられるのが苦手だった。円堂のように、お前は俺たちの仲間なのだと真っ直ぐな瞳で訴えられるのが嫌だった。野坂のように、こちらを掬い上げようとする姿に困惑した。やさしくされればされるほど、自分がこの場所を踏みにじった過去が浮き彫りなった。罪の意識に苛まれた。

 誰も一星を強く責め立てることはしなかった。一人もいなかったのだ。それどころか、一星を受け入れてくれた。どうしてだろうか。一星にはそれがわからなかった。







「よ」

 飯食いに行くのにそんなデケぇ鞄持ってくつもりか、と吉良に指摘され、一星は荷物を置くため一度施設内に戻ることにした。
 遠回しに、そんな荷造りもう必要ないだろうと言われたことが、嬉しくもあり、また苦しくもあった。そんな矛盾した気持ちを抱えながら、もう二度と踏み入ることもないだろうと思っていた敷居を跨ぐと、そこで待ち伏せるように構えていたのは凪沙だった。

「凪沙、さん……」

 彼女の浮かべる表情は淡白で、感情が読めない。さらに先程バスで、いつの間にか肩を借りて枕にしてしまっていたことを思い出し、決まりの悪さ……あるいは気恥ずかしさを覚えて、顔を逸らす。

「鞄、置いてくるんでしょ。私が持っていこうか」
「えっ? あ、えっと、でも……」
「別に何も弄んないって。あいつら待たせてるんでしょ」

 そういうことを気にしたわけではないのだが……しかし確かに、彼女の言った通り皆を待たせていることもあり、一星は凪沙の言葉に甘えて鞄を託すことにした。重いので気を付けてください、とそっと手渡しする。凪沙はそれを両手で受け取った。それを見届けてすぐに手を離すはずだったが、一星はどうしてかベルトを握った拳を開けないでいた。──否、理由はわかっていた。

「……あ、の、凪沙さん……」
「ん?」
「なんで、皆……」

 話し始めたはいいが上手く言葉が纏まらず、そこで台詞を切ってしまう。しかし凪沙には、一星の言わんとすることがわかっているようだった。にもかかわらず凪沙は黙って、彼を真っ直ぐ見据え、その言葉の続きを待つ。

「俺は……」
「うん」
「……俺は……きつくなじられたって、殴られたって仕方がないと思ってた。俺は早くここから消えるべきだと思ってた。なのに、なんで……なんで皆も、凪沙さんも、こんなにやさしくしてくれるんですか」

 震えそうな声をどうにかしゃんとさせて、紡ぎ切る。凪沙の反応が怖くて、一星は少しずつ下がっていた顔を上げることができなかった。それでも彼は、自分にはどうしてもわからない答えを、彼女に求めた。

「……やさしくしたつもりなんて、別にないけどね」

 足元に寄せていた視線が、ぱっと反射的に上がる。同時に縋るようにベルトを掴んでいた手から力が抜けた。凪沙は笑ってこそいなかったが、怒っているわけでもなかった。感情を読み取ることが、やはり上手くできない。

「私は私の思うようにしてるだけだし、あいつらも多分そう。あいつらは──」

 凪沙は一星の鞄を肩に掛けると、やや動きにくそうな動作で一星に背を向ける。彼女の表情が見えなくなった。
 凪沙ははっきりと、迷いのない口調で語り続ける。

「──あいつらはただ、もっとあんたとサッカーやりたいんじゃないの?」

 凪沙は一星の反応を窺うことのないまま、まっすぐ、迷いなく歩き出す。静かな足音が遠のいていく中で、一星はその場から動けないでいた。
 まるで当たり前のように言ってのける、その、本人はやさしさとも思ってないのであろうやさしさが、傷だらけで、とっくのとうにぼろぼろだったそこに、痛いほどに沁みていく。容受しきれないやさしさに、悲鳴を上げる。その痛みに耐えかねて、再び視界がぼやけ始めた。小さく開いたままの口に、力が上手く入らなかった。

 その場に立ち尽くしてしまった彼の背に、「一星ぃー!」と弾むような声が聞こえてくる。ようやく体が動き、振り返ろうとするその前に、楽しげな稲森が隣に並んでこちらの顔を窺ってきた。

「あ、ああ、すみません明日人くん、すぐ行きます」
「一星……何かあった?」
「え?」
「さっきより泣いてるのに、なんか嬉しそうに見えてさ」

 ぱちり。目をしばたたかせるうちに、浮いた雫が流れ切って、残った水分も目に馴染んで消えていく。鮮明になった稲森の笑顔に、一星は胸元でぎゅ、と拳を握った。胸の内が震えていた。熱かった。

「はい……凪沙さんにも、いいもの貰ったんです」
「……? 凪沙さんに? 『も』?」
「ふふ、明日人くんには秘密です」
「えーっなんだよもぉー!」

 貴方たちが当たり前にくれるものが、苦しくて嬉しくてたまらないんですよ。そう心の中で告げて、一星は顔を綻ばせながら、稲森と共に皆の待つ夕日の中へと駆け出していった。


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