パンケーキデビュー海腹
※白兎屋の訛りについて、アニメをベースに、各地方のチャンプルー方言になっております(捏造、似非方言注意)
「な、何これ……!?」
メニュー表に落とされていた視線が上がると、その顔はワクワクから一転、驚愕に満ち満ちた色に塗り替えられていた。隣に座る杏奈、向かい側のつくし、その隣の凪沙と順に顔を合わせてふるふると震えている。頬に差す赤みが、のりかの高揚具合をまざまざと表していた。
「こんなに種類あるの!?」
「うん! 期間限定メニューは定期的に入れ替わるんだよ〜!」
「それにこれっ、ものすごくふわふわでっ、分厚くないですか!? 何これ!? 厚揚げ!?」
「これくらいなら他のところでもよく見ますよ」
「ひええ……しかも……! しかもオシャレで可愛いぃぃ!」
「海腹さん、声響いてる」
のりかの大きな瞳が、日を浴びた海面のように煌めく。普段は選手陣の紅一点として、果敢にゴールを守っているのりかだが、流行りのスイーツにはしゃぐ姿は年頃の女の子そのものだ。
離島出身ののりかたち伊那国メンバーは、学校内で田舎者などと揶揄されることもしばしばあったが、それはあながち間違いでもなかった。甘い匂いがいっぱいに広がるここ、とあるパンケーキ専門店のような、今時の小洒落た店など、今まで島から出たことのなかったのりかには縁遠いものだったのだ。
斯くして本日、白恋中との試合における女子限定プチ祝勝会として、のりかの希望のもと四人はこの店に集っていた。
「ど、どれにしようかなぁ……! 迷っちゃうなぁ……!」
「ね〜! あ、オススメはこれとこれとこれと……」
「ヒエエ……!」
「つくしさんは決めました?」
「うーんまだ迷ってるんだよね〜! 杏奈ちゃんは?」
「私もです。凪沙さんは?」
「あー……これかな」
「あ〜それも美味しそうだよねぇ!」
「そっちもいいですね」
目の前で繰り広げられる、夢にまで見た「イマドキ女子」のやりとり。その輪の中にも自分も入っているということに、興奮はますます募る。
のりかは再びメニューに目を向けた。定番のプレーン系から、季節のフルーツを使ったもの、アイスが乗ったもの、チョコレートの祭典のようなものに、ベリーソースが輝かしいもの、果ては食事系のものまで、選り取りみどり。もはや全部食べたい、一口ずつ食べていきたい、と唾を飲み込む。
そんなふうにメニューに釘付けになっていたのりかは、向こうから近づく影に気づかなかった。
「あーっのりかー! 偶然やっぺ!」
突如己の名を呼ぶ高い声に、のりかたち四人どころか周囲の関係ない客の視線まで集まる。
嬉しそうにこちらに手を振っているのは、先日雷門と試合をした白恋中の女子プレーヤー、白兎屋なえだった。なえは傍らに立つ店員になにか声をかけると、スカートと色素の薄い長髪を揺らしながら、ウサギのような軽い足取りで一同のテーブルに駆け寄ってきた。
「白兎屋さん!?」
「もー、なえでええのに〜!」
「な、なえ?」
「ウチ地元にいた時からここのパンケーキ食べてみたい〜って思ってて! でも皆ツレなくて、仕方ないから一人で来たんやっぺ! いや〜来て良かったわ〜! 帰る前にまたのりかに会えるなんて、ラッキーやわぁ! なぁなぁ、一緒に食べてもええ?」
ペラペラと饒舌に語るなえは、返事も聞かないままのりかの隣に腰を下ろした。勢いに気圧されたのりかがつい杏奈のほうに詰め、杏奈も戸惑いつつさらに端に寄る。嵐のように襲来したなえを、向かいのつくしはぽかんと見つめ、凪沙はついていけぬといった顔で目線をそらしていた。
思いがけず五人に増えた女子会は、その後もそれなりに安定した雰囲気で続いた。なえはコミュニケーションに強く物怖じしない質で、自分が惜敗したチーム相手にも、うん年来の友人相手かのように親しく接していた。
「それにしても、いい時代になったもんやわぁ。フットボールフロンティア、去年までは女の子選手は参加できなかったんやろ?」
「えっそうなの!?」
店員に五名分のメニューを頼むと、なえは再び会話を切り出した。のりかは初耳といった様子で、背もたれに深く凭れるなえに聞き返す。
「そーそ。なぁんで世の中のスポーツは女の子と男の子で分けようとするのか、不思議やっぺ」
「まあ、安全面とか色々あるもんね〜」
「そっかぁ、全然知らなかった……うちの島は人口も少ないし、わざわざ男女で分けることなんて全然なかったからな〜」
「陸上でも何かと女子部門! 男子部門! って! 一流プレーヤー同士が戦うのに性別なんて関係ないやっぺ! あ〜あ、あの関東の疾風うんぬん〜って呼ばれてたヤツとも、陸上やっとるうちに一回くらい戦ってみたかったわぁ」
「あれ……それってもしかして風丸?」
「あ、そうそう確かそんな名前やったなぁ! ま、ウチより年上やっぺ、どのみち去年まで小中の部でも分けられとったんやけどなぁ」
「白兎屋さんって、一年生なんでしたっけ」
「うん!」
頷かれてから、あれ、何で自分は敬語なんだ……と杏奈が一瞬我に返った。なんなら、その場にいた全員が、ここの誰よりも年下であるのに、一度も敬語を使わないなえの肝の据わり具合にある種の感嘆を覚えていた。
「ま、ウチそのカゼマルのこと、最初は女の子仲間やと思っとったんやけどな〜!」
「うふふ、風丸くん美人さんだもんね!」
「そうなんよぉ〜! えーと、アンタ名前なんやっけ」
「つくし! 大谷つくしだよ〜」
「そうそうつくし! いや〜つくしのとこのちっちゃいあの子、あの子も女の子仲間かと思ったら男子やったっぺな。驚いたわぁ〜」
「アハハ、そういえば半太騒いでたなぁ」
「あっ! そういやアンタ……えーと、アンタは名前なんやっけ」
「え? 華那芽凪沙……」
「そうそう凪沙! 染岡とえらい仲良うしとったなぁ! 知り合いなん?」
「や、雷門出身だし……」
「あ、そっか確かになぁ!」
「凪沙ちゃんは前の雷門サッカー部と特別仲良しだもんね!」
「へ〜! そんで久々に再会したん? なんかええなぁ〜ロマンがあるやっぺ!」
「どこに……」
「いや〜! にしても東京って色んなものがあるなぁ〜! アンタの……えーと名前なんやっけ」
「み、神門杏奈……」
「そうそう! 杏奈の服もソレ、えらい好みやっぺ! めんこいなぁ〜どこで買うたん? ウチも帰る前に寄っていきたいわぁ〜!」
「え、えと……」
怒涛のごとく喋り倒すなえに、数名ほどが翻弄され続ける。そうこうしているうちに時が経ち、複数名のメニューが運ばれてきた。最初の品は、のりかとつくし、それからなえが頼んだ分だった。
「わぁーっ美味しそ〜!」
「い〜い匂いやっぺ!」
「母さんに……! 母さんにも送ってあげなきゃ……!」
大きな丸目を輝かせるつくしの向かいで、なえがうっとりしたように息を吸い込む。その隣でのりかはある種の使命感に駆られたように、震える手でカシャカシャとシャッターを切りまくっていた。
「すごい! 今私女の子してる! JCだ! 都会のJCしてる!」
「落ち着いてくださいのりかさん」
「ほら、せっかくあったかいんだから、冷めないうちに食べなよ」
「ええっ、で、でもまだ凪沙さんたちの分揃ってないし……」
と遠慮しつつも、のりかの手は素直にカトラリーに伸びつつある。彼女が動きやすいように、つくしが「それじゃあお言葉に甘えて!」と笑ってフォークとナイフをさっと手に取った。なえもいつの間にかフォークを手にしており、のりかは何故か覚悟を決めたような真剣な顔で、カトラリーを構えた。
「そ……それじゃあ、お、お先に失礼します!」
目の前のパンケーキに視線を落とす。のりかが選んだのは、もっともオーソドックスで、かつ人気No.1のアイコンが添えられていたものだった。
漂う香ばしい香りと、芳醇なバターの匂いが鼻孔をくすぐっていく。それを逃さんばかりに鼻から息を吸えば、その甘さに頭がクラクラした。使ったことなどないが、まるで麻薬のようにやみつきになりそうだった。……否、これは麻薬だ。合法的な麻薬だ。
口の中で著しく分泌された唾液を、ごくりと飲み込む。まだ一切れも口に運んでいないはずなのに、匂いだけで甘さを感じた。もう大満足だ。お腹いっぱいだ。そんなことさえ考えてしまう。
そばに用意された、名前のわからぬ小さな小瓶に入ったメープルシロップ。中指から小指でフォークを握り、空いた親指と人差し指でそれを取った。とろけるようにやわらかそうでなめらかな生地に、そうっと垂らす。シロップが美しく焼かれた表面をなぞるように、艶やかに、そして川のように流れていく。
小瓶を置いて、改めて右手にフォーク、左手にナイフを握る。それからしばらくしてハッと気付きを得た右利きの彼女は、慌てて左右を持ち変えた。そうしておそるおそる、満を持して、生地の端からナイフを入刀した。
「……えっ!?」
「どうした?」
「いっ……いえなんでも……!」
ぎしぎしと往復させるつもりだったナイフは、いとも簡単にそれを切り分けた。パンケーキとして形成されてはいるものの、芯がないかのようにふんわり、ふるふると揺れている。なんだ、このやわらかさは。もはや未知の生物への恐怖のような心地すら感じた。
そうこうしながら、ようやく一口分を切り終えたのりか。皿の端にナイフを下ろし、フォークを右手に持ち変えて、慣れない手付きで生地に刺す。そしてとうとう、満を持して口に運んだ。
──なんだ、これは。
それは食感などないかのように、恐ろしくふわふわとしていた。もはや歯がいらない領域だ。何をどうしたら、これほどまでにふわふわととろけた食べ物を作れる。やわらかさの暴力だ。人知を越えている。
そして、その味。頬の内側がむずむずするほどの甘み。鼻から抜ける芳醇な卵の風味と砂糖の味。高級そうなメープルシロップが、口内に贅沢に浸透していく。焼きたてのそれは生暖かく、ともすれば生き物のように口の中でとろけていた。
必要を感じない咀嚼を何度か繰り返し、ごくりと飲み込む。喉越しまでなめらかで、もはや何が起こったのかすら分からない。
それはのりかの脳みそから骨の髄までを跡形もなくとろけさせるような、そんな至高の一口であった。
「〜〜〜っ……!!!」
「嬉しそうですね」
「喜んでんね」
「感激してるね!」
「ハートが見えるやっぺ!」
感激に打ち震えるのりかは、各メンバーに見守られながら魔法にかかったように二口目以降も食べ進めていく。そのうち、時間差で残りの品も運ばれてきて、それぞれ自分の注文した分を食べ始めた。
「なあなあのりか、あーん!」
「えっ!? い、いいの!?」
「早く早く!」
「のりかちゃん! 私のもあげる!」
「あわわわ……」
なえやつくしに、一口大──なえの方は大雑把な切り方で、かなり大きかったが──のパンケーキが刺さったフォークを向けられ、のりかは動揺と照れに襲われながらも一口ずつ頂いていく。島では男衆に囲まれて過ごしてきた分、女子特有のきゃいきゃいとした雰囲気には一向に慣れず、しかし喜びや興奮も大きいといった具合だ。
三人がきゃっきゃと盛り上がる中、元来あまり社交的ではない凪沙と杏奈は、互いに助けを求め合うように視線を交える。しばらく無言のやりとりを交わしたのちに、流れに押され、あるいは乙女たちの織り成す空気に呑まれ、二人も手元のパンケーキを一口大に切った。つくしやなえのように、直接口元に進めるのは流石に憚られ、彼女たちは己の皿ごとのりかに近寄せる。
「良かったら私のもどうぞ」
「私のも……」
「杏奈ちゃん凪沙さん……!! ありがとうごあいまふ〜っ!!」
言うや否や、喜色満面な様子でもらった一口を頬張るのりか。こっちのベリー系はさっぱりしていて爽やかだとか、チョコレートのやつは濃厚で高級な感じがたまらないだとか、他のメンバーのパンケーキへの感想を述べていくと、皆一様に同感していた。
「もう本っ当に全部美味しすぎるぅ……都会、すごい……」
「そうそう、今回は誰も頼んでなかったけど、このキャラメルソースのやつもすっごく美味しくてオススメなんだよ〜!」
「また今度、機会があったら皆で来ましょうか」
「そうだね」
「ええなぁ〜っ、ウチもまたこっちに来たら突撃するやっぺ!」
五人で楽しく喋りながら、美味しいものを食べながら、のりかは夏の盛りの太陽のように笑った。
「やっぱり、ごはんは皆で食べるのが美味しいね!」
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