Death makes him blind.
ロナルド吸血鬼退治事務所は休業日だった。その扉が突然バン! と無遠慮に開かれるが、咎める者は誰一人としていない。訪問者はそのまま駆け足で部屋に進入すると、奥の室内ドアに手を掛け、居住スペースのほうに足を踏み入れた。
「ロナルドさん!」
名を叫ぶと、部屋にいた私服のロナルドが神妙な面持ちで振り返る。
「来てくれたか……エン」
「ドラルクさんは……!」
彼を呼んだ闖入者は、息を切らしたエンだった。少しくたびれたTシャツに短パンというラフな部屋着のままで、余程慌てて自室を出てきたことが窺える。彼女はロナルドからふと下に視線をずらして、言葉を失った。
黒いマントが被さった、冷たそうな塵の山が床の上で沈黙していた。それは──彼は微動だにせず、現れたエンに口を利くこともない。もはや気配すら感じられないその姿はまるで、物言わぬ骸にさえ見えた。
「もうずっとこのままなんだ……」
「……砂になったまま、眠ってしまったってことは?」
「いや、なら外部からの衝撃で目覚めるはすだ。それにジョンも……泣いていた。明らかにいつもの様子と違う」
「ヌッ……!」
「ジョンも、何かを感じてるんだよな……アイツの身に、可笑しなことが起こってるって……」
「ヌヌヌヌ……ッ!!」
砂山の傍らにいたジョンが小さな体を大きく揺らした。エンはしゃがみ込んで、おろおろとするジョンにそっと手を伸ばす。
「……よしよし」
「ヌ、ヌヌヌ……!!」
ジョンが不安に沈んでいると思ったのだろう、エンは彼の狭い頭を、安心させるように指先でやさしく撫でた。しかしそれは、同時に自身が抱く不安をどうにか和らげようとしているようにも見えた。
普段、恐ろしい吸血鬼と対峙しても、どんなピンチに陥っても大胆不敵、怯えのひとつも見せないエンが、その眉を潜め、顔を青くさせ、動揺しているのだ。ロナルドは他の知人にもどんどん電話を掛けていくが、隣に立つ彼女の様子の珍しさに、ますます顔を険しくする。
そんな彼らの姿に、クローゼットに身を潜めていた──正真正銘本物のドラルクは、普段の代謝の悪さも感じさせないほどの滝の汗をかいていた。
(まずいまずいまずいぞこれは! どんどん
本当はちょっとした悪戯のつもりだったのだ。ご覧の通りピンピンとしている彼は、本日近所のヴァミマで吸血鬼の塵を模したパーティーグッズが売られているのを見つけ、ロナルドを脅かしてやろうと画策した。そして彼に殴られ砂になったタイミングで、この偽物の塵と入れ替え、ジョンの協力のもと『ドラルクが死んだままいつまでたっても再生しない』とロナルドに思わせることに成功したのだ。
しかし想定外だったのは、種明かしをするよりも早く、ロナルドがあちこちの知人に電話を掛けて話を広げ始めてしまったこと。こうなってくると、『嘘ぴょん』なんて言って出ていこうものなら、ロナルドだけでなく大勢の人間からわんこそばの要領で粉微塵にされ続ける可能性さえある。
斯くしてドラルクは、隙を見てコッソリ偽の塵と入れ替わり、何事もなかったように再生しようとプランを変更した。しかし、ロナルドが部屋を出ることがないうちに、この事務所のもっとも近所──すなわちここの真上に住むエンがいち早く駆けつけてしまったというわけだった。
(大体ジョンはいつも私の死を泣いて嘆いてくれてるだろう! よく見ろ! 単行本あるいはアニメ見返せ!)
「……ロナルドさん……あの、とても、言いにくいんですが」
「……なんだ、言ってくれ」
「もう、ドラルクさんは……二度と、再生できなくなってしまったって、ことは……?」
「なっ……!?」
(グワーーッやめろーー!!)
「そ、んな、だってコイツの一族、やたらと長命らしいし寿命だってまだまだずっと先のはずだし、このあたりにこいつの弱点になるような致命的なモンだって、」
「でも、一族の中でこんなに虚弱なのも彼だけ、なんですよね」
「……っ!」
(『……っ!』じゃないわ分かっているならバカスカ殺すな暴れん坊ゴリラ!!)
エンの憶測がロナルドの中で真実味を帯び始めたことに、ドラルクはクローゼット内で頭を抱えた。ジョンは二人の会話に焦りを滲ませて、短い手をあわあわと動かすばかりだ。
「お……俺……俺がさっき、殴ったのが、致命傷に……?」
「そんな……ロナルドさんのせいじゃありません。だって、例えば虫にびっくりして死んでしまうような
(死因がゴリラになる覚悟なんてしとらんわ! もっと箔のつく死に方選ぶわ!)
「ドラルクさん……貴方はちょっとお調子者で、心配になるくらいひ弱で、わりかし後先考えてなくて、」
(何故急に死なない程度の微妙な悪口を!?)
「でも、私……貴方のそういうとても愉快なところ、好きでした」
(
ドラルクは息を殺してもんどり打った。
「……別れって、なんで突然なんでしょうね」
エンの声のトーンが、不意に落ちる。狭い空間で荒れ狂っていたドラルクはぴたりと動きを止めて、クローゼットの隙間から再び室内の様子を窺った。
「……ドラルクさん、嘘なら早く帰ってきてください」
(ギクゥッ!!)
「皆心配してます。皆……私……わた、し……は……」
(……、エン君……?)
偽の塵の前に膝をついて座り込むエンは、俯いていてその表情を確かめることはできない。どんどん小さくなっていく声は次第に聞こえなくなり、ドラルクが首をかしげていると──
「こんばんはロナルドさん。ドラルクさんが再生しないんですって?」
突如部屋に巨大なハムのような生き物、フォン・ナ・ドゥーブツ──通称へんな動物が乱入した。なんでコイツ呼んだの!? 私のこと再生させる気ある!? とドラルクが怒りを滾らせる中、へんな動物はエンの姿を見るや否や、無言でメキメキとキメラのようにグロテスクな変形をした。
「おっと失礼、予期せぬ生足魅惑のマーメイドが」
「よし今後お前はコイツの視界に入るな」
ロナルドが残像を残す速さでエンの前に滑り込んだ。ドラルクはその変形体のあまりの不気味さに砂と化した。五秒後再生した。
「いやぁ失礼しました。改めて、私が力になりましょう」
メリメリと音を立てながら、平常のシンプルなハム姿に戻ったへんな動物に、ロナルドはこれまでのことを話す。「だが、もしかしたら、もう……」ドラルクの生存の希望を失い始めていたロナルドに、へんな動物はそっと目を伏せた。
「なるほど……ですがお二人とも、諦めるのはまだお早いですよ」
「へんな……でもよ……」
「ロナルドさん。他でもない、ドラルクさんとこれまでずっとやってきた貴方が、彼を信じなくてどうするんですか」
「……!!」
(グオオオオよりにもよってお前が焚きつける役なのが腹立つなァーー!! でも助かってるから何も言えなーーい!! さあその調子でドラドラちゃん奇跡の生還ルートを作ってくれたまえ!!)
「さあ、この彼好みのエロ本で彼を囲み、復活への意思を高めるのです」
(やめろイモ虫!!!!)
どこからか取り出した大量の成人向け雑誌を魔方陣のように配置する姿に、ドラルクは人知れず憤死した。四秒後再生した。
「……そうですよね。諦める前に、まずはできることを全部しないと。あの、ドラルクさんのお父さんを呼ぶのはどうですかね」
「あれ、お前ドラルクの親父と知り合いだったのか?」
(何!? いつの間に……)
「この間たまたま事務所の前にいるのを見かけて、少し話したんです」
「あーあの時か……確かにあの親父なら対処法かなんか知ってる可能性もあるが……あの親馬鹿具合だ。もし何も知らなかった場合俺が殺されるかも……」
「……確かに」
(そうだそうだ!! お父様はやめろ!! ショック死するか御祖父様を呼ばれて大変な騒ぎになるやもしれん!!)
「じゃあ、私ちょっと血液ボトル買ってきます。それなら何か反応してくれるかもしれないし」
(おおっ! いい発想だぞエン君!)
「ああ、悪いな頼む! あっ金持ってってくれ! 今用意するから!」
「いえ、私に出させてください。彼が生き返るためなら貯めたバイト代の十万や二十万、ドブに捨てても痛くも痒くもありません」
(ンオアァァァァ
ドラルクの心の叫びも露知らず、エンはそう言い残すと慌てて部屋を飛び出してしまった。伸ばすに伸ばせない手をもて余して、ドラルクは無言で唸るという器用なことをして見せる。
(まずいまずいまずい!! 一刻も早く再生してエン君を止めないと……!!)
「行っちまった……仕方ねえ、帰ってきたら払うか」
「さてロナルドさん。エンさんも出掛けてしまったことですし、こちらはもっと過激に、さらにリビドーを高めるため……彼の好きそうな
(ああああああああ!!!!)
女性の艶かしいうなじ映る液晶に、ドラルクは本日N回目の死を迎えた。
*
*
*
人間は死に敏感だ。命を守るための
『大丈夫ですよ、お父様』
父は虚弱な息子を心配して、よく城に訪れた。その度にドラルクは、腕にジョンを抱えながら笑ってそう答えていた。
『何も心配要りませんよ。一人と一匹、のんびりしてて死ぬこともないですしね』
そうは言っても、ドラルクは守られた安穏の中でさえ日常的に死ぬ。机にうっかり足をぶつけて死ぬ。部屋が寒すぎて死ぬ。虫に驚いて死ぬ。口の中を噛んで死ぬ。好きなゲームがレビューでボロクソ言われていただけで死ぬ。
ドラルクはなんてことない、ふとした拍子に塵となる。彼は死を知りすぎていた。それ故に、彼は『死』を知らなかった。
人間の感覚は、ドラルクにとっては到底理解の及ばぬものだった。
『ドラルク。人間の友人を大事にな』
祖父はあの時、何故ああ言ったのだろうか?
それもまた、ドラルクは真に理解することができていない。彼は人間の友人を失ったことがなかった。これまで、人間と縁を繋いだことがなかった。ずっと己の血族と、それから一匹と暮らしてきた。
『おい……ドラ公……? なんで再生しねえんだよ……』
ロナルドがあれほど動揺し、普段は健康的な顔色を青白くさせている姿を、ドラルクは初めて見た。彼は思い当たるだけの仲間にあちこち電話を掛け、協力を仰いだ。一瞬自己保身の面もちらつかせてはいたが、彼はドラルクが想定していたよりもずっと、ドラルクの『死』に取り乱していた。
『ロナルドさん! ドラルクさんは……!』
ほとんど時間が経たないうちに、大慌てでエンが駆けつけた。いつも綺麗に身なりを整えている彼女が、人様にはそう見せることもない家着のまま、髪も振り乱して飛び込んできた。泰然自若で、いつでも毅然とした彼女があれほど冷静さを失っている姿を、やはりドラルクは見たことがなかった。
次々と知人が事務所に駆けつけた。仕事中の者もいただろうに、構いもせずどんどん人が集まった。
どうにか隙を見て再生しなければと、ドラルクはとにかく必死だった。故に、彼は『それ』に気がつかなかった。
見えるようになるにはまだ少し。もう少し。
*
*
*
「ロナルドさん! すみませんATMがちょっと遠くて時間かかっ──」
室内ドアが勢いよく開かれ、飛び込んできたのはエンだった。先ほどとは違いパーカーを羽織っているあたり、一度財布やカードを取りに行くため部屋に戻っていたのだろう。箱に入れられた血液ボトルを腕に抱えた彼女は、部屋の様子を見てその場でぴたりと固まった。
「…………」
すとんと表情の抜けたロナルドやへんな動物、いつか出会ったヒナイチにゼンラニウムといった面々。彼らが向き合っていたのは、プランターに敷き詰められた動く砂。もとい、いろいろとバレたドラルク。
彼は今まさに、ロナルドの命によりゼンラニウムの種を埋められんとしていた。共犯のジョンは普段からの信頼等々により、当たり前のように罪には問われなかったが、主人のピンチになす術なくヌーヌー泣くばかり。しかし、さすがのドラルクもここで「助けてエンくーん!!」といけしゃあしゃあとすがれるほどの図太い神経はしていなかった。
肩で息をするエンは、その場で何度か瞬きをした。それから無言で、すたすたとプランターの前に近づく。ロナルドとゼンラニウムが黙ったまま一歩退いた。
「……おおむね理解しました」
「さっ、さすが〜……話がお早くて助かりますわ……」
ドラルクはほとんどやけくそ気味に返した。彼女の温度のない瞳がお砂の鉢を見下ろし、ドラルクは内心ボトルで殴られる覚悟を決める。しかし、エンはやがて力が抜けたように床に膝をついた。
「……よ、かった」
か細い、消え入りそうな声だった。俯いた頭から、ほんの小さく、鼻を鳴らす音がする。それはドラルクにしか聞こえない微かな音で、ドラルクはプランター内の塵を寄せ集めて頭部だけ静かに再生する。
「エン、くん、」
よく見れば彼女の額には汗が滲んでいて、前髪が少し固まっていた。飛び込んできた時に大きく息も切らしていた彼女は、きっと全力で走ってきてくれたのだろう。ドラルクのために、一刻も早くと。
少しして、彼女は手元のボトルを恭しくこちらに捧げた。その動きに見入っていると、エンはおもむろに顔を上げる。──それは、すとんと表情の抜けた真顔だった。
「《ピーーー》万円のこれ……返品不可なので買い取ってください」
「ウエエエエン!!」
泣きわめくドラルクは、エンの白目が少し赤くなっていることに気づかない。