海腹のお悩み相談

「あれ」

 不意に短い声を掛けられ、顔を上げた先にはいつもながら表情の薄い凪沙がいた。のりかは口内に含んでいた卵焼きを呑み込むと、慌てて笑顔を取り繕うが、何も言わない凪沙にすぐに居た堪れなくなる。ぎこちなく掲げた笑みを下ろして目を泳がせると、控えめな足音がして、座っているベンチが小さく振動した。
 ひと気のない中庭の、近頃設置されたように見受けられる真新しいベンチは、まだ白い塗装のどこも剥がれていない。のりかと並んで腰を下ろした凪沙とは、一人分以上の間が空いているが、声はちゃんと届く距離だ。

「えっと、こんにちは。凪沙さんお昼は……」
「もう食べた。海腹さんはあいつらとは食べないんだ」
「まあ、クラス違いますし、あいつらはあいつらで新しい友達と食べてると思いますし……一応、同じクラスで誘ってくれる子はいて、昨日も一緒に食べてはいたんですけど……今日はちょっと疲れちゃって……」
「ま、そういうこともあるわ」

 淡々と軽い切り替えしに、心のどこかで少し安心した。年上だからか、誰より先にここで知り合ったからか、彼女の性格故かはわからないが、のりかはクラスの友人よりも凪沙と話すほうがずっと楽だった。だからつい、食べる手を完全に止めてまで余計なことまで口にしてしまう。

「知らないことたくさん聞けて楽しいんですけど、都会の話に全然ついていけないのがちょっとしんどいなって思っちゃったり……」
「ああ……」
「あとね、今日すれ違いざまに知らない人に肩をぶつけられたんです」
「……」
「別に、たまたま肩が当たっちゃっただけかもしれない。でも、伊那国島ではそういう時って、おっとごめん! とか、そういう声掛けが必ずあったんですよ。人との距離が近くて。ここの人たちは優しくないわけじゃないんですけど、なんていうかこう……排他的? な感じがして」
「まあ……そっちは随分とアットホームそうだし、比べたらそう感じるだろうね」
「それにやっぱり、ぽっと出の私たちが雷門サッカー部を名乗るのってここの人たち的にはあんまりなんですよね。そういう面でも、薄々アウェー感を覚えちゃうんですよ。どこ歩いてても……よそ者に向ける目って感じがするっていうか。まあ、よそ者なんですけども。ただの転入生だったら良かったかもしれないんですけど、サッカー部に入るために来たっていうのが大分広まっちゃってるからですかね〜、やっぱ」

 膝の上に乗せた弁当箱の、少しキズのついているプチトマトを箸の先で弄る。ヨネが持たせてくれる弁当は、コスト削減故に不揃いで見た目は悪いが、味は美味しいプチトマトが使われていることが多かった。

「……それは、」
「しかも! あの伝説の円堂さんってキーパーじゃないですか! よりにもよって! もちろん、そんなすごい人と同じポジションなんて誇らしいんですけど、『雷門のゴールキーパー』を名乗るのが物凄く恐れ多くて、私じゃまだまだ力不足だし、そりゃ冷たい目だって向けられても可笑しくないんですよぉ……はあ……」
「……まあ、」
「絶対『え? あの円堂さんがいた場所にあんな田舎女が立つの? うわー信用できねぇ〜〜本当に雷門のゴール守れんのか?』って思われてますよね!?」
「……いや、」
「みんな口に出さないだけで絶対そう思ってますって!! 薄々そういう空気感ありますもん!! はぁ〜〜〜っ……!!」

 凪沙の言葉を、狙ったようにことごとく遮って咆哮するのりか。凪沙は何とも言えない顔で首に手を当てる。しかしいつも明るいのりかが「……プレッシャーだなあ」とため息交じりに溢す様子に、目を合わせることもなく口を開いた。

「……今のうちはやっぱり、まだ学校の人たちはそういう空気だと思う。それくらい、円堂たちサッカー部は雷門に浸透してたから」
「ですよねぇ……」

 凪沙の正論に、のりかはがっくりと肩を落とす。わかってはいた。けれど、やっぱり凪沙から見てもそうなのだと再認識するのは楽ではない。「でも、」そんなのりかの心情を掬い取るように、凪沙は細々とした声で続けて見せる。

「あれだよ。あの……まあ……陳腐だけど、頑張ってる姿が人の心を動かすことってちゃんとあるから……だから、まずは初戦」

 たどたどしい凪沙の言葉はそこで終わった。言い慣れていない言葉を無理やりひねり出してくれたようで、彼女は居心地悪そうに視線を泳がせている。その様子にのりかが思わず吹き出すと、じろりと鋭い瞳で睨まれたが、全く怖くなかった。

「……はい、そうですね!」

 先ほどまでのネガティブな心持ちは消え失せ、たちまちのりかの目に明朗さが宿る。両手を握りしめ、気合いを主張するようにガッツポーズを取る彼女を見て、凪沙は満足したようにベンチから立ち上がった。「あ、凪沙さん!」その背中が素っ気なく去ってしまう前に、のりかは慌てて声を張る。

「ひとつ聞いていいですか?」
「ん?」

 足を止め、律儀に目を合わせてくる凪沙。その瞳を真っ直ぐ見つめ返して、のりかは自身の心に薄々募っていた疑問を思い切ってぶつけた。今なら、訊ける気がした。

「凪沙さん、前のサッカー部の人たちと仲が良かったんですよね? その……ぶっちゃけ、凪沙さんが一番、私達が来るの納得できなかったんじゃ、ないかなあ、なんて私思ってて……」

 言葉を紡ぎながら、だんだんと音量が小さくなっていく。返答に困るようなことを尋ねた自覚はあった。けれどこれは、いつか訊きたいと思っていたし、ずっと訊かずにはいられなかった。
 ぬるい風が、癖の強いのりかの髪の毛を揺らす。少し考えるように黙っていた凪沙は、ちょうどその風が止んだ頃に、表情を崩さないまま淡々と答えた。

「くだらないこと考えてんね。マネージャー請け負ってるのに、納得してないと思う?」

 決して大きくはないが真っ直ぐな声。それが耳に届いて、のりかは心の底から安堵していた。凪沙はそれだけ返すとすぐに立ち去ってしまったが、のりかは「……へへ、ありがとうございます」と小さく笑って、それから一人きりの昼食を再開させる。一人で食べても美味しいものは美味しいが、やはり皆で食べるほうがもっと美味しいと思った。

(明日はまた、クラスの子達と食べたいなぁ)







 気取って先輩ぶってあんなこと言ったんだけどさ。本当は悪いんだけど、新しいサッカー部になるの嫌だったんだよね。それも結構……かなり、物凄く。なんなら、今だって実はちょっと納得できてない。そこはあいつらの場所なのにって、少なからず思ってしまってる。
 だけど変えられないことは変えられないし、誰も……真剣な人すらも突っぱねて寄せ付けないでおくことが、預かったあの場所を大事にすることになるわけでもないと思った。それに円堂たちだって新しい場所で、新しい人たちと頑張ってるわけだから。私一人だけ意固地になって、昔に固執しててもダサいし、円堂たちにも呆れられるかもしれない。
 なんて、あいつらがそんなことで呆れを見せることなんて無いって、本当はわかってる。だからこう思ったのは、自分自身の背を押すため。ずっと手探りなのは不安で、無理やりにでも踏み出す理由づけをするため。
 あの眩しい奴らに、次会った時にどうやったら胸を張れるのか。少なくとも、サッカーやりたいって人を追っ払って、あいつらが帰ってくるまでじっと現状維持で待ち続けることが正解じゃないことくらい、わかってる。
 だから頑張ってみることにしたんだよね。本当は嫌だし、不安だし、面倒くさいし、しんどいし、柄じゃないけど。ずっと頑張ってるあんたたちに追いつけるように、頑張ってるあの子たちと一緒に私も頑張ってみるから。次会ったら、マネージャーなんて柄じゃないことしてるなって笑いなよ。


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