01
「……さむい」
ぴゅうぴゅうと容赦なく吹き付ける真っ白な吹雪。吐く息も真っ白で、手袋を忘れた手も血の気が失せて真っ白。あたり一面も真っ白。纏うロングコートも真っ白。ついでに言えば、帽子に覆われた能天気なこの頭も真っ白。
寒い寒い、冬の気候。
二度目の人生を歩み始めたあの島も、降り立った当初はこんな気候だった。辺り一面が銀世界で、ずっと外にいたら死んでしまいそうな極寒。実際に私は寒さをとどめに死んでしまうところだったし、あそこでどうにか命を繋ぐことができたのは奇跡とも言える出会いのおかげだった。私の人生における一番の分岐点は、きっとあれだと思う。そうであってほしいと、思う。
そこは冬が長い島だったが、大勢に囲まれていればそう寒さを感じることもないのだと知ったのは、あの頃が初めてだった。何より毎日が楽しくて幸せで、一人や二人じゃできないたくさんのことを知った。それまでの人生が楽しくも幸せでもなかったかと言われれば、そんなことはないのだけれど、それまでの私の世界は本当に狭かったから、何もかもが新しくて心の踊る経験だった。
そこで過ごしたのはおおよそ三年間。その頃に寒さの耐性も充分についたと思っていたが、正直ナメていた。何せこの島は「異常気象」が「普通の気象」となってるのだから。普通の寒さにしか耐えていない普通の体には、なかなか堪えるものがあった。
──ここは新世界に存在する孤島、パンクハザード。かつての青い海軍大将が、今の赤い元帥と数日に渡り死闘を繰り広げた地。その時の戦いで、島はヒエヒエの実の影響による極寒の地と、マグマグの実の影響による灼熱の地に二分された。奇異だ。ワンダーランドだ。
十年に渡る航海のうちに、色んな奇々怪々な島々を見てきたとはいえ、やはりここの奇怪さは飛び抜けている。そして再三述べるが寒い、本当に寒い。私の行動拠点は基本的にこの極寒地帯の方であるから、外に出る度に寒さとの戦いになる。この地に降り立って早一週間、超常現象に心が慣れようとも体はそうそう適応しなかった。
冷気をふんだんに含んだ空気が、鼻を通るのが痛い。首元がファーで覆われた暖かいコートを着ていても、身震いがする。この猛吹雪じゃ傘も差せないし、第一あっても邪魔であるし、困ったものだ。身に付けているサングラスも、何度袖でワイパーしたことかわからない。
これだから、なるべく研究所からは出たくなかったのだけれど、あの人のサポートとあれば仕方がない。私はあの人を護るクルーなのだから、空調の効いた建物内でひとりぬくぬくしているわけにはいかないのだ。そもそも私は、あの人の意向を無視して手前勝手に着いてきた身。それで何もしないなら、お邪魔虫どころの話ではなかった。
「かるた」
──そうやって彼のことを考えていると、聞き慣れた低い声が吹雪を押し退けて凛と届いた。しばらく自然の猛威の音しか聞いていなかった耳が、喜びを訴える。
「船長」
髪を押さえながら振り返る。すらりと長い体躯に、身の丈を越える大太刀。それを握る手にはいくつものタトゥー。狼のような鋭い目付きと、それを乗せた美しい顔立ち。年より少し幼いその素顔を、整えた顎髭ともみ上げが中和している。いつ見ても神がかった構成だ、惚れ惚れする。全世界いい男選手権が開催されたら、この人がぶっちぎりトップであろうことは請け合いだ。
オーダーメイドしたこだわりのコートの裾をはためかせ、トラファルガー・ロー船長は私を見据えていた。寒さのせいで、鼻先が少し赤いのが数メートル離れていてもわかる。普段は大人びた彼の雰囲気が、少しだけ和らいで見えた。しかし短髪の彼は、襟の高いコートを着ているとはいえその首のほうが寒そうだ。マフラー巻かないのかなぁ、と想像してみたけれど、あまり似合わなかった。
「外の方は私が見ておきますのに」
「見ずに知った気になんてなれるか」
「それもそうですね。とりあえずここら一帯は把握したので、帰ったら地形図描きます」
「なら、そろそろ戻るぞ」
「アイアイキャプテン」
吹雪に掻き消されないように大きめの返事をして、さっさと背を向けて行ってしまう船長についていく。一見冷たいように見えて、わざとのろい小走りにした私がたどり着くまで、速度を落として歩いているのだから、この人は本当にクールぶるのが下手くそだ。見た目だけは悪人面なこの人のこういうところが、分かりづらくもやさしくて可愛くて、好きだった。
「施設内はどうですか」
「あの膨大な資料だ。まだかなり見られていないものがあるが……まァ、現時点でもそれなりの収穫はあるな」
「そもそも広いですしねぇ」
何度か言葉を交わしながら研究所への道のりを進む。ざくりざくり。積もった雪に踏み込むたびブーツが沈んで煩わしかった。雪には慣れているから適した歩き方はわかっているが、それはそれだ。
この島の半分はマグマに覆われた土地なのだから、どうにか足して2で割れたらさぞ住みやすくなるだろうに。まあ、そんなことが起これば、私達だって結局は困るのだけれど。あの狂った気候も、部外者を跳ねのけるのに一役買っているのだ。
「……そういえば」
「あ?」
「船長は、……」
ふと、あることを思い出して口を動かす。けれど聞くべきか否か迷って、言葉が止まった。私の様子に、船長は眉をしかめた。悪人面に拍車が掛かった。
「はっきりしないな。端的に言え」
「……じゃあ……"子どもたち"を見ました?」
一瞬。わずかに船長の足取りがつかえた。それはすぐに元通りになり、気のせいかもしれないとさえ思わせるが、それが勘違いでないことくらい予測できた。
「あァ……あの部屋か」
「ええ。でもあれって……」
「下手に情を移すなよ。余計なことに首を突っ込んでやる義理も時間もねェ」
「……わかってます」
船長のトーンは至って変わらないが、本心か繕っているのかはわからない。私の斜め前を歩く彼は、毅然とした空気を保ったままだ。
そうだ。わかってる。あれもこれもと欲張ってなんかいられないのだ。物事には優先順位があって、その下位まで尊重している余裕なんかない。けれどどうしてもあれが頭から離れなくて、心がざわつく。割り切るのは、もしくは抑え込むのは、斯くも難しい。
黙ったままの私に、船長は小さくため息を吐く。耳元で吹雪が騒いでいても、それは聞こえた。
「……お前はつくづく海賊にゃ向かねェな」
「やだなぁ、貴方と十年続けてる大ベテランですよ」
帽子の影が落ちた顔を見上げる。色の薄い唇は閉じられていて、返事はなかった。少し考えて、冷えきった手で船長のごつごつとした手を握ると、私の手よりかはいくらか熱があって安心する。しかし「冷てェ」と秒で乱暴に振りほどかれた。なんて手厳しい。
「ねえ、船長」
「あ?」
「……や、なんでもないです」
うっかり余計なことを言いそうになって、慌てて口をつぐむ。また、返事はなかった。
船長は昔から強い人だ。強くてやさしい人だ。きちんと見るべきものを見ている人だ。我慢のできる人だ。自分を押し殺してしまう人だ。だから私たちがいる。
船長に比べたら、私にできることなんて情けないくらい少ないけれど。私は彼と生きていきたいから。だから今日も、また。
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