ブレイク組の本心がわからない
「馬鹿じゃないの?」
その声は静かで、至って落ち着いており、しかし相手の肩を震わせるほどの凄みを纏っていた。それは有無を言わさぬ強さで、常に毅然としている鬼道すらもすぐに言葉を返すことができない。下手に発言することさえ許されないと錯覚するほどの空気が、彼らのいる夕日に染まった鉄塔広場に蔓延する。鬼道の傍らに立つ円堂、豪炎寺でさえ、閉口したまま見守ることしかできない。
「鬼道はサッカーがやりたいんじゃないの? なんであんたが日本に残るわけ?」
「それは……先ほど、言った通りで、」
「なんで、あんたがその役回りをする必要があるの? 確かに勝つことは皆の目標で、私だって皆に優勝してほしいって思ってる。そのために出来る限りのサポートをしたい。でも、勝つためにあんたがフィールドを離れるのは違うって、私はそう思う」
「……」
「あんたの代わりなんていないでしょ。野坂と一星は、あんたの代わりにはなれない。もちろん鬼道も二人の代わりにはなれない。そもそも互換性なんかないでしょ」
「俺の代わりはあの二人が十分に務められる」と、確かに鬼道はそう言った。それが凪沙にとっては受け入れがたく、他でもない鬼道本人が、そんなことを口走ったのが悔しくもあった。その気持ちを、きっとこの場の誰もまだ、気づいていないのだ。しかしそれは道理でもあった。言わなければ伝わらないことなど、この世には数えきれないほどに蔓延っている。
凪沙は同情してほしいわけではなかった。自分の気持ちなど分かってもらえなくてもいい。ただ、鬼道には、凪沙の想像する『鬼道自身の気持ち』に気がついてほしいと、そう考えていた。
「『好き』とか『やりたい』って感情だけで勝ち進めるような、甘い舞台じゃないのもわかってる。思い通り、望み通りに進まないことだって当たり前ってわかってる。でも、だからってなんであんたが自ら、日本に残ることを選ぶの?」
「……だが、俺は、補充選手を選出し次第、すぐにロシアに、」
「それっていつ? 何試合後のこと? せっかくのチャンスを、限られた舞台をいくつ手放そうとしてるの? 少なくとも、スペイン戦には出られないでしょ。このメンバーであいつらと戦えるのも、きっと今回限りなのに」
「……、」
「このメンバーで戦えるのはこれっきり。このFFIだけ。きっと似たようなチャンスなんて、あんたたちならこれからも巡ってくるだろうけど、それは今と同じものじゃない……。鬼道は何のためにサッカーしてるの? サッカーが好きだからじゃないの? あんたの言い分じゃ、勝つためにサッカーしてるように思える」
「……違う!」
次第に言葉を選ばなくなっていく凪沙に、とうとう鬼道が叫ぶ。風が木々をざわめかせ、その小さな音ですら彼らにとっての雑音に変わる。円堂と豪炎寺が二人を見守る中、凪沙は口を噤み、鬼道は心を落ち着かせるように小さく深呼吸してから再び口を開いた。
「……勝ち進むことで、次の試合への道が開かれる。勝つことは俺たちの舞台を広げていくことに繋がるだろう。もっと、より強い相手と戦うための切符が得られるんだ」
「それでも……あんたがそこにいなかったら意味ないでしょ」
彼女の眉が、わずかに歪められる。それはどこか悲しげでもあり、どうしてお前がそんな顔をするのだと、鬼道は酷く困惑した。
凪沙の心が読めない。どうしてこんな表情を向けられているのか、鬼道にはわからなかった。円堂と豪炎寺は、驚きはしたものの、鬼道が補充選手を連れてくるのを楽しみにしていると笑った。だからだろうか、そのことが鬼道の混乱に一層拍車をかける。これほどの表情を向けられるようなことを、していた自覚などなかった。
冷たい風が彼らの間を潜り抜け、その場を一層冷やしていく。しかし彼らの内に籠った嫌な熱は、その程度では冷めてくれない。
「華那芽……落ち着けって」
「そうだ。鬼道にだって鬼道の考えがあって、」
「あんたらもあんたらだよ円堂、豪炎寺。何でそんな風にあっさり割り切って受け入れられるの? 何で何も言わないの? 本音を話してよ」
見かねた円堂と豪炎寺が口を挟むも、凪沙は強い口調で二人を睨み付けるばかりだ。彼女の鋭い問いに、二人は息が詰まるような心地を覚えた。大人になろうとして、鬼道の意思を尊重しようとして、上手にしまい込んでいた言葉が、腹の底からせり上がって喉を無理やり押し通ろうとする。そんな彼らの心を見透かしたように、凪沙は言葉を続けていく。
「そんなに大人になる必要ってある? 私たちまだ中三でしょ、子どもじゃん。なんでさあ、そんな……そんなに、我慢ばっかり……」
「華那芽……」
「そんなに大事なこと一人で決めてないで、せめて円堂や豪炎寺たちには話して、相談しなよ……。あんたも、大人たちだって、大事なことは全然話さないでさあ。そもそもこの大会自体、可笑しなことまみれだし……もうわけわからないよ」
せき止められそうなものを無理やり通らせているような、苦しそうで痛々しい声だった。少し俯いて、悔しそうに唇をぎりぎりと噛みしめる。そしてゆっくりそれを解いてから、凪沙はまた、強い瞳で鬼道を見据えた。
「鬼道……あんたはずっとチームのために動いてたけど、今まで一回でも、自分のことを考えた?」
「……!」
「責任感や役目に縛られることない。大人たちのわけわからない事情に振り回されることだってないでしょ。……あんた自身の気持ちは、どうなの?」
凪沙の問いかけは、鬼道の心の、守られていない所に真っ直ぐ届いた。固めた意志がぐらりと揺らぐ。──それでも彼の決心が、潰えることはない。
「……俺は、俺にできることをしようとしている」
今度は、凪沙が黙る番だった。
彼の言葉は、彼女も自分自身によく唱えていることだった。できること以上をすることはない、他人を羨むことも比較することもない。ただ、自分にできる最大限のことを。
きっとこれは、鬼道が何手先も見据え、深く考え抜いた上で出した最適解なのだろう。そして彼がそれを疑うこともきっとない。
「……確かに、俺は……本当は……本当は、今すぐにだってボールに触れたい。最高の舞台で強い相手と戦ってみたい。……円堂や豪炎寺たちとサッカーがしたい。だが……それで負けてしまったら、それまでなんだ。終わりになってしまう。先ほども言ったが、最後まで行く気で走ることが重要なんだ。サッカーが好きだからこそ、中途半端にはしたくない。全力で走り抜きたい。卑劣な真似をするオリオンから、俺たちの好きなサッカーを守りたい。そのために、必ずオリオンに勝つ。だから、俺は……これが俺の次の役割だと思ったから。俺の気持ちを押し込めてでも、」
それはようやく吐き出した、紛れもない鬼道の本音だった。今まで聞き得なかったそれに、円堂の、豪炎寺の瞳が丸く開かれる。
それほどまでに、強い意志だった。それほどまでに、感情を押し殺していた。知りもしなかったそれを聞いて、円堂は一歩、前に踏み出す。
「……俺だって、」
ゆらゆらと大きな瞳が揺れる。鬼道のレンズ越しに、円堂はその瞳を強く、真っ直ぐに見つめた。
「俺だって、鬼道と早くサッカーがしたい。ようやく帰ってきたんだ。またお前と一緒にサッカーできるのを、ずっと待ってた。クラリオたちとの試合だって、一緒にリベンジできると思ってたんだ。だけどお前は、日本に残ることを決めていた……豪炎寺だってそうだ。やっと帰ってきたと思ったけど、まだ完治してなくて……ずっと楽しみにしてた、また皆で挑めると思ってたスペイン戦に、鬼道も豪炎寺も、出られないなんて……」
「……俺も……早くお前たちとまた、ピッチに立ちたい。なのに、ようやく巡ってきたクラリオたちとの再戦のチャンスに、間に合わなかった。……悔しい。悔しくて、不甲斐なくて仕方がない……。その上、お前たちに俺の気持ちを託そうとしていたのに……その内の鬼道がいないなんて、考えてもみなかった」
間を空けず、円堂の後に豪炎寺も続く。ぽつり、ぽつりと。心の裏側に仕舞い込んでいた、表に出すこともないと思っていた本音が、打ち明けられる。そして互いに、互いの気持ちに酷く驚いているようだった。なんだ、お前も同じだったのかと。顔をくしゃりとしかめながらも、三人は笑った。
円堂も、豪炎寺も、鬼道も。誰の打ち明けも、誰の本心も。予想なんてできもしなかった。知ることさえなかったかもしれない。いや、実際に凪沙が発破をかけなければ、知らないままだっただろう。
「……俺は、それでも日本に残る」
それは今度こそ、揺るがない強さを纏った声だった。鬼道の答えに、円堂と豪炎寺は仕方無さそうに、しかしまるで分かっていたみたいに笑みを深める。
「俺にしかできないことをやって見せるから、だからお前たちも絶対に勝ち進め。……信じてるぞ」
「おう! 俺たちは絶対に勝って、勝ち進んで、お前を待ってるからな! 鬼道!」
「俺もすぐに治して見せる。だから鬼道、お前こそ早く追いついてこいよ」
「ああ、すぐに追いかけるさ。……出発前に、お前たちの本心が知れてよかった」
三人の突き出した拳が、力強く合わさった。絶対に切れることのない繋がりを確かめ合っているようにも、互いに互いの激励をしているようにも、ひとつの約束を交わしているようにも見えた。
言わないと伝わらないこと、言って伝えたほうが良いことは、たくさんある。
夕焼け空は、いつの間にか濃紺の空とのグラデーションになっていた。少し離れた位置から彼らを見つめていた凪沙は、静かに息を吐き出す。──理解はしたけれど、納得はまだできない。だけど自分では、あれほどまでに固めた意志を崩すことなどできないことくらいわかっていたし、それが野暮であることも知っていた。こうなれば凪沙はもう、鬼道の考えを受け入れ、信じるほかないのだ。
(そういや、旧部室に顔出すのを提案しようと思って来たのに……時間無くなっちゃったなぁ)
凪沙は一度稲森たちと雷門に戻っていたが、昨年までの雷門メンバーが誰一人雷門に寄ることはなかった。きっと強化委員における転校先に赴いたか、もしくは伊那国メンバーに遠慮して、別の好きな場所に向かっているのだと悟った。けれど、せっかくだからまた皆で『雷門』に集まれたらと思い、原点であるサッカー部の旧部室に行かないかと声をかけに来たのだ。そして当たりをつけてやってきたのが、この鉄塔広場だった。円堂たちの努力をずっと見てきた、思い出の場所だ。
まあ、出発は明後日だし、もしも彼らの時間があれば明日でもいいだろう。そう考えた所で「華那芽」と不意に鬼道に呼ばれ、凪沙はぱっと顔を上げた。
「すまなかったな……そして、ありがとう。お前のおかげで、いいことを聞けた」
いつの間にか彼女のそばにまでやって来ていた鬼道は、にやりと、少し悪そうな笑みを見せた。だがそこからは、こぼれ落ちそうなほどに、心底嬉しそうな感情が溢れていた。その顔を見た凪沙も呼応するようににやりと笑い、そして口を開く。
「じゃあ、私からも一つ教えるよ」
「?」
予想し得ない流れに、鬼道はきょとんと彼女を見つめた。凪沙は、鬼道にしか聞こえないようにそっと声を潜める。
「私はね……あんたたちが楽しそうにサッカーしてるのが────」
風が吹き、木々が涼やかな音を奏でる。それに乗って聞こえてきたやさしい声に、鬼道はゴーグルの奥のつり目を丸くした後、嬉しそうに目を細めた。
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