祭り囃子に何想う?
夏の湿度と虫除けスプレーの香り。昼間より幾分か涼しくなった夜を照らす、古風な提灯。下駄の鳴る軽い音。雑踏に紛れた祭り囃子の音。人々の弾んだ話し声。屋台から漏れる、お腹をくすぐる匂い。
今日は、常夜神社で毎年行われる夏祭りの日だった。普段はひと気の少ない此処も、この日に限っては人で賑わっている。隔絶された非日常感と、多くの人たちが同じものを楽しんでいる一体感。その場にいるだけでなんだかワクワクしてくる。
私は昔からお祭りが好きだった。幼い頃はよく、地元の神社のお祭りにお兄ちゃんと一緒に遊びに行ったり、ばあちゃんに連れていってもらった覚えがある。はぐれないように手を繋いで、色んな食べ物を半分こにしたり、射的で惨敗したり、お神輿を眺めたり。もう戻れない幼少期に、懐かしいな、としみじみ思う。
今日は大学の友人とは都合が合わず、私は一人で出掛けるのも好きなのでそのまま単独でやってきた。今川焼のカスタード、新横浜風焼きそば(普通の焼きそばと別段変わりなかった、でも美味しかった)、フランクフルト……あらゆるものを誰の制止もなく一人で食べ切ったので、さすがにかなりお腹が膨れた。途中、トルコアイスの屋台で吸血鬼トルコアイスパフォーマンスおじさんのパフォーマンスに見入っていた周りの人が襲われかけていたが、パトロール中の吸対や
「あれ、エン?」
「あ、ロナルドさん、こんばんは」
人の合間を漂うようにぶらぶらとしていると、見慣れた銀髪を目が拾った。同時に向こうもこちらに気づいて、ゆるい足取りで近づいてくる。
「おひとりですか?」
「ジョンとドラ公、ヒナイチとパトロールしてたんだがな、はぐれちまって。まあそのうち合流できるだろ。エンも今日は一人か?」
「はい」
一人お祭りは世間一般には珍しい部類かもしれないけれど、ロナルドさんは私の性質を知っているのでそのことに特段突っ込んでくることもなかった。そんな彼はパトロール中らしいが、片手にヨーヨーを弄び、頭にはお面をつけていて(ちなみに鴨……もといヴァモネさんを模していた。吸血鬼
「せっかくだし一緒に回るか? さっきからあちこちでやたら吸血鬼が問題起こしててな。一人だと危ねぇのもあるし」
「え、でもお邪魔じゃないですか?」
「んなことないぜ」
「じゃあ、ご一緒に」
はて、パトロールに一般市民が同行してもいいものなのだろうか。とはいえ、彼の様子を見るに、パトロールといってもそこまで大仰なものではないのかもしれない。しらんけど。私はお言葉に甘えて、ロナルドさんに着いていくことにした。
「やっぱ浴衣の人が多いよな〜。エンは私服なんだな」
「実家には浴衣あるんですけど……わざわざ取りに行ったりレンタルするのもアレなので」
「そっか。実家どのへんなんだっけ」
「そう遠くもないですよ。電車ですぐ帰れます」
「そりゃいいな」
「ロナルドさんは浴衣、似合いそうな気がします」
「えっ、そ、そう? なんか照れるぜ」
「あ、ベビーカステラ食べます?」
ロナルドさんはお礼を告げて、私が傾けた紙袋に手を突っ込んだ。一番少ないものを頼んだんだけど、屋台のおじさんがいくつも気前よくサービスしてくれたので、袋はまだまだ膨れていた。
周囲のざわめきで埋もれないように、いつもより少し声を張って取り留めのない応酬を続ける。ふと、お賽銭箱の置いてある向拝のところに見慣れた大きな影が見えた。
「お、サテツじゃねえか」
「ああ、ロナルドお疲れ。エンさんも一緒なんだね」
「さっきそこで偶然会ったんです」
人が多いとはいえ、見慣れた人たちは結構目が拾っていくものだ。メドキさんやバッターさんも、先ほど遠目で吸血鬼を捕まえていたのを見た。余談だけど、今日いないメンバーは、おそらく町のほうのパトロールに繰り出しているのだろう。いくらお祭りのほうに人や吸血鬼が吸い寄せられるとはいえ、警備が手薄になった町のほうを狙われては本末転倒だ、というのを以前聞いたことがあった。
「お疲れ様です。サテツさんも食べます?」
「わあ、ありがとうエンさん」
「あ、手出してください」
残像を生む早さで袋に食らいついてきたサテツさんにそう付け足す。さっきみたいに袋ごと渡したら、たぶん割と容赦なく持っていかれただろう。他のギルドメンバーにも、彼には入れ物ごと渡しては駄目だと前から釘を刺されていた。おかわりとかも際限なくするので、安易に奢らないほうがいい、とも。回転寿司では彼以降のレーンに皿が流れてこなくなるため、店員さんからも一番下流に移動をお願いされたらしい。そんなことってあるんだ。
差し出された大きな右手のひらに、コロンと中身を落とす……はずが、サテツさんの横から急に伸びてきた白い手に変に妨害され、四つくらい転がり落ちてきた。あまつさえ、その白い手はそこから勝手に二つかっさらっていく。
「勧められてないけどもらってやる〜ひょいパク」
「あっコラ、勝手に……!」
「ああ、いいですよサテツさん……あれ、貴方こないだの……吸血鬼ルール違反」
「マナー違反!!
「マナーに厳しいマナー講師みたいになってますよ」
「ンアアア!!」
彼は以前夜道で出会ったグール使い、吸血鬼マナー違反だった。黒いコートと違い、涼しげな浴衣を着ていたから印象はだいぶ異なるが、あの口調と不思議な髪色には覚えがある。彼のほうは、私を覚えているのかいないのか微妙なところだけれど。まあ、どこにでもいそうな人間と、一風変わった能力使いの吸血鬼では印象の差もあろう。
マナーくんの片手には、食べ終わった焼きとうもろこしが握られていた。ポイ捨てしようとして、サテツさんに諌められていたのだろうか。ありそう〜。
そんなこんなで、会話もそこそこにサテツさんとマナーくんと別れ、私はパトロールを再開するロナルドさんに着いていく。
「ぐへへへ我が名は吸血鬼ドネルケババー! お客がくるくる回るドネルケバブに気を取られている隙に襲いかかる恐るべき」
「フン!!」
「ブェーーー!!」
時には店先で悪さを働く吸血鬼に右ストレートを決め、
「我が名は吸血鬼鼻緒切り! すれ違いざま特殊な靴で人間どもの鼻緒を」
「フンバ!!」
「ブェーーー!!」
時にはお客さんに紛れて悪事を繰り広げる吸血鬼に右フックをかまし、
「いらっしゃい、いらっしゃい。コゼンラニウムすくいだよ〜」
「お前二回目だろうがーッ!」
「違う三回目ブェーーー!!」
時には懲りないゼンラニウムさんにラリアットをお見舞いするなど、とにかくわんこそばの要領でなんか色々と吸血鬼騒動があった。ロナルドさんのルートだけでこれなんだから、神社各地でも恐らくかなりの数出現しているに違いない。何か人智を超えた力によりこの神社に吸い寄せられているとでもいうのだろうか。ありそう〜。
「うおっ、なんだアレ……!」
ふいに上がったロナルドさんの声につられて、今度は何だと天を見上げる。「あれ……月光院さん」見覚えあるゴージャスな女性吸血鬼が、男性を乗せて悠然と夜空を浮遊していた。
「ん? エンも
「はい、同じ大学で。月光院さん、後天性吸血鬼として別の学部でも話題に上ったくらい有名なんですよね。吸血鬼化に関する論文とかも賞取ったりしてて、すごいんですよ」
「へえ、そうだったのか」
「まあ今後の情報開示によって都合が悪くなったらこの同学設定も消えるんですけどね」
「エンさん?」
「ロナルドさんもお知り合いだったんですね」
「ああ……まあ色々な」
妙に顔を逸らされたが、追求するのも野暮なのでそこで話は切った。
月光院さんはそのよく通る美声で、まるで女神みたいに地上の吸血鬼に語りかけている。ハレの日くらい喧嘩はやめて仲良くしよう、人間も吸血鬼も、せっかくのお祭りなんだから楽しまなきゃと。それを聞くや否や、そこかしこにいた吸血鬼たちは「女帝の言う通りだ」「祭りの日くらい人間と馴れ合うか」と口々に肯定を示した。月光院さんの人徳とカリスマ性により、あちこちで勃発していた吸血鬼騒ぎはみるみるうちに鎮火していく。すごいな月光院さん。まさに現代の新しい吸血鬼って感じ。いやしらんけど。
改めてパトロールを再開するが、月光院さんのおかげか、暴れ吸血鬼の姿はとんと見えなくなっていた。おとぎ話みたいだ。
「んだよ、希美さんがいれば
「そんなことないですよ、ロナルドさんたちの存在がそのまま、抑止力にもなってると思いますよ」
「そう言われると、そうなのかなぁ……」
「そうですよ。いつも町を守ってくれてありがとうございます」
率直に伝えれば、ロナルドさんは少し照れたように笑った。
*
敷地内をぐるりと一周した頃には、だんだんと夜も深まってきていた。その間に顔見知りの吸血鬼や
「そういや大学は今夏休みなんだっけ?」
「はい」
「そりゃいいなあ。今のうちにたくさん謳歌しとけよ」
「肝に銘じます。そういえば、ロナルドさんの妹さんも大学生でしたっけ?」
「そうそう。確かエンと同い年のはずだぜ」
他愛もない会話を交わしながら、てくてくとゆっくり歩き続ける。祭客は人間も吸血鬼も軒並み落ち着いてきて、もうほとんど問題は起こっていない。たまに喧嘩騒ぎなんかもあったけど、そこは吸対の人たちが警察として抑え込んでいた。
「妹さん、どんな感じの人なんですか?」
「んー……ちょっとエンと似てるかも」
「私に? なんかちょっと照れますね……あ、でもそれならうちの兄もちょっとロナルドさんに似てる気がします」
「ヘアッあ、あのお兄さんに……!?」
「はい。表情豊かなところとか」
「そ、そう……」
ロナルドさんは少し困ったようにソワソワしていた。もしかすると、兄のことが苦手なのだろうか。彼らは会ったことがあるはずなんだけど、私のいないところで兄が変にロナルドさんに噛みついたりでもしたのだろうか……ありそう〜。流れでつい口走ってしまったけど、似てるだなんて不敬だったかもしれない。
心の中で謝りつつ、話題を変えようと適当に視線を滑らせる。ふと、近くの屋台の文字が目に留まった。ついで感じるソースの香りに、そこそこ膨らんでいたはずの胃袋がまた動き出すのを感じた。
「ん? どした? たこ焼き食いたいの?」
ロナルドさんは、私が新横浜風たこ焼きに目を奪われていると気づいて軽くこちらを覗き込んできた。なんとなく、言葉遣いとか声の調子とかが、在りし日の兄を彷彿とさせて(もしかしたらロナルドさんも、さっきの会話の延長で妹さんに対する仕草が引き出されたりしたのかもしれない)うっかり「お兄ちゃん」だなんて呼ぶ大事故を起こさないように、そっと気を引き締める。
「いや、食べたいには食べたいんですけど、もう結構食べちゃったしどうしようかなあって」
「んじゃ俺と半分こする?」
「え、いいんですか?」
「おう、俺もちょっと食いたいなーって思ってたから」
「じゃあぜひ」
食べられなかった分持ち帰るという選択肢もあったし、ロナルドさんだって本当は、普通に一人で一舟食べきれるだろう。だけど、せっかくなので彼の提案に甘えることにする。たこ焼きの屋台では普通のおじさんが普通にたこ焼きを焼いていたので、安心して普通に購入した。
「あ、半分払います」
「いやいーよいーよ」
ロナルドさんが英世を一枚取り出したため、私は慌てて小銭入れを開いたけど、彼はさらりと断るとお会計を済ませてしまった。出来立てのパックと割り箸二膳を受けとる彼に、横からさらに食い下がる。
「悪いですよ、払います」
「じゃあホラ、俺よくお裾分けもらってたし、そのお礼ってことで」
「でも……いや、ありがとうございますロナルドさん」
そんなふうに言われれば、甘んじるしかない。そもそもいつもお世話になってるお礼のお裾分けでもあるから、お礼のお礼だなんて随分とややこしいけれど。何度も断るのも逆に失礼だし、ここはきっと、年上のロナルドさんを立てるべきなのだろう。
「あれ、そういや最近はあんまりお裾分けくれないよな」
「えっ?」
ロナルドさんがふいに溢した一言に、思わず反応してしまう。彼は二、三秒間を空けてから、すぐに我に返ったように慌て出した。
「……あ! いやっ違っ、くれくれとかそういう浅ましい催促的な感じのアレのつもりじゃなくて!」
「ああいや、分かってますよ」
私はそう頻繁に自炊はしない……というかできないタイプだけど、ごくたまに多く作りすぎたおかずの残りを、階下のロナルドさんにお裾分けに行ったりしていた。
しかし、最近はめっきりそれをしていない。どうにか自分で食べきるか、そもそも外食や中食で済ませている。彼が疑問を持つのも、不思議ではないだろう。
「だって、ドラルクさんって料理すごく上手じゃないですか」
「え、なんでアイツが出てくんの?」
「いや、シェフ雇ってるような人にド素人の料理差し入れるなんて恐れ多いっていうか……」
「そっ、そんなことねぇけど!?」
「いやあ、プロの歌手の隣で一般人がカラオケさせられるみたいなモンですよ。お恥ずかしい」
「そ、そんなことねーってホントに!!」
突然迫った綺麗な顔に、思わず少しだけ仰け反った。睫毛、白くて長くて綺麗だな、なんて場違いな感想が浮かんだ。
「イヤッ、別にだからくれって話では全然ないしむしろ今まで善意でくれてたわけだから俺のほうがもっとお返しして然るべきだろうとは思うんだけど、あの要はつまりクソ砂クッキングがどんだけ美味かろうがそれとはまた別にエンがくれたモンはすげー美味くて魅力的なモンだったし俺料理できねーからいつも尊敬してたし助かってたしっつーアレでだな、と、とにかく! んな謙遜しねえでもエンからのお裾分けはすげー俺いつも嬉しかったから! そんな卑下しないでほしいっていうか!」
力説するように語気を強めて肩で息をするロナルドさん。必死に捲し立ててフォローしてくれるその姿に、私はなんだかじわじわ来てしまって、思わず吹き出した。彼は彼で、だんだんと頬を赤く染めて、私からぱっと距離を取ると、居心地悪そうに視線を泳がせている。忙しい人だ。あまりにも人が良すぎて、そして本当に面白い人だ。やさしい人だ。
「ありがとうございます……照れますね、家族以外にそんなふうに料理褒められたことないので」
「そ、そう……全然照れてるようには見えないけど」
「っていうかそもそも家族以外に振る舞う機会なんてなかったんですけどね。じゃあ、また自炊した時に余ったら、持っていきます」
「お、おう! 楽しみにしてるぜ!」
ぱあっと笑うロナルドさんは少し幼く見えて。それから半分ずつ二人でつついたたこ焼きは、一人で食べ切るのとはまた別の美味しさがあった。
夏祭り、楽しいな。また来年も来られたらいいな。
*
「そんなところにいたのか」
たこ焼きも食べ終え、隅のほうに設置されていたゴミ箱にパックを捨てていると聞き慣れた声が届いた。
振り返った先には案の定ドラルクさんとジョンくん、そして後ろにいたのは吸対のヒナイチさんだ。彼女は爽やかなソーダ色の浴衣を着ていたが、ドラルクさんは相変わらず貴族のような黒いスーツを身に纏っており、似合ってはいるものの、夏場は少し暑苦しく見えた。
人に揉まれてはぐれないようにだろうか、ドラルクさんは手袋を嵌めた手でヒナイチさんの手を引いていたのを、そっと放してこちらに近づいてくる。
「まあ、
「どうも、ドラルクさん、ジョンくん。ヒナイチさんもお疲れ様です」
「やあエン君。迷子の五歳児の面倒を見てくれていたんだねありがとう」
「誰がじゃ」
「スナァッ!!」
「ったく、こいつのお
ロナルドさんの声掛けに、ヒナイチさんはいまいち反応がない。「ヒナイチさん?」妙に思って私も次いで名前を呼んでみるが、返事返ってこない。それどころか、彼女はなんだか頭が働いていないようにぼうっとして見えた。
「ヒナイチ君──ヒナイチ君!」
ぱちっ、と弾けたように、華奢な肩が揺れた。
いつの間にか砂から復活していたドラルクさんの呼び掛けで、まるで魔法が解けたみたいに、ヒナイチさんの焦点がぴたっと合う。彼女は左右をきょろきょろと見回した後、私たちのほうに視線を向けた。
「どうした? ボーっとして」
「あ……いや……なんか変な夢を見たような……?」
「大丈夫ですか?」
「なんだよ、そんな疲れたか? そろそろお神輿やるみたいだから、それ見たら早上がりしたら?」
ヒナイチさんは少し困惑したように曖昧な返事をする。私は少し考えてから、手元に残っていた袋を彼女に傾けた。確か彼女は、甘いものに目がなかったはずだ。
「ヒナイチさん、息抜きにベビーカステラどうぞ」
「え、あ、ありがとうエンさん。ではいただくとしよう」
「こういう所は色々起こりますしね。おかえりなさい」
「? ああ……」
ヒナイチさんはベビーカステラをぱくりと頬張ると、地に足がついたようにぱっと顔を明るくさせた。
色んな人にお裾分けしているうちに、袋の中はいつの間にかあと二つになっていた。私は一つをジョンくんにもあげてから、残りを自分の口にも投げ込んでくしゃりと袋を丸めた。