その赤髪は夜に融ける

 夜に一人で出歩くな。多くの子どもは、大人からそう言われた経験があるのではないだろうか。実際、暗がりの中では犯罪行動を起こしやすかったり、活動している人間が日中より少ないため目撃される可能性も低い。
 にも関わらず、凪沙は星空の下で一人、漫遊寺中学校の敷地内をうろついていた。──学校の破壊、宇宙人と名乗る者たちの襲来、圧倒的な力量差。全国を回る旅、戦っても戦っても終わらない戦い。今まで色々なことがありすぎて、少しだけ一人の時間が欲しかった。ごちゃごちゃと絡まった感情と頭の中を、少し整理したかった。
 夜の冷たい空気を肺に取り込んで、ゆっくり吐き出すと、少しだけ頭が冴えた気がした。彼女が気を張ることがなかったのは、学校内というこの隔離された空間に、少なからず安全性を感じていたからかもしれなかった。

「やあ、こんばんは」

 背後。至近距離。
 周囲には見渡す限り誰もおらず、厭にしんとした空間。中学生女子がたった一人でいるところに、突然掛けられた男の声。
 凪沙は咄嗟に右拳を握り固め、身体を右回転させると同時に躊躇なく伸ばした腕を振り切った。それが背後に立っていた人物に当たる直前、紙一重のところでかわされる。わずかに拳が触れたところから、ひやりとした体温が伝わった。

「おおっ、と……流石に予想外だなぁ」

 ──全く気が付かなかった。気配も、足音も、感じなかった。
 その男は、夜の中に静かに燃えるような赤い髪をしていた。シャープな目を見開き、口の端も少し引きつっているように見える。中学生の女が、あろうことか振り向きざまに攻撃してくるなど流石に考えていなかったらしい。随分甘い考えの、しかし並大抵の反射神経ではない不審者だと思いながら、凪沙は鋭く目を細める。

「夜に一人でいる女子に声掛けるなんて、不審者か痴漢か誘拐犯?」

 振り返った先にいたのが大人であれば、あるいは屈強な人間であれば、かわされた瞬間すぐに逃げるつもりだった。しかしそこにあった顔や体躯、雰囲気からして、明らかに自分と同じ年頃の子どもに見えたため、凪沙は二歩ほど下がり、間合いから抜けたところで口を開いた。

「アハハ、酷い言われ様だなあ」
「自分の言動すべてが不審者染みてる自覚ないの?」
「ごめんごめん、確かに今のはまずかったね。距離感を誤ったよ。怖がらせてごめん」

 ひらりと両手のひらを挙げて見せ、危害を加えるつもりはないのだとアピールする男。しかし僅かにも警戒心を解く気のない凪沙に、男はどうしたものかと苦笑した。

「俺、基山ヒロト」
「………」
「キミは?」
「さあ」
「警戒されてるなあ」
「されないと思うほうがびっくりなんだけど」
「ハハハ、まあそう言わずに。キミ、雷門中の人だよね?」
「いや? 違うけど」

 向こうから名乗られたものの、まだ不審者の線はぬぐい切れていないし、本名かどうかも疑わしい。第一こちらの情報を開示してやる道理はないと、凪沙は自然な演技で首を横に振った。男は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐにまた薄い笑みに戻る。

「まあいいや。それより、キミのところのキャプテン……円堂くん、ほんとに面白い人だね」
「……誰? それ」
「誤魔化そうとしなくても大丈夫。俺、彼とは前にも一度出会ってて友達なんだ」
「……ふうん?」

 彼はどうやら、すでに凪沙が雷門の人間であることを確信しているらしかった。凪沙は仕方なく否定することを諦めたが、しかし基山と名乗る男への探るような視線は依然としてそのままだった。

「明日の宇宙人との戦いのために、はるばる来たんだって?」
「……随分と詳しく知ってるみたいだね。漫遊寺の生徒?」
「いや、違うけど大きなニュースだからね、知ってる。」
「へえ、じゃあなんでこんな夜更けに他校の生徒がいるのかな」
「円堂くんに会いにきたのさ。それで、彼と同じ雷門のキミを見つけたから声を掛けてみたんだ」
「ふうん。伝言があるなら預かっておくけど」

 暗に「円堂に会わせるつもりはない」と述べる凪沙に、男はクスリと笑みを漏らす。その様子が、凪沙に対する居心地の悪さをまた生んだ。

「いや、大丈夫。ありがとう」
「……そう」
「キミは本当に、彼のことが大事なんだね……素敵だなぁ、そういうの」

 基山のその口振りに、凪沙は違和感の端を掴んだ。なんだ……なんだ? 指の先で掴んだそれを、逃がさないように必死に手繰り寄せる。なんだ、なんだ……この感覚は。こいつは、なんだ。
 『前にも一度出会ってて』
 『キミは本当に、彼のことが大事なんだね』
 基山の言葉が、淡くリフレインする。なんだ、なんなんだ。まるで、それは。"今までに何度も見てきたような"──

「……一度しか会ってないのに、わざわざこんな夜に訪ねに来るなんて、随分と熱狂的で非常識なお友達だね」

 ピクリ。基山の口元が、ほんの一瞬ひきつったのを凪沙は見逃さなかった。その隙を逃がさぬように、畳み掛けるように、彼女は滔々と言葉を放っていく。

「アンタ、前にも円堂に会ったっていってるけど……『京都の人間』が、一体いつどこで円堂と出会ったわけ? それとも……一回出会っただけの『友達』に、別のところからわざわざ京都まで着いてきた、なんてことないだろうね」

 鋭く研がれた彼女の問いに、基山は何も答えない。薄っぺらい笑みを携えたまま、まっすぐに凪沙を見つめ続ける。得体の知れない笑みだった。何を考えているのか理解できなかった。けれど、それは確実に『何か』を考えている顔だった。

「……そもそも、どうしてアンタ、宇宙人との試合が『明日』だって知ってるの?」

 ざわりと、自分が紡いだ言葉に肌が粟立つ。凪沙は、ある一つの、確信にはまだ辛うじて至らない疑念を口にしようとする。

「……アンタ、まさか──」

 ──ふわり。
 夜に染まった赤が揺れ、突如眼前に迫る。思わずのけ反る余裕もなく、その顔の、今にも消えてしまいそうな、存在さえ危うい姿に。凪沙はその一瞬、持ちうる言葉すべてを失った。

「……髪に虫がついてる」
「は?」

 そして彼女の意識を取り戻したのもまた、彼による奇行だった。頭皮に違和感を覚え、その直後に青白くさえ見える手で、さらりと髪の毛が掬いとられていたことに気がつく。そして、彼の虹彩に映る、唖然とした自分の姿と目が合った瞬間、凪沙はバッとその手を払った。
 髪を宙に踊らせながら、すぐさま後退して基山と距離をとる。

「な、」

 紡ごうとした言葉は、彼に届くことなく潰えた。突如強い風が吹き荒れ、木の葉や砂塵を巻き上げながら凪沙の体を容赦なく叩きつける。思わず目を瞑り、身を守るようにして腕を顔の前で構えた。

「またね、華那芽さん」

 ごうごうと鼓膜を殴り付けるような風音に紛れて、何かが聞こえたような気がしたが、凪沙の耳にはっきり届くことはなかった。そのうち突風がゆるやかにおさまっていき、彼女は慌てて瞼を開く。

「……は?」

 そこにはしんとした、誰もいない夜の校庭が広がっていた。



四周年企画/謎の赤い人に絡まれる


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