吉良は問う

「奇遇だなァ、まさかこんなところで会うたァ」

 代表キャンプが始まってから二日目の夜。自室に戻ろうとしていた凪沙は、扉の前で腕を組んで待ち伏せしていた男に眉を潜めた。

「奇遇も何も、同じ敷地にいるんだけど」
「そうじゃねェ……忘れたとは言わせねェぞ」
「吉良ヒロト」
「だからそうじゃねェ」
「流石にフットボールフロンティアの得点王を忘れはしないけど……」
「そうでもねェ」
「じゃあごめん、忘れた」
「アア゛?」

 先ほどまでの余裕を崩し、常人なら震え上がりそうなほどの凄み顔で迫る吉良。その様はまさしく不良そのもので、世間に認知されているスポーツ選手とは思えない。対する凪沙はさして気にしていない様子で、両手をひらりと挙げて見せた。

「ごめんって。本当に記憶になくて……どっかで会ったことでもあるっけ」
「てめ……ふざっけんなよ、たった二年前だぞ? 鳥頭か」
「逆に二年も前に会ったのに覚えててくれてるの? どうもありがとう」
「だァァァァ殴られてーのかテメーは!」
「結構です」

 今にも殴りかかってきそうな吉良をどうどうと宥めるが、さほど効力は発揮しなかった。吉良は拳を握り固めたまま、凪沙をギラギラと睨み付ける。
 人違いじゃないの、と面倒くさげに首に手を当てる凪沙に、吉良は人差し指を立てた右手を近付けた。そして彼女の桃色のヘアピンを、まるで敵のこめかみに銃口を当てるかのようにトン、と指で突いて見せた。

「この二本並んだピンクのヘアピン……んな奴がそう何人もゴロゴロいるわけねーだろ」
「そんなことないと思うけど」

 吉良の影が顔に掛かる。凪沙は少し暗くなった視界の中で、その間近にある顔をまじまじと見た。稲妻を模したような頬のペイント。淡いグレーの頭髪は癖が強く、白いメッシュが入れられている。短い眉は遠慮なくつり上げられ、薄桃色の瞳は凪沙が心底気に食わないと叫んでいた。──いつかの光景がフラッシュバックしたのは、それを見てすぐのことだった。

「あ……アンタあの時のクソガキ」
「おーおー、やっと思い出したかクソババア」
「おっと、それだとアンタも一年後にはクソジジイだよ」

 『あの時』は相手が地べたに尻をついていたこともあって、その生意気そうな薄桃色を見下ろしていたが、今は真っ直ぐ正面にある。それも、簡単に手が届くほど近くに。その違いが、両者の関係性の変化をまざまざと表しているように感じられた。残念ながら、向こうからは随分と敵意を向けられているらしいが。

「うるせェなクソババア。人様のシマ散々荒らしやがって」
「ただそこにいただけで突っ掛かってきたから構ってやったのに、言い掛かりだね。それにシマって……、やめてよ笑わせないで」
「……テメーはことごとく俺をおちょくりてーみてェだなァ?」
「そっちが勝手に突っ込んできて、勝手にやられただけでしょ。私に当たるのはお門違いなんじゃない?」

 臆面もなく言い放った凪沙。きっぱりとした語調の余韻が、二人しかいない空間に融けていく。しばらくすると吉良は舌を鳴らして、短く息を吐いた。なにか他に言いたげなことを呑み込むようにして、彼は別の言葉を落としていく。

「あん時の決着つけようじゃねェか……と言いてェとこだが、喧嘩なんぞに体力費やしてるほど俺は暇人でもないんでね」
「私も暇ではないんだけど」
「それに、後でアイツにガチャガチャとうるさく言われんのも目に見えてる」
「はあ……」
「このゴッドストライカー様が直々に手を下してやろうと思ったが、見逃してやらァ」
「そりゃどうも……で、結局何しに来たわけ?」

 言いたいことを言い切ったような彼の様子に、凪沙は改めて疑問を投げかける。ただ二年越しの文句をぶつけるためだけに、わざわざ待ち伏せしていたとは考えられなかった。それこそ、本当の暇人でもない限りは。
 吉良は一歩離れると、改めて凪沙を不満そうに一瞥する。品定めするような目が、鋭く細められた。

「お前みてーな、どう考えてもマネージャーにゃ向かねェような奴が代表をサポートするってのが、どうにも気に食わなくてな」

 サポートする。選手が最大限の力を出せるようにバックアップする。それはきっと、献身的でしっかり者の秋や、明るくコミュニケーション力の高いつくし、真面目で責任感の強い杏奈に適任な役目だ。しかし自分は明るいわけでも、献身的でもない、真面目どころか昔は「不良」のレッテルを貼られても文句を言えないような人間だった。吉良とのファーストコンタクトだって、今思えば随分と酷いものだったと思う。あの頃の自分はまだあの約束も交わしていなくて、本当につまらなくてダサい奴だった。吉良にとっての印象が悪いのも、致し方ないだろう。
 そんな自分にマネージャーなど向いていないと、凪沙自身だってわかっている。わかってはいるけれど、それを理由に手を抜くつもりなどは毛頭なかった。

「そりゃ悪いね。でも監督に指名された以上は、マネージャーとして精一杯努めるつもりですよ、っと」
「待てよ」

 話は終わりだと言わんばかりに、吉良を横切って部屋に入ろうとするが、あえなく片手で止められて仕方なしにストップする。凪沙は心底面倒くさそうに、今一度彼に視線を投げた。

「まだ何かあるわけ」
「てめェは、大してサッカー自体にゃ思い入れもねェだろ」

 少しだけ、息が詰まってしまったのは自分に自信がなかったからだろう。吉良の言うことが、図星であるかもしれないと一瞬でも思ってしまった。
 確かに昔は、彼の言う通りサッカーなどどうでも良かった。好きでも嫌いでもなくて、ただ偶然携帯電話に付けていた一つのストラップが、凪沙とサッカーの縁を結んだ。それでも凪沙にとっては『雷門サッカー部』ではなくて、円堂や秋がいることが大切だった。彼らがいれば、そこが例えば別の部活でも、何かの集まりでなくてもどうだってよかった。
 その認識が変わったのは一体いつからだっただろうか。夢中でボールを追いかける彼らを見て、今まで覚えたこともない感覚が胸に生まれた。サッカーを通して色んなものを見ることができた。そしてこれまでの、日は浅いながらもマネージャーとして駆け抜けた数か月のことを思い出せば、しっかり胸を張って言える。

「それは昔の話かな。今は違う」

 自分がどんな表情をしているのかはわからなかったが、目の前の吉良は少しだけ意外そうに目を丸めていた。凪沙は彼を横切って、ようやく自室のノブに手を掛ける。今度は邪魔をされることはなかったが、室内に足を踏み入れ、後ろ手に戸を閉めようとしたところでまた、声を掛けられた。

「てめェ、なんで雷門サッカー部のマネージャーやってたんだ?」

 それは厭味や悪意など籠められてない、純粋な疑問の声色であったように思う。凪沙は顔だけ振り返ると、今度こそ明確に、ふ、と笑った。

「当ててみたら?」


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