立ち食いおでんの回 Side風丸

「一体何がどうしてどうなったらこんな展開になるわけ?」
「俺が聞きたい……」

 呆れを通り越しどこか遠くを見るような華那芽に、居た堪れなさで俺は顔を覆った。その際触れた鼻がピリッと小さく痛み、思わずはは……と乾いた笑いが零れる。華那芽は控えめにため息をついて、小さな白いボックスの中を漁り始めた。

「誰がどこであんなの仕入れてきたか知らないけどさぁ……野生の動物? 昆虫? でしょ。雑菌とか大丈夫なの」
「怖いこと言うなって……」
「鼻なんて粘膜近いんだから気を付けなって……というか嫌なら断ればいいのに」
「ううん……いや、皇帝様からの勅命だと思ってな」
「野坂め……」
「俺にできることならと了承したんだが……いや、だってまさかこんなことが待ち受けてるとは思わないだろ……?」
「思わないな……」

 三点リーダーを幾重にも挟んだ会話は、そこで一時終了する。「ああ、軟膏あった」と、小さなチューブを取り出した華那芽は、椅子に座り待機していた俺に向き合い、薬を差し出す──かと思いきや手を引っ込め、ずいっと顔を近づけてきた。喉の奥で何とか驚きの悲鳴を押しつぶしながらも、体はギリギリまでのけぞってしまう。下手すれば椅子ごと後ろに転んでいたかもしれなかったが、そこは曲がりなりにもスポーツ選手、筋力を使ってとどまった。
 しかし、だ。上昇する体温やら血行やらはどうあがいても対処できない。うっかり赤くなってしまったであろう熱い顔をどうにか誤魔化したくて、慌てて二つの顔の間に手のひらで壁を作った。

「な、なんだ急に!」
「切れたりしてないかと思って」
「大丈夫だ! 自分で確認できる!」

 強く訴えれば、華那芽は納得したように離れていった。その顔はいたって涼しいままだ。まったく、何故こうして俺ばかりペースを乱されなければならないんだ……! その上、やけに過保護な親に反抗する子どものような言動をとってしまったことに、尚のこと顔に熱が集まった。

「じゃ、はい軟膏」
「……助かる」
「余計に触らないように。ばい菌入る」
「わかってるさ……子どもじゃないんだから」
「ええ? 何言ってんの」

 少しすげなく返したからだろうか。華那芽はいつものようにハイハイと流すことなく、反応してきた。やめてくれ、俺の幼稚な言動を蒸し返すのは……そう思ったが、彼女が言いたかったのは少し違うことだったらしい。

「中三なんてまだ子どもでしょ。あんたも私も」

 言われて、軟膏の蓋を開ける手が止まった。俺は別に、そういうつもりで言ったわけではなかった。だが薬箱をしまう彼女の目は、ほんの少しだけ冗談めかしかったものの、次第に僅かな翳りが差していくように見えて、思わず息を呑む。

「……子どもなんだけどなぁ……」

 そう、静かに呟いた。波紋の一つも広がらないような、静かな静かな囁きだった。その声色からは、横顔からは、なかなか感情を窺うことができない。

「汚い大人の汚いいざこざに巻き込まれてさ、皆たまったもんじゃないよなぁ」
「華那芽……」

 彼女の名前を小さく紡いで、それから視線を落とした。視界に映った自分の拳が、意識と関係なく勝手に強く握られていたことに気が付く。
 ──少なからず、思ったことはある。それは円堂が作ったサッカー部に入って、フットボールフロンティアに出場し始めた時からそうだった。わけのわからない大人の陰謀に巻き込まれて、選手生命……果ては命まで脅かされることもあった。こんなの、中学サッカー界で、ましてや自分の身に起こるなんて初めは考えてもみなかった。けれど理不尽は子どもの俺たちにも、容赦なく襲い掛かってきた。
 今だってそうだ。FFIのうちで、俺たちはどれだけ真っ当な試合ができただろうか。何も悪いことなどしていないのに、あくどい手や不正は俺たちの周りから離れてくれない。嫌になる……ああ、本当に、嫌になるんだ。
(……それでも、)
 それでも俺は、サッカーが好きだ。あいつらとまだまだこの大舞台で走っていたいと思う。だからもっと、もっともっと頑張らなければいけない。がむしゃらに、ひたむきに、頑張って頑張り抜かなければいけない。だけどやっぱり、こうやって考えてしまうと、少し疲れてしまう自分がいるのも確かだったのだ。

 ぽん、と。頭に何かが乗せられたのはその時だった。

「えらいえらい」
「お、前なぁ……馬鹿にしてるのか?」
「えらいよ、風丸は。頑張ってる。お疲れさん」

 ぐしぐしと遠慮なく撫でられ、毎朝綺麗に束ねている一つ括りが少し乱れる。けれど何故だか喉がつかえて、文句の一つも吐き出すことができなかった。まったく、子ども扱いするなよ。お前と同い年なんだから……言葉が出ない代わりに、そんな文句の気持ちを込めて睨んでやるつもりだった。けれどその手のひらのやさしい、母親のようなあたたかさと、少しだけ眉を下げて、小さく微笑む華那芽の顔を見て、俺はいよいよなす術を失ってしまう。

「ごめんって」

 それは何に対しての謝罪だろうか。俺が子ども扱いを受けたようで、不貞腐れたように見えたからだろうか。いや、多分それよりも、不安を掻き立てるようなことを、ふとしたように言ってしまったことに対してだったのだろう。けれど、それはお前だってそうだろう? 同じフィールドに立たないからといって、苦楽を共にする仲間じゃないわけでは決してないんだ。お前だって色々と大変な思いをしているのを、俺は知ってる。ひとつも吐き出さずにやっていられるわけがないんだ、本当は。だからお前がそれに対して謝る必要なんてないんだ。ない、のに。

「あとでちゃんと洗濯出しておいてよ。その出汁まみれのジャージ」
「……ああ」

 少し震えてしまった声には、気づかないでいてくれただろうか。



四周年企画/立ち食いおでんの回 風丸視点


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