We must dance on the same stage.
『昨夜未明、✕✕県✕✕市の住宅街で女性の遺体が発見されました。死因は失血死で、傷口や現場の状態から、下等吸血鬼の吸血による可能性が高いと見られています。警察は吸血鬼対策課と共に捜査を──』
*
蒸し暑い夜だった。
日中と比べて人通りの減った街中。いつもバイト帰りに通る近所の公園のベンチに、見慣れた影を見た。せっかくだし声をかけようと思い、ひと気のない公園の出入り口をくぐる。
「ロナルドさん、こんばんは」
見慣れた白頭に、いつもの赤いハットは乗っていなかった。同色の外套の下で背を丸めたロナルドさんから、返事はない。私が近づいたことにも気づいていないようだ。
「ロナルドさん? ロナルドさん!」
「っ!」
少し声を張り上げると、肩が大きく揺れた。こちらを見上げる瞳も揺れていて、それは私に驚いたからという理由だけではないように思えた。
「あ……ああ……エンか……」
「こんばんは。お仕事お疲れ様です」
ロナルドさんは帽子を手に持っていて、つばの端は少し傷が付いて破れていた。吸血鬼との戦いの後だったのだろうか。変態吸血鬼に変な翻弄のされ方をしていることは多かったが、こんなふうに物理ダメージを食らっているのは珍しくて、妙に目に留まる。
今日の彼の周りにはドラルクさんも、ギルドのメンバーもいない。周りによく人の集まる人だ。それでもこんなところに一人でいたのは、一人になりたかったからだろうか。
「……ロナルドさん、大丈夫ですか?」
私は彼のすべてを知りはしないけど、彼の様子はやっぱりいつもと違って見えて、慎重に言葉を重ねる。彼は目線を一瞬下げた後、ぱっと笑って見せた。
「ああ、大丈夫。ありがとな」
湿った草木や泥の匂いがどこか煩わしい。街灯の少しの明かりだけでは心もとなく、彼の笑顔を不安定にさせる。
出し抜けに大丈夫かと問われ、大丈夫だと笑って返す人は、大抵大丈夫ではないのだ。ただ、否定をするのには気力を伴う。
「……無理そうですか?」
「──……」
少し体を屈めた私の問いかけに、昼間色の瞳が開かれた。いつもは晴れた空のような色だと思っていたけれど、暗いからか、今日は曇っているように見えた。
ロナルドさんは無理に笑っていたのを解いて、静かに面持ちを下げる。少し迷ってから、私は彼の隣の座面を手で軽く確かめた後、腰を下ろした。
数秒か、数分か、時間が流れる。隣を無粋に覗き込むことはしなかったけれど、耳だけは彼に傾けていた。
「……下等吸血鬼を、退治してきたんだ」
しばらくして、彼は再び口を開いた。お疲れ様ですの一言すら言い憚られる低いトーン。ロナルドさんは、静かな時ももちろんあるけど、こんなふうに吹けば飛んでしまいそうな声で話すのはとても珍しかった。
「子どもが……巻き込まれてた。もし、あと少しでも遅かったらと、思うと……」
「……そうだったんですか」
「あの子は、酷く怯えて、発作みたいにしゃくりあげて、震えてた。すごく、怖い思いをさせちまった。俺、気が動転してたみたいで、上手く話してやることもできなくて、」
「……」
「もっと早く助けてあげられたらって……何度も考えてしまって……」
「それは……ロナルドさんが悪いわけじゃないですよ」
怖かったのだろう。その子も怖かったろうけど、きっとロナルドさんも、怖かったのだ。子どもを助けられなかった未来を見て、どれほど身の凍る思いだっただろう。自分の目の届く範囲で、伸ばした手が届かないことが、どれほど恐ろしいだろう。私にはきっと、想像できても計り知ることはできない。
だけど、子どもは助かったのだ。ロナルドさんがいたから。いてくれたおかげで──
「まにあわなかったことがあるんだ」
唐突に落とされたのは、うわ言のような文字の羅列だった。小さな小さな吐露は、霧散することもなく、濁ったように空気に滞留していく。喉が詰まったように酸素の通りが悪くなって、私は無理に息を吐き出した。
「……まにあわなかった、」
彼は今、どんな光景を思い出しているのだろうか。今にも途切れそうな細い声が、それでも耳に刺さって消えない。俯いた彼の顔を影が覆う。遠くの蝉の声が、嫌に鮮明になった気がした。
彼はいつだって前に立ってくれている。戦えない私たちの代わりに戦って、危険な目に遭って、それで責められたり、彼の記憶にこびりつくものが彼を一生苦しめるなど、割に合わない。
「でも今日は間に合ったんですよ」
ロナルドさんは一瞬、肩を揺らした。長い前髪の隙間で、青い瞳が瞬いた気がした。
誰が何と言おうと、ロナルドさんはその子の今日を護ったのだ。それは絶対に揺らがない事実だ。
「間に合ったから、その子は生きてる。ロナルドさんがいたから」
「……、」
「私だってそうですよ。あの日、ロナルドさんが来てくれたから、私は今も元気なんです」
ベンチから立ち上がって、ロナルドさんの真正面に立つ。彼の手からそっと帽子を借りて、その頭にやわらかく被せた。それから両手でほんの軽く、撫でるように押さえる。顔なんて上げなくていいように。私の無責任な言葉に、縛られなくて済むように。
「ロナルドさん、ありがとうございます。ロナルドさんだって、怪我するし、疲れるし、怖いのに、それでも、いつも護ってくれてありがとうございます」
「…………ん、」
護られた安全地帯からのお礼や応援や心配は、全部ただの自己満足かもしれない。それでも私はありがとうを伝えたかったし、ロナルドさんは帽子の下で僅かに頷いたようだった。
自分たちは誰からも護られることなく、それでいて誰も彼もを救ってくれる、神様みたいな『ヒーロー』の偶像を、私たちは彼らに押し付けてはならない。
勝手に舞台から降りてはならない。遠い存在にしてはならない。同じ高さで生きなければならない。
彼らはどこまでも、私たちと同じ人間だ。
*
「ロナルドさんもう帰ります? 一人でのんびりしたい気分だったら私別ルート行きますよ」
「いや、もう遅いし危ないから送ってくぜ」
「……ありがとうございます、そしたらお言葉に甘えます」
赤い外套を纏う男と、身軽な私服の女が並んで歩く。
蒸し暑い夜だった。
昼より涼しいとはいえ、歩いているだけでじわじわと汗ばんだ。二人の間に、近くにできた新しい店の話だとか、今日のご飯の話だとか、ぽつぽつと取り留めのない会話が続く。途中にあったコンビニで、ロナルドが二つくっついたチューブ型のアイスを買ってきた。それはエンが気負わない程度の、ほんの些細なお礼だった。冷凍庫でよく冷えたそれは持っているだけで涼しくて、エンは嬉しそうに顔を緩ませる。
「カルピス味で良かったか?」
「大好きです。あ〜おいし……アイスと結婚したい」
「冬はどうすんだよ」
「離婚して肉まんと結婚します」
分かりやすく雑なボケを返した年下の友人に、ロナルドは「ぶはっ」とようやくいつもの調子で笑った。