伝説の傍らで

 ──華那芽よ。俺はお前が目障りだった。
 太陽に身を焦がすことなく、しかし影の中にいるわけでもないお前が。絶対的な安寧の地から太陽の恩恵を受ける、そのこすさが。そのくせをして、いざ影が広がりを見せ始めれば、光を、正義を気取ってでしゃばろうとするお前が。光にも影にも身を置くことなく、苦しみだけを綺麗に逃れてのうのうと生きるお前のことが。俺はずっと、目障りだったのだ。









「立ち聞きかい、お嬢さん」

 自身を囲むサッカー部の面々が散り散りになったのを見計らって、校務員の古株は誰もいない空間に声を掛けた。すると彼の背にしていたサッカー部室の角から、ちらりと一人の女子生徒が姿を現す。その面持ちはどこか気まずそうで、彼女は行き場のない手を意味もなく首に当てた。

「……や、なんか出るタイミングなくて」
「普通に出てきて混ざればよかったろうに」
「私サッカー部じゃないし……」
「変なところで謙虚じゃのう」

 地べたに腰を落ち着けたままワハハと笑う古株。凪沙はそんな彼と少し距離を開けて、部室の外壁に軽く凭れ掛かった。その肩には自身の通学鞄が掛けられている。

「声を掛けなくて良かったんか?」
「差し入れ持ってきたんですけど……部室に置いておきました。あいつら練習で忙しいし」
「……やっぱ似とるなぁ、お前さんら」

 懐かしさを声色に滲ませる古株に、凪沙は反射的に「え?」と聞き返す。古株は目深に被った帽子の下で、凪沙をゆるりと見上げた。

「華那芽徳弥とくやじゃろ。お前さんの親父さん」
「……そうですけど」

 どうして、と続かなかった言葉は、代わりにその目が訴えていた。古株は視線を斜め上に寄せながら、先ほど円堂たちに話したのと同じように、再び遠い昔に想いを馳せるようにして、静かに語り始める。

「四十年前……円堂大介が率いていた伝説の"イナズマイレブン"。お前さんの親父さんもな、入部こそせんかったが、彼らをずっと応援しとったわい」
「そう、なんですか?」
「親父さんから聞いとらんかったのか?」
「父さん何も話さないから……や、私も聞かなかったわけですけど……」
「そうかい」

 父が雷門中出身であることは知っていた。けれど、彼は必要以上にものを語らない。まさか彼が、その伝説のイレブンと……かつてのサッカー部と関わりがあっただなんて、知りもしなかった。

「サッカー部って、去年発足するまで長年雷門に無かったみたいですけど……昔はそんなに強かったのに、何かあったってことですか」
「……ううん、いや……」
「……ま、話しづらいことってのは確からしいですね」
「ああ……そうじゃのう。ま、詳しくは親父さんからでも聞くといい」

 黙り込んだ凪沙に、古株は少し困ったように眉を下げてから、再び口火を切る。

「今の理事長も、お前さんの親父さんと同級生でな。当時はサッカー部の応援団長をしとったんじゃが、あれ以来なぁ……」
「え……あ、詳しいですね」
「ワシもその実、イナズマイレブンのファンじゃったからのう」
「そうだったんですか」

 ──父さんと雷門さんのお父さんって、同級生だったんだ。
 古株の話に相づちを打ちながら、突然出てきた理事長の名に、凪沙は思いを巡らせていた。
 サッカー部を何かと目の敵にしている雷門夏未は、説明するまでもなく、雷門中学校理事長・雷門総一郎の娘だ。自分の家は平均からしたら、随分晩産なほうだと思っていたが、その同級生の夏未と、まさか父親同士も同級生だったとは。そしてどちらも、自分たちの代に復活したサッカー部に関わっている。奇縁だと、凪沙は思う。

「サッカー部の影は、もうずっとこの雷門中にはなかった」
「……」
「それを、あの円堂大介の孫が……円堂守が復活させよった」

 古株は、その少年の姿を浮かべるように目を伏せていた。もしくは、円堂大介のほうを懐かしんでいるのか、あるいはその両方か。

「お前さんの応援は、彼らの糧になっとるだろうよ」
「……なんですか、急に」
「ワハハ、なに、お前さんが妙に気後れしとるように見えたからの」
「……そうですか」

 凪沙は肯定も否定もしなかった。それから、凭れていた壁から背中を離すと、鞄を肩にかけ直す。

「……じゃあ、私はそろそろ帰るので」
「おお、気をつけてな」

 僅かな会釈をしてから、凪沙は古株に背を向けて歩き出した。
 正門に向かいながら、視線を少しだけ斜め下に落とす。何かを考えているようだった。それからさほど時間を開けずに、彼女は鞄から出した携帯電話をパカリと開く。カチカチとボタンを押して、電話帳のか行を開き、ひとつ分戻ってあ行の最下までショートカットすると、「鬼瓦源五郎」の名が添えられたメールアドレスを選択した。









「──先日、華那芽凪沙に接触しました」

 その報告に、影山零治はくるりと椅子をターンさせ振り返った。
 仄暗い照明に照らされるサングラスが、長身痩躯な彼の不気味さをますます助長している。細く長い足を組む姿は高圧的だが、相対する鬼道有人は、慣れたようにしゃんと胸を張っていた。重厚で堅いデザインの制服と、後ろで組んだ手は、彼をまるで少年の軍人かのように思わせる。目の透けないゴーグルは、鬼道の表情を殊更分かりづらくしていた。
 互いに視線の窺えない中、鬼道は報告を続ける。

「尾刈斗中との練習試合の日、雷門サッカー部とは特段関わることもなく下校しようとしていました。しかし、サッカー部の部員が駆けてきたところを見るに、やはり何らかの交流はあるようです」
「クク……そうか」
「……あの女子生徒に、何があるというのですか」
「鬼道、お前が気にすることではない。今後彼女が何らかの動きを見せた際には、私に報告しろ」
「……はっ」

 恭しく、それでいて大仰に頭を下げる鬼道。それから「失礼します」と一言告げ、彼は闇のようなその部屋を後にした。

「……」

 それから寸刻。残された影山は一人、愉快そうな笑みを漏らした。地を這うような、ともすれば恫喝的な低音が、誰もいなくなった室内に静かに広がっていく。

「やはり、血は争えんな……華那芽よ」

 薄い唇が、その名を紡いだ。









 ──華那芽よ。私は貴様のことを、うんざりするほどによく覚えている。
 光に身を置くことなく、辛さも苦しさも味わうことなく。それでいてまるで自分も光の一員であるかのように、傍らからその熱だけ啄んでいく貴様のことを。
 私は、よく覚えているのだ。


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