昼と夜の交わる場所
『エンちゃんは吸血鬼が怖いかい?』
老婆のその問いに、エンは子ども特有の大きな瞳をぱちぱちと瞬かせた。少しして質問をしっかり咀嚼したエンは、『こわくないよ!』と花が咲くようにぱっと笑った。
『だってよのなかにはわるい吸血鬼もいるけど、いい吸血鬼だっていっぱいいるんだよね?』
『そうよ。だから私たちは、自分を護るために誰も彼もを信用しちゃあならないけど、誰も彼もを疑ってもいけないの』
老婆は静かに、諭すように言葉を紡いでいく。彼女の教えは幼子には少し難しくて、エンは顔をしかめながらもうんうんと聞いていた。
『だって吸血鬼と私たち人間は、仲良くできるって思いたいじゃない?』
『うん! だってそのほうがみんな楽しい!』
『そう、そうなのよ。さすがエンちゃん。でもこれはね、人間だっておんなじなのよ』
『どういうこと?』
『人間にだって、いい人も悪い人もいる。それは一見分かりにくかったりするから、ようはちゃあんと相手のことを見て、知らなきゃならない。吸血鬼も人間も同じなのよ』
『そっかー、わかった!』
エンは大きく頷いた。そんな彼女の小さな頭を、老婆は宝物に触れるように撫でる。
『これから大変なこともあるかもしれないけど、エンちゃんには吸血鬼を嫌いにならないでほしいな』
『ぜったいならないからだいじょぶ! わたしねー、吸血鬼のともだちもいっぱい作るよ!』
『それなら私も安心だわぁ』
エンの無垢で自信に満ちた笑顔に、老婆は目元に皺を増やして嬉しそうに笑った。
*
*
*
「ロロロロナルドくんん!!」
神奈川県横浜市新横浜駅から程近くの雑居ビル。その一室の「ロナルド吸血鬼退治事務所」と書かれた扉が、バタンと派手に開かれた。事務机でパソコンと向き合っていたロナルドは、同居人の騒々しい帰宅に眉根を寄せる。
「んだようるせーなドラ公」
「きっ吸血鬼の大名行列が!」
「はぁ? 何言ってんだテメー」
「とにかくこっちに来たまえ!!」
「ったく、なんだよ面倒くせーな……」
妙に必死なドラルクに、ロナルドは不承不承といった様子で椅子から立ち上がる。彼を追うように部屋を出て、通路を抜け、階段まで来たところで、上階の踊り場になにかの生物が見えた。ロナルドは隠した武器に手を掛けながら、ジョンを肩に乗せたドラルクと共にゆっくり階段を上がる。
「一体なんな……ウワーッ! 吸血鬼の大名行列!!」
「だろう!?」
上階の通路には、動物型の小さな吸血鬼らが大げさな列をなしていた。耳の長い、同種族のそれらがぞろぞろと並ぶ先には、ひとつの扉がある。
「ロナルド君、何なんだねこれは!」
「こいつら自体はウサギが吸血鬼化した単なる下等だろ。人間にとっても基本無害。だがこの列は……まさか」
ロナルドが心当たりのあるような素振りを見せた時、先頭の吸血鬼が大きく飛び上がった。器用に前足でインターフォンを押すと、しばらくして部屋の奥から小さな足音が近づいてくる。ドラルクはついその場で身構えたが、ロナルドのほうは得物から手を離して動き出した。
「──あれ、ここまでついてきちゃったの? っていうかなんか増えてるし……」
「やーっぱりお前か」
「げっ……ロナルドさん」
事務所と同じ作りの扉を開けて部屋から出てきたのは、若い女だった。年の頃は二十歳ほどだろうか。彼女は扉の前の吸血鬼に見覚えがあるらしかったが、列の脇を通ってやってきたロナルドに気まずそうに顔を歪めた。
「野生に
「いやぁ。ただこの子が側溝にハマって死にそうになってたから、脱出を手伝ってあげただけです」
「そんで猫の恩返しみてーになってんのか……」
言いつつ、彼女が視線を合わせるようにしゃがみこむと、先頭のウサギ吸血鬼が端に避けた。そこに、列の中心から出てきた一際毛づやのよく見える個体がしずしずとやってきて、背負っていた荷物を下ろして鼻で押しやる。
「なんだ? お礼かなんかのつもりか?」
「ロナルドさん、虫だったら発狂するので助けてやってください」
「嫌な予告だな」
マイナス思考な物言いとは裏腹に、彼女の指先は大きな葉っぱの包みを躊躇なく開く。そこに収まっていたのは、どこにでもあるような野花だった。根元には泥がついていて、摘みたてそのままといった具合だ。彼女はしばしそれを見つめていたが、丁寧に拾い上げると吸血鬼たちに向き合った。
「ありがとね。ほれ、ここにいると通報されるかこの人に
彼女が指先で帰路を示す。吸血鬼たちは鼻をひくつかせて顔を見合わせると、来た道を辿るように素早く階段へ向かった。その場にいたままのドラルクが壁に貼り付いて避けるのを見ながら、ロナルドは顔をしかめて頭を掻く。
「お前あんまりホイホイ吸血鬼に絡んでいくなよ。危険だろーが」
「一応ちゃんと見極めてますよ。っていうか
「んだよもう週バン読んでんのか……」
踊り場の隅に避けていたドラルクは、吸血鬼の列が素早く去っていくのを見送ってから、二人のほうへ歩み寄る。二人の会話を聞いていた彼は、花を持っていないほうの彼女の手を恭しく掬い上げた。
「初めまして、吸血鬼ドラルクです。あなたのような可憐なお嬢さんに存じて頂けてるとは、光栄ですよ」
今日日物語でしか聞かないような台詞を紡いで、ドラルクは薄い唇を彼女の手の甲に落とす。そのひやりとしたやわらかさに彼女はぴしりと固まり、間近で目の当たりにしたロナルドは白目を剥いた。
「おやおや、何故だか初対面な気がしませんなぁ。以前にもどこかでお会いしましたかな?」
「えー、と……」
「ってナンパの定番台詞吐いてんじゃねーぞこのクソ砂ァ!」
「スナァッ!!」
「うわっ」
たまらずチョップを決めたロナルドに、ドラルクは服の中で無残にも塵と化した。肩に乗っていたジョンがヌーヌーと鳴きながら、短い手で青白い山を必死にわさわさといじる。一連の様子を、彼女は目を丸めて凝視していた。
「え、何、死んでる……?」
「いや、コイツ金箔より脆くてやたらめったら死ぬんだよ」
「そう分かっているなら丁重に扱ってくれたまえ!」
「お前が毎度余計なことするからだろーが!」
人一人分の塵が、ロナルドと喋りながら意思を持ったように動き出す。くしゃりとしなだれた黒い衣装を引っ張りながら、魔法のように固まっていき、服の中で再び人の形を織り成した。
「再生した……」
「いやぁ、お見苦しいところを失礼しました」
「いえお大事に……あ、私はエンと言います」
「エン君か、どうぞよろしく。こちらはアルマジロのジョン」
「ヌ〜!」
エンと名乗った彼女は、「よろしくお願いします」と軽く会釈した。
「そういえば……ロナルド君の口振りからすると、エン君は今みたいなことがたびたびあるのかね?」
先ほど、下等吸血鬼の行列にエンが関わっていたことに「やっぱり」と漏らしていたロナルド。そこから推測するに、こういうことは初めてではないのではないか。そう問えばエンは僅かに視線をそらしながら後頭部を掻いた。
「いやぁ、まあ……そうですね。なんかつい放っておけなかったりして」
「フム、そうだったか。だがエン君のような血の美味そ……ゴホン、うら若き乙女は、特に吸血鬼に狙われやすいからね。吸血鬼の多い
「オメーみたいなのもいるしな」
腕を組んで吐き捨てるロナルドを横目で睨みながら、エンの返答を待つ。エンは少しの間考えるようなそぶりを見せたが、ぱっと顔をあげてドラルクの顔をまっすぐ見つめた。
「でも吸血鬼だって人間だって、いい人も悪い人もいますから」
だからどこの町だって同じですよ、とエンが初めて笑って見せれば、ドラルクは大きな三白眼をさらに大きく見開いてから、「ロナルドくんより分かっているじゃないか」と愉快げに笑った。ロナルドのチョップがドラルクに決まり、彼は本日二度目の砂と化した。