デートと尾行と手向け花
男女が誰にも告げず二人で出掛けることは、世間一般には何と呼ばれるだろう。密会とか、逢い引きとか、逢瀬とか、日本語では色々呼び方があるけれど、つまるところそれは今風に言えば「デート」であった。その前提として両者に恋心が必要かと問われれば、答えられないくらいには曖昧な定義だと思うけれど、あの人が向こうからやって来た時の嬉しそうな彼の顔を見れば、やはりそれはとても楽しみにしていた約束なのだろうと推測できる。
二人の間に明確な恋愛感情が見られたことは一度もないけれど、この「デート」が成立している時点で、そこには一定以上の双方性の好意が存在していた。だって、例えば彼女は僕に誘われたとしても、確実に華麗に一蹴して見せるだろうから。
「それにしても、やっぱり凪沙さんは一星くんに妙に甘いね。そう思わないかい、西蔭」
「いや…………あの、」
言い淀む西蔭を気にも留めず、野坂は視線の先の男女──一星光と華那芽凪沙を、嬉々として盗み見ていた。あくまでも通行人として溶け込めるように、片手には近くのショップで買った一段のバニラアイスクリーム。そして付き添う西蔭の手にも、アイスクリーム。奇妙な色をした三段重ね。無論野坂が勝手に選んで買ったものだった。
「……野坂さん。何故、俺たちはあの二人の尾行など……」
「嫌だな、僕たちの大事なチームメイトが、妙な輩に絡まれたりしていないかどうか心配だったから」
「いえ……相手が華那芽さんとわかったなら、撤退しても良いのでは……?」
「そういうわけにはいかない。今時は物騒だからね、子ども二人で遠出なんてうんぬんかんぬん」
「いや明らかに楽しんでますよね?」
自分も子どもである以上、もはや説得力の欠片もない適当な言い訳を並べて、野坂は一星と凪沙の動向を窺い続ける。三月下旬の気候に相応しい、至って普通の──強いて言えば運動しやすそうな、汚れても問題なさそうな──私服だが、一星の手には男性向けファッションブランドの紙袋が提げられていた。最初から持っている以上、中身もそうである可能性は低い。寮からなにか持っていったのだろうか。
そんなことを考察する野坂は、大きく跳ねたマゼンタの頭髪をキャスケットで覆っていた。その上目元はサングラスで隠されている。ただでさえ浮世離れしたオーラを持ち、俗に言う「美形」の部類に入る彼は、うっかり長時間同じ場所に留まっていると、異性から声を掛けられるという習性が昔からあった。そのナンパ避けに加えて、万が一にも一星たちに見つからないように変装の意も込めているようだったが、それがどれほど効力を放っているかは定かではない。同様に強制的にサングラスを掛けられ、パーカーのフードを被せられた西蔭についても、その効果は曖昧だ。
「数日前からやけにウキウキしていると思ったけど……まさか、凪沙さんと会う約束があったとはね」
「野坂さん、まさかこのまま着いていく気ですか?」
「それにしても久々に彼女を見たけど、とくに変わっていないようでなんだか安心したな。いや、少し髪が伸びたかな」
「野坂さん? 聞いてますか?」
「西蔭、せっかくのアイスが溶けるよ」
「……」
野坂に指摘され、西蔭は苦い顔でしぶしぶと手元のアイスクリームを口に近付ける。いつものパターンだとこの赤々とした色はハバネロ味か何かか……? そう思ったが、ふわりと鼻を擽ったのは甘酸っぱいフルーツの香り。思いきってかぶり付くと、舌に冷たさと甘酸っぱさが広がり、彼は一瞬固まったのちにほっと息をついた。
どういう風の吹き回しだろうか。野坂を見れば、彼は彼でバニラ味を楽しそうに頬張っている。もぐもぐと口を動かす様は、いつもより妙に幼く見えた。尾行、という特殊行動に心を踊らせているだけかもしれないが。
「あ、移動するみたいだね。行くよ、西蔭」
「やはり着いていくんですか……」
確実にテンションに落差のある二人は、どこかへ向かい歩き出した一星と凪沙の後を、一定間隔を開けて追う。
*
二人がまず立ち寄ったのは、学生の財布に優しいファーストフード店だった。野坂や西蔭も勿論利用したことはあるが、足繁く通うところではない。とくに、私生活まで徹底的に管理された王帝月ノ宮での生活では──いや、アレスの天秤が崩れ去った今、それも過去形であるのだが、とにかく二人はアスリートとしても、ジャンクフードを積極的に食べる習慣はなかった。
「昼食にはまだ早い時間帯だ。スイーツを楽しむカフェでもない。となると、これから遠出するための軽い腹ごしらえと捉えるべきか……」
「野坂さん……俺たちは一体何を……」
野坂と西蔭は、一星と凪沙とはかなり離れた位置の席についていた。人が多いとはいえ、下手に近付くと凪沙はすぐに勘づきそうであるし、一星も気配にはそれなりに聡いほうだ。
なかなか難易度の高い尾行対象だね……そんなことを考えながら、野坂はしなやかな指先でフライドポテトを一本つまみ、おもむろに口に運んだ。揚げ立てのそれはまだ中身が熱く、唇に触れないようにして少しずつ前歯で齧っていく。角ばった芋の細切りに、ざらりとした塩の感触。それから滲む油。体に悪そうな味のコンボが、なかなかどうして美味しい。
「西蔭も食べるかい」
「いや、俺は……、頂きます」
野坂の厚意を無下にするわけにはいかないと、西蔭は耐油性の赤いカップから一本それを頂戴した。しかし何しろ、西蔭の手元にも全く同じフライドポテト──こちらも野坂が勝手に頼んだものだった──があった。読めない野坂の思考に、西蔭は困惑しながらもポテトを咀嚼する。うまい。しかし野坂がどこか楽しそうにこちらを見ている理由も今一つわからなかった。
「それにしても、一星くんは凪沙さんとどこへ行くつもりなんだろうね。服装から足元まで動きやすそうだけど、一星くんの持ち物も気になるし」
「そうですね……」
二人はそれなりに話がはずんでいるようで、特に一星の口がよく動いていた。話すのに夢中なのか、彼の手元のフライドポテトはまるで減っていない。この距離では話の内容までは聞こえないが、随分と楽しそうに見えた。チキンナゲットをつまみながら聞き役に回っている凪沙も、その表情は比較的穏やかだ。その様子は、気の置けない友人同士にも、一般に言うところの恋人同士にも見えないことはない。どちらにせよ、両者の仲が良いことが伝わるものだった。
「なんだか感慨深いね」
「どういうことですか?」
「あの二人、最初の頃は随分と不穏な様子だったから。まあ、凪沙さんに限った話ではないけれど……それでも、彼らが一緒に出掛けるようになるなんて、あの頃は誰も想像もしなかったはずだ」
「……そうですね。しかも、今や一星は王帝月ノ宮中のサッカー部の一員ですから。分からないものですね」
「フフ、そうだね」
野坂は涼やかに笑うと、流れるような手つきでポケットからスマートフォンを取り出して、一星と凪沙の様子を激写した。あまりにも当たり前のように行われた撮影に西蔭は一瞬スルーしかけたが、三秒ほど間を空けて「……え?」と呟いた。
*
店を出た一星と凪沙が次に立ち寄ったのは、何の変哲もないスーパーマーケットだった。主に主婦層で賑わうそこは、中学生男女がわざわざ休日に出掛ける場としてはあまりにも相応しくなく、二人は店内で妙に浮いているように見えた。──そんな二人を追いかけるサングラス二人組のほうが、更に浮いているのであるが、野坂はそんなことはまるで気にしていない様子だ。
「近くにデパートもあったけど、あえてのスーパーマーケット……こうなると二人の目的は『出掛けること』自体にはないように考えられるね」
「あの、野坂さん……俺たちはいつまで……」
「もう少しだけだよ。……少し、確かめたくてね」
そう言って野坂は美しく笑む。サングラスで顔を覆われていてもなお、その姿は様になっており、近くを通る女性がちらちらとそのオーラに視線を奪われていた。
一星と凪沙はカゴを持たず、野菜や精肉コーナーには目もくれず店内を進んでいる。その後ろを数メートル開けて、野坂とカゴを持たされた西蔭が追う。不自然にならないように商品棚を眺めつつ、時折野坂が適当な珍味商品をカゴに入れつつ。支払いはまた野坂が西蔭を押しのけてやってしまうのだろうが、これを引き取るのは自分なのだろうと西蔭は頭のどこかで予測していた。
少しして、尾行対象が辿り着いたのは菓子パンのコーナーだった。昼食か何かだろうか? しかし先ほどバーガー店に寄ったというのに、あえてスーパーまで来てパンを買うのは不自然だろうし、他に置いてあるのはシリアル食品や和菓子くらい──
「────」
そこまで考えて、西蔭は野坂の不意の沈黙に違和感を覚えた。ちらりと彼を伺えは、何かぼうっと考えるような、それでいて静かな真顔。笑っているわけでも怒っているわけでもない。その野坂が視線を動かさないまま西蔭に問う。
「西蔭、今日は何日だったかな」
「え? 19日、ですが」
「……そうか。やっぱり彼らは……」
「野坂さん?」
西蔭が首をかしげる。彼の理解が追い付かないうちに、野坂は薄く穏やかな笑みを湛えて彼を振り返った。
「帰ろうか、西蔭」
*
電車に乗って数駅分。最寄り駅から徒歩十分弱。まだ数えるほどしか足を運んでいないそこへ行くのに、誰かに付き添いを頼んだのは初めてだった。
彼女を選んだのは、タイミングが良かったと言えばそう。けれど、もし彼女からの連絡が無かったとして、自分から連絡を取ってお願いすることもなかったか、と問われればはっきり首を振れたかはわからない。
凪沙のすべての所作には辿々しさがなく、妙に慣れているように一星は感じた。しかし彼はなにも言わず、また何も聞かなかった。
「随分暖かくなったね」
「え? ああ、もうすぐ四月ですしね」
「こないだ会った時はまだマフラーしてたのになぁ」
「本当に、時が経つのは早いですね」
ずっと、毎日が目まぐるしかった。それでも振り落とされないように、必死に食らいついていった。そしてこの半年ほどは、その早さが本当に惜しくて仕方がなかった。
敷地内にそれなりに人はいたが、この周りだけは切り取られた空間のように静かに感じた。一星は目の前の名前が刻まれた面に、ひたりと手を触れる。先程掃除をしたそこは、春の風で少しでも暖かくなっていればいいと思ったけれど、やはり温度はなかった。彫られた「星」の文字を指先でなぞりながら、彼は小さく溢す。
「冷たい」
「そりゃ手が暖かいからだよ」
「……そっかぁ」
「あとそれ夏にやったら手が焼けるよ」
「えっ!」
声を上げると、凪沙はどこか意地悪そうに喉を震わせた。少しばかりむっとして見せた一星だったが、すぐに「そろそろ帰りましょうか」と表情を緩める。「もういいの」「はい」一星の返事を聞いた凪沙は、それ以上は何も言わずに、彼が持参した掃除道具の入った紙袋を拾い上げる。一星は供えていたぼた餅とその下の懐紙を回収してスーパーの袋にしまうと、凪沙から紙袋を受け取った。
「そういえば、何か言ってましたか?」
「石が喋ると?」
「そりゃあそうですよね。じゃあ、凪沙さんは何か言いました?」
「とくに何も」
「えー、頭空っぽにしてあんなに手合わせてたんですか? 自己紹介とかは?」
「それはあんたが最初に勝手にペラペラ喋ってたでしょ。……まあ、こいつは元気にサッカー続けてますよーっつっといた」
「それ、俺も報告してるんですけど」
喋りながら、出口に向かって歩いていく。燃え尽きた線香の香りが、体にまとわりついていた。まだ嗅ぎ慣れなくて、一星はそれをとても特別なことに感じていた。
「おはぎとぼた餅って、何が違うんでしょう」
「あーなんだっけ……季節だったかな。萩と牡丹」
「ああ、なるほど。今は牡丹の季節……、なんですか?」
「多分……花全然詳しくないんだよね」
「俺もです。今日スーパーで買ったのもいまいち種類はわからなくて」
「まあ毒トゲなくて匂いきつくなければ、なんでもいいんじゃない。とくにあんたが好きに選んだんだから」
「色で選んだんですけど大丈夫ですかね」
「大丈夫大丈夫」
冬が一番遠い季節となり、春めいた風が吹く。左右対にして供えた、青色の目立つ花束が彼らの背中を見て揺れていた。
「お腹すいてきたなぁ」
「今食べる? それ」
「え? いいんですか?」
「いいらしいよ。まあ……私はこの場で食べたことないけど」
「ないんですか」
「ないね」
凪沙の返事にころころと笑う一星。じゃあ凪沙さんもどうぞ、と蓋を開けたぼた餅のパックを差し出せば、凪沙は少し迷ったのちにそれを一つ手に取った。
*
「今日はありがとうございました、凪沙さん」
「ん、別に」
駅構内の改札近くで、二人は立ち話をしていた。もうさよならかぁ、と惜しむ気持ちをしまいこんで、一星は凪沙の瞳を見据える。とてもつれない人だ。愛想もほとんどない人だ。だけど彼女は、確かにやさしい人だと彼は思う。
「でも、本当に来てくれるとは。ちょっとびっくりしました」
「私をなんだと思ってんの、流石にすっぽかしたりしないよ」
「凪沙さん、結構律儀ですね。正直、先月渡したチョコのことなんてとっくに忘れてるかと」
「借りを返さないままなのはすっきりしないからね」
「人のバレンタインを"借り"の二文字でくくらないで貰えます?」
「冗談だって」
小さく笑う凪沙に、まったく……と眉をしかめた一星だったが、それもすぐに笑顔に転換する。
「まあでも、本当に、お礼が欲しくて渡したわけじゃないんです。だから連絡来たとき嬉しかったです、ありがとうございます」
「あんたは平気でそういうこと言うね……っていうか、本当にお返しが"これ"でよかったわけ?」
「はい」
「そう」
一星があまりにも迷いなく、そして嬉しそうに頷くものだから、凪沙はまた小さく笑った。
「むしろ、こんなこと凪沙さんにしかお願いできないですし」
「別に野坂や西蔭たちに声かけたっていいじゃん」
「……それは、そうですけど」
「ああ、先輩に掃除手伝わせんのも気が引けるか」
「あっ、確かに! ……あっ、いやっ、凪沙さんならいいとか思ってるわけじゃないですよ!?」
「わぁってるよ」
思わずぱっと両腕で防御壁を作る一星に、凪沙は「本当に殴ってやろうか」と小さくぼやく。もちろん冗談ではあるが、反射的に身を守ろうとする一星は冗談ではないのだから、妙に釈然としない気持ちだった。
「あ、でも」
「?」
「ぼた餅、凪沙さんに作って貰えば良かったなーって、今になってちょっと思いました」
「ええ……作ったことなんてないんだけど」
「だって大会中のキャンプくらいじゃないと、凪沙さんの作ったもの食べられる機会なんて、やっぱり早々ないじゃないですか」
「ま、そりゃあね……」
そもそも誰かに料理を作る機会なんて、一緒に住む家族以外に早々あるはずもないのだ。部活への差し入れは例外としても、二人が他校である以上それも叶わない。
不意に沈黙が訪れたが、双方にとって苦痛な時間ではなかった。それから数秒して、一星は仕切り直すようにぱっと顔を明るくさせる。
「それじゃあ、今日、本当にありがとうございました。凪沙さんがいてくれてよかったです」
「ん」
「あと、道中も楽しかったです」
「そう」
「凪沙さんは?」
「は?」
思わず聞き返すも、一星の表情は変わらず笑顔だ。青い瞳が、まっすぐ彼女の目を射抜く。
「凪沙さんは楽しかったですか? それとも、俺へのお返しとして仕方なく一日付き合ってくれただけですか?」
「……あんたはわかっててそういうこと聞くよね」
「どうなんですか?」
「はいはい、楽しかったよ」
言い淀むかと思っていたが、ことのほかさらりと返答が来て一星は面食らった。それを見て凪沙は少し意地悪そうに笑うと、「じゃあまたね」とだけ言い残して背中を向けてしまう。名残惜しさすら見せず去っていくその淡白さに、固まっていた一星は相変わらずだなぁと眉を下げた。
「次会った時には、またご飯でも食べに行きましょうね!」
声を上げると、返事の代わりに振り返って軽くひょいと手を挙げられた。「……次はいつ会えるかなぁ」彼女からの"またね"への期待を小さく掴んだ手を、上着のポケットに突っ込んで、一星は頬を緩ませる。
久しぶりに会った。バレンタインを口実に一ヶ月前にも会えたが、それ以前は本当に会う機会がなかった。大会中で毎朝毎晩顔を突き合わせていたのが嘘のようで、また夢のようだった。だから今日という日が本当に楽しみだったし、久しぶりにたくさん話ができて楽しかったのだ。話し足りないくらいだった。だから次会えたときはまた……次、次は…………、
一星は腕時計を確認した。短針は1より少しはみ出ていて、軽食しか入れていない胃袋は昼食の時間を待ちわびていた。
次って──それは、今日では駄目な理由があるのか?
「凪沙さん!」
一星は叫びながら駆け出した。凪沙はすでに改札を抜けていたが、彼の声はしっかりと届いたようで、驚いたように目を見開いて振り返った。ついでに周囲も何事かと視線を向けていたが、一星はまったく気にならなかった。
彼は慌ててポケットから取り出したICカードを、読み取り部に勢い良く当てる。しかしピンポーンという高いブザーの後に「もう一度タッチしてください」と無慈悲な電子音声が流れ、一星は大きくつんのめり凪沙は盛大に吹き出した。
五周年企画/一星と出掛ける&尾行する野坂西蔭
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