円堂と認識不一致
私は私が嫌いだった。
自分のことはすぐ許して、妥協してしまうくせに、他人に向けるだけの優しさを持っていない。努力も得意じゃない。何かに本気で打ち込んだこともない。きらきらしたものに対して、自分とは世界が違うとすぐに線を引く。それがなんだか、「違う」って分かっているのに、変えられない。違う、変えようとしない。いつもいつも、なるべく、できるだけ、楽な方へと。呼吸が苦しくない方へと。
こうなってしまったのは、いや、こういう風に自分から成ったのは、いつからだっただろう。あまり思い出せないのは、何か一つの大きなきっかけによるものではなく、少しずつ少しずつ、雨垂れが時間をかけて石を穿つように私を侵食していったからに他ならない。これの本来の意味は努力が積み重なって成功する、みたいな感じだったと思うけれど、まあ、そんなことはどうでもいいや。
「華那芽!」
「凪沙ちゃん!」
それなのに。
自分を律し、いつもひたむきで、他人に溢れんばかりの優しさを分け与えることのできる、私とはまったく正反対の彼らは、私をいつも彼らの世界に入れようとしてくれる。私は何もしていないのに。何も返せるものがないのに。私とは不釣り合いのきらきらした世界へ、いざなってくれる。それはどれほど居た堪れないことなのか、きっと彼らには分からないのだろう。
それでも私は、そんな彼らのもとへ踏み出すこともできないのに、彼らの声が聞こえないところまで走って逃げることもできなかった。我儘で欲張りでずるい餓鬼だ。いっそ強引に腕を引っ張ってくれれば、反射的に振りほどいて拒絶できたかもしれないのに。彼らはそんなことは決してしなかった。私が勝手に引いた線の外側から、ただただ声と笑顔を掛けてくれた。なんてことないこの細い線を踏み越えて、私がそちらへ行くのを待ってくれているのかもしれない。彼らにはなんの得もないのに。こんな人間に構って、楽しくもないだろうに。彼らは本当に、本当に可笑しなくらい優しい人たちだった。
*
華那芽凪沙のことを、円堂守は好いていた。
それは異性間における恋愛感情によるものではなかったが、春先に出会い、夏に差し掛かるこのたった数か月の間で、円堂は凪沙という人間のことを大事な友人であると認識していた。それは同じく春に出会い、サッカー部を共に設立した木野秋も凪沙に対し感じていたことであり、また円堂と秋の二人も、互いにそのような想いを向け合っていた。凪沙はいつでも素っ気ない態度であったが、それでも三人でいることが多かった。席替えするまでは席が隣前後であったことも要因の一つではあるが、それ以上に彼らは共にいたいと思い、そして共にいた。
凪沙は優しい人であると、円堂は思っている。信じているのではなく、事実としてそう感じていた。入学式、サッカーに興味があるようなものを持っておきながら、彼女がサッカーへの興味を持っていないことには少なからず気付いていた。何せ、彼女からは何の熱も感じられなかったのだ。まるで世界の全てがつまらないとでも言いたげに、不機嫌そうな顔をしていた。他人に鈍感と評されたことのある自分ですら、そう思ったのだから、きっと本当にそうなのだろうと思った。
それでも、話しているうちにサッカーに興味を持って、ゆくゆくは好きになってくれるかもしれないと思った。その時はただただ、これから一年間共に過ごす新しい仲間と、仲良くなりたいと思っていた。
『……サッカー部、頑張れ』
それは絞り出すような声だった。
出会ったばかりで、サッカーになんて全然興味がなかったはずの彼女が、勇気を振り絞って言い放ってくれたみたいだった。真っ直ぐに自分たちの目を見て言う彼女の瞳は、とても真剣で、その根底には分かり辛くもあたたかさが揺らめいていた。
『これ……どこに運ぶって?』
新品の制服が汚れることも厭わず、ダンボールを持ち上げた彼女は、やはりこちらを真っ直ぐに見つめていた。不完全で未完成で迷っていて、そして、円堂たちを想ってくれている目だった。円堂には、そう感じてならなかった。
本当に、嬉しかったのだ。言葉では表しきれないくらい、とても、とても、嬉しかった。彼女がまっすぐ腕を伸ばして、そのやさしさを渡しに来てくれたことが、嬉しくてたまらなかった。円堂に無限の力を与えた。これからきっと何だってできるとさえ思わせた。
凪沙は、円堂が秋と作ったサッカー部の、初めての応援者だった。
あの日凪沙からもらった応援が、今でも円堂の背中を押している。
*
言い訳ばかりを並べて、彼らに変わった人たちだと勝手なレッテルを貼って。自分からは何も渡さないくせに、向けてくれるきらきらしたものを傍らからほんの少しだけ搾取していく私は、本当に狡くて卑怯で嫌な人間だ。そこに、だって向こうが頼んでもないのに勝手に関わってくれるから、なんて言い訳を加えるものだから、もう救いようがない。
そうして私はますます私を嫌いになるのに、彼らのきらきらした目を通した『私』は、どんどん素敵な人になっていく。現実の私と、彼らの思う理想の『私』がどんどん乖離していく。私は良い人なんかじゃないのに、まるで友人みたいに接してくれる。私が優しい人みたいに、優しく接してくれる。けれどそれは勘違いだ。滑稽なまでの間違いだ。私はどこまでもどこまでも、どうしようもなくて碌でもない奴なのだから。
いつか彼らが、私が本当に何も持っていないつまらなくて酷くて空っぽな人間であることに、気づいてしまった日のことを考えると、私は恐ろしいほど息が苦しくて居た堪れなくなる。身に余る優しさが私を日に日に蝕んでいく。いつだって私は狡くて、楽に息ができる場所へ逃げてきたはずなのに、いつの間にか此処はこんなに苦しい場所になっていた。早く、酸素のある場所に逃げないと。でも、それってどこ? どこへ行っても苦しいんだよ。彼らのきらきらした笑顔が全然頭から離れてくれない。綺麗な彼らは、汚い私をどんどん浮き彫りにしていく。しんどいなあ。辛いなあ。消えちゃいたいなあ。
それでも私は、自らの手でこの微かな繋がりを断ち切る勇気すら、持ち合わせていなかったのだ。
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