少年は吹雪の中に
『吹雪士郎』というストライカーに会うため、イナズマキャラバンは北海道へと旅立った。その彼がいる白恋中の所在する地域に入ったであろうところで、キャラバンは予期せぬ停車をした。
「古株さん、どうされたんですか」
瞳子が毅然とした声で、運転手の古株に尋ねる。彼はほんの僅かに間を開けてから、唖然として呟いた。
「……人が立っておる」
「人?」
それを受けた円堂たちは、各々座席から腰を浮かせたり、あるいは席から離れてフロントガラスのその向こうを見た。外はそこそこ吹雪いており視界が悪かったが、確かにその雪の隙間からは、前方右側の道の脇に、小柄なシルエットが窺えた。
「俺ちょっと見てくる!」
円堂が率先してシートベルトを外し、席から立ち上がる。「あっちょっと傘……!」凪沙が座席の足元に転がしておいた傘を掴みながら叫ぶが、その前に彼はキャラバンを飛び出してしまった。
「ったく……」
「気を付けてくださいね!」
凪沙は二本目の傘を手に取ると、春奈に軽く相槌を打ってその後を追うように扉を出た。内一本を開き、人がいたという方へ歩き出す。安っぽいビニール傘は簡単に壊れてしまいそうで、せめて飛ばされないようにとしっかり握った。
「円堂、」
「華那芽! こいつ乗せてやってくれ!」
「え?」
こちらを振り返った円堂の背後に立つ、目的の人物を近くで見た凪沙は、思わずぎょっと目を見張った。──両手に抱えたサッカーボールは酷く震え、頭や肩にこんもりと雪を積もらせたその青白い少年に、凪沙は自分が雪に濡れることも気にせず慌てて傘を差しだした。
「大丈夫ですか、早くキャラバンに」
焦りを滲ませた声色で凪沙が促し、円堂は彼の背中を押してキャラバンの乗降口へ。奥に入る前に「失礼」と一言前置きして、凪沙は彼に積もった雪を丁寧な手つきでばさりと払った。北海道の雪はサラサラだのなんだのと聞いたことがあるが、確かに綺麗に払い落とすことができたと謎の感動を覚える。
そうすると、もしかして傘なんて必要なかったのかもしれないな。そんなことを考えながら、落ちた雪の塊は足で蹴り落し、これ以上凍えるような外気が入ってこないよう急いで扉を閉めた。その間に円堂が事情を説明し、一同は慌ててタオルや温かい飲み物などを用意し始めた。
(……地元民も遭難? するんだ……)
見たところ同い年くらいだろうか。溶けた雪に濡れる彼の白銀の髪が、キャラバンの照明に照らされて一層キラキラと輝いている。だがそんな神秘的な容姿とは裏腹に、自分の体を腕で抱き締めるようにして、止まらない震えに必死に耐える少年。首に巻かれた白いマフラーも、最早申し訳程度の防寒具だった。元が色白であるようにも見えたが、それにしたってまるで血の気もない。唇も紫に変色しており、その指先も赤く染まっていた。彼は一体、どれほど長い間あの雪原に独りでいたというのだろう。
「はい、これで頭拭いてください」
「ふ、ふふ、ふ拭ふふ、拭、」
「……」
少年を空いている座席に座らせ、秋が両手に抱えたタオルから一枚拝借して手渡す。しかし伸ばされた手は異様なほどに震えており、滑稽なほどに残像を生み出していた。ガチガチと噛み合わない歯に加え、舌もうまく回っていないように見受けられる。
これは、無理だ。そう判断した凪沙は、そのタオルを彼の濡れた手に握らせるように掛ける。そして先ほど同様「失礼」と前置きを入れてから、新たに用意したタオルをその頭にふわりと掛けた。
「わっ」
拭く、というよりは、あくまでも水分を吸収させるために。見ず知らずの人間相手でも、極力不快に思わせないように、軽い力でやわらかく押し付けていく。関東の雪とは違い、酷くびしょ濡れなどにはなっていないのは救いだった。──凪沙は、ふと小さい頃、本当に小さい頃に、親に風呂上がりの濡れた頭を拭いてもらったことを思い出した。それはあまり鮮明な記憶ではなかったが、やはりどこかで覚えている思い出だった。
タオルの隙間から見えたたれ目と、視線がかち合った。なんとなく気まずくなり、凪沙はすぐに目を逸らすが、少年はじいっと彼女を見つめたままだ。何かを考えているような……あるいは、思い出しているような、静かな目だった。
そうしている間に、風丸がブランケットを持ってきて甲斐甲斐しく少年に巻き付けていく。暖房の効いたキャラバンの中にあったブランケットは、少年のなけなしの体温を少しずつ元に戻していった。
「大丈夫か? 今音無がココア用意してるからな」
「あ……あぁあり、ありりりがとう」
「すみませんね勝手に拭いちゃって」
「いいいえ……た助かるよ」
風丸と凪沙の声掛けに応じた彼の声は、未だ震えているものの、先程よりかは比較的マシになってきたようだった。そのうち春奈が差し出した湯気の立ち上るココアを一口飲み、マグカップで冷えた手を温め、内と外から体を温めていったことでようやく彼の震えはほとんど止まった。
*
互いに自己紹介することもないまま、少年はしばらくキャラバンに同乗し一同と共に移動した。その間にも外の吹雪はさらに酷くなり、ますます視界が悪くなる。
「吹雪すごいな……」
「えっ?」
「ん?」
窓を眺めて呟いた凪沙に、隣の──凪沙は先ほどの流れで、隣に腰を下ろしていた──少年が反応する。きょとんとして彼を見れば、少年は「あ……ああ、うん。そうだね」とどこかぎこちなく同意を示した。その様子にどこか違和感を覚えたが、問いただすほどのことでもないかと思いすぐに打ち消した。
その時だ。派手な衝撃音と共に、キャラバンが大きく揺れて停車する。古株曰く、どうやら雪だまりにタイヤを取られたらしかった。彼がシートベルトを外し、様子見に外へ出ようとしたところで、声を上げたのはあの少年だった。
「駄目だよ。山オヤジが来る」
「ヤマオヤジ?」
円堂が聞き返すや否や、先ほどより一層強い衝撃がキャラバンを襲った。それから、突然窓に叩きつけられたのは、大きな大きな獣の手。あれがきっと、少年が言うところの山オヤジ──おそらく、熊だ。至近距離でそれを目撃した目金が、恐怖と驚きのあまりクラリと倒れていく。非常事態のため、悲しいことに誰にも介抱されることはなかった。
キャラバンは繰り返し荒く揺さぶられ、メンバーたちの悲鳴が車内で混沌と跳ね返る。このままではいつ横転させられても可笑しくない状態だった。
「は?」
突然の事態に全員が混乱していた頃だ。ふと少年の様子が気になった凪沙は、隣のシートに目を向けて絶句した。──そこは、もぬけの殻だった。彼に巻かれていたはずのブランケットのみが、寂しく座席に沈黙していた。
他のメンバーも、彼がいなくなっていることに気が付き目を丸くする。辺りを見回しても、もちろんあの銀髪はどこにもない。「まさか……」誰かが呟いた時、キャラバンは再三大きな衝撃に見舞われた。一瞬の浮遊感は、車体が雪面から大きく跳ねたことの証拠だった。雪だまりから抜けることができたのだろうか。
ドシン、低い轟きが外から車内まで聞こえてくる。窓を見やれば、茶色く大きな物体──熊と思われる獣が、雪の上に横たわっているのが見えた。メンバー全員、泰然自若な瞳子でさえも唖然としていると、ゆるやかにキャラバンの扉が開かれた。
「もう出発しても大丈夫ですよ!」
サッカーボールを抱え、にこやかに戻ってきた少年に、あちこちからまたもや「まさか……」が囁かれた。
*
「ねえ……間違えてたら悪いんだけど、そのジャージって白恋中?」
再び発進したキャラバンに揺られながら、凪沙は意を決して少年に訊ねた。周囲が騒がしくならないように、声を潜めて。
「え? そうだよ。よく知ってるんだね。キミたち、あのフットボールフロンティアの優勝校の雷門でしょ? 関東だよね?」
「まあ……」
実は彼に出会う前、凪沙は自分の携帯電話で白恋中の制服とジャージの写真を調べていた。春奈の収集した『吹雪士郎』についての情報に文句があったわけでは勿論ないが、その服から見当をつけたり、あるいは同校の生徒を見つけて話を聞くことができるのではないだろうか? そう考えていたのだ。
「吹雪士郎、って人。知ってたりしない? 私らその人に用があってここまで来たんだよね」
「……へえ」
そして、ほんの少しの確信を交えて、それを尋ねた。──白恋中のジャージ。サッカーボール。"熊殺し"という異名。
目の前の華奢で穏やかな彼は、噂が形作った「大男」という言葉はあまりにもミスマッチであるが、あるいは、もしかしたら。
凪沙は視線を前に向けたまま、少年の答えを待つ。少年は少し考え込むようにしてから、凪沙に向き合ってゆるやかに笑った。
「白恋中まで来るといいよ。きっと会えるから」
「……そう。ありがと」
しかし凪沙の予想は外れた。少なくとも、彼は「吹雪士郎」ではないということがわかり、凪沙は気付かれない程度に肩を落とす。もしも彼がそうであるのなら、目下の目的が早くも達成されることになるわけだったが、そう上手く事は運ばないようだった。
しばらく走行を続け、吹雪が収まると共に雪も止んだところで、少年は車を停めさせた。ここまで運んでもらえればあとは大丈夫だと、礼を述べて席を立つ。代表して円堂が見送りに立ち、少年の隣に座っていた凪沙もそれに伴った。
「本当にここでいいのか?」
「うん。すぐそこだから」
「もう遭難しないようにね」
「フフ、気を付けるよ」
一言二言会話を交わし、少年はマフラーを翻してキャラバンを降車する。そのまま去っていくかと思いきや、彼は「あ」と何か言い残したように振り返った。それは円堂に対してかと思い、凪沙は一歩退こうとしたが、彼が優しい双眸で見据えたのは彼女の方であった。
「頭拭いてくれてありがとう。またね」
そう穏やかに微笑んで、凪沙の反応を待つ間もなく、彼は今度こそ背を向けて歩き出した。
凪沙と円堂は扉を閉め、各々座席に戻っていく。
「いやー面白い奴だったな! また会えるかなぁ」
「まあ、この辺の人なら会えるかもね」
と、適当に返したところで、凪沙はふと少年の発言を思い返す。
「……『またね』?」
こうして雪のような白銀の少年は、雷門と淡い縁を結んで去って行った。
四周年企画/夢主に甘える吹雪
back
topへ