一年トリオと護身術講座
「お願いします!」
「駄目」
「教えてください!」
「だぁめ」
「……何やってんだ?」
三角定規のようにキッチリ腰を曲げる坂野上と、とりつく島もない様子の凪沙。施設内のロビーで押し問答を繰り返す二人に、通り掛かった灰崎と一星の怪訝な瞳が向けられた。
「あっ! 聞いてよ二人とも! 凪沙さんってばケチんぼでさ!」
「ケチもクソもないし、そんなこと覚える暇があったらやることあるでしょ……」
「でもサッカーにも活かせるかもしれないですよ!」
「それでも駄目」
なおも食い下がる坂野上に、凪沙は至極うんざりした様子だ。しかし「嫌」ではなく一貫して「駄目」というところに、一星はいささか疑問が湧く。
「何があったの? 坂野上くん」
「それがね……」
「ちょっと、坂野上」
不思議そうに一星に尋ねられ、坂野上は凪沙の制止も聞かずに語り出した。
時はちょうど二十分前に遡る。もう二度と来ないかもしれないカザニを今のうちに満喫しようとして、坂野上は「探検だ!」とひとりでうきうき町へ繰り出した。あらゆる店や建造物、公共施設などを興味津々に眺めながら、直感で気の赴くままに道を進んでいく。しかしその途中、おかしな──有り体に言えば、あまり治安の良くない入り組んだ道に迷い込んでしまったらしかった。三人組の男に絡まれたと思えば、いつの間にか囲まれて逃げ場を失う。ごちゃごちゃと難癖をつけられ、金銭を要求され、断れば胸ぐらを掴まれるという理不尽のオンパレード。
「あっ、あーーー! 暴力! カツアゲ! 誰かーーーっ!!」周りを味方につけようと腹の底から叫ぶも、第三者が現れてくれることはない。この大事な大会のさなか、トラブルに巻き込まれるのは御免であるし、こんなところでサッカーに関係なく怪我をするなど以ての外だ。どうする。どうする。
「おい」
背後から聞き慣れた声がした。と思えばどこからか細い腕がするりと現れ、坂野上の胸ぐらを掴んでいる男の手を捕らえる。その細い腕は、自分の手のひらが天へ向くようにして男の腕を捻り上げた。さらにその手に体重を掛けると、男に強烈な苦痛が走る。彼は痛みから逃れるためにしゃがみ込まざるを得ず、悲鳴を上げながらとうとう体勢を崩した。仲間の二人が慌てたように声をかける。その隙に、彼女は反対の手で坂野上の腕を取った。
「行くよ」
男の腕を掴んでいた手を放すと同時に、彼女は坂野上の腕を引っ張って走り出す。突然のことにもつれかけた足をどうにか動かしつつ、彼は彼女の背中を眺めていた。後ろの男たちの怒号も最早耳には入らない。そこから人の多い開けた道に出るまでの数秒、彼女のヒーローのような姿に、坂野上はただただ見惚れ、気持ちを高揚させていたのだ。
「──そんな感じで凪沙さん、めちゃくちゃカッコよくてさぁ〜!! あれっ二人ともどうしたの?」
「アッいや……ちょっと嫌な記憶が」
「……何でもねぇよ」
嬉々として語り終えた坂野上は、一星と灰崎の反応が想像していたものと違い疑問符を浮かべる。身震いするように両腕を押さえた一星は、以前凪沙に返り討ちにあったことを思い出しているらしかった。灰崎も灰崎で、彼女と初めて出会った路地裏での記憶が脳裏をよぎっているようだ。さらに凪沙も、目の前で己の所業を言語化される展開など考えてもいなかったのだろう。どんな顔をしていいのかわからないようで、露骨に顔を逸らしていた。
「それでさ、凪沙さんのカッコいい技教えてもらおうと思って!」
「でも坂野上くん、見ただけで氷浦さんの必殺技トレースしてなかった?」
「今回はちゃんと見てる余裕なんて全然なかったんだよ〜! ね〜凪沙さん! 教えてくださいってばあ!」
「だから駄目だって。だいたい口で教えたところで分かりにくいだろうし……」
「じゃあ技かけてみてください!」
自信ありげにほとんど目立たない力こぶを見せる坂野上。そんな彼に、一星はそっと耳打ちをした。
「やめたほうがいいよ坂野上くん、凪沙さんゴリラだから……」
「えっ凪沙さんゴリラ?」
ひそひそ、坂野上だけに聞こえるような囁きであったが、彼のハキハキとした復唱により凪沙がぴたりと固まる。灰崎は遠慮なく吹き出し、一星は青ざめ、坂野上は首をかしげた。
「……一星、おて」
「んえっ」
差し出された手のひらに、びくんと肩を震わせながらもつい従順に手を乗せてしまう一星。凪沙はぽんと預けられた肉球のないおてを掴み直すと、外側に軽く捻って体重をかけた。
「ちょア痛たたた!」
悲鳴を上げながらしゃがみ込む一星。「ごめんごめん」凪沙は彼の手をあっさり放すと、謝る気があるのかないのか低い位置にあるその頭を、犬相手のようにわしゃわしゃ撫でた。一星は青い髪を掻き乱されながらやめてください! とキャンキャン吠える。それに合わせて、犬の垂れ耳のような特徴的なくせ毛がぴょこぴょこと動いた。そんな一星の様子を気にすることもなく、凪沙はちらりと坂野上に視線を向ける。
「……人の腕はこう曲げられるのに弱いから、そんなに力入れなくても捻って体重かければいい」
「へぇー! かぁっこいい! どこで教わったんですか? やっぱり護身術の教室とか通ってたんですか?」
「や……父親に」
「えっすごい!」
「昔刑事だったんだよね」
「刑事さん!? かっこいい!」
身内への率直な賛辞にどう対応すれば良いかわからず、凪沙は曖昧に頷いて顔を逸らす。そんな彼女に、爛々と目を輝かせた坂野上はさらに言葉を重ねる。
「えっじゃあ凪沙さんも刑事さんになるんですか!?」
「なんでそうなるの……警察学校なんて凄い面倒だし大変だし、髪切んなきゃならないし嫌」
「そのわりにはちゃんと調べてんだな」
揶揄うようにニヤリと笑う灰崎に、凪沙は口元を歪ませる。反論はなかった。そんな彼女の様子を、ボサボサにされた髪の毛を手櫛で整えながら一星は静かに見ていた。
「……っていうかちゃんとしたやり方かも危ういし、だから護身術みたいな大層なものでもないから……」
凪沙が父親から身を護るために教わったのは、彼が警察学校で身に付けた逮捕術のごく一部だ。それも、もう何年も前のことで、正しい型として自分の身に付いてるのかも怪しいというのが凪沙の論だった。
「そもそも『護身術』ってのは自分の身を護るためのものだから、少しかじっていざとなれば闘えるって思うが一番良くないんだよ」
「ええ? でも……」
「実際に技術があるからって、本当に危機に直面した時に咄嗟に動けるかなんてわからない。恐怖で固まるかもしれないし、頭真っ白になって何も考えられないかもしれない。防犯ブザーとかのほうがよっぽど使える」
「う……」
「逆に加減がわからなくて相手に大怪我でもさせたら、場合によっちゃ過剰防衛なんてことになりかねないし」
「ええ!? 理不尽じゃないですかそれ! 先に手を出したのは向こうなのに!?」
「そういうもんなの。法律とかルールなんてさぁ、上手いこと社会回すためにあるんだから。絶対に私たちを護ってくれるとは限らない」
凪沙の語調は変わらなかったが、それは今の世界大会に向けた皮肉にも思えた。蔓延る理不尽から、絶対に護ってくれる盾などは存在しないのだ。それはもう、うんざりするくらいに分かっている。
「だから……そうだね、身を護る術を知ってるのは大切だけどさ」
凪沙は自分より二つ幼い、年上として庇護するべき少年たちを静かに見据える。彼らもまた、真っ直ぐ彼女の瞳を見返した。
「でも、立ち向かうのが何より正解ってわけじゃないよ。本来は自分の安全が第一だし、その上で余裕のある人間が前に出れば良い。自分のできること以上をする必要なんてない」
「……はいっ」
「何かあったらすぐ逃げる。それからとにかく人を呼ぶ。第三者の存在だけで助けになることもあるから、坂野上は合ってたんじゃない」
「へへっ。わかりました!」
「もし私が近くにいりゃ駆けつけるからすぐ呼ぶ。だから無茶なことはしない。もし怪我でもしたら蹴り飛ばすから」
「矛盾してねェか?」
「あと、もし本当に本格的に習いたいなら、ちゃんとしたところ通ったほうがいいよ。ド素人の指導なんてあてにできないから」
凪沙はそれだけ言い残すと「じゃ私そろそろ行くから」と、とうとう三人から背を向けた。そんな彼女の背中を見ながら、坂野上はニコニコと嬉しそうな笑みを絶やさずにいた。それはすぐに傍らの一星にも伝染し、二人はひそひそと話し出す。
「凪沙さんってさ、やっぱり優しいよね」
「そうだね。というか心配性?」
「わかる〜! ああ見えて俺たちのこと結構好きだよね!」
「ははっそうかも」
「最初はちょっと怖い人かと思ってたけどさ、円堂さんや秋さんの大事な人だもん、優しい人に決まってるよね!」
「おい、お前ら……」
盛り上がりを見せ始める二人のトークに、横やりが入れられる。坂野上と一星が灰崎を見やると、彼は視線ですぐそばを指す。──そこには、去ったと思っていた凪沙が口元をひきつらせながらとんぼ返りしてきていた。
「あのっさぁ……変な勘違いしないでくれない? 選手に迫る危険を叩きのめすのもマネージャーの仕事の内なだけ。わかる?」
「地獄耳……」
「照れ隠し……」
「んなゴリラみてーな考え凪沙だけだろ……」
「お前ら全員表出ろ」
四周年企画/夢主の護身術講座
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