目覚ましアラーム砂木沼1
「……ろ……きろ……」
途切れ途切れに耳に届いた声。断片的なそれは何を伝えたかったのか不明瞭で、夢の中にいる凪沙を覚醒させるには至らない。
「起きろ! 華那芽!!」
「!?」
と、思えば突如鼓膜を揺さぶる大ボリュームの声。凪沙はベッドから文字通り飛び起き、逸る心臓を押さえながらあたりを見回した。室内には別段異変は見られない。彼女は掛け布団から抜け出すと、傍らの靴を雑に突っ掛けて、扉の方に向かう。その間に軽く手ぐしで寝起きの髪を整え、扉をほんの数センチだけ開いた。寝起きの顔を他人に──とくに異性には──極力見られたくないというなけなしの乙女心だ。その隙間から覗くと、そこには予想した通りの声の主、砂木沼治が腕を組み堂々たる顔つきで君臨していた。
「おお、華那芽よ! お早う!」
そしてあろうことか、彼女の小さな抵抗を嘲笑うように砂木沼は半開きの扉に手を掛けると、予告なく開き切った。肩を震わせた凪沙は瞳をまんまるに開いたのち、日光を遮るかのようにぱっと顔の前に手をかざした。
「どうした華那芽? ……ああ! なるほど! そういえばここ一、二年の玲名たちも少なからずその気があったな。さしずめ、寝起きの顔を見られたくないといったところだろう。フハハ、何、案ずることはないぞ。普段のお前とたがわず涼しげな花のような顔を」
「お前ほんともうちょっと一旦黙って」
何の気なく言ってのける砂木沼にこまごまと単語を畳み掛ける。事細かに説明するデリカシーの無さと、同年代の異性を躊躇いなくポエミーに褒める羞恥心の無さは、いっそ清々しいくらいだ。凪沙は形容しきれぬ感情に頭を抱えたが、少しして諦めたように虚無の顔になった。
「……で何……緊急事態? 何なの? 何なわけ?」
「フフフ……聞いて驚け」
なにか問題が発生したのであれば、マネージャーとしてそのまま無視を決め込み眠りこけるわけにもいかない。そんな思いで名残惜しくも布団から這い出たというのに、目の前の男からはどうにもそういった緊迫感は見られない。
砂木沼も起きてそう間もないという様相で、いつもは高い位置に束ねられた長髪が下ろされている。その髪を大きく揺らすほどの大袈裟な手振りで、彼は言い放った。
「今朝方、俺はなんと! 我らイナズマジャパンが優勝する夢を見たのだ!」
「……は?」
全身。それこそ指の先までがぴしりと硬直する。それは告げられた事実を受け入れることを、拒もうとしているようでもあった。凪沙はいよいよ言葉も失い、呆然と立ち尽くすしかない。
「これは正夢になるに違いない!」
「……は?」
「安心して俺たちの優勝を見届けるが良い、華那芽!」
「……は?」
「しかし夢にまで見るとはまさしくこのことだな! それほどまでに俺のこの大会への想いは熱くムラムラと燃え上がっているというわけか!」
「いやメラメラって言え」
嬉々として熱く語る砂木沼とは対照的に、凪沙の視線は絶対零度と言わんばかりの温度へ急降下。水に照射すればたちまち凍てついて氷ができあがりそうだ。
凪沙は口を閉じ、疲れきったようにそっと眉間を摘まむ。そして三つほど設定している目覚ましアラームを、今日はまだ一度も止めた覚えがないことを思い出し、小さく「……今何時?」と尋ねた。砂木沼は凪沙の様子に気づくこともなく「四時だ」と当たり前のように答える。眉間を摘まんだ指に、思わず一層の力が籠められた。
「なにっ……なん……何? 私は……その報告を受けるためだけに、あんたの爆音ボイスで早朝に叩き起こされたの?」
「一刻も早く誰かに伝えねばと思ってな! まず同室の不動を起こし伝えたのだが、獣のような瞳で『華那芽もその手の話が好きだから話してやれ』と言われてな!」
「……は?」
見えない吹雪がたちまち吹き荒れる。華奢な幼子がいれば吹き飛ばされていたかもわからない。震える拳が目の前の砂木沼に、そして彼と同室であるその男に飛んでいきそうになるのをどうにか堪える。──自分の回避できなかった不幸を、他人にまで味わわせるとはどういう神経してんだ、不動!! てめぇ!! 絶対許さんからな!!
「おお、華那芽よ! 俺たちの優勝を脳裏に見て、感激で震えているわけだな!」
「あんたは黙ってろ……」
「どうした華那芽! 般若のごとき顔をしているぞ!」
「あんたは黙ってろ!!」
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