海の男は家族を名乗る1
『沖縄に炎のストライカーがいる』
陽花戸中学校で出会った立向居勇気をメンバーに迎えた雷門は、その僅かばかりの情報を頼りに、福岡から南へと向かっていた。無論それが豪炎寺であるという確証はどこにも無く、情報をもたらした瞳子からも念を押されている。それでも円堂はその『炎のストライカー』と呼ばれる人物が豪炎寺であると信じ、沖縄へ探しに行くことを決めたのだった。
彼らを乗せた連絡船は、次の停泊地である
阿夏遠島の手前まで来ていた。メンバーが各々好きなように船で過ごしている間、凪沙は一人、潮風でべたつく手を懐かしみながらフェンス越しに海を見ていた。
(沖縄かー……)
沖縄は凪沙に縁深い地であったが、それを知る者はいない。言うほどのことでもないと、これまで誰にも伝えることをしていなかった。
(阿夏遠島ってことは、もしかしたら……いやでも、こいつらがいるのに会いたくはないな……まあどのみち沖縄本島で会いそうだけど……)
一人の男の姿を浮かべ、眉をしかめる。その上、つい昨日も電話越しに会話はしたものの、そちらへ行くとは告げていないものだから、面倒なことになりそうだというのは確かだった。できればこんな状況で行きたくはなかったなと、彼女は人知れずため息を吐く。
その時だった。突然誰かの悲鳴が耳を突き、凪沙はぼんやり海に落としていた視線をばっとそちらに向けた。
「目金さんーーー!」
次いで聞こえてくる壁山の声に向かって、彼女は他のメンバーと共に駆けつける。フェンス越しに海を覗き込めば、そこには誤って転落してしまったのか、腕をばたつかせながらもがき溺れている目金の姿があった。
「……そこのボール目金に渡して」
動揺と焦りが全体に広がる中、凪沙の行動は速かった。誰が使っていたのか、近くに転がっていたサッカーボールを指差して誰にともなくそう指示する。それから秋と揃いのヘアピンを外して、持ってて、と彼女に押し付ける勢いで預けた。困惑する秋をよそに、今にも海に飛び込もうとしていた円堂を片手で制すと、彼の代わりに柵に力強く両手を掛ける。凪沙は床を蹴り上げ、重力などないかのように軽々と柵を飛び越えて── 一切の躊躇なく海へと飛び込んだ。
「なっ……華那芽ー!?」
「馬鹿! あんた何して……!?」
ひらりと揺れる髪の名残を視界に捉えながら、円堂と塔子が叫ぶ。しかし彼らの心配とは裏腹に、凪沙は綺麗なフォームで泳ぎ始めた。その動きには無駄がなく、そして速い。幸いにも海が凪いでいたこともあり、あっという間に目金のもとへたどり着いた。
丁度その時、綺麗な弧を描いて白と黒の球体が二人の間に落とされる。精密なコントロールでボールを蹴って届けたのは一之瀬だった。凪沙が浮力体であるそれを目金に持たせれば、彼は少しだけ落ち着きを取り戻せたようだった。
だが一部始終を見ていた一同の目線は、不意にその奥へとずらされる。
「誰だあいつ……!?」
その男は、凪沙と同じほどの──あるいはそれ以上のスピードで、ボリュームのある桃色の髪を揺らしながら目金の近くまで泳ぎ渡る。海の中で合流する形となった彼と凪沙は、まるで示し合わせたかのような連携をとって、ボールを抱えたままの目金を岸まで運び切った。
*
「ありがとう! キミは目金の命の恩人だ!」
埠頭に集まったメンバーは、凪沙とともに目金を助けた
桃髪の男に向かい合っていた。バスタオルにくるまってしゃがみこむ目金の代わりに、円堂が改めて礼を告げるが、男は人の良い笑みを浮かべて手をはためかせる。
「よせよ、礼を言われるほどじゃねーって」
「そうですよ、僕だって泳げるんですから……」
「馬鹿」
「いったぁ!?」
男の謙虚な姿勢に便乗し、不貞腐れたように強がる目金だったが、突然降り注いだ衝撃に眼鏡がずるりとずれ落ちた。何事かと見上げれば、同じくバスタオルに身を包んでいた凪沙が、その隙間から彼の頭に手刀を落としていた。
「海を甘く見ないの」
鋭く端的に諌められ、目金は「う、」と言葉を詰まらせる。彼女に続けて、桃髪の男もそのつり目をさらに細めて目金を見据えた。
「おい、お前。海は命が生まれるところだ。命を落とされちゃたまんねーよ」
「……すみません。ありがとうございました」
凪沙と男の声は低かったが、自分のことを思っているのだと感じ取った目金は、今度は素直に返事をした。男は太陽の意匠のように跳ね立つ髪を揺らしながら、「だから礼を言われるほどじゃねーよ」とおおらかに笑った。
「ま、とにかくさ! 無事で何よりだ!」
彼は軽くウインクを落とし、片手を挙げる。その晴天のような陽気さを一同に伝染させた彼は、そのまま背を向けて去る……かと思いきや。
「さて、と」
不意に彼の纏う空気が一転。彼はニンマリと朗らかな笑みを見せると、一歩二歩と踏み出した。その長い腕を伸ばした先には──
「凪沙〜!! ひっさしぶりだなぁ!!」
「うわっ、」
がばり。タオルに包まれた凪沙の体を、まるで当たり前のことのように、彼はその体格の良い褐色の肌に引き寄せた。
「……はっ!?」
その短い悲鳴は誰のものだったか。一同が困惑を極める中、彼は押し潰さんばかりの勢いで凪沙をぎゅうぎゅうと抱きしめる。長身の彼に包まれ、小柄というほどでもない凪沙が小さくすら見えた。そのゼロ距離とも言える密着っぷりに、メンバーは唖然としたまま誰一人動くことができない──否、色恋沙汰に敏感なリカに限っては、両手を祈るように組んで嬉々として体をくねらせていた。
「んだよ結局来るならそう言えよな〜!」
「ちょっと条介くん、放して、放せや」
凪沙は彼と自分の体の隙間に無理やり手をねじ込み、彼の鳩尾あたりを力強く押し返す。どうにかその体温の高いひっつき虫を引き剥がすことに成功した。しかしやはり、即座に距離をとるなどの明らかな拒絶を見せなかったことは、男に一定以上気を許している証拠だった。
「なんだ凪沙、照れてんのか?」
「人前でやめろ。むしろ人がいなくてもやめろ」
背中に回されていた両手が、今度は凪沙の濡れた頭をわしゃわしゃとペット相手のように豪快に撫でる。その遠慮の無さを目の当たりにし、一同はますます混乱を極めた。
推定中学生の男女。名前呼び。抱き締めるなどの過度なスキンシップ。とても無視できないほの距離感に、意を決したような春奈と興味津々のリカが前に出る。
「あ……あの、凪沙先輩? その人とは一体どういう……」
「カレシか?」
「違うやめろ」
頭を蹂躙する手を掴み上げながら、即座に否定する凪沙。しかしリカの探るような、からかうような視線は止まらない。その様子に、桃髪の男は「おっと、そういや名乗ってなかったな」とまた笑った。
彼は凪沙の肩に手を置き直し、楽しそうに告げる。
「俺ァ綱海条介。こいつとは家族だ!」
──しん。
逆にそんな擬音が聞こえてきそうなほどの静まり具合に、当の綱海はどうしたのかと首をかしげる。ただただ控えめな波の音だけが空間を作り出す中、凪沙はどこか頭が痛むのを感じた。次に起こる惨事を半ば覚悟しながらも、補足のため口を開くが……
「言っとくけど、い──」
「ええぇぇぇぇっ!?」
爆発的な複数の悲鳴に、あえなく掻き消された。その上ずいずいと物理的にも詰め寄られ、説明する余裕もない。
「家族!?」
「お兄さんですか!?」
「それとも弟?」
「パパ若すぎじゃね!?」
「ハッまさかカレシやのうてダンナか!?」
「おい最後」
ハートを散らすリカにのみ突っ込みを入れて、凪沙は至極面倒くさそうに首に手を当てる。ぎゃあぎゃあと飛び交う憶測はちょっとした耳への暴力だ。凪沙は一度だけパァン! と両手のひらを合わせ、彼らを鎮めると同時に注目を集めた。
「従兄妹ね、従兄妹」
「い……イトコ?」
「イトコ」
「華那芽と?」
「こいつが」
「はっ……はぁ〜〜〜! そぉかあ〜〜!!」
困惑の色に染まっていた円堂の丸目が、次第に煌めいていく。同様にあちこちから安堵の声や興味深げな声、何故か残念がる声が聞こえたが、凪沙は全て右耳から左耳に流した。それから「あ! 俺は──」と名乗ろうとした円堂を、彼女はまた片手で制する。このまま改めて全員自己紹介、などという流れに持っていかれるのは御免被った。
「その前に、私と目金は着替えてくるから。誰か次の船の時間……」
そこまで行って、凪沙は言葉を切った。もう何年も前、この島に来た時の古い記憶が、色褪せながらも蘇る。確か、そう。その時の記憶が正しければ……、
「あっ、そのことなんだけど……」
凪沙から引き継いだように切り出したのは秋だ。凪沙を除く全員の視線が集まり、彼女はしばし視線を泳がせる。だが言い淀んでも仕方がないことだと、引きつった苦笑いで告げた。
「あのね、今確認してきたんだけど……ここの連絡船は一日一便みたいで、沖縄本島までの次の船は明日になっちゃうみたい……」
── 一拍空けて、一同の驚愕と虚脱の叫び声が小さな島に響き渡った。
四周年企画/円堂らが綱海と夢主の従兄妹関係を知る
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