色気・言い訳・お裾分け
スパゲッティサラダを作りすぎた。珍しく自炊しようと思って息巻いたら、思いの外それぞれの材料が多すぎてえらいことになった。
こういう時、私はいつも階下のロナルドさんにお裾分けをしていた。普段お世話になっているし、ここから一番近い他所様なので妥当だろう。
大きめのタッパーを棚から取り出して、具材が偏らないように気を付けながら中身を箸で移していく。パスタの他にきゅうり、にんじん、ハム。彼が食べられないのはセロリくらいだったはずだから問題もないはず。
「こんなもんかな」
誰にともなく呟いて、タッパーの蓋を閉めた。そこそこ多くなってしまったが、結構よく食べる彼にとっては、この程度一食分くらいにしかならないだろう。彼と同じ年頃の私の兄も、このくらいならぺろりとたいらげていた。
上着を羽織り、鏡の前で軽く髪を整える。同じビル内のド近所とはいえ、あまりにも雑な恰好で行くのはちょっと憚られた。それに彼は綺麗な人だから、同じ空間に収まるのに私が居たたまれなくなりそうだし。まあ、別に彼はそんなこと気にしないだろうけど。
タッパーと鍵を持って玄関を出る。どんなに一瞬の外出でも、しっかり戸締まりはしないと危険だ。鍵を回して、ノブを引いて、締まっていることをちゃんと確認してから階段へ。鍵はきちんとポケットの中に。階下について、事務所前にたどり着き、さてノックをしようというところで、
「恥を知れーッ!!」
と、女の子の絶叫が聞こえてきた。え、何? 大丈夫か? 思わずノックをすっ飛ばして、ドアを押し開く。
「あの、一体何が」
「ウワーーーッ!!」
「アーーーーッ!!」
「アアーーーッ!!」
「パオーーーッ!!」
「えっ」
玄関開けたら悲鳴の大合唱。何事かと考えるより先に、室内の奇妙な光景に目を奪われた。見慣れない若い女性──あの白い制服は吸血鬼対策課の人だ、先ほど叫んだのはきっとこの人だろう──が立っていて、その前でロナルドさんとジョンくんは正座させられているし、ドラルクさんに至ってはまた砂になっているし、その奥の……えっ? 誰? 生き物? 巨大で珍妙な、非常に形容しがたい、象のような鼻を持った、恐らく吸血鬼がなにかものすごいエネルギーを感じさせる顔で鎮座していた。周囲の床には何か雑誌類が散乱しており、つい目を凝らそうとするよりも早く、ロナルドさんと女性がドッタンバッタンと駆け寄ってきた。
「エン! みみ見たらダメだダメだ!!」
「そそそそこの君今すぐ目を瞑るんだ!」
「一体何……ハッ」
「え!?」
「ロナルドさん……私今日、別に誕生日とかじゃないですよ」
「いやお前のサプライズパーティーの用意してるとかじゃねーけど!?」
あ、なんだ良かった。本当にそうだったら世界一気まずい空気になるところだった。胸を撫で下ろしたところで、吸対の人が手に持っているものが視界に入る。表紙に印刷されているのは、肌を大胆に露出した色気溢れる女性。あの……あれ、有り体に言えば成人向けの雑誌。これは如何したものか。
「ってヒナイチお前それ……!」
「ん……ウワアーーーッッ!!」
ヒナイチさんと呼ばれた女性は、手に持ったままのそれにようやく気づいたらしい。一気に顔を上気させて、テンパったように雑誌を後ろに放り投げた。再生しかけていたドラルクさんにクリティカルヒットしてまた塵の山ができた。
「ばばバカヤローこれ以上醜態を広めるわけにはいかねーとせっかく……!」
「わわ私だってこれ以上被害者を増やさないようにとだな……!」
怒りか羞恥か、二人は顔を赤くしながら言い合いを始める。推察するに、床に大量に落ちてた他の雑誌もあの類いのだろう。別に、大人の男の人が所持していたっておかしくないとは思うけど、目の当たりにすると少ししんどいものがある。そうか、ロナルドさんもそういうの読むんだ……そしてそれ以上に、どうしてそれが床にたくさん散乱している状態で、吸対の女性が部屋にいたのか。珍事にも程がある。
「エン違うんだこれはあの誤解なんだホント!!」
ロナルドさんは後ろ手に扉を閉めながら、汗と涙を浮かべて弁明する。その顔がちょっと可哀想なくらい、耳まで真っ赤になっているものだから、私は気まずさに視線を下げながら口を開いた。
「いえお気になさらず……ばあちゃんも、人を一面だけで判断しちゃ駄目よって言ってましたし……」
「ちっ違っ、」
「別にどんな趣味であろうと何を持っていようと、人それぞれなので……」
「違うんだァーッ! いやっ違くはないけど違っ……ンアアアアー!!」
私の精一杯のフォローもむなしく、ロナルドさんはとうとう頭を抱えて半泣きで「違うんだァァ……」と小さく溢す。なんだか憐れすぎる、まるで私が悪いことをしたみたいだ。確かにタイミングは悪かったんだろうけれと。
「フンッ、
「違うんだホントあれは依頼の一貫であって……!」
「だから何をどうしたら依頼であんないかがわしい本が必要になるんだーーー!」
ヒナイチさんが力一杯正論を叫び、少し年季の入ったビルが震撼した。
──その後、ドラルクさんも交えて開かれた全身全霊の弁明会によると、依頼人の吸血鬼の変身能力をコントロールするため、性への慣れが必要とかいうトンチキ案件だったらしい。まあそこの誤解が解けたところで、たくさんの成人向け本を所持していた事実が消えるわけではないのだけど。そのせいで相変わらずロナルドさんは真っ赤な顔で死にそうになっていた。すっかりタイミングを逃していた手元のお裾分けを回復アイテムのつもりで渡したら、とどめに転じてしまったらしく彼は罪悪感でそのまま昏倒した。
それにつけても魔都・新横浜、変な吸血鬼が本当に多いな。