私は私にできることを
「凪沙さん、それ俺が持ちますよ」
デジャヴ。それは圧倒的に覚えのある言葉だった。隣に駆け寄ってきた一星に、カゴいっぱいの洗濯物を運んでいた凪沙はわずかに眉をひそめる。
「別に平気だけど」
「いえ、手伝います。凪沙さんは休んでてください!」
「や、だから大丈夫だって」
「こんなに重いもの女性が持つものじゃありませんよ。俺に任せてください」
「いいって、練習まで力温存しなよ」
「大丈夫です!」
「だから私も大丈夫だって」
「ささ、凪沙さん」
二人の押し問答は、一星がやや強引にカゴを奪い取ったことで打ち切られる。しかし、そのギリギリまで凪沙も渡すまいと力を籠めていたため、そこそこ重量のあるカゴは反動で一星の体を押す。その重さと勢いに負け、自身も体を後ろに引いていたこともあり、彼は背中側に向かって盛大にバランスを崩した。
「うわっ!」
倒れる────オリオンの使徒として、ある程度の体術は仕込まれてきたが、彼は不測の事態にはめっぽう弱かった。これまで培った技術を活かせることもないまま、一星は次に来るであろう衝撃に耐えるために目を瞑る。しかし、痛みの代わりに訪れたのは、背中を支える力強い腕の感触だった。もちろん、そんなことができるのは一人しかいない。
手から離れたカゴが宙に飛び、水気を含んだ中身をまき散らしながら床に落ちていった。「あんた──」馬鹿なの? とでも言いたげな呆れを含んだ目が、こちらを向く。しかしそれを何かがすぐに遮った。顔に掛かる布きれ、つまり舞った洗濯物の一つが一星の顔に掛かったらしかった。
「あ」
「むっ、な、なん、……、」
凪沙の細腕に支えられながら──相変わらずどこにそんなゴリラみたいな力があるんだこの人は──体勢を整えた一星は、視界を塞ぐ洗濯物を片手で取り払う。それを改めて確認し……──彼はその健康的な顔色を、熟れたトマトのように真っ赤に染め上げた。
「うわああああっ!? す、すみ、すみませ、」
『それ』を手に掴んだまま、しかし不用意に投げ捨てることもできず、一星はどもりながら多量の冷や汗を流す。これ以上見てしまわないようにぎゅっと目を瞑ると、一刻も早く手放そうとして、凪沙に押し付けるように突き出した。──その布越しに、やわらかい何かの感触が伝わる。
は、と目を開き、一体何が起こったのかおそるおそる確認した一星は、一拍あけて「ひゃあああ!?」と甲高い掠れた声を上げた。もはや普段の凪沙の声色より数段トーンが上だ。とうとう混乱を極めた彼は、手に持ったそれを強引に凪沙の手に持たせると、逃げるようにその場を去っていった。
一人残された凪沙は、それまであまりの事態に閉ざしきっていた口を漸く開く。
「……下着類は真ん中に埋めて運んでんのに」
なんでこれがピンポイントで出てくんの──凪沙は手元の、女性ものの下着に視線を落として口元をひきつらせた。しかしその顔色はさほど変わっておらず、酷く意識していたのは彼のほうだけだったことが浮き彫りになる。……この下着が誰のものであるかは判別できなかったが、少なくとも凪沙自身のものではなかった。そのせいでもあるのだろう。
それにしても、だ。もう彼は凪沙に対し、猫をかぶる必要はないはずだ。にも関わらず、一星はやたらと気を回してくる。しかも今のような彼の行動は、凪沙に対してのみではない。ここ最近ずっと、チーム全体に対して過剰に気を遣っているのだ。
恐らく今までの罪滅ぼしのつもりなのだろう。しかし、あれだけ必要以上に周りに手を貸して回っていれば、余計な体力も精神力も使う。練習や試合において支障を来す前に、マネージャーとして何か声を掛けておくべきなのだろうか。
だが、一体なんて声を掛ける? 彼はああすることで、自身の心をも守り、安定させているのかもしれない。それを無理にやめさせる必要は、果たしてあるのだろうか。そもそも、あの異様な気遣いをやめさせたところで根本的な解決にはならない。もっと、彼の考え方自体を変える必要があるのだ。
(こういうのは多分、あいつらの方が適任なんだろうけど)
きっとそれができるのは、一星と同じフィールドに立つ彼らだ。マネージャーもチームの一員ではあるけれど、同じ場所に立ち、同じボールを共有しているかどうか。それは大きな違いだと凪沙は思う。
(いやでも、できないって決めつけるんじゃなくて、私は私にできることを)
そう自分に言い聞かせるように、彼女は瞳を伏せて考える。とりあえず度々様子を見て、あとでまた声を掛けてみよう。内容は何でも良い。とにかく会話をすることが大事だ。メンバーのメンタルのケアもマネージャーの務めなのだと、前に秋や音無に教わったことを思い出す。自分の性格では力不足である感が否めないが、それがやらない理由にはならないだろう。
凪沙は言い表せぬ気持ちをため息とともに吐いて、床に散らばった洗濯物をようやく拾い始めた。「……っていうかあいつ、仕事増やすだけ増やしただけじゃん」凪沙の憂鬱げな独り言は、一星に届くことはない。
*
なんてことを考えていたが、結果から言えば上手くいかなかった。というか、話すことができなかった。まるで捕まらなかったのだ。昨日の洗濯物のことを気にして、避けられていたのかもしれない。馬鹿野郎いつまでも細かいことを気にしてんな面倒くせえ。しかしそれを胸中で思ったところで、彼に伝わるわけもないのだけれど。
そういうわけで、凪沙は結局一星と話をすることはできなかった。その翌日、つまり今日、仕切り直しとして朝食時にまた声を掛けようとしたが、それもまた出鼻をくじかれる。朝の食堂に、彼は姿を現さなかった。しかも彼だけではなく、いつも食い意地の張っている稲森まで不在ときた。
二人で自主練でもしているのだろう、との憶測は飛び交っていたが、その後練習が始まっても、二人が戻ってくることはなかった。さすがに可笑しい。スマホに連絡も来ないし、選手に装着が義務付けられているイレブンバンドにも返事はない。
何か、不測の事態が起こっているのではないだろうか。二人して姿を現せず、連絡に応じることもできないような状況に陥ってるのではないか?
「おう、俺も心配だからな。付き合うぜ華那芽!」
──そこで凪沙は、メンバーに断りを入れてから、予定外の節介焼き・剛陣も連れて宿舎内やその周辺を捜索することにした。
二人は手分けして、稲森と一星を探していく。しかし、どこへ行ってもやはり彼らの姿はない。近所の人に声を掛けるも、目撃者はゼロ。そのうち予報にもなかった突然の雨が降り、二人は近くにあった店の軒先に一時避難。しばらく経っても止む様子が無いため、中断せざるを得なくなってしまった。
「結構降ってきやがったな……ここからセンターまでは近いし、仕方ねぇ。走るぞ華那芽!」
「はいはい……」
「おらっこれ被っとけ!」
「わっ、」
ばさっ、と頭から何かをかぶせられる──剛陣のジャージの上着だった。彼は体格も良いため、随分と大きい。凪沙は頭に引っかかるそれをかき上げてなんとか顔を出しながら、先を走り出した剛陣に声を張る。
「ちょっと、選手が風邪引いたら困るでしょうが。ほら返す」
「うわお前足早えな!? じゃなくて、女が体冷やすもんじゃねーよ被っとけって!」
「マネージャーがピンピンして選手がダウンしたら元も子もないでしょ。ほら」
「いーからいーから! ここは俺に華持たせろよ」
ぐい、と一際強く押し返され、これ以上は無駄だと判断しため息を吐く。仕方なしに、そのまま拝借する形となった。
彼とはまだ出会って数か月程度しか経っていない。しかし選手とマネージャーとして、ほぼ毎日顔を合わせていれば色々な面が見えてくる。剛陣は普段おちゃらけており、身内カウントの伊那国の面子以外に対しては短気な面も目立つが、今のように漢気を見せることも少なくない。その度に凪沙は彼を少し見直すのだが、何故かそれは毎度長続きしなかった。此度も突然空気を揺らした稲光に「オ゛アーッ!!」と大袈裟に悲鳴を上げたのを見て、一度上がった好感度はまたもとの位置まで戻っていった。
*
「ほら、さっさと拭いて着替える。必要なら風呂であったまる」
「おわっ!」
宿舎に戻るや否や、凪沙は数枚のタオルを抱えて持ってきた。そのうちの一枚を剛陣に被せ、凪沙も自身の頭を拭き始める。
「今風邪なんてひいたらシャレになんないから」
「おうよ、サンキュな」
「にしてもあいつら、本当どこいったんだろ……」
「まさか、あのオリオン財団に連れていかれたとかじゃねーだろうな!?」
「ちょっとやめてよ、それ考えないようにしてたんだから」
「だってよぉ、可能性としてはあるだろ!?」
「……もしくは、一星外部でも何かとやらかしてそうだし、何らかの報復にでも遭ってんじゃないだろうね」
「おいお前こそやめろよ、んな不穏なこと言うのは!」
嫌な憶測を立てながら、二人はタオルで頭や身体をポンポンと拭いていく。粗方水分を拭きとったところで、二人は着替えるため自室へ向かい始めた。
「あいつら朝も昼も抜いてんのかな……どっかで食事はとってればいいけど」
「わかっちゃいたけど、お前本当にめちゃくちゃあいつらのこと心配してんな」
「マネージャーが選手の健康管理して何が悪いの」
「照れ隠しだな! 流石にお前のことかなりわかってきたぜ」
「どうとでも……」
小さくため息をついて、二人分の使い終えたタオルを手にまとめていく。先にこれを片付けるかどうかと悩んでいたところで、背後から声を掛けられた。
「おかえりなさい。剛陣先輩、凪沙さん」
「おかえりなさいゴス!」
「おお、お前らか。ただいま」
そこで合流したのは氷浦と岩戸だった。氷浦の片手に虫眼鏡が握られているのが気になったが、あえて突っ込むことはせず、凪沙はさしたる情報を得られなかった旨を話した。それからいくつか出た憶測を持って、彼にも意見を尋ねる。氷浦は虫眼鏡を持っていない方の手を口元にやり、ふむ……と少し考えるようなそぶりを見せた。
「だけど、オリオン財団なら明日人まで連れていくのは可笑しいんじゃないでしょうか」
「明日人が捕まった一星を追いかけたーなんて可能性も、ないとは言い切れねーかと思ってよ」
「確かにそうでゴス。昨日、一星くんが張り切り過ぎてる気がするって、明日人と話をしたでゴス……」
「稲森は元々、結構一星のこと気にしてる節があったしな……」
凪沙が何気なくそう言うと、何故か三人分の視線が一気にそちらへ集まった。しかし彼らの言わんとすることがいまいちわからず、凪沙は頭上にハテナを浮かべる。数秒して小さく苦笑いされ、一体なんなんだと彼女は釈然としない気分だった。
この三人と比べれば、凪沙にとっての稲森との付き合いは非常に短い。それゆえ、彼女の稲森に対する見解が間違っている可能性もある。それを「やれやれ……」と苦笑しあっているのだろうか? ──そんな想像をする凪沙が、「一星を気にかけていたのはお前もだろう」といった風に思われていることなど、気付けるはずもなかったのだ。
どこか居心地が悪くなり、空気を変えるように「本当、あいつら飯も食わずにどこに行ったんだろうね」と呟く。
「うーん、一星を元気付けようとして、明日人が景色の良いところにでも連れていった……とかならまだ平和的で良いんですけど……」
「ありそうっちゃありそうだが……そうなると連絡とれねぇ理由も帰ってこねぇ理由もわかんねえな」
「圏外とか?」
「じゃあ山奥かなんかでゴスか?」
「ってことは富士山か!」
「や、富士山の登山道は基本的に使えると思うけど」
「そうかぁ……」
「二人分のスマホとイレブンバンドが全て充電切れ、というのも考えにくいな……」
三人寄れば文殊の知恵とは言うが、四人寄っても答えが出ることはなかった。うんうん唸る四つの声は、剛陣のくしゃみによって断ち切られた。
「ああ、そうだよあんた早く着替えてきなって」
「おお、おお。忘れてたぜ……華那芽もちゃんと着替えておけよ」
「はいはい」
「ひとまずここは俺たちに任せて、二人は休んでいてください」
「おお、ありがとな氷浦、ゴーレム。任せたぞ」
「これはやはり、引き続き調査してみるしかなさそうだな。行くぞイワトソンくん」
「ゴス」
しなやかな手つきで、格好つけるようにくるりと虫眼鏡を弄ぶ氷浦。それから優雅に踵を返すと、岩戸を引き連れてどこかへ行ってしまった。去っていく二つのアンバランスな背中に、ぽつりと一言。
「入り込んでんなぁ……」
「入り込んでるね」
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