円堂と木野と約束する2
「円堂くん、早くいこ! 半田くんも染岡くんも待ってるよ!」
「おう!」
上履きが擦れる音に、弾んだ声。生き生きとした明朗さに満ちた顔で、円堂と秋は今日もサッカー部室へと向かう。
他の部員たちに自分達が掃除当番であることは伝えていたが、二人は少しでも早くあの小さな城に行きたかった。生活指導員に出くわしたら確実に待ったを掛けられるであろう早足で、廊下を駆け抜けていく。しかしちょうど二階から一階への階段を手前にして、サッカーボールを小脇に抱えていた円堂の体が強くぶれた。
「わっ!?」
辛うじて倒れることはなく、なんとか体勢を立て直す。数歩先にいた秋が慌てて戻ろうとするが、しかし二人の間には、わざと円堂に肩をぶつけてきた男が入り込んでいた。
「ってェなぁ」
「えっ……はあ、すみません」
「あ? お荷物のサッカー部くんはまともに謝罪もできねーのかよ」
円堂も秋も、その言葉ですぐに気がついた。彼と、その周囲でニヤニヤ嗤っている取り巻きは、サッカー部の自分たちを認知しており、そしてを快く思っていない。
リボンのカラーが学年で別れている女子とは違い、男子の制服は学年ごとの違いがない。しかし彼らは同学年の中では見覚えがなく、その大きな風体から二年生か三年生であろうことが推察できた。だからこそ、今年入学したばかりの一年が部を新設し、予算や部室を与えられ、勧誘や練習場所の確保に奔走しているのが目障りなのだろう。
自分達の脅威になるわけでもない、ちっぽけな部活のことなんて放っておけば良いものを。事実としてこの学校の生徒たちには、サッカー部をどこか疎ましく思う空気が漂っていた。例えるなら金持ちの集う名門校で、たった一人混ざってきた凡人に対する排他的な感情だろうか。あるいは報われる見込みのない努力をしている者を、愚かで居たたまれなくて目障りだと思う感情か。殊に、円堂守という男はよくも悪くも目立つ。それがさらに、この事態に拍車を掛けていたのだろう。
「大会の出場予定もねぇ、そもそも資格すらねぇのに、毎日毎日ご苦労なこった」
「はい! これから絶対部員増やして、フットボールフロンティアに出場するんで!」
雷門中は部活動が活発であり、何らかの功績を残している部が大半を占めている。故にいつも校庭の隅で密やかに練習するしかないサッカー部は、その意味でも余計に浮かざるを得ない。しかし円堂は嫌味も労いの言葉と受け取ったか、それともわかった上で力強く返して見せたのか。笑顔を絶やさず切り返す円堂に、男は苛立った様子を見せた。
「無理に決まってんだろ。さっさと諦めちまえよ、目障りなんだって!」
「わっ!?」
男は円堂が手にしていたサッカーボールを、乱暴に奪い去る。そして円堂が反応できずにいる内に、あろうことか傍らの開いていた窓から放り投げた。円堂と秋の丸い瞳が、大きく見張られる。
「何するんだよ!」
「お前ら学校中で疎まれてんだよ、まだ気付いてねぇの?」
男の言い分が真実かどうかは関係がなかった。ただ男は気に食わない円堂を攻撃して、傷つけたいだけだ。自分のせいで彼のサッカーに対する底無しの熱意を削ぎ、心を折って、その活動をやめさせてやりたい、その様を見て愉悦感に浸りたい、誰かの心を引っ掻き回して影響を与えたいだけだ。
「お前らのことなんて誰も応援してねーんだよ」
それはあまりにも勝手な言い分で、そして冷たい言葉だった。どんっ、と止めを刺すように、再度わざと円堂に肩をぶつけて歩き出す男。それを追う取り巻きたちと共に、ひそやかな、しかし円堂たちに聞こえるような笑い声が上がった。
円堂くん、と眉を下げた秋がそばによる。円堂は怒りと悔しさと、彼に似つかわしくない負の感情をたぎらせていた。しかし秋に心配を掛けまいと、すぐに不器用な笑顔で塗り替える。
嫌な感情が二人の心に渦巻いていく。しかしその暗い靄が彼らを呑み込むより前に、状況が変わった。
「あ?」
去っていく男たちの、怪訝そうな声に視線を上げた。彼らの進行方向の先から、ゆっくり、踏みしめるように近付いてくるのは一人の女子生徒。
「凪沙ちゃん……?」
「華那芽、」
一体いつから聞いていたのだろうか。彼女の浮かべる表情は至って静かであったが、誰が見てもはっきりと、その中には確たる怒気が含まれていることがわかった。
その彼女が男たちの前に立ちはだかる。男たちも、足を止めて自分らより背の低い凪沙を鋭く見下ろした。
「なんだァ? てめェ」
「……私だって人のこと言えないけど、アンタらは恥ずかしいくらいの暇人だわ」
凪沙は小さくぼそぼそと口を動かした。平坦で抑揚のない声色は、攻撃性を持って眼前の男たちに向けられる。男の一人が、なにかに気が付いたように小さな目を見開いた。
「てめっ……こないだの、」
「馬鹿は一回殴られたくらいじゃわかんないみたいだね」
僅かに俯かせていた顔を持ち上げて。静かに、しかし今度ははっきりと、その場の誰にも聞こえるような声量で。ことごとく相手を煽るような言葉に、黙っているような男子たちではなかった。
怒りに顔をひきつらせた中心の男が、凪沙の胸倉を勢いよく掴んだ。周囲のギャラリーから、思わずといったように悲鳴が飛び出す。円堂と秋も、焦ったように一歩踏み出そうとする。
しかし凪沙はまるで臆することもなく、その手を左手で掴むと、流れるような手つきで捻り上げた。男の喉から唸り声が上がり、あっさり襟元が放される。凪沙はそのままその手を己の方に引き寄せ、男がバランスを崩したところで右手を握り固めた。そしてそれは、躊躇なく男の顔面に──
「華那芽!」
それはスローモーションのように見えた。
自分の拳が、男の背後から飛び出した腕によって力強く掴まれた。その手は多少押し戻されたが、それでも凪沙の手を受け止めて、男の顔に到達する前に止まった。円堂の、ゴールキーパーとしての大きな手のひらが、"凪沙を"守っていた。
目の前ギリギリまで迫った拳に、男は腰を抜かしたように廊下にへたり込む。一部始終を見ていた取り巻きたちも、一様に顔を歪ませながらその男を左右から支えるように立ち上がらせると、そそくさとその場を去っていった。
残された凪沙と円堂は、互いの手の感覚が消えないまま、視線を合わせていた。凪沙の瞳は足場を失ったかのように、酷く不安定に揺らいでいる。
「えん、ど……」
「華那芽、約束忘れちゃったのか?」
円堂の顔から滲むのは怒りでも呆れでもなく、悲しみだ。凪沙はこの顔に見覚えがあった。──そうだ、前に私が喧嘩したって知った時。あの時のあれと、同じ顔だった。
ああ、心臓がまた、ぎりぎりと締め付けられている。逃れたい。この感覚から今すぐ逃れたくて仕方がない。なにかを言おうと試みても、喉が変に震えて声が出ない。やけに息苦しい。くるしい。──逃げたい。
「華那芽!」
凪沙は弾かれたように駆け出した。円堂が呼び止めても聞く耳を持たず、そのまま階段を駆け下りてしまう。その背中を、円堂と秋はすぐに追いかけることができずに、すっかり立ち尽くしてしまった。
止まった時を動かしたのは、その場所から一番近い教室から出てきた男子生徒だった。彼は騒動が収まったことを確認するようにちらちらと周囲を見回してから、姿勢を整えて二人に近づく。
「縁もゆかりもありませんが、先ほどの彼女の名誉のためお伝えしましょう」
「えっ?」
その声に反応して、円堂と秋は振り返った。左右で鋭く跳ねた茶髪に、華奢な体躯。細いフレームの眼鏡と敬語口調は、真面目そうな印象を与える。
そこの教室の生徒であるなら、彼は自分たちと同じく一年生だ。彼はどこか気難しそうに眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げると、薄い唇を再び開く。
「あの日ボクは、校舎の窓から見ていたんですよ」
──彼の話を聞いて、円堂と秋は愕然とした。それを知りもしなかったこと、そして凪沙がそのことを話してくれなかったことに、酷くショックを覚えた。そして今すぐしなければいけないことを、互いに顔を見合わせることで確認し合った。
「追いかけるなら早いほうがいいと思いますよ」
「あ、ああ!」
眼鏡の男子にそう諭され、円堂と秋は階段へと向かう。しかしすぐに踵を返して、
「メガネのキミ! 教えてくれてありがとう!」
と叫んで、今度こそ駆け下りていった。
バタバタと遠ざかっていく足音を聞きながら、男子生徒は不思議そうにまた眼鏡を押し上げる。
「……彼は何故ボクの名前を知っていたんでしょう?」
*
凪沙のいる場所は、すぐに見当がついた。
鞄を持たず帰るわけがないから、学校の敷地内のどこかにいることはわかっていたし、彼女の下駄箱には内履きが入っていたことから外にいると判断できた。さらに半田と染岡がいる部室は、恐らく一人になりたいであろう彼女が避けるのは道理であったし、この時間帯はどこも部活動が行われていて、ひと気のないところと言えば真っ先に挙げられるのが校舎裏だった。そしてそこは──先ほど、心無い三年生が窓からボールを落とした辺りでもあった。
「……凪沙ちゃん」
凪沙は、サッカーボールを大事そうに抱えながら、校舎の壁を背にうずくまっていた。顔は見えないけれど、明るい表情ではないことは容易に推察できた。ここまで走ってきて、少し息を切らした秋が名前を呼ぶも、凪沙はまるで聞こえていないかのように無反応だ。
「華那芽」
今度は円堂が名前を呼んだ。しかし、凪沙は反応を見せない。二人は、しゃがみ込む彼女に一歩ずつ近づいた。普段毅然とした友人の、塞ぎ混むような姿にどう声を掛ければいいのか、円堂が言葉を選びあぐねているうちに、秋がまた一歩踏み出す。秋は凪沙の前にしゃがみ込むと、丸く縮こまった彼女の体に迷いなく腕を回した。
「っ!?」
「部室、守ってくれてありがとう」
さすがの凪沙も、これには驚いて顔を上げた。ひたすらに泳ぐその目に涙が浮かんでいることはなかったが、その白目と、ついでに頬はいつもよりも赤くなっていた。
「あるヤツが教えてくれたんだ」
突然の出来事にひたすら動揺を示す凪沙に、秋と同じく前にしゃがみこんだ円堂が口を開く。
あの日。怪我をした凪沙が、遅刻してきた日。先ほど絡んできた三年生たちが、サッカー部の部室に落書きしていたこと。それを見つけた凪沙が止めようとして、喧嘩に発展したこと。そして追い払い、その後一人で落書きを消してくれていたこと。
凪沙は円堂と秋の宝物を、他者の悪意に損なわれた事実ごとひた隠しにして、守っていたのだ。
「ありがとう、華那芽」
嬉しさと、少しの寂寥感を混ぜた色を帯びて、円堂は凪沙を真っ直ぐ見つめた。秋も顔を上げて手を離すと、大きな瞳で凪沙と視線を絡める。四つの無垢な瞳に、しかし凪沙は居心地を覚えることしかできなくてふいと目を逸らした。
「……約束、忘れたわけじゃない」
ぽつり。少し時間を空けて呟かれたのは、円堂に投げかけられていた質問への、遅れた返事だった。「……でも」抱え込むボールに力が入る。やり場のない感情を、そこに無理に圧縮させているようだった。「だってさ……!」眉間に皺を寄せて、喉が詰まったような苦しさを覚えながら、凪沙は吐き出すように、腹立たしさと悔しさを滲ませて叫ぶ。
「殴られないとわかんない馬鹿なんて、この世にごまんといるじゃん! クズばっかりがのさばってさぁ! いい奴ばっかり害われて、そんなん我慢できるわけないじゃん! 黙ってやられてるの見てろっての!? わ、私は……!」
「そんなに、大人になれない……」肩で息をして、絞り出す。普段あまり気持ちを表現しない凪沙が、初めて見せた激情だった。円堂も秋も心底驚いたように瞳を丸くしていたが、それでも静かに耳を傾けていた。凪沙の吐露した感情を、取りこぼすことのないように。二人は凪沙の本心を聞いていた。
「……華那芽、庇ってくれてありがとな」
円堂が、凪沙の抱えるサッカーボールにそっと手を添えた。僅かな感触がボールから伝わり、力を籠めていた凪沙の腕が少しだけ弛緩する。
「俺たちのために怒ってくれて、ありがとう。でもさ、殴ったらお前も傷つくし、お前までワルモノになっちゃうだろ?」
「……別にいい。そうだとしても、あんな奴ら、痛い目見るべきじゃん」
「でも俺はイヤだ。お前みたいなやさしいやつが傷ついたり、ワルモノになるのはイヤだ」
静かに沁み込むようなトーンで、はっきりと告げられる。円堂はまた、悲しそうな、寂しそうな顔をしていた。隣の秋も同じ様な顔で眉を下げて、目元を歪めている。そこには、凪沙に対する感情が込められていた。
また、ぎりぎりと締め付けられるような感覚。──それは痛みだった。怪我をしたわけでも病気でも、咳込んだわけでもないのに。心臓のあたりが、痛くて痛くて仕方がない。
(……そっか)
心配をかけると、誰かを悲しませると、心が酷く痛む。とくにそれが、自分にとっての大事な場所に置いている相手であるなら尚更。こんな感覚いつ以来だろう。もう二度と、こんなもの味わいたくなんてない。けれどそれ以上に、もう二度と彼らにこんな顔をさせたくなかった。……それでも。
「私は……円堂が思ってるようなやさしいやつじゃないよ」
「そんなことない。華那芽はやさしいやつだ」
「違う……本当にやさしいやつに、そんな風に言われたって、私は、居た堪れない」
「凪沙ちゃんはやさしいわ」
「ち……がう。本当に、違うんだよ。私は二人が思うような人間じゃない。いい人なんかじゃないからさ……夢見ないでよ。理想を押し付けられても、しんどい」
こんなこと言いたかったはずじゃないのに。何故かこんな時ばかりよく回る口は、余計な言葉ばかりを吐き出す。一生自分の中で留めておけばよかったことを、わざわざ本人たちの前で口にする。相手を困らせることなのに。突き放して、嫌われるようなことなのに。ほんとうは、嫌われたくないのに。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。上手く思考が回らない。息苦しい。また、ここから逃げ出したい。けれど今ここから逃げたって、この痛みからは逃げられないことくらい、流石にもうわかっていた。
「華那芽」
「……なに」
「俺の気持ちは俺のものだ!」
「……は?」
至極真面目そうな面持ちで、円堂が言い放つ。しかし要領を得ないその言葉に、凪沙は間の抜けた声を上げた。
「だから俺が、俺の心を通してお前のことやさしいって思ったことは、お前には変えられなくて、えーっと、つまり……」
「……凪沙ちゃんが自分のことをどう思おうと、円堂くんや私が凪沙ちゃんのことをやさしい人だって思うことは変わらないってこと」
「だよね?」「そう! そういうこと!」秋の助け舟に、円堂は満面の笑みで頷く。凪沙は、呆然としていた。
──いや、なんだそれ。だからどう思われたって、私はやさしいやつなんかじゃないのに。なんか、またそうやって反論するのも馬鹿馬鹿しくなってくるくらい、自信満々な顔するじゃん。
「華那芽が華那芽のことをどう思おうと、俺にとって華那芽はやさしいやつなんだよ。俺はお前のやさしさに助けられたし、お前のやさしいところが好きだ。それは、お前が何と言おうと絶対に変わらない」
「……」
「だから、華那芽にとっての華那芽がやさしくなくても大丈夫! 俺たちにとっての華那芽はやさしいんだ!」
任せとけ! なんて言わんばかりに、円堂は己の胸を拳で叩いた。ゆるぎない自信に満ち溢れた笑顔だった。秋も同様に頷く。
なにそれ、さっきまであんなに悲しそうな顔してたのに。どこ行っちゃったわけ? 私のやさしさに助けられた、とか、そんな覚えないのに。私は、本当に何も返せてないし、ただでもらってばっかりなのに。そうじゃないと嘘の下手なその口は言う。本当、どこまでお人好しなんだろう。そんな、嬉しそうな笑顔されたって、私は、私は……
「……珍しく頓知利かせてんね。一休さんの絵本でも読んだ?」
「華那芽!?」
「ぶふっ……!」
「木野ぉ!?」
「今真面目な話してただろぉ!?」勢い余って声を裏返らせる円堂に、秋は「ごめ、だ、だって、不意打ちでっ……」と震える肩で必死に言い訳する。その様子がなんだかおかしくなって、凪沙は先ほどまで妙にセンチメンタルになってたのが馬鹿らしく、少し恥ずかしくなって、誤魔化すように立ち上がった。驚く二人と適当な距離を取ると、抱えていたボールをぱっと手放してトン、トン、と膝で器用にリフティングを始めた。
「どうすれば良かった?」
ボールを弾ませながら、何気なく訊ねてみる。円堂や秋のような、誰かに悪意を向けたこともなさそうな、人間誰しも持っている汚い部分が限りなく少なそうな、清廉な人間に対しては意地悪な質問だという自覚もあった。けれどやり返してはいけないのなら、どうすれば良かったのか。凪沙はそれが知りたかった。だってあのままやられっぱなしで、理不尽を我慢して、受け入れることが正解なわけがないから。
「うーーーん……」
案の定円堂は深く考え込み、秋も困ったように首をひねり始めた。ポン、ポンとボールが跳ねる音だけが場に響く。
「あ、」
凪沙が弾いたボールが、ポンと思いもよらぬ方向に飛んでしまう。彼女は諦めたようにその行き先を眺めたが、しゃがんでいたはずの円堂が素早く動いて、その足でボールを捉えた。
「サッカーで勝負ってのはどうだ?」
高く蹴り上げ、頭でポンポンとボールを操りながら、円堂は妙案と言いたげな明るい声色で提案した。「や、相手乗らないでしょそれ」「そうかなあ」円堂は楽しさを滲ませた顔で、秋にアイコンタクトを取る。立ち上がった秋は、三人で三角のフォーメーションを作るような位置まで後退した。
「サッカーはスゲー楽しいから、あいつらもやってみたらいいのにな! なあ、木野っ!」
ボールが、円堂から秋へと渡る。流石サッカー部員なだけあり、その狙いは正確だった。秋もそれを上手に受け取ると、経験者のボールさばきで華麗なリフティングを披露して見せる。
「そうねぇ。それでサッカーで性格も矯正されちゃえばいいのに」
「そりゃ無理でしょ。だから……次また絡まれたりしたら、その時は私が」
「暴力はだめ」
「食い気味〜……」
「凪沙ちゃんが怪我したり、停学にでもなっちゃったらどうするの」
「今度は二人が見てても心配させないくらい、賢くやるよ」
「約束したからね」目を伏せた凪沙が小さく笑って見せれば、秋は面食らったようにそちらを見た。彼女が弾き損ねたボールが、地面をバウンドして凪沙のもとへ。それが完全に静まる前に、凪沙は爪先でボールを浮かせてまたリフティングを始めた。
体力に自信は無かったが、サッカーにおける多少のテクニックはあるくらいには、凪沙はそれなりに器用である自覚があった。それにサッカー部の練習を見ているうちに、なんとなく少しでも彼らに近づきたくなって。たまに戯れに混ぜてもらう時に、その流れを断ち切ってしまうことが惜しい気がして。たまたま家にあったサッカーボールで、練習してみたりもしていたから。これは、誰にも内緒だけれど。
「円堂」
数回リフティングをして、また円堂へとボールを繋げる。円堂はそれを受け取り、ポンポンとボールを操りながら「華那芽」と呼んだ。
「……なに?」
「俺はさ。たぶん木野もそうなんだけどさ。喧嘩してほしくないっていうより、それで華那芽が傷ついたり辛い思いするのがイヤなんだよな」
「──……」
よくも、まあ、そんなの真顔で言えたもんだ。
直情的で、素直で、照れの欠片もない言葉に、凪沙は言葉も視線の置き場所も失った。そういえば、さっきも同じようなことを言われていた気がする。思い返して、妙な心地のする心臓部を戒めるように己で殴った。
「たぶんじゃなくて私もそうだよ。凪沙ちゃんはいつも私たちのこと守ってくれるけど、自分のことも守ってほしい」
「そうそう! そんで俺たちも華那芽のこと守るから、さっ!」
円堂が天高く、軽やかにボールを蹴り上げた。それを追うように、三人は首の前面を逸らして空を仰ぐ。広大な青色に、吸い込まれていく白と黒の球体。
「約束!」
「約束だ!」
呆れるくらい弾んだ二人の声と、泣きたくなるくらい眩しい空に、凪沙は顔をしかめる。
そんな如何にも青春みたいなこと言われたってさぁ。やってられないよ、まるで別世界だ。なのに二人は私をいざなおうとするどころか、もうすでに自分たちの一員のように振る舞ってくるんだから。それが居た堪れないんだって、言ってるのに。
なのにいつの間にか、二人の熱にあてられたのだろうか。
小さくなったボールが、最高到達点に達して、また大きくなってきて……凪沙は確かな足取りで、なにかの線を越えるように一歩踏み出すと、落ちてきたそれを高く伸ばした両手でしっかりキャッチした。
「……守る守るって、命狙われてんじゃないんだから」
いよいよ可笑しくなって、とうとう、小さく吹き出した。
自分を傷つけてはいけないものだなんて、そんな価値のあるものにも、脆いものにも思えないけど。どうやら私が傷つくだけで、悲しんでしまうらしい底なしのお人好したちがいるから。そんな顔もう、見るのは勘弁願いたいから。
「わかったよ……約束」
ボールを二人に差し出しながら、凪沙が浮かべた表情に、円堂と秋は呼応するように太陽のような笑顔を見せた。
「……ねえ、そういえばさ」
「ん?」
「なんだ?」
「半田と染岡、待ってんじゃないの?」
「「……あーーーっ!」」
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