アメリカ組とバーガー店
「もしかして凪沙?」
なんの前触れもなく呼ばれ、反射的に横を見た瞬間に眉間に力が入った。
夕食どきの賑わうハンバーガー店内。列の最後尾に並んでいた私の隣に、その男はいつの間にか立っていた。見たところ同い年くらいだろうか。背丈もそう変わらない。派手すぎない私服は洗練されていて、チャラさを感じさせるものでもなく、素行不良にも見えない。至って普通の男。
だがしかし、頭のてっぺんから爪先まで眺めたが、どこからどう見てもそいつは見知らぬ人間だった。横に流した茶髪も、こちらを見つめる丸い目もまるで見覚えがない。初対面濃度百パーセント。前にもどっかのゴーグルとこんな出会いを果たしたことはあったけど、こんな旧友と再会したみたいなノリで、馴れ馴れしく下の名前を呼び捨てにされるのは初めてで、薄気味悪ささえ覚える。
「あ、ごめん、違った? 秋から聞いてたんだけど……」
「……秋ちゃんの知り合い?」
不意に出た秋ちゃんの名前に、少し迷って反応した。いくら共通の友人がいたとして、突然親しげに名前を呼んでくる奴とは、距離の詰め方が私とはまるで合わない。だけど向こうが秋ちゃんを下の名前で呼び捨てにしているあたり、彼女がそこそこ懇意にしているのだとしたら下手に悪い印象を与えるのも気が引けた。
「そ! 凪沙って友達の話をこの間聞いたんだ。秋と同じヘアピンを二つつけてるって言ってたから」
「……そうですか」
爽やかな笑顔で返されて、思わず自分のヘアピンに指先で触れる。確かにお揃いで、しかも二つ並べてるって条件まで合致していたら確信を持つかもしれない。しかしどうしてわざわざ声を掛けたのか。放っておいてくれればいいのに。だけど、そいつはこちらの心情など露しらず、私の横を陣取るようにして列に並び始めた。おいおい嘘だろ。
「俺、一之瀬一哉。中学二年。よろしく!」
「……どうも」
「凪沙もサッカー好きなんだよね」
「はっ? ……いや、あ、まあ……はい」
「俺も好き! ね、応援してるチームとかある?」
「や……そこまで詳しくないっていうか……」
「そっか! 知識と好きは関係ないしね。俺はね、アメリカの──……」
レジのドロアを開ける音。店員の声掛け。忙しなく鳴り響くブザー。こういう店はかくも騒がしい。けれど一之瀬と名乗るそいつの、楽しげな語りを邪魔するほどのものではなく、私は彼の話に適当に相槌を打つ他ない。
(一体何してんだ私は……)
一之瀬は大して面白い反応もできない私に、楽しそうに話し続けている。こいつもこいつで、よく初対面のこんな人間と、ここまで会話を途切れさせずにいられるな。滞りなく回る口は、嫌味でもなんでもなく純粋に凄いと思う。未知の世界の人間だ。そして、なんとなく、あの入学式の日の彼を彷彿とさせた。
「お〜い一之瀬、なにかわいこちゃんナンパしてんだよ」
前の客が数人捌けたところで、背後から第三者の声が掛けられた。今日日そうそう耳にしない言葉に、私服の下でゾワリと背中が粟立つ。カワイコチャン? まさかそれ私に言ってる? 言ってるよね一之瀬と喋ってる人間は私しかいないんだから……っていうか、なんか聞き覚えがあるような──
「ツレがごめんねー……ってあれ、凪沙ちゃん?」
「……土門」
ひょろりとした体躯を活かして、一之瀬の肩を肘置きにしつつこちらを覗き込んだのは土門だった。休日なので当然彼も私服であるが、一之瀬と並ぶとここだけ海外あたりに見えてくる気がする。ノリの軽さからだろうか、背景がハンバーガー店だからだろうか。
土門がなにかを喋ろうとして、しかし同時に「お次のお客様ー」と店員の声が掛かったので前を向き直す。自分の分と、頼まれた分を注文して代金ぴったりをカルトンに置いた。小銭が重かったのでちょうどスッキリした。
「そうそう一之瀬。席どこも空いてなかったぜ」
「えー! 困ったなぁ」
背後で聞こえる会話に妙に嫌な予感が生まれたが、気付かなかったフリをして、端で商品が来るのを待つ。レジの前に立った一之瀬が注文をする中で、傍らの土門がこちらに近寄ってきた。
「凪沙ちゃん一人? 誰かと来てる?」
心臓部にあった嫌な予感が、頭から爪先まで急速に拡がり駆け巡った。咄嗟に「持ち帰り」とでも切り出せればよかったが、そう広くもない店内じゃ後で普通に鉢合わせる可能性もある。というかすでに二人分の注文を店内飲食で頼むところを見られているわけだから、下手な誤魔化しも通用しない。
無言を肯定と捉えた土門はニカリと笑って、
「凪沙ちゃんのとこ一緒に座っていい?」
と、決定打を放った。まるで断られるとも思ってないこの笑顔。っていうか、土門なら私の性格上、初対面の人間を含んで食事なんて絶対に御免だと分かっているんじゃないか? ──そこまで考えて、こいつは空席を探して店内を回っていた際に、"彼女"が一人でテーブル席を確保しているところを見掛けたのだろう、と気が付いた。土門とも、一之瀬とも縁のあるらしいあの子が断るわけもないのだから。
つまり私に、己の性格の悪さを露呈させずに断る手段など無かったのだ。
「……好きにすれば」
「やりぃ!」
*
「今日は凪沙との用事だったんだね、秋」
「前からショッピングしようって約束してたの。でもまさか二人に会えるとは思わなかったなぁ」
「俺も! まだまだ話し足りなかったから嬉しいよ」
キラキラと爽やかなやり取りをする秋ちゃんと一之瀬をよそに、コーラのSサイズを啜る。糖分ゼロの甘さ控えめのもので、ここに来る時はよく頼んでいた。しかし妙な展開のせいか、あまり味を感じられない。炭酸だけは舌の上から喉の奥にかけてぱちぱちと弾けていた。
秋ちゃん、土門、一之瀬の三人はアメリカに住んでいた頃からの幼馴染みらしく、色々あってしばらく会えない状態だったらしい。しかし一之瀬の帰国によって、数年ぶりに三人で再会を果たしたという。それで今日、三人で会えないかという話が出ていたらしいが、秋ちゃんが私との約束を優先して断ったため、土門と一之瀬で出掛けることになったという。それを聞いて私は「じゃああとは旧友同士で」と颯爽と退散しようとしたのだが、笑顔の一之瀬に腕を掴まれ、秋ちゃんにニコニコと背中を押され、結局席に戻り今に至る。
気を遣ってくれたのだろうが、遣えるものなら他のところに回してほしかった。幼馴染みの三人に、秋ちゃんとは去年出会ったばかりの私。どう考えても邪魔者は私だし、居心地が良くないのも私だ。秋ちゃんと一緒に食べられないのは残念だけど、それ以上に私を帰してほしい。家に。
「急に悪いね、凪沙ちゃん」
「……や、別に」
思ったより低い声が出て、へそを曲げたように見えたかもしれない。少し戸惑っているだけであって、怒ってるわけではないのだけど。けれど土門は特に気にすることもなく、一之瀬の頼んだポテトのLサイズを嬉々として横から盗み食いしていた。
(よく食べるなぁ)
向かい側の土門のトレーにはなにかのハンバーガーとチキンナゲットの15ピース、それからサラダとドリンクがあった。その隣の一之瀬のトレーにはポテトの他にハンバーガーが二種類と、それからドリンク。私は照り焼きバーガーとドリンクとポテトのセットで、秋ちゃんが私に頼んでいたのはチーズバーガーとドリンクとプチパンケーキ。男性陣との量の差は歴然だった。
男子がこんなにたくさん食べるなんて、去年円堂たちと出会ってから初めて知った。ちなみに従兄の条介くんもかなりよく食べる人だったけど、彼は身長も高いしよく動くからその分エネルギーが必要なだけだと思っていた。
「凪沙はサッカー部ではないんだっけ?」
「えっ?」
急に一之瀬に話を振られて、ちょうどポテトに手を伸ばしていた私はなんとなく気まずくなって腕を引っ込めた。代わりに食べ掛けの照り焼きバーガーを再び手に取る。
「まあ……帰宅部だね」
「でも凪沙ちゃん、去年からずっと私たちのこと見守ってくれてるのよ」
「いやそんな守り神みたいなことはできてないっていうか」
「凪沙ちゃんはなんだかんだで円堂たちのことが超大事みたいだしね〜イテッ!」
「しばくぞ」
「もう蹴ってんじゃん!」
軽い口調の土門に、うっかりテーブルの下で足が動いた。不服そうに口を曲げる土門を無視してハンバーガーにかじりつくも、今度は一之瀬が「凪沙はシャイだなぁ」と軽やかに笑いかけてくる。彼の場合は悪気の欠片もない爽やかな笑顔で、どうにもやりにくい。
「それじゃあ、やさしい凪沙にこのナゲットをあげよう!」
「いやそれ俺のなんだけど」
「土門もさっきから俺のポテト摘まんでるだろ」
「やっぱバレた?」
「や、ちょっと……」
斜め前から、ナゲットを箱ごとずいずいと突き付けられる。別に少食でも偏食でもないので普通に美味しそうだとは思うが、初対面の人からホイホイ食べ物を貰えるほど簡単に距離を詰められる人間ではない。だけど人の良い笑みを無下にするのも気が引けて、結局一之瀬から一つ頂戴した。これ土門のだけど。
近くに寄せられたバーベキューソースに一度だけ潜らせて、前歯で半分ほど齧る。少し冷めていてサクッとした食感はもう無くなっていたけれど、照り焼きの肉とはまた違う鶏肉の旨味と塩味、それからソースの甘じょっぱさと酸っぱさが口に広がった。久しぶりに食べたけど美味しいな。最後に食べたのは、前に円堂たちと来た時以来だろうか。
「凪沙ちゃん、こっちも食べる?」
「ん、ありがと。秋ちゃんもポテト食べちゃって」
「ありがとう」
食べ終わった頃合いを見計らって隣からプチパンケーキを差し出され、代わりに私からはポテトを差し出した。秋ちゃんから白いプラスチックフォークを借りて、クリームとリンゴのソースが細く掛けられたパンケーキを一つ口に運ぶ。そういえばこれ、はじめて食べるような気がする。そもそもこんなメニューがあったなんて知らなかった。値段はそう高くなかったからその程度のものだろうと思っていたけど、想像よりもふわっとしていてしっとりした口当たりで、美味しい。結構甘いから一人で全部はきつそうだけど、秋ちゃんは普通に甘いものが好きだから余裕そうだな、なんて思った。
ふと、一之瀬の視線に気が付く。こちらを見ているような、秋ちゃんを見ているような。それでいて、何故か楽しそうな顔。少しだけ落ち着かなくなって、視線を泳がせた。
「なーんか凪沙ちゃん餌付けする流れみたいだし、俺からはこの一之瀬のポテトを献上しよっかな」
「自分のあるからいらね」
「凪沙ちゃんなんか俺に冷たくね?」
土門とのやり取りに、どこがツボったのか一之瀬が「アハハハッ!」と声を上げて笑う。さらに秋ちゃんまで楽しそうに笑みを深めるものだから、とうとうどうしようも無くなって、食べ掛けの冷めた照り焼きを口に押し込んだ。
*
結局一時間くらい居座って、ようやく席を立った頃には店内も客足のピークが過ぎていた。私達がいたのは店の二階のイートインスペースで、トレーとゴミを片付けてから、ぞろぞろと階段を降りて出口へと向かう。
イレギュラーな事態ではあったし、妙に気疲れした。けれど彼らは終始私に気遣ってか、身内にしかわからない話で盛り上がったりすることもなく、適度にこちらの反応を窺ったり話を振ったりしてくれていた。別に、放っておいてもらったって構わなかったけど、予想していたよりずっと、居心地が悪くはなかったのはありがたかった。
「ね、」
「?」
目の前の一之瀬が振り返り足を止めた。必然的に、私も足を止めることになる。秋ちゃんと土門はそれに気付かず、なにか楽しそうに話しながら出口に向かって歩き続ける。
「なに?」
「あのさ。秋といてくれて、ありがとう」
一之瀬はまっすぐこちらの目を見て、そんなことを告げた。それはなんだか要領を得なくて、わかりにくくて、だけど感謝となにかに対する慈しみのような色が漏れているのが、その表情と声から感じ取れた。
「……それは、あんたが礼を言うことなの?」
「アハハ、違うかも。でも、本当に感謝してるんだ。俺のせいで、秋がサッカー嫌いになってたら、サッカーが嫌な思い出になってたらどうしよう、って。アメリカにいた時、ずっと心配で、不安だったんだ」
出会ってからずっと明るかった一之瀬の顔が、僅かに翳る。私は彼の事情をなにも知らない。彼という友人がいたことを、秋ちゃんから聞かされたこともなかった。だから彼の心情を推し量るには、まだ材料が足りない。
それに、私はたぶん、秋ちゃんに何かをしてあげられたことなんてほとんどない。彼女に、無いサッカー部に入る道を示したのも私じゃない。彼らの過去に何があったのかは知らないけど、誰かが彼女をサッカーに繋ぎ止めたのだとすれば、それは間違いなく──円堂だ。
「……私は、」
だから否定の言葉を入れようとして、だけどそれは同時に一之瀬の気持ちも否定することになるのだと思い直して、閉口する。一之瀬はたぶん、私が秋ちゃんと一緒にいたこと、それだけで良かったのだ。秋ちゃんが私のことをどんな風に話していたのか、一之瀬がそれを聞いて、私を見てどう思ったのかはわからないけど。
「取り越し苦労だね」
「え?」
「秋ちゃんはね、学校に無かったサッカー部を円堂と立ち上げるくらい、類い稀な"サッカーバカ"だよ」
だから大丈夫。そんな気持ちを込めて笑ってやれば、一之瀬は少しだけ泣きそうに目元を歪めて、それから呼応するように笑った。「おーい、何やってんだよ」なんて土門の声が聞こえてきて、反射的に出した「今行くー!」という声は見事に一之瀬と被った。
5周年フリリク/アメリカ組とほのぼの
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