よよいの宵
「おネェちゃんは……令和版のび太くん!」
「貴方は……追い剥ぎおじさん」
「野球拳大好き!」
「なぜ急に性癖を」
「
すっかり日も暮れて、活動が始まったであろうギルドに久しぶりに顔を出そうかなと思い立った道すがら。不運にも道端で再会を果たしてしまったのは、目の前の和服の男性──もとい吸血鬼野球拳大好きだった。彼はその三白眼をカッと開いたと思えば、すぐに目元を妖しく曲げて一歩こちらへ踏み出す。下駄の鳴る軽い音に、あ、やべ仕掛けられると直感した。
「ブワハハハここで会ったが7話越しィ! あリベンジマッチじゃよよいのブエェッ!!」
こちらに飛び掛かってくる彼の顎目掛けて、めいっぱい手を振り上げる。彼の口上は遮られ、こちらに絡んでいた視線も途切れた。私はすかさずスマホを取り出して、そのまま逃走と共に
「ちょちょちょそんなつれないじゃないのちょっと一回だけでいいからさァ俺と野球拳しようぜ!」
「なんで聞き入れてもらえると思うんですか放してください。泣きわめきながら嫌々相手されても貴方楽しくないでしょ」
「おネェちゃん絶対そんなことになんねーだろ! 毛の生え方がすげーもん心臓の」
「そちらこそ、ギルドのこんな近くで随分肝が据わってますね」
「そのスリルが最高なんだろーが! さあさ楽しい野球拳の時間だあソレ、アウト! セーフ! よよいの……あ?」
触れた皮膚からひやりと冷たさが伝わってくる。彼に掴まれたうでもそうだった。夏場でも、吸血鬼特有の体温の低さは健在らしい。
向けた手の先を私に握られた彼は、唖然としたように瞬きしていた。親指を除いた四本指をこうやって固定すれば、少なくともじゃんけんの手は作れないだろう。パーにカウントされないかどうかは、ちょっと賭けだったけど。
「あらら積極的ね〜手なんか握っちゃってェいーだだだだだ関節ズレる関節ズレる!!」
持てる力全てを注いでぐっと握りつぶせば、たちまちおじさんからしたり顔が消え失せた。私だって好きで握ってんじゃないですよ。マリアさんにはボコボコにされてらしいけど、大柄な体格からしても少なくとも私よりは絶対強いし、本当なら逃げの一手だ。その前に術を掛けられそうだったから、苦肉の策でこうしているわけで。
彼は涙目で、私の腕を掴んだままの自分の手に視線を落とす。そちらを放せば、今一度じゃんけんを仕掛けられるけど、その瞬間に私は全力疾走で逃げるつもりなのだと、彼も察しているのだろう。彼の催眠術は、おそらく至近距離の対象にしか発動できないから、インターバルを考えてもギリギリ効果範囲外に逃げられる。そうじゃなかったら、彼はとっくに躊躇いなく再じゃんけんをしているはずだった。
「そんなに野球拳がしたいならお友達を誘ってください……あっ」
「『あっ』て何!? 俺友達いないと思われてる!?」
「いたらとっくに誘ってるかなって」
「道行く知らないおネェちゃんや
「なんて迷惑千万なんだ……」
彼の手は私よりひと回りもふた回りも大きくて、私の腕を易々と掴んでいた。対して私は、なんとか自分の指を伸ばして無理やり彼の指先を握っている状態。流石に手が疲れで震えてきたが、うっかり力を緩めてしまわないように、気合いを振り絞る。
「ったぁく……ホント賢いおネェちゃんだこと」
ひとしきり騒いで落ち着いたのか、ふいに漏れた声色はどこか諦めじみていた。私に掴まれた手から、臨戦態勢を解いたように力が抜ける。それでも私は念入りにその手を抑え続けた。
「わーったわーった。今回は俺の負けだよ。潔く諦めて帰ることにするわ」
「いやぁ、信用できないんですけど。離した瞬間に仕掛けるつもりじゃないですか?」
「疑り深いねェ。仮にそうだとして、おめーはここからさらにどうするつもりだ? こうやってずうっと俺の手ぇ握ったままでいるわけにゃいかねぇだろ。ま、俺としちゃ役得だから構わねぇけどな」
ニヤニヤと下卑た笑いを上方から注がれる。そりゃ、端から見たら、熱心に彼の手を握ってる私のほうが、自ら彼に絡んでいるようなものだ。周りにそんなことを思われては心外だ。シンヨコハマご都合タイムにより今は誰も周りにいないけど。
まあ、でも、時間は充分に稼げたから問題はない。
「私はどうするつもりもありませんよ」
「ほ〜お? んじゃここからは我慢比べっつう……おい待てなんかちょっと見覚えある奴らが向こうに見えんだけど」
「私もです」
おじさんと膠着状態になる直前に鞄に滑り込ませていたスマホの画面は、ギルドとの通話が繋がったままになっているはずだ。これまでの会話を聞けば、常駐している
「ウオーッ! 放せバカ俺がボコボコにされてもいいのか!?」
「身から出た錆という言葉が」
「グオオオ一片のやさしさもねーのかおめーは!」
言いつつ、おじさんは私に掴まれた両手を勢いよく振り回した。その力強さに、彼を拘束していた手が離れてしまう。反動で後ろによろけるうちに、彼はそのまま下駄を掻き鳴らして一目散に遁走してしまった。漫画のコミカルな悪役のような背中だった。
「エンー!!」
「大丈夫か!! 大丈夫だなよしオレはあのハゲ引っ捕らえてくるわオラ待てゴルァァ!」
真っ先に駆けつけてくれたマリアさんは、よろけた私の背中を力強く支えるや否や、こちらの安否確認をし、流れ作業のようにまた駆け出した。長い裾を翻して吸血鬼野球拳大好きを追い掛ける彼女は、お礼を言う隙すらなかった。
次いで現れたロナルドさんは、私という一般市民が特に被害を受けていないことを確認して僅かに息を吐く。夏場に急がせてしまったからか、額にはかなり汗が浮いていた。
「すみません、また急に呼び出しちゃって」
「いやむしろ通報は迷わずしてくれて構わないけどよ! エン何ホントお前変態ホイホイ!?」
「いやぁ、ロナルドさんには負けますよ」
「なんも嬉しくねーけど!?」
叫ぶロナルドさんを横目に、遠方でマリアさんから逃げ回る野球拳おじさんをそっと見やる。──あの人、ガタイもいいし、最初から私程度の力なんて、簡単に振りほどけたんじゃないだろうか? それでも私に掴まれたままでいたのは、単なる戯れか。
「あ、マリアに捕まった」
「捕まりましたね」
実は彼のことは、先日の夏祭りでも一方的に見掛けていた。なんかチョコバナナのお店を出していたので、下手に仕掛けられる前に迂回して別の屋台を探したりしたのだ。
あの日、彼も彼でお祭りをとても楽しんでいるようだったけど、目先の享楽への弱さは、もしかしたら人一倍なのかもしれない。
困った