信用させてくれない大人たち
──ガタン!
重く硬い音が、余韻を残しつつ寒空に消える。新条は襲い来る首への圧迫に抵抗することもなく、目の前の少女に鋭い眼光を向けた。
「……大層なこと抜かしといて、結局は良いように利用してたって話ですよね?」
地を這う低い声に、その場にいた稲森と吹雪が小さく反応した。凪沙は俯いたままで、前髪の影が落ちた顔からは表情が窺えない。新条は己の襟元を掴む手を、払い除けようと思えばできた。しかしそうすることもせず、呼吸を整えながら静かに口を開く。
「……華那芽くん、それは誤解だ。我々はただ共に戦ってもらいたいと、」
「なら回りくどいことしないで、最初から『力を貸してください』って頼めば良かったんじゃないですか」
彼女の目はまっすぐで、一点の曇りも迷いもない。身長も年齢もずっと上の新条に対しても、怖じ気づくことなく強い怒りを向けて続けていた。
「なんで手を貸してもらうことを当たり前みたいに思ってんですか? 何様のつもりか知りませんけど、どれだけ彼らのことナメてるんですか」
稲森が、小さく息を飲んだ。それから視線を落とし、迷子のように泳がせて、石畳に倒れた椅子に行き着く。凪沙が新条の胸ぐらを掴み、彼がよろけながらも中腰になった拍子に転がったものだった。その倒れた椅子は、テラスの作られたような美しい風景をそれ一つで瓦解させていた。
「ちゃんと筋も通さず、常に自分たちが優位に立てるように、必要な情報も開示しないで、そのくせ都合よく加担させて。あまりにムシが良すぎるんじゃないですか? 新条さん」
傍聴していた吹雪は、そっと静かに目を伏せた。髪色と同じ白銀の睫毛が影を落とす。──自分だけ。真実を知らされたのは自分だけで、それすらも完璧な情報と言えるのかわかったものではない。まだ、何か隠されているかもしれない。けれどこれまで、確実に自分達の『敵』として立ちはだかってきた者たちとは違い、新条はこちらに歩み寄った。未知の情報を与えてくれた。たったそれだけで、イナズマジャパンの完全なる味方である、心強い同志であると、錯覚していたというのだろうか。
「『オリオンのやり方を知ってもらう』って……それ、オリオンの使徒たちがこちらの選手生命危ぶまれるほどのことを仕掛けてくるって、わかってて野放しにしたわけですよね? 守れたかもしれない危険から子どもを守りもせず、高みの見物決め込んでおきながら、どうしてその子どもたちから信用してもらえるなんて思うんでしょうね」
凪沙の放つ言葉はすべて真理だった。子どもながらに、子どもという枠の外から俯瞰して見ていたようでもあった。的確に、彼の反論できない『痛いところ』を抉ってくる。
「大人たちの勝手な事情に巻き込まれて、こちとら全治数ヵ月の怪我させられるわ、刃物で切られるわ、でっち上げで違反者にさせられるわ逮捕されるわ不正のオンパレードで、それでもどの大人も守ってくれないし、まともに動こうともしない」
これまで蓄積され続けた怒りが、普段それほど饒舌ではない凪沙の口を動かす。こんな風に怒りを露わにする凪沙を見るのは、稲森も、吹雪も初めてだった。
「一星の救済って、馬鹿じゃないですか? あいつをもっと追い詰めたのは貴方たちオリオンですよね。貴方、わかってたんですよね。一星が……兄弟共に生きてると思い込んでたのは、一星の意思かもしれない。でも、その『弟』が病気で、その治療費のためにオリオンのあくどいやり方に従わせるなんて、馬鹿げた展開作ったのは貴方たちですよね。貴方が言うところの『救済』が成功したとして、そのあと一星が何を考えるかなんて、想像に及ばなかったわけがないじゃないですか」
凪沙は投げた言葉ひとつひとつを相手に刻み込むように、強く胸ぐらを揺らす。──生きてもいない『弟』を生かすために、悪事に手を染めていた。そんなことを、果たしてたった十年とそこらしか生きていない少年が簡単に受け止められるというのか。わかっていながら、どうしてそのやり方しか思いつかなかったのか。凪沙には甚だ疑問で仕方がなく、到底納得ができるものではなかった。
「稲森にとって、『父親』がどれほどの存在であるのか、貴方も知っていたはずですよね。どうしてその偽物が動く前に、忠告するなり阻止するなりしなかったんですか。貴方にはきっとできたはずなのに。偽物を、それでも肉親だって信じてた間の稲森の気持ちをなんだと思ってんですか。どれだけ残酷なことだと思ってんですか」
激しく沸き起こる怒りと嫌悪にのまれ、肩で息をする凪沙は目の前の表情が歪んでいることに気が付かない。自分でも何を言っているのか、混乱しながらも口を閉じることができない。
「こいつらはいつだって正しくあろうとしてるのに、関係のない大人たちに一方的に振り回されてばっかりじゃないですか」
新条は、凪沙から稲森の方へと僅かに視線をずらす。ゆらゆらと揺れた、しかし光の強い瞳だと思った。見ていられなくて、逃げるように目を伏せる。
「……あんたたち、どのツラ下げて革命だなんだヒーロー気取りでほざいてんの?」
とうとう、凪沙の形だけの敬語が外れた。冷たく突き放す声色が、触れられたくなくてひた隠していた場所へ残酷なまでに真っ直ぐ届く。
「……私は、」
新条が返答を紡ぐ前に、凪沙は彼の胸ぐらを鷲掴みにしていたその手を、突き放すようにして開いた。軽くよろけた新条だったが、一、二歩後退して体勢を整える。それから凪沙を見れば、彼女はもうこちらを見ることもなく、稲森のそばを横切ろうとしていた。
「あっ、ちょっ、ちょっと! 凪沙さん!?」
稲森の制止の声も聞かず、凪沙はずかずかと早い足取りで屋上のテラスを後にしようとする。稲森が困ったように吹雪を見ると、彼は重い表情を無理やり苦笑いに転換させて小さく頷いた。稲森は吹雪の意図に気付くと、頭を下げてから凪沙の背中を追いかけた。
その場に残された新条は、困ったように眉根を寄せる吹雪を視界の端に入れながらも、その二つの背中が見えなくなるまで目を離すことができなかった。
*
「ぷはっ」
建物を出てすぐベンチに、稲森は腰を落ち着けていた。500mlのペットボトルから口を離し、大きく深呼吸。見れば中身はすでに半分近く減っている。先ほど新条から紅茶を出されてはいたものの、その場ではあまり飲み食いする気にもなれなかったし、セレブの飲み物であるイメージが強くて妙に敬遠していたため一口も飲んでいなかった。しかし、極度の緊張感と疲れで喉は渇ききっていたらしい。と、凪沙に自動販売機で奢ってもらったミネラルウォーターを飲んで、稲森はようやく気がついた。
「なんでついてきたの」
「あ、いや……それより凪沙さんだってなんでここに……」
自身が座っているベンチの、傍らに立つ凪沙に抱いていた疑問を投げ掛ける。無一文であった自分に飲み物を買ってくれたのは本当にありがたかったが、稲森はなんだか申し訳ない気がしてならなかった。
「吹雪から電話で頼まれた」
「え?」
「疲労困憊のあんたを迎えにきてやってくれと。まあ車とか出せるわけでもないけど」
「……えっ結局俺の事置いていこうとして……」
「うるさい」
「えええ……っていうか、俺、別に疲れてなんて……」
「……無理はしないほうが良い」
言われて、稲森は押し黙った。本当は吹雪の見抜いた通りだった。やけに体は怠いし、頭や節々が痛む。
しかし、それ以上に精神的な疲労のほうが大きかった。色々なことがありすぎた。色々なことを知りすぎた。たかだか中学二年生の子どもが背負うには、あまりにも大きすぎた。
「……俺、びっくりしたんですよ。新条さんが粗方話し終えた後、凪沙さん突然出てきたから……全部聞いてたんですね」
「……そうだね。吹雪に案内されて。陰からずっと聞いてた」
「そういえば、凪沙さんは知ってたんですか? その、吹雪さんのこと」
「いいや、まったく」
「えっ!?」
「私だって驚いてるよ。怪我はどうなのか問い詰めたかったけど、そんな余裕互いになかったし」
「そうだったんですか……」
「なんで私にはバラしたのかも知らないし……まあ、知ったところで、どうともしないけど……」
何故か、凪沙の声がどんどん尻すぼみしていく。どうしたのかと思っていると、彼女は突然片手で顔を覆い出した。稲森はあまりの驚きに、持っていたペットボトルを地面に落とした。
「え!? ど、ど、どうし、」
「……ごめん、頭冷えた」
「えっ?」
なんだ、泣いてるわけじゃないのか……その声が至って震えているわけでもないことに安堵し、稲森は息を整えながら転がったペットボトルを拾った。キャップを締めていて良かったと思った。それから、凪沙が泣いていなくて本当に良かったと思った。
「あー……駄目だ……馬鹿丸出し……子ども丸出し……いや子どもだけど……」
「えっ、何がですか……? 俺がですか!? すみません!」
「いや、私が……あんなの、八つ当たりだ……文句言いたいだけだった……しかも、あんたたちがいる前でわざわざ言うことでもなかった……ごめん」
稲森は、何故自分に謝罪が向けられているのかわからなかった。けれどたった一つ浮かんだのは、聡明で優しい凪沙への尊敬の念だった。彼女が新条へぶつけた発言はすべて、仲間のことを考え、相手を信じるために疑ったからこそ出てきたものだ。
「凪沙さんはすごいなぁ……」
「何それ……」
稲森の本心からの言葉に凪沙はほんの小さく笑ったが、それに嘲笑や自虐の色があったかはいまいち判然としなかった。彼女はようやく稲森に顔を向けて、それから視線で屋上を指す。
「あんたは戻りなよ。まだあの人と話したいことあったんでしょ」
「……本当にすごいなぁ。なんでわかるんですか?」
「あんたが分かりやすすぎる。全部顔に書いてあるよ」
「ええっ!?」
「ま、帰り道は多分あの人が送ってくれるだろうし……あんたはあの人のこと信用したいんでしょ」
稲森はすぐに頷けなかった。信じたい気持ちはあったけれど、凪沙の言葉でいくつもの綻びが見えてしまったし、そもそも凪沙を前に素直に頷くのは憚られた。けれど、やはり稲森は、これまで何度も歩み寄ってくれたあの男のことを信じたかった。そして凪沙は、そんな稲森の感情を見抜いて見せる。
「あんたが信じたいなら私に気ィ遣うことないよ。自分で見聞きして信用できると思うなら、自分を信じていいと思う」
「……ありがとうございます。それじゃあ俺、行きますね。凪沙さん、心配してここまで来てくれて本当にありがとうございました。俺嬉しかったです」
「は、吹雪がうるさかったから仕方なく来ただけ」
素直じゃない凪沙の返答に、稲森はようやく心から吹き出した。
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