音無とアイスをかじる
「……音無さんさ、なんでマネージャーになろうと思ったの?」
ぽたり。手に持ったかじりかけのソーダアイスから、溶けた滴が地面に落ちて染みた。
隣を並んで歩く凪沙先輩はこちらを見ずに、私と同じ安くて大きいソーダアイスにかじりついている。しゃくしゃくと涼しげな音が、周りの雑音に混ざってかすかに聞こえた。その綺麗な横顔はいつもながら感情がちょっと読み取りにくくて、純粋な興味の顔でもなければ、笑っているわけでも、怒っているわけでもない。私はほんの少し時間が空いてから、ようやく次の言葉を紡いだ。
「私、帝国との試合を見てからサッカー部のファンになっちゃって! それで皆さんの練習見てるだけじゃ物足りなくて、ならマネージャーになればいい! って思ったんです!」
「……それだけ?」
今度は食べるのをやめてこちらを向いた。不意に、私と先輩は歩道で足を止めてしまう。
きっと私の言葉を嘘だと疑っているわけではない。けれどその海の中のような目は、それ以外にも理由があるのではないかと静かに問うていた。確かに私は話すことも大好きだけど、一昨日まで新聞部にのみ籍を置いていた身としては、人に聞かれるより聞くほうが得意なのだけれど。そんなことを考えながら、なるべく笑顔を崩さないように──特別演技が得意というわけじゃないから、自然な顔を作れたかはわからない──私は答えて見せる。
「……はい! むしろ、それ以外に理由なんてないです!」
「そっか」
「ただただ皆さんが素敵で! マネージャーとしてサポートしていけたらいいなって思って!」
本当は、初めて出会った凪沙先輩にサッカー部の話を聞かされたその時から、気になっていたんですよね。なんて、口を滑らせそうになって慌ててチャックする。だって、「気になっていた」だなんていっても、それは決してポジティブな感情に基づくものではないのだから。
「うん、頑張れ」
先輩はそう言って小さく笑うと、またゆっくり歩を進め始めた。どき、と心臓が動くのを感じながら、私もそれに合わせてまた歩き出す。先輩の笑顔はちょっとばかりお高めだから、駄菓子であたりを引いたり、可愛い野良猫を見かけたりした時のように嬉しくなったのだ。
「アイス」
「え?」
「溶けるよ」
「あっ!? うわわっ!」
すっかり存在を忘れていたアイスの、ぽたぽたと溶け落ちる間隔が短くなっているのにようやく気がついた。私は慌てて、服に垂れないように気を遣いながら残ったアイスを頬張っていく。冷たくて甘くて、ソーダの香りが爽やかで、全身を駆け巡る血にソーダ水が混ざったみたいにさっぱりして美味しい。でも、どうしてか最初にかじった一口よりは美味しくなくなっていて、少しだけ残念だった。
しばらく歩いて曲がり角に差し掛かる。途中にゴミ箱は見つからなかったから、二人とも片手にアイスの棒を持ったまま帰ることになった。残念ながらどちらもあたりくじは出なかった。
「じゃ、私こっちだから」
「あ、はい! アイス奢ってくれてありがとうございました!」
「いいよ、百円もしないし」
じゃあね、と軽く手を振りながら踵を返す先輩に、明日また会えるかはわからないけれど「はい! また明日!」と返事をする。それから私も、自分の家への帰り道を進み始めた。
──お兄ちゃん、お兄ちゃん。
私は、本当のことが知りたい。長年ずっと探し求めていた真実を、自分の手で掴みたい。
真実を知るのは、とてつもなく怖いことだけど。それでも、ようやく見つけたチャンスなんだ。私は鬼道家に引き取られてからのお兄ちゃんのことを、何も知らない。こちらから連絡を取る手段もないし、どこの学校で、何を思って、何をしているのか、今の大きくなったその姿さえ、知らない。私の中の『お兄ちゃん』は、小さい頃から止まったままで、妹としての『私』も、同じ時から止まったままだ。
それが、動き始めた。
円堂先輩たちのサッカーに惹かれたというのは、もちろん嘘じゃない。それでも私は、あの時見つけた帝国学園のキャプテンに、既視感を覚えた。ゴーグルで目元が覆われていたし、声も低く声変わりした男の人のものだったから確信は持てなかったけれど、それでもあの姿に覚えた懐かしさと正体不明の焦燥感は、本物だ。
お兄ちゃんが大好きだったサッカーと繋がっていれば、またあの人に会えるかもしれない。
会いたい。会って話を聞きたい。わけを聞きたい。私のことを、どう思ってるのか聞きたい。
辛くて苦しくて悲しくて、あの人のことを忘れようとした時だってあった。だけど無理だった。私はずっと、やさしいお兄ちゃんが大好きだった。今でも変わってないと、そう思いたかった。希望を持ってしまっていた。夢を見てしまっていた。
私はいつまでも、兄の背中を追おうとしていた。
「──ねえ!」
凛と張った声が、足に一時停止をかける。それは凪沙先輩には珍しい大きな声で、振り返りながら思わず目を見張った。
なにか、言い忘れだろうか。けれど凪沙先輩の言葉は、私が予想すらしないものだった。
「あんまり無理しないようにね!」
「……!!」
先輩の、私を気遣うために紡がれたやさしい言葉に、何故かどうしようもなく泣きたい気分になった。泣きそうになりながら、大きく「はい!」と返事をした。それを聞いた凪沙先輩はまた背中を見せ、今度こそ本当に振り返ることはなかった。
やさしいなぁ、凪沙先輩。彼女は何かに勘づいているのだろうか。そういえば先輩は大抵放課後はさっさと帰ってしまうか、サッカー部に顔を出すにしても遅くまで残ることはあまりないらしい(らしいというのは、木野先輩から聞いただけだからだ)。なのに今日はわざわざ……もしかしたら用事があったのかもしれないけど、それでも部活終わりまで残って、帰り道に私を誘ったのは、私を心配してくれたのだろうか。先輩はちょっと鋭い人だからなぁ。それに私が、新聞部のことだって凄く好きで大事にしてるのを知ってる。だから運動部との兼部となれば、新聞部での活動は激減してしまうこともわかっていた。その上で、私がしっかりとした覚悟を持ってこうすると決めたことも、先輩はもしかしたらなんとなくわかっているのかもしれない。もちろん、それを知る由なんて、私にはないのだけれど。
私は先輩の後ろ姿が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしたままだった。
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