立ち食いおでんの回 Side野坂
嫌味や自慢ではなく、私的な感情を抜きにした事実の吐露だと思ってほしいのだけれど、僕には世間一般的に見て、異性に人気があるという自覚がある。それは、今まで出会ってきた女性たちの反応がしっかりと裏付けてくれていた。僕と目が合えばわかりやすく頬を染めたり、声のトーンが上がったり、なるべく他人の記憶に残りそうな言動をしたり。別にそれらを嫌だと感じていたわけでもないけれど、僕にとってそれは、ある程度当たり前のことであった。もちろん、大して僕に興味を示さない女性だっていたし、そういう人たちは普通に普通の対等な反応をしてくれた。
そう、だからつまり──阿呆を見るような、極めて非好意的な眼を女性から向けられるのは、僕の人生からすればあまりにも奇怪で、前例がなくて、実に興味深いことだったのだ。
『……いや、何これ』
開口一番、まるで温度のない冷静な突っ込みだった。あれはまさに、容赦なく阿呆を見る目だった。口内に含んでいたおでんの大根をうっかり吹き飛ばしそうになったのを、小さな笑い声に昇華したのは褒められたいところ。しかもその目は、困惑しながらもすぐに現状把握に勤しんだのだから、流石は冷徹マネージャーと謳われている──そんな風に選手やマネージャーにつけられた異名は、プレカの発売などでファンにあまねく知れ渡っている──だけあると思った。
華那芽凪沙さんという、一つ年上の女性。僕たちイナズマジャパンのマネージャーの一人。
彼女と初めて喋ったのはいつだったか。確か、フットボールフロンティアのさなかであったとは記憶している。出会いの話は割愛するが、確かその頃から彼女は僕に随分と冷たい眼差しを向けていた、気がする。あの頃の僕は見るべきもの以外に視線を向ける余裕がなかったから、彼女にも大して注視していなかったのが本音だ。
けれどその少ない関わりの中でも、彼女は感情を抜いた客観視のできる人に見えたから。加えて、これまで僕との関わりが希薄で、且つマネージャーという退いた位置から全体を見渡せる立場であったから。だからウズベキスタン戦の前、唯一連絡を取っていた風丸さんに凪沙さんの電話番号を尋ねた。彼は平静を装ったようだったけど、どこか薄らと警戒し、渋っているように感じられたから、凪沙さんが仲間にとても大事にされているのだと気付きざるを得なかった。
どんな人なんだろう。と、まったく思わなかったわけじゃない。けれど、彼女一人を気に掛けるほどの興味や暇があったわけでもなかったから、敢えてアクションを仕掛けることなんてしなかった。
だからこそ、あの警戒心むき出しな頃の一星くんが、それでも凪沙さんの前では自分のペースを保てないことに気付いて、なるほどと思った。なんてことはない、彼女は冷静で、どこか不器用で、そしてただのやさしい人だったのだ。
「と、僕は思ったわけです」
一拍間が空いて、チリンチリンと自転車のベルが横切る。弱く冷たい風がぴゅるりと、間をつなぐように情けなく吹いた。
「……や、普通本人に言うか? 甚だ見当違いだし」
「ほら、そういうところですよ」
たちまち呆れ、白け、嫌悪したように表情を歪める隣の顔に、クスクスと笑いが漏れる。面と向かってこう言うと、本心から真面目に否定してくるのもわかっていた。彼女はとても損をしていると思う。けれど、そういうところは、彼女の魅力なのだとも思う。
「そんなことわざわざ喋るためについてきたわけ?」
「やだなぁ、僕は純粋な気持ちで凪沙さんの荷物持ちになろうと」
「どの口が言うか……しかも何それ」
「凪沙さんがレジ通ってる間に買ってきました。スーパーの近くに屋台が見えたので、つい」
歩みを止めないまま、左手に持った安っぽく庶民的なパックを掲げて見せる。中には大根牛すじたまごにこんにゃく……つまり、おでんだった。すぐに食べられるように蓋も閉じていないから、湯気と美味しそうな匂いがもうもうととめどなく溢れていた。まだ夕食まで時間はあるし、第一食べ盛りのスポーツ選手であるから、咎められることもない。まあ、食べるのは僕ではないのだけれど。
「これは凪沙さんに食べてもらおうと思って」
「なんでだよいらんわ。あんたが食べればいいじゃん」
「やだなあ、僕が食べてもつまらないじゃないですか」
「人におでん食べさせて面白がる奴がどこにいるってんだ」
「ですからここに」
「あんた今両手塞がって無けりゃ殴ってたからな」
凪沙さんは両手に一袋ずつトイレットペーパーを持っていた。嵩張るが重くはない。僕は片手で足りるがかなり重さのあるものを、持参したエコバッグに入れて肩に掛けている。つまり、片手におでん、もう片方の手は手ぶらと同義だった。
このままではうっかりキレそうな具合の凪沙さんを宥めるためにも、早くこの美味しそうなおでんを食してもらわなければ。つけて貰った割りばしを取り出し、空いた右手と前歯を使ってぱきりと割る。そして取りやすい位置にあった、とろけるような牛すじを箸でつまんで、隣を歩く凪沙さんに突き付けた。
「はいどうぞ」
「……いま、無性に、怒鳴りたい」
「すごい。よく我慢できてますね。流石です。はい」
「…………」
般若だ。般若がいる。目元と口元の曲がり方が見事だ。今すぐに僕をはっ倒したい気持ちを、必死に抑えているに違いない。僕も唇を内側に巻き込んで、吹き出しそうな気持ちを必死に抑えた。
『凪沙さんも牛すじ一筋噛み締めます?』
『えっ……』
この間の秘密の練習時間に、僕の箸を使い回して一口分の牛すじを突き付けた時の「こいつ何言ってんだ? 正気か?」とでも言いたげな眼差し。あれもなかなかに興味深かったが、今の顔も本当に面白い。100点満点だ。
彼女は面白いことに、どれほど無遠慮にからかっても、なんだか許される気がしてくる。彼女の淡々と冷たい切り返しや、苛立ちを隠さない顔が免罪符のように感じられるのかもしれない。こんなこと、他の女性の方々にしたら許されないからなぁ、人間的に。それに、周囲からのストップもかかりそうだ。対して凪沙さんの場合は、常に「またやってるよ」くらいの感想だけで済みそうだった。
「ほら、冷めちゃいますよ」
「うるさい。やめろ。あんたのファンに刺される」
「大丈夫、凪沙さんはきっと刺されても死なないと思います」
「そんな信頼いらないっつーか心配する気もないなら黙ってくれる?」
「ほらほら、遠慮なさらずに。あーん」
箸で相手に食べさせるなんて、世間一般的に考えたら、おそらく恋人同士くらいのものだろう。だから余計に躊躇しているに違いない。僕たちにそんな気は無いし、勘違いされるのも凪沙さんはまっぴらごめんだと思っているはずだから。まあ僕としては、それで凪沙さんが怒りを必死に噛み殺そうと頭を抱えて身悶える、そんな愉快な姿を見られるなら、それもまた一興だと思っているけれど。
凪沙さんが頑なに口を閉ざす間、ちらちらと道行く人の視線がこちらに向いていた。そういえば、あの時も風丸さんがこちらを気にしていた気がする。心配性だなあ。毒を盛っているわけでもないし、凪沙さんにとっての大事な位置に置かれている彼らから、その凪沙さんを盗ったりなんてしないのに。
こうなったら、意地でも食べさせてみたい。そんな思いでぐいぐい、ぐいぐいとしつこく粘り強く、唇に付きそうなくらい肉を近づける。すると、凪沙さんはわかりやすく舌打ちした後に、ようやく僕の持つ箸に噛み付いた。手に伝わる振動にやった! と内心思うや否や、ぼとりと軽い音。それが、トイレットペーパーが地面に落とされた音だと気付いた頃には、肉を咀嚼する凪沙さんの空いた手によって、割り箸が奪われていた。彼女はそれの中央を力強く握りしめると────
バキン!!!
「……えっ?」
「もう食べられないね。帰ったら西蔭にでもやりなよ」
「…………えっ?」
四周年企画/立ち食いおでんの会 野坂視点
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