ヘアスタイリスト音無

※話の都合上夢主の容姿描写が多めです



「お邪魔しまー……した」

 がらりと引いた扉を即座に閉め、淀みなく踵を返す。そのまま何事もなかったように立ち去る算段であったが、再び開かれた扉から飛び出した後輩に、凪沙は間髪を入れず背中から飛び付かれた。

「先輩確保ぉ!」
「うっ、」

 時は放課後。生徒各人が掃除や部活や委員会、はたまた遊びや宿題等に身を投じるその時間に、凪沙は週に数回、友人らの所属するサッカー部部室へ足を運ぶ。時には手作りの差し入れを片手にやってくる彼女の存在は、今や当たり前にサッカー部に溶け込んでいた。──そもそも彼女はサッカー部が再建された一年前、円堂・秋・染岡・半田のみが部員であった頃から、部に顔を出すことが半ば習慣のようになっていた。年度が変わってから入ってきた新入部員らよりも、一応古株と言えないこともない存在だ。
 その彼女が「今日は顔を出すのやめよう」と僅か0.5秒で判断したのは、ひとえに部室内の光景が原因であった。その光景を作り上げたうちの一人、現在凪沙の胴体に両腕を回している音無春奈は、普段は下ろしている藍色のボブショートヘアを、左右耳上あたりで二つにくくっていた。ほんのりウェーブの掛かった毛先が、リボンのついた愛らしいヘアゴムの下で小さく揺れている。

「あっ凪沙ちゃん。来てくれたんだ」
「いやちょっと今日はやっぱり用事が……ていうか秋ちゃんまでどうしたの"それ"。いや、可愛いけど……」

 春奈を追いかけるように部室から出てきたのは、同じくマネージャーの秋だ。「あはは、音無さんが編んでくれたの」と少しだけ困ったような、照れたような、それでいて楽しそうな声色で眉を下げて、秋は自分の頭にそっと指先を伸ばす。普段は肩上で綺麗に跳ねた、緑がかった茶髪は、両側頭部の形に沿うように上から下に向かって編み込まれていた。毛先を纏めるように付けられたリボンは、露出した白いうなじに掛かっている。

「私にはこんな髪型オシャレすぎて、ちょっと恥ずかしいんだけど……」
「ううん、凄く似合ってるよ」

 春奈の手によってアレンジされたというその髪型は、普段とは違う雰囲気を秋にもたらしていた。新鮮で、華やかで、さりげなく目を惹く。いつもより大人っぽさを纏っていて、綺麗だと凪沙は思った。

「先輩先輩、私編み込みのやり方覚えたんです!」
「へえ、凄いじゃん器用だね。それでなんで"そんなの"持ってんだろ」

 腰に回る手に、細くカラフルなヘアゴムと櫛が握られているのは最初から気付いていた。後輩の女子を無闇に引き剥がすのも気が引け、凪沙は抱きつかれたまま春奈の上目遣いを受け止める。

「凪沙先輩の髪も編ませてください!」
「却下」

 即答だった。しかし春奈がそこで大人しく引き下がることはないと凪沙は知っていたし、凪沙が知っていることを春奈もまた知っていた。

「もう私っ、今! 世界中の髪という髪を編み込みたくて仕方ないんです!!」
「だろうね……」

 興奮からわなわなと震える春奈。──先程部室を開けた時、見たのは何もヘアアレンジされた春奈と秋の姿だけではないのだ。そこには表情を隠すように両手で顔を覆った新米マネージャーの夏未、そして部員の風丸も見えた。──両者とも、長い髪を編み込みのツインテールにされた状態で。
 そう。つまり、ある程度編み込める長さのある凪沙が部室に来た時点で、春奈の餌食、もとい練習台にされることはほとんど決定付けられた未来だったのだ。

「……華那芽さん」

 不意に背後から声が聞こえたと思えば、ぽん、と肩に軽く手を置かれる。いつの間にかそばにいたのは、長く特徴的な髪の毛を、可愛らしい編み込みのお団子ヘアにされた男、影野仁。

「腹をくくったほうがいいよ……」
「……」







「それじゃあ失礼しま〜す!」

うきうき、らんらんといった様子で、春奈はヘアピンを外した目の前の髪に手を伸ばした。質量感を確かめるかのように、毛をかき集めて手に取り、軽く手に馴染ませる。

「観念したようね、華那芽さん。逃げようものなら容赦はしないつもりだったけど」

 開き直ったように、可愛らしいヘアスタイルのまま腕を組む夏未が鼻で笑った。「容赦って……」一体何をするおつもりだったんですかねぇ、と凪沙は小さく独り言ちた。
 そうしている間に、春奈は椅子に座った凪沙の髪に櫛を通していく。さり、さり、すーっ、すーっ。毛束を細かく割って梳かしていく音が、耳に滑り込む。今日は体育が無くて良かった、あったら砂埃でガシガシに引っ掛かったかもしれない、と凪沙はどこか遠くで思った。時折絡まった毛束がくいと引っ張られ、少しだけ首の前面が伸びる。梳かした髪をまとめるように触れる手が、首筋に当たってこそばゆかった。

「先輩シャンプー何使ってるんですか? 木野先輩や夏未さんや風丸先輩とはまた違ったいい匂いします!」
「……」
「凪沙先輩?」
「え? あっ、何?」
「大丈夫ですか? あの、ごめんなさい、そんなに嫌だったらやめるので!」
「ああいや、そういうことじゃなくて……」

 美容院以外で、こんな風に誰かに髪を梳かれることなどそう経験したこともなくて。ふと、昔の、小さかった頃を思い出しただけだった。ただそれだけなのに、この時間が無性に懐かしく感じられて、凪沙の心の隅のほうにしまいこんでいた気持ちをつつく。
 掃除はされているけど、古い部室の独特な匂い。部員たちがめいめいに息をついている休憩時間。秋は作業台にしている机の上で、春奈が持ってきたたくさんの髪飾りの中から、凪沙に似合いそうなものを選んでいたし、夏未はその手元を、つり目を丸めて物珍しそうに眺めていた。向こうでは半田と染岡が小突きあっていたり、女子の空間が気になるのかちらちらと視線を送っている者もいたし、表からは他の部員や別の部活の生徒の声が聞こえていた。今日は天気も良くて、少し暑いけど、どこか心地が良かった。

「そういえば、凪沙ちゃんにはどんな髪型にするの?」
「うーん、やっぱりこの長さだと木野先輩とお揃いが映えそうですし……でも生え際あたりで編み込むやつも絶対似合うと思うんですよー!」
「夏未さんと同じようなツインテールも似合いそうね!」

 秋の発言に、凪沙の思考が引き戻される。「や、ちょ、ツインテールは勘弁して」とすぐに抗議したが、春奈と秋はもはや聞こえているかも怪しい盛り上がりぶりだ。「あら、なら二つ結びにしてあげましょうよ」その上夏未がわざとらしくそんなことを言うものだから、凪沙はいよいよ顔をひきつらせる。

「雷門さん? わざとだよね?」
「貴女、秋葉名戸の時も来ないで『あの服』を着るのを逃れたわよね。今回こそ逃がさないわよ」
「いや私マネージャーでもなんでもないからね? 充分正当な理由でその場にいなかったんだけど? 私に一ミリの非も引け目もなくない?」
「つべこべ言うんじゃありません」
「ちょっ、」

 喋りに乗じて椅子から腰を浮かせていた凪沙は、そのまま逃げる算段であったが、両肩を夏未に押され再び椅子に尻をついた。

「さあ音無さん、木野さん、やっておしまいなさい」
「「おーっ!」」
「いやそんな水戸黄門みたいなちょっ待って、」

 凪沙の焦りもスルーされ、楽しげな春奈と秋は行動再開。凪沙は抵抗を諦める他なく、観念したように椅子に深く座り直した。この部室にとっては貴重な学校用の椅子が、小さくぎしりと音を立てた。
 春奈は、頭頂部からうなじにかけて櫛を滑らせ、凪沙の髪の毛を左右に分けた。そこから仮に左側をゴムで束ねると、下ろした右側の編み込みに取りかかる。編み込みどころか、ただの三つ編みすらほとんどした記憶のない凪沙は、春奈の手元がどれほど器用に動いているかなど想像することもできなかった。ただ、到底真似できそうにないものなのだろうということは分かった。

「いや〜今日でだいぶ上達した気がします! 自分の頭じゃ上手くできないから、皆さんが協力してくれるのありがたいです!」
「ああ、だから音無さんは編み込みしてないんだ」
「やっぱり手元が見えないと難しいんですよね。っていうか私にはそんな可愛いの似合うかどうかっていうか〜……これも木野先輩が結んでくれたんです」
「へえ。それもよく似合ってるし、編み込みも可愛いと思うけどね」
「えへへっ、そうですか?」

 そんな会話を交わしながらも、春奈は毛束を取っては編み、取っては編みを繰り返していた。パーソナルスペースの内側で、こうも一方的に触れられているのに、なんとなく眠くなってくる。それほどリラックスした気持ちを、彼女たちは凪沙に与えてくるのだろう。

「……」
「……なに? 雷門さん」

 いつの間にか、中腰の夏未が凪沙を正面から見つめていた。訊ねるも、夏未は答えることなく手を伸ばしてくる。そうして、後ろの毛には纏められずに下ろされたままの、長い横髪を掬い取った。

「あのー……何やってんの」
「……今、集中してるから」
「そうじゃなくて……」

 余った横髪を不器用に三つに分けた夏未は、そのまま見よう見まねでちまちまと編み始めた。そう長さがあるわけでもないから、必然的に凪沙とかなり近い距離感となる。(……まつ毛長いな)真剣に作業する夏未の伏し目がちな目元を見て、そんなことを考えた。

「私も……やってみたいと思っていたのだけど、あまり慣れてないから……誰かを練習台にするのはなんだか悪い気がしちゃって」
「雷門さんなんだかんだ結構私に失礼だよね」
「貴女に言われたくはないわね」

 編む合間にぽつぽつと語る夏未。──もっと前の彼女だったら、こんなふうに自分が何かに興味を持っていることを、素直に誰かに話しただろうか。それを行動に移しただろうか。彼女はサッカー部のマネージャーになってから、気持ちを示すのが少し、上手になったと凪沙は感じていた。それが紛れもなく彼らのおかげであることも、凪沙は身をもって知っていた。

「下手くそだね」
「お黙りなさい」

 凪沙は口の中で小さく笑った。馬鹿にするというよりは、打ち解けた友人への軽口のような掛け合いで、傍らで聞いていた秋と春奈も顔を見合わせて微笑んだ。
 その春奈が、秋が選んだブルーの紐リボンを受け取ると、小さなヘアゴムで束ねた箇所に重ねて巻き付けていく。するすると絡め、きゅっとリボン結びにし、形を整えた。

「でーきたっ!」
「わっ、凪沙ちゃん可愛い!」
「い、いや……」
「わた、私もできたわ! 木野さん、音無さん、ほら、見てちょうだい! 私生まれて初めて髪を編めたわ!」
「わーっ夏未さん凄いです! そっちも結んじゃいましょう!」
「えっいやバランス崩壊もいいところなんだけど」
「せっかく夏未さんが頑張ったものですし、ね!」

 即座に突っ込んだが聞き入れてもらえず、後ろ髪左右だけでなく不必要に編まれた左側の余り髪も結ばれてしまう。あちこちほつれ、輪っか状に飛び出ていたり、そもそも三つに分けた毛束が著しく不揃いという、あまりにも不格好な三つ編み。けれど夏未の嬉しさを滲ませた幼い笑顔が珍しくて、凪沙は出そうとしていた言葉が霧散してしまった。
 「先輩も鏡見てください! 可愛いですよ!」クリーム色の折り畳みミラーを手渡され、凪沙はどこか躊躇しながらも大人しくそれを覗いた。そこに映る、ヘアアレンジされた自分の姿はどこか幼く見えて、目の前の顔の口元が妙に歪んだ。綺麗な青いリボンだけが、鏡の中で浮いているように見えた。

「さて、そろそろ休憩も終わりの時間ね」
「もっと編みたかったなぁ〜」
「ふふ、また明日以降しましょう」
「はい!」

 三人が道具などの片付けを始め、凪沙は邪魔にならないようドアのほうに移動する。他の部員たちも動き出しているのを眺めていると、「お、凪沙ちゃんも犠牲になったんだ」と背後から声をかけられた。

「土門」
「似合ってるじゃん、可愛い可愛い」
「……いやぁ、柄じゃないから」
「ははっ、これは夏未ちゃんかな?」

 軽く頭皮が引っ張られたと思えば、土門は夏未が編んだ毛束をつまみ、ケラケラと楽しそうに笑っていた。凪沙はその手を人差し指と中指で払いのけた。

「いやーみんなオシャレだねー。今日は俺らずっと浮わついちゃってるわ、やっぱ男だし」
「あんたたち楽しませるためのオシャレじゃないと思うけどね」
「ははっ手厳しー。ってか他人事みたいに言うけど、凪沙ちゃんもちらちら見られてるよ。かわいーし」
「……」

 さすが帰国子女だ。適当にあしらおうとしても、さらりと褒めてくる。ストレートな称賛が苦手な凪沙にとっては、勘弁願いたかった。おまけに、指摘されたせいで余計に周りの視線を感じるようになった。どこに向ければいいか困った視線を、斜め下のほうにやっていると、誰かの靴が視界に入り込んでくるのが見えた。

「なんかこういうことわざみたいなのあったよな〜」

 手を頭の後ろで組みながらやってきたのは半田だった。彼はニヤニヤと笑みを浮かべながら凪沙のことを眺め、人差し指をぴんと立てる。

「馬子にも……」

 凪沙の手刀が、躊躇なく半田の頭に落とされた。



5周年フリリク/無印マネにわちゃわちゃされる夢主

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