少年は夢を見ている


「なまえさん! こんにちは」
「あれ、新八くん」

 「奇遇だねェ」と柔和な笑みを浮かべて、なまえさんは手に持っていた牛乳をカゴに入れた。
 彼女、みょうじなまえさんは銀さんを介して知り合った女性で、僕の周囲にしてはとても珍しく穏やかな気質のおっとりした人だった。些細な仕草もしなやかで、その手が拳を握って振り回されたことは一度もないに違いないと思わせる。そんな彼女が治安の悪いかぶき町内に一人で住んでいることに、誰かに付け入られたりしないかしばしば心配をしてはいるが、今のところその様子はない。

「お買い物? 新八くんほんと偉いね〜」
「いやァ、そんな大したことじゃ……」
「銀時はちょっとだらしないからなァ。誰かと一緒に暮らしてるほうがしゃきっとすると思ってたんだけど……新八くんがしっかりしてるから、逆にダラダラに拍車掛かったりしてそう」
「ハハハ、そうかもしれませんね」
「新八くんは銀時をダメにするソファだからな」
「なんて?」
「や、これじゃ新八くんが悪いみたいか。銀時が勝手に新八くんに甘えて堕落してるんだし」

 うんうんと納得したように一人うなずくなまえさん。聞いたところによると、彼女は銀さんとは昔からの友人らしい。友人、と称するにはやけに距離が近いというか、もっと近しい関係性を表す呼び方をするべきな気はするけれど、彼らが一体どんなふうに共に過ごし、どんな感情を向け合っているのかは僕にはまだわからない。
 各々の買いたいものを揃え、レジへと向かう。空いている時間帯を狙って買い物に来たからどこのレジもガラガラで、僕らはそれぞれすぐに会計を済ませてサッカー台でまた鉢合わせた。

「でも私さ」
「え?」

 唐突に切り出したなまえさん。その「でも」が何に掛かっているのか、思い出したのは続きを聞いてからだった。
 
「新八くんが銀時のそばにいてくれて、本当に良かったな〜って思ってるんだ」
「それって……」
「新八くん、神楽ちゃん、定春くん。他にもたくさんの人が銀時の周りにいてさァ。私はそれが嬉しいんだよね」

 そう言ってなまえさんが浮かべたのは、裏表のない朗らかな笑みだった。それは、ただの友人としての顔か。それとも別の感情に基づくものか。だけど、例えば近藤さんが姉上に向けるそれや、さっちゃんさんが銀さんに向けるそれとはまた違う形に思えた。イヤ、あれは普通に例が悪すぎるだけな気もするけど。

「たくさんの人に囲まれて、うっとうしい面倒くさいってウンザリ顔歪めてるのが、銀時には一番合ってると思っててさ。……まァ、そんなこと本人に言ったら何様だァ何目線だァって言われそうなんだけど」

 へらりと笑うなまえさんの横で、僕は言葉が出ないでいた。そんな台詞を紡ぐまでに、一体二人はどんな関わり合いを経ているというのだろう。だって、そんなの、よほどの愛情がないと言えないことだ。

「新八くん。これからも銀時のことよろしくね」

 ぽつりと、胸の中に小さななにかが生まれた。
 しかしその正体にたどり着くより早く、なまえさんの白い手がこちらに伸びてきたかと思えば、なでり。僕の頭をすべる。わずかにあたたかい。その手が往復するたびに気恥ずかしさが増し、行き場のない目線を足元に下げる。

「……はい」

 小さく呟いて、それからじっと耳を澄ますように、自分の中で「それ」を精査する。複雑で色んな皮を被っていたけれど、「それ」は探っていけば寂寥感であった。侘しさであった。そして、疑問でもあった。
 ──全部託して、安心して、自分はどこかへ行ってしまうつもりのような。彼女の口ぶりには、そんな意思が込められているように思えてならなかったのだ。
 いっぱいになったレジ袋を手に提げ、代わりに空になったカゴを台の脇に積み重ねる。その後もなんとなく隣を歩きながら出入口を通った。

「それじゃあ、新八くんまた……」
「なまえさんは?」
「え?」
「なまえさんは、これからも、あの人といないんですか?」

 手を振ろうとするなまえさんを遮って、思ったことを偽りなく伝えてみる。たぶん、こういうふうに聞かれるのを「大人」は好きじゃないのだろうと察せるくらいには、僕はあのひねくれた男の近くにいた。だけど、わざわざ何もわかりませんって顔を作って、無垢を装って、僕はなまえさんに質問を投げ掛ける。
 なまえさんは一瞬、睫毛の長い瞳をしばたたかせた。そんなこと言われるとも思っていなかったみたいに、ぱちぱちと。それから「うーん」と少し考えるようにして目を伏せた。大人の顔だ。子どもの僕じゃまだまだたどり着かない顔だ。

「いられたらいいなァ」

 彼女は笑う。笑み以外の表情など知らないかのように、いつも笑っている。だけどその笑みに込められた意味は、単純に計れるものじゃない。
 なんでだろう。なんでそんなふうに諦めたような、どうせ無理だと頭のどこかで考えているような笑みなんだろう。
 もっと貪欲に、自分のしたいように、自由に、もっと、もっと──

「だァァァァ!?」

 突然大声がして、喉元まで出かかった言葉が霧散して消えた。反射的に振り返ると、ふわふわの銀髪頭がえらい勢いでこちらに突撃してくる。「銀さん!?」しかし僕には目もくれることなく、銀さんは僕の横を通り過ぎてなまえさんに掴みかかった。

「ちょっお前何俺のいないとこで新八と仲良くやってんの! 変なこと吹き込んでねーだろうなァ!?」
「ちょっと世間話してただけだよ〜ね、新八くん?」
「え、あ、えーと」
「嘘つけェェお前こないだ神楽に俺のガキの頃の話勝手に捏造して伝えたの知ってんだからな!!」
「捏造じゃないよ〜銀時カワイイエピソードをちょっとわかりやすく脚色加えてしゃべっただけ」
「それを世間では捏造って言います!!」

 なまえさんの肩を掴んでガクガクと前後に揺する銀さん。女性にそんな乱暴な、とも思ったがなまえさんはさしてダメージを食らっていないように楽しそうな笑顔を見せているので、止めるのをやめた。

「とにかく! お前ホンット余計なことしか言わねーんだから! 俺がいないところで新八とか他の奴らと喋んじゃねーぞ!」
「やだ嫉妬?」
「誰がだァァァ! 自惚れんのも大概にしろォォォ!!」
「いや私に」
「あ?」
「ん?」

 なまえさんの物言いに、銀さんだけでなく僕まで引っ掛かりを覚える。なまえさんが言わんとしているのは、銀さんがなまえさんに嫉妬をしている、ということだ。銀さんが、僕と話していた、なまえさんに。それはそう、つまり。

「だっ……誰がだァァァ!」

 時間差で爆発した銀さんの傍らで、僕の頭も爆発寸前だった。いや……いやいやいやいや、この人、なに、言っちゃってんの!? マジで言ってんの!?

「いい加減にしろよコノヤロー! そんなに人を辱しめて楽しいか!?」
「えっ? 銀時恥ずかしがってるの? 照れちゃってるの? ホント可愛いな〜も〜」
「ダァァァァァお前のこと今すぐぶん殴りてェ蹴り飛ばしてェェェ!!」
「それでも女の子に暴力は振るわない銀時、やさしいな〜いいこだな〜! よしよし! イテッ」

 結局ぺしりと軽く頭をはたかれたなまえさんを眺めながら、僕は銀さんがたびたびなまえさんへの不満を漏らしていた理由を実感していた。あんな温厚そうでやさしい人になんの文句があるんだと思っていた。だが『それ』をいざ自分で体験してみて、またまた銀さんってば〜なんて言っていた過去の己に鼻フックを決めたくなった。
 なまえさんは銀さんのことが大好きだ。だからたぶん、周りの人も銀さんのことを大好きだと思ってるし、その逆もまた然りで銀さんも周りの人を大好きだと思っている。
 無駄に熱くなった顔を手で仰ぎながら、考える。どうして、そんなふうに思っている銀さんに対して、なまえさんはああ言ったのだろう。一緒にいたいなら、一緒にいればいい。そんな考えは、子どもだろうか。甘いのだろうか。それこそなまえさんより。
 僕だって、僕や神楽ちゃんだって。死ぬまで銀さんと一緒に万事屋やるなんてのは無理だって、わかってる。そんなことは百も承知だ。
 だけど、今は。
 今だけは、まだ。って、切望のようにそう思い続けている。

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