立ち食いおでんの回 Side吹雪

「あれ、やっぱり手洗い?」

 通りすがりに洗濯機ではないじゃばじゃばとした水音が聞こえ、ひょいとランドリーの中を覗く。マネージャーの一人である凪沙さんが、洗面台で選手のジャージを洗っていた。彼女はこちらに気がつくと水を止め、ぎゅ、ぎゅ、と水気をしぼってから洗濯機にそれを放り込む。

「もう終わった」
「また洗濯機に入れるの?」
「洗剤が残ってるかもしれないから」
「へえ〜」
「どっかの誰かのジャージだけ、洗濯機入れても汚れが落ちなかったからね」
「あはは、まったく困ったさんがいたものだね」
「その点ユニフォームはいいわ〜青赤紺の三構成だから、泥汚れ落ちなくても多少誤魔化せる」
「え、誤魔化してたの?」

 ボクの質問に答えることなく、凪沙さんはぴっぴっとボタンを押して洗濯機をスタートさせる。てきぱきと作業を進める彼女に、不意に家事をする母の姿を思い出した。同じくらいの背格好だということも起因しているかもしれない。ホームシック……というわけではないが、こんなに長い間地元を離れる経験なんて早々なかったから、どこかで懐かしさのようなものを感じたのかもしれなかった。
 一歩近付いて、彼女の背にゆっくりと手を伸ばす。伸ばして、伸ばして、その背中に指先が触れそうなくらい近付いたところで、動きを止めた。そして、少しだけ迷ってから布のたわんだ部分を、ほんの小さな力できゅっと掴む。
 それに気が付いたのか、たまたまだったのか、凪沙さんは数秒も待たずして振り返った。その直前か、あるいはほぼ同時に彼女のジャージから手を放したが、凪沙さんがどう思ったかはわからなかった。

「ったく……監督発案だか野坂発案だか知らないけど、特訓したいならもっと手間かからない方法選べって言っといて」
「ボクが言うより、凪沙さんが言ったほうが通りやすいと思うけどなぁ」
「マネージャーが口挟むより実際にやる選手が言ったほうがいいでしょ」
「そうかなぁ?」

 野坂くんは、凪沙さんのことをどこか気に入っている──それは能力を買っているとか、異性としての意識があるわけではなく、からかい甲斐のある人、雑にからかっても大丈夫な人だと思っているように感じられた──節があるように見えるし、あの監督も男よりは可愛い女の子にお願いされたほうが上機嫌になりそうな人だ。もちろん、二回り以上下の女の子を『そういう目』で見るような性癖は持っていないだろうけど。
 凪沙さんは濡れた手をタオルで拭きながら、こちらに視線だけ寄越して口を開く。

「そういや……痛がる演技の練習って、結局何なの」
「野坂くんから訊いてないの?」
「全然」

 なるほど、じゃあボクも黙ってたほうがいいのかな、と一人思案する。あまりいらない心配を掛けさせるのも良くないし、とくに凪沙さんは、向こうから絡まれてるのか自分からそうしてるのかは分からないけど、一星くんといることが多い。余計なことを伝えるべきではないのだろうと考えた。とはいえ、凪沙さんがぺろっと秘密を話してしまうタイプにも思えないけれど。
 ボクに答える気がないのがわかったらしい凪沙さんは、それ以上追及することはなかった。その代わりに、彼女はボクの目を一瞬だけじっと見つめてから、ぱっと身を翻す。用事のなくなったランドリーを、カゴいっぱいの洗濯物を抱えて出ようとする彼女に、練習再開まで時間のあるボクも、近くにあった空のカゴを取って並んだ。

「持つよ」
「別に大丈夫」
「って言うと思ったからカゴ持ってきた。勝手に半分貰っていくね」
「……」

 返事を聞く前に、彼女の持つカゴからひょいひょいと濡れた洗濯物を移していく。凪沙さんは諦めたらしく、小さくため息をつくだけで何も言わなかった。

「……ありがとう」

 嘘だ。言った。まさかボクが勝手にしたことにお礼の言葉が、しかも彼女から返ってくるなんて思わなくて、少しだけ驚いた。そう言ってしまうと、失礼なのはわかっているけど。それでも勿論、お礼を言われて悪い気などしないから、「どういたしまして」の意味を込めて笑って見せる。凪沙さんは何故か居心地悪そうに視線を泳がせていた。

「……ねえ、吹雪」
「なぁに? 凪沙さん」
「よくわからないけど……無茶な指示出されてるなら、忠実に従わなくてもいいんじゃないの」
「え?」
「無理して怪我したりして、仕事増やさないでよ。救急箱なんて触る機会もないほうがいいんだから」

 あくまでも淡々とした口調。いつものように素っ気ない態度。目を合わせることさえせず、まるでこちらのことなんてさして気にかけてないかのような振る舞いだ。しかし彼女の言葉は突き放すようなものではなく、それに纏っていたのは、むしろ。

「……ありがとう。凪沙さんは優しいね」
「……何のこと」
「フフッ」

 凪沙さんは嫌そうに歪められた顔を背ける。不器用だなぁ。素直じゃないなぁ。白恋サッカー部や学校の女の子たちとは、また全然違うタイプの人。最初は表情が固くて冷たそうな女の子だと思ったけど、存外情に厚かったのは、キャプテンの円堂くんや強化委員として白恋に来てくれた染岡くんを見ていれば、わかることでもあったのだろう。あんな風な彼らといたなら、染まっていてもきっとおかしいことなんてない。

「……怪我じゃなくても、ちょっと調子悪いとか、痛めたとか、何かあったらすぐに言いなよ」
「わかってるよ」

 にこりと返して見せるが、「本当にわかってんのか?」とでも言いたげな疑り深い目線が返ってきた。心外だなぁ、とまた笑う。
 ふと、フットボールフロンティアの決勝を思い出した。凪沙さんのいた雷門では、キャプテンが足を怪我して欠場していた。きっと本人も、周りも、悔しくて歯痒くて仕方がなかったに違いない。ボクだってそんな思いはしたくないし、させたくもない。怪我だけには、本当に、十分に気を付けないとなぁ。大好きなサッカーで、世界へ行くためにも。

「……吹雪?」
「ああ、ごめん、何でもないよ。ねえ凪沙さん、またおでん作らないの?」
「またって……あれ既製品だけど」
「そうなの? じゃあ今度は凪沙さんたちの手作りがいいなあ」
「……他にも要望が多かったらね」
「楽しみだなぁ。あ、そういえば大分今さらになるけど、前に白兎屋さんがお世話になったみたいで、ありがとうね」
「え? ……ああ、あの時か」
「姫が嬉しそうに話してたよ。雷門の女の子たちとデートしたって」
「……姫ぇ?」

 素での驚きと、しかめた眉からはどこか引いたような色が見てとれる。その分かりやす過ぎる反応に、口の端からクスリと笑みが溢れた。

「スポンサーの一人娘様だからね。ボクたちにとっては丁重に扱うべきお姫様ってこと。本人の意向でもあるしね」
「そ……や、別に本人たちがいいならいいけど……そもそも私が口出すのも可笑しいし……」
「? なにか気になる?」
「別に」
「『私ならそんな呼ばれ方絶対に嫌だ』……ってとこかな?」
「…………」
「顔に出てるよ、お姫様」
「やめろ、やめろ」
「案外わかりやすいんだね、凪沙姫」
「やめろ馬鹿じゃないの」
「アハハ、照れ屋さんだなぁ」
「黙ってください」
「なんで敬語?」



四周年/立ち食いおでんの会 吹雪視点


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