新入部員と初対面
「えっ……」
と、詰まったような女子の声が聞こえてきたのと、扉が開かれたのは同時だった。突然部室を訪れたのは見知らぬ女子生徒で、俺は染岡と思わず顔を見合わせる。お前の知り合い? 違うけど……。マネージャーとかじゃねーの? いやアイツら部員は自分ら二人だけだって昨日……。
そんな高度な会話を目でしたのちに、二人一緒に再び彼女に視線を向けた。彼女は居心地が悪そうに視線を泳がせてから、小さく口を開く。
「……あの二人は?」
「え? 円堂と木野か? 今いないけど……」
「……そう」
低く暗いトーンに、愛想のない顔つき。戸惑っているのかはたまた機嫌が悪いのか、一向に判然としない。
染岡は少し困ったように眉をしかめていた。多分、俺も同じような顔をしていたに違いない。だってこの女、会話を続ける気がない気がする。こちらだってどっこいどっこいではあるけど、彼女からはなるべく自分たちとは関わらないようにしたい、といったオーラが感じ取れるような気がした。
なんていうか、ちょっと感じ悪いなぁ……そんなことを考えていた頭の中で、ふいにポンと朧気な記憶が弾き出された。
「あれ、お前……たまにサッカー部に出入りしてるやつか?」
「……? 何で知ってんの」
「あっ……あー、いや……まあそれは、その……」
ごにょごにょと言葉を濁す。前からサッカー部に興味を持っていて、こそこそチラ見していたので知ってます。なんて正直に言えたものじゃない。円堂と木野ならともかく、この女子にそんなことを言ったら「ストーカーみたい」なんてキツい表情で揶揄されそうな気がした。「えーと……そういうお前は、サッカー部なのか?」どうにか話を逸らそうとして、薄々気になっていた疑問をぶつけてみる。
「違う」
「じゃあなんでここに来たんだ?」
染岡の問いに、彼女はまた視線を泳がせた。答えに困っているように見える。言いにくいことなのか、自分たちに話すことが憚られるのか。それとも、なにか別の理由でもあるのか。何かを言おうとするように口を少しだけ動かして、だけどやっぱりやめたように閉じて、彼女は最終的に小さなため息だけ吐き出した。
「……出直す、します」
とってつけたような下手くそな敬語を紡いで、彼女は緩慢な動作で背中を見せた。俺は思わず、そう、とくに己の意思に従ったわけではなく勝手に体が動いたわけであって、本当に他意とかもないんだけど、とにかく無意識的に、体を動かしていた。
「お、おい、半田……?」
「……なに?」
「えっ……」
何が起きたか一瞬わからなかった。ただこの事態を引き起こしたのは紛れもなく自分自身で、男のそれよりずっと細くてしなやかなその腕を掴んでいるのもまた、自分自身の手であることはすぐに理解できた。
あれっ……俺、何やってんだ?
「ごっ……ごめん!」
慌ててバッと手を離した。いや本当に俺なにやってんだ!? 妙にざわつく心臓を置き去りにするため、染岡の隣あたりまで飛び跳ねるように後退する。やっぱり心臓は置き去りにできなくて、肋骨かなんかの下あたりでドタバタ騒いでた。
「やっあの、違くて、」
「おい、落ち着けよ半田……」
「そっ……うだな、いや、あのさ、ソレ、渡すだとか、なんか伝言とかだったら、預かろうかって、思って……」
ソレ、と言葉で指したのか、彼女がずっと手に提げていた紙袋のことだった。学校に来るのに普通は鞄一つ、そこから溢れてもサブバッグを選択するのが無難であって紙袋を使うことは少ないだろう。だから、ソレが円堂か木野に渡す何かだったりしないかと、あたりを付けたのだ。
いやしかし、言ってから気が付いたけど、よく考えたら自分で渡したいに決まってるよな。名前も知らない、出会ったばっかの男に預けるなんて不安しかない。
「……じゃあ、これ、差し入れ。サッカー部に」
「えっ! あ、おう!」
かと思えば意外や意外、彼女は手元の袋を俺に差し出してきたではありませんか。動揺しつつも受け取ると、思ったよりは重みがあった。隣の染岡と一緒に、彼女の様子を窺いつつもそっと中身を覗く。青い蓋のタッパーの上に、保冷剤が乗っていた。……手作りの、何かだろうか。
「これなんだ?」
「レモンのはちみつ漬け」
「へえ、お前が作ったのか?」
「……まあ、余ったレモン、腐る前に使いたかっただけ」
どこか感嘆するような染岡の声に、彼女はそっけなく顔を逸らしてしまう。俺はなんとなく「あ、これ、照れ隠しだ」と気が付いた。だって、レモン余らせるって早々ないだろ。
キッチンに立ったことなんてあまりないから、そういった事情はわからないが、少なくとも俺の母親はレモンを買うことすらほとんどなかった。大抵は、最初から小さなボトルにレモン果汁の入ったアレを使っている。レモン本体を買うにしても、せいぜい一つ単位で野菜室に転がっているところしか見たことがない。
しかしこのタッパーに入っている量は、重さからしても多分、少なくとも二つ以上は使っている。つまり、彼女はわざわざ差し入れを作るためにレモンを購入したのだろう。
あまりにも不器用で、素直じゃない。初見では無愛想な奴だと思ったが、どうやら悪い奴ではないらしい。──そりゃあそうだ、と内心で頷いた。円堂と木野と初めて話してまだ二日だが、その恐ろしいほどの人の好さはすでに伝わっている。そんな彼らに、手作りの食いモンを差し入れようとする程度には恐らく仲の良い友人なのだから、良い奴に決まっているのだ。
「なあ、俺さ、半田真一。こっちは染岡」
「おう。染岡竜吾だ」
出し抜けに自己紹介すれば、彼女は少し面食らった後に、「……華那芽凪沙」と小さく呟いた。華那芽、華那芽かあ。そういえば円堂か木野が、どっかでこの名前を口にしていた気がする。
「まっ、よろしくな!」
そう言って笑えば、彼女は妙に顔をしかめて曖昧に頷いたが、今度はとくに気にならなかった。
じゃあ、とだけ告げて、華那芽はあっさり部室を去っていく。その背中を見届けてから、俺は紙袋の中からガサゴソとタッパーを取り出した。円堂と木野宛だから、華那芽の前で漁るのはちょっと気が引けたんだよな。
「にしても、奇特な奴もいたもんだな。まだまともに活動もできてないらしいってのに」
「確かにそうだよなー……っていうか、円堂と木野の分にしては、これ多くねえ?」
「ん? ……言われてみりゃそうだな」
染岡と一緒に首をかしげる。あれ、そういえばさっきも差し入れの宛先を「円堂と木野に」じゃなくて、わざわざ「サッカー部に」って言ってたな……。もしかして、
「これって、俺たちの分も入ってんのか?」
「あ?」
「新入部員祝い! ……的な?」
「や……流石にねーだろ。会ったこともねーわけだし」
「だよなぁ〜」
染岡の言う通りだ。もし昨日の夜時点で、円堂か木野が華那芽に「新入部員が入ってきたんだ!」って連絡してたとしても、なあ。流石に、顔も名前も知らない部員の分まで差し入れ作ったりはしないよなあ。そりゃそうか。まあでもなんかすげー美味そうだし、昼飯食っても放課後には小腹が空き始めるような男子中学生にはちょっと目に毒だった。あわよくばあいつらが「お前たちも食えよ!」って促してくれねーかなあ、なんて思う。
いやあ、それにしても。手のひらに残った、ちょっとやわらかい腕の感触が依然として消えてくれないのは困ったものだ。
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