ハオと食べ歩きの旅
『凪沙さん、付き合ってくれませんか』
「……え?」
ロシアへの渡航手続きの為に、休暇も兼ねて一時解散したイナズマジャパン。その二日目に突然LINE越しに受けたのは、監督助手を務めるリ・ハオからの突拍子もない申し出だった。
*
「あっ、あれ美味しそうですね! あれは何ですか?」
「和菓子屋。寄る?」
いつもの奇妙な被り物は外し、服装もあの赤い民族衣装ではなくラフな私服に青い帽子。初めて素顔を見せた時──秋と買い出しに出掛けた際に遭遇した時だ──と同じ、いかにも普通の少年といった出で立ちのハオと並んで、凪沙はさまざまな店の立ち並ぶ観光街を練り歩いていた。
『日本の町をゆっくり回ってみたい』
そんなハオの要望を、凪沙はとくに悩むこともなく了承した。しかし改めて考えてみると、何故そのナビゲーターに自分が選ばれたのかは疑問が残る。そういった案内が得意そうなつくしや、そもそも気の合いそうな同性を差し置いて、何故。しかし考えたところで凪沙には答えがわかるはずもなく、彼女は無駄に思考を回すのをすぐに止めた。
店頭ではためいていた広告の旗に釣られて、ハオは凪沙と和菓子屋に入店すると、あれもいいこれもいいと隅々まで見て回りながら吟味し始める。時折値段を確認して苦そうな顔をしたり、職人技の光る上生菓子に目を煌めかせたりと、年相応の様子を見せていた。
「お待たせしました!」
「ん。じゃ次行くか」
「はい!」
腕に掛けた紙袋を揺らして、ハオは凪沙と並んで歩く。
「おや……」次に彼の目に止まったのは、イートインスペースのない小さなソフトクリーム店だ。メニュー表にでかでかと踊るのは、イチオシの栗味と焼き芋味。それだけでも食欲をそそられる。
「凪沙さん、いいですか」
「お好きなように。私も買おうかなぁ」
「色んな味がありますね。むむ……」
列は数人程度で、すぐに順番が回ってきた。凪沙は会計順を先にハオに譲ろうとしたが、彼に希望の味を問われる。ハオは自分のものと合わせて店員に告げ、二人分の代金を支払った。
「いいよ、払う」
「いえ、今日付き合って頂いたお礼ですよ。ここは僕に払わせてください」
にししっと歯を見せて笑うハオに、凪沙は断りの言葉が霧散してしまう。「……そう? ありがとう」素直に甘えることにすれば、彼は嬉しそうに笑みを深めた。
ほどなくして、店員に二つのソフトクリームを渡される。凪沙は栗味、ハオは焼き芋味だった。二人は店を出て、歩くペースを緩めながら食べ始めた。美しく渦を巻いたその先にかぶりつくと、舌全体に冷たさ、それから甘みが伝わる。香ばしい栗の風味が口いっぱいに広がり、そしてゆるやかに鼻へ抜けていく。ごくりと一思いに飲み込めばその上品な甘さに喉の奥が歓喜した。
「ん〜おいし」
「おいしいですねぇ」
ハオもハオで、猫のようにぺろりぺろりとソフトクリームの壁面を舌先で削っていく。栗味よりも濃く、ずっしりと重みを感じる黄土色は、焼き芋味の濃厚さも感じさせた。
それから少しの沈黙が続く。話しながら食べていると、溶けてしまうだろうという認識がなんとなくどちらにもあった。隣からサクサクと音が聞こえ始める。その音がやんだ頃に、ようやく凪沙もコーンへとたどり着いた。自分が特段遅いとは思っていないが、やはり大方の男子は食べるスピードが速いのだと心のどこかで思った。
軽い音を立ててコーンを噛み割っていく。素朴な味と栗味が交わって、また違う美味しさを生み出した。それを穏やかな気持ちで味わっていると、ふと隣から視線。気になってちらりとそちらを見やれば、じいーっ……とハオの大きな目が凪沙の手元に向いているのがわかった。
……まさか、食べたいと思ってる?
いやいや、まさか。凪沙は小さく首を振る。そもそも、もうかなり食べ進めてるし。きっと早く食べ終われよという視線に違いない。……しかし、じゅるりとハオの口端から涎が垂れかけている。それを慌てて飲み込んで、ごくりと生唾を飲み込むような音がした。凪沙は少し眉をしかめると、微妙な面持ちで思いきって尋ねた。
「……食べたいの? 栗味」
「はっ! いえ! べ、別に!」
「……はい」
「……いいんですか?」
「あんたがいいなら」
そう言えば、ハオはぱっと顔を明るくさせて凪沙から食べかけを受け取った。弾むように礼を言われ、凪沙はやり場のなくなった手を首に当てる。とくに気にしないんだなぁ……という本音は、口には出さずにしまっておいた。
すっかり小腹を満たし、二人が続いて立ち寄ったのは和雑貨店だ。店内は橙の灯りに照らされていて、和の様相を帯びている。ハオは入り口の端から、一つ一つ舐めるように商品を眺めていた。その表情は真剣そのものだ。これは時間が掛かりそうだと思い、凪沙も凪沙で何か自分用に一つ買っていこうかと選別し始める。──しかし彼女が粗方見終わり、選んだちりめんのストラップをレジに通してなお、ハオは商品を吟味していた。
凪沙は少し考えてから、彼に黙って店を後にする。確か途中に、どこかでたこ焼きの旗が出ていた気がする。微かな記憶を頼りにそれを見つけ出し、一パック購入して先程の店へ戻ると、袋を増やしたハオが店先できょろきょろと視線を動かしているのが見えた。
「あー! 凪沙さん急にいなくならないでくださいよ、心配しました」
「ごめんごめん」
はい、お詫び。そう言って差し出した袋に、ハオは瞬く間に瞳を輝かせた。いらないと言われれば帰って家族と食べるつもりだったが、どうやらその必要はないらしい。
「たこ焼きじゃないですか! 僕、日本に来てから一度親分に奢って貰って、それからすっかり好物になってしまったんですよ!」
「へえ、そうなんだ。お揃いじゃん」
「凪沙さんもお好きなんですか? じゃあ一緒に……っていうか、今ここで奢って頂いたらさっきのソフトクリームがプラマイゼロになっちゃうじゃないですか! むしろこっちの方が高いでしょ!?」
「年上には甘えときなって」
「もー!」
ふて腐れながらも食欲には逆らえないらしく、ハオは小さく文句を溢しながらも渡された袋からパックを取り出して、それから割り箸も割った。
「ちょっと、箸一人分しかないじゃないですか」
「や、食べるの子文くんだけだと思ったから」
「まったくもう……はい」
「はい?」
「? はい」
どこか間抜けな「はい」の応酬。半口大に切られた生地を箸で摘まんで、あろうことか凪沙の口元まで持ってきたハオに、思わず頬がびきりとつった。──食べろってか? 今この場でここから食べろってか? なんか前にもこんなことなかった? 逡巡していると、小首を傾げたハオはさらに箸を寄せてくる。生地がとうとう唇に触れたところで、あ、もうこれは私が食べないと駄目になってしまったと観念し、凪沙は髪を耳に掛けるようにして押さえながらそれにかぶりついた。
ソースとかつお節と青のり、それからマヨネーズの味が絡み合って味覚を刺激する。甘じょっぱい旨味と香ばしさが鼻から抜けた。外のかりっとした食感と、中のとろけるような生地はタコの良い出汁が染みている。半分に割ったせいで具材のタコはこちらに無かったが、ネギの風味は抜群だ。買ってから多少時間が経っているから、温度もほどよくて食べやすい。
「美味しいですか?」
「……食べてみりゃわかるよ」
「素直に感想言ってくださいよぉ」
笑いながら、ハオは割り箸を使い回して自分も食べ始めた。はふっ、はふっ、と少し大袈裟に湯気を逃しながら、破顔させて味わうその表情は無垢で幼い。凪沙はどこか脱力感を覚えながら、まあいいや……と小さく息を吐いた。
しばらくしてたこ焼きを食べ終えた二人は、観光を再開する。ハオの目に留まった店に二、三件立ち寄った頃には、ハオの手荷物はかなり増えていた。凪沙がそれを軽く一瞥して何かを考えていると、袖をくいくいと掴まれる。
「凪沙さん、あれはもしや噂のたい焼きですか」
「え? ああ、そうだね」
「ほほう、実は気になってたんですよ。僕食べたことなくて。鯛が使われてるわけじゃないんですよね?」
「そう、形が鯛なだけ」
移動販売式のその店を眺めつつ、うきうきと期待を滾らせていたハオ。それから彼は「あっ」と思い付いたように凪沙を見上げた。
「さっきのお礼に、今度こそ奢ります」
「え? いやぁ、私はもう入らないからいいよ」
「そうですか? じゃあお土産として持って帰ってください。あっ断るのはナシですよ、ここは僕の顔を立ててやってくださいね」
「はいはい、ありがと」
その押しの強さに、もはや勝負する気にもなれず凪沙は彼の厚意に甘えることにした。
先客は一人だけだ。二人はその後ろに横並びになって「何味にします?」「んーそうだな……」とメニュー表を眺める。少しして前の客がたい焼きを受けとると、二人は店頭に立ち並んだ。
「あらあら、仲良しさんねぇ」
──姉弟と見られたのだろうか。窓口に立つ中年女性の店員に、微笑ましそうに声を掛けられる。凪沙はともかくとして、ハオは実年齢よりかなり小柄で、顔立ちも幼い。実際、凪沙が初めて無敵ヶ原富士丸として彼の素顔を見た際には、てっきり小学生だと思い込んでいた。そう勘違いされるのも無理はないかと冷静に納得していると、ハオが訂正のために口を開いた。
「やだなお姉さん、僕たちデート中ですよ」
「え」
「あらぁ! ま〜ごめんなさいねえ〜!」
否、訂正ではなかった。……いや、形式的に訂正ではあるものの、何の意図があってか、間違いを正しいものに直すということを彼はしなかった。
ハオの言葉を受け、女性は妙に弾んだ声色で頬に手を当てる。どこかニヤニヤと、若々しく初々しい男女カップルに向けるような視線だ。あんぐりとしている凪沙をよそに、ハオは二人分の注文を合わせて告げて代金を支払った。
「あんたねぇ……」
「あははっ、まあいいじゃないですか」
愉快そうなハオに、ったく……と呆れ混じりのため息が漏れる。──その吐息を掻き消すように、突如強い風が吹いて凪沙の髪を浚った。
「わっ」
と、軽く声を上げたのはハオだ。彼の頭に乗せていた帽子が、風に乗って遠くに運ばれてしまう。その下に隠されていたボリュームのある緑髪が、ぶわりと広がった。
「はいお待たせ……あら? ……アナタまさか、
足球雑技団の、」
──店員がみるみるうちに目を丸くする。その瞬間、ハオは差し出され二つのたい焼きを片手でひっ掴むと、たくさんの袋を腕にかけた反対の手で凪沙の手を取った。
「オネーサンありがと!!」
朗らかな声色でそう告げて、ハオは驚く凪沙の手を引いて走り出す。どこか騒がしい声を背中に受けながら、二人は駆け抜けた。途中、凪沙は両手の塞がったハオに変わって飛ばされた帽子を拾い上げ、彼の頭に乗せた。
──最近はまったくこんなことが無かったから油断していた。あの帽子ひとつでも、しっかり変装になっていたらしい。どうやらあの店員は少年サッカーのファンか何か、とにかくある程度詳しかったようで、ハオの所属する中国代表のチーム名を言い当てた。なにせマネージャーですらプレカが発売されている時代だ、下手にデートなどと嘘をついたのも相まって、余計な勘繰りをされる前に二人は逃げ出したのだった。自惚れかもしれないが、下手に騒ぎになるくらいなら警戒しすぎるくらいが丁度良い。──現に凪沙はファンレターを装って、ある選手に媚を売るななどといった批判の手紙が届いたことすらあった。
ほどなくして、二人はようやく立ち止まる。凪沙が浮いた汗を拭っていると、すぐに呼吸を整えたハオが大声で笑い出した。
「あはははっ! いやー危なかったですねぇー!」
「ったく、あんたが余計な嘘つくから……」
「えー? 嘘じゃないですよ? だってこれデートじゃないですか」
「ええー……」
「さて、次はどこに行きましょうかねぇ」
「えっまだ回るの!?」
*
空はすっかり朱に染まり、町をどこか物悲しく様変わりさせる。たくさんの買い物袋を持ったハオは、凪沙と並んでようやく帰路についていた。
「はぁーっ、いっぱい食べましたねぇ」
「たくさん買ったしね」
「あれもこれも美味しかったし素敵でした。いいですねぇ、日本の食べ物も雑貨も」
「いいでしょ」
「とくに和菓子の……あの……あれ……綺麗な花みたいなやつとか」
「練りきり?」
「多分それです! 職人技ってやつですね。芸術品みたいで本当に綺麗で……あれならきっと……」
少し俯いて、己を励ますように口角を上げるハオ。そんな彼に、凪沙は何の気なしに尋ねた。
「で、いいプレゼントは変えたわけ?」
ピタァッ、とハオの全身が一時停止した。例の被り物を被っていたら、からんからぁんとあの独特の鈴のような音が響いていたことだろう。
ゆっくりと時間をかけて振り向いたハオの頬は、夕日とは関係なく赤みが差していた。じと目でこちらを見上げてくる彼に、やはり図星かと小さく笑う。
「……なんのことですか?」
「女子が好きそうな可愛い和小物やらお菓子やら、どこの店でも真剣に手にとって見てたから」
「僕が可愛いもの好きなだけかもしれないじゃないですか」
「あんなにうんうん悩んで厳選しておきながら、自分用ではないでしょ」
もはや言い返す言葉も、誤魔化す気力もないらしい。ハオは少し声のトーンを下げて、そっと語り出した。
「親分はどこまで話したんでしたっけねぇ……僕はね、凪沙さん。昔、たった一人の妹を独りにさせてしまったんです」
いもうと。そう言われて、先日の試合の時に中国側のベンチにいた紫の髪の少女を思い出した。マネージャーかどうかも判然としなかった幼い彼女がハオと並んだ時、どこかエキゾチックな顔つきや目元がそっくりなのが遠目でもわかったが、やはり兄妹だったらしい。両者の親しげな雰囲気からも、なんとなくわかっていた。
「──僕のいた施設の運営費が足りなくなって、僕は仲間数人と一緒に自ら出ていきました。そうすればユウが……妹たちが、たくさんご飯を食べられると思って……」
「それで、親分に出会って、サッカーを知った。その後ユウともようやく再会できたのに、僕は親分の手伝いをするために、またユウを中国に置いてきてしまいました」
「それでまた、この世界大会でユウと再会できた。でも僕は、今後も親分の手伝いを……日本の皆さんのサポートをすることを選んだんです」
ハオは、本当は誰かに話を聞いてほしかったのかもしれない。ゆっくり話し出したそれは、途切れることなく語り続けられる。
「ユウは明日、中国に帰ってしまうから。そばにはいてやれない代わりに、僕にできることを考えて……」
「それで、プレゼントか」
「喜んでくれるかなぁ……僕、いい加減ユウに愛想つかされてないかなぁ……」
小柄なハオが、普段より小さく見えるのは背を丸めていることだけが理由ではなかった。帽子のつばが顔に影を落とし、彼の表情をますます暗くさせた。
「嫌われてないといいなぁ……」
不安と仄かな切望が声に混ざる。けれど凪沙には、話したこともないユウの気持ちがなんとなくわかっていた。だから少しだけ笑って、ハオに確かめさせるように尋ねて見せる。
「妹さんのこと好き?」
突然の問いに、ハオはきょと、と何度かまばたきした。
「そりゃもう、捧在手里怕手率了、含在嘴里怕化了ってやつですよ」
「待ってもう一回」
「手に乗せたら乗せたで落とすのが怖いし、口に入れたら入れたで溶かすのが怖い、ってことです」
「……つまりめちゃくちゃ大事にしてるってわけだ」
「日本では言いませんか?」
「言わない言わない。口になんか入れないって」
「じゃあ日本語ならなんて表現するんですか?」
「あー……目に入れても痛くない、とか」
「目に入れちゃうんですか!? 口よりよっぽど怖いじゃないですか!!」
至極尤もな反論を叫んで、それから彼は小さく吹き出した。つられて凪沙も喉を震わせる。
「……まあでも、そんなに大事に思ってるなら伝わってるんじゃないの?」
「……でも僕が今までユウにしてやれたことなんて、まるでなくて」
励ましのつもりだったが、また少しハオの表情が暗くなる。長い月日をかけて育ってしまった小さな不安は、厄介なことに切っても切っても根っこが残ってしまうらしい。けれど必要のない不安感など、大事に持っている必要なんてないのだ。彼女はそう伝えようとして、また口を開く。
「何言ってんの。施設で妹さんがたくさん食べられるように、子どもだけで出ていったんでしょ」
「……、」
「してやったことなんてさ、本人はあんまり覚えてないもんだよ。でもね、してもらった方の記憶にはちゃんと残ってると思う」
「……凪沙さんも『そう』だったんですか?」
「ん……そうだね。きっともう、向こうは忘れてるだろうけどさ。でも私は忘れない」
凪沙は静かに、二つの笑顔を思い返す。きっとあの二人は、凪沙にしてくれたことなどもう覚えていない。そもそも、「してあげた」なんて認識すらないかもしれない。
それでも凪沙は、二人からもらったものを、してもらったことを、きっと一生忘れたりはしないのだと思う。掛けられた声も、向けられた笑顔も、差し出された手のあたたかさも。彼女にとってその二人は、明るい日の下へ、自らの足で進むための道しるべだった。
晴れやかで、少し自信に満ちたような凪沙の顔はとても珍しくて、ハオは目を見張る。それからようやく小さく笑って、眉は下げながらもにやりと歯を見せた。
「ご機嫌取りでしょ、ってまた殴られちゃいそうです」
「そうかもねぇ」
「こんなので許してもらえると思った? って、睨まれちゃうかも」
「じゃあそれは前払いだ」
「え?」
「残りはこの大会が無事終わって、ちゃんと帰ってから、十倍にでもして払えばいいんじゃないの」
「フフ……百倍でも足りないわって怒鳴られちゃいそうです」
「ふっ、それじゃあもう腹くくれ」
四周年企画/ハオと買い食い
back
topへ