華のギルドで縁やこら
私はあまり活字は読まないタイプの人間だ。部屋の本棚にあるのは片手で数えきれるくらいの小説と、大学で買った教科書類と、あとは大体漫画。たまに図書館で小説を借りることもあるけど、基本的に自分で買うことはほとんどなかった。
そんな本棚に、先日一冊の本が増えた。ロナルドウォー戦記、通称ロナ戦の二巻。階下に住むロナルドさんの、
というわけで早速読み終えた二巻、せっかくだから著者ご本人に直接感想を伝えようと思っていたところで、タイミング良く彼のほうから来てくれた。
「よおエン!」
「エン君、おはよう」
「ヌ〜」
玄関先にはロナルドさんだけでなく、肩にジョンくんを乗せたドラルクさんもいて、彼に倣って「おはようございます」と返す。なるほど、吸血鬼にとっては日の沈んだこの時間帯はおはようなのか。人間にとっては朝の挨拶をこの時間帯に口にするのも、なかなか新鮮な気持ちだ。
「これ、こないだのタッパー返すぜ。遅くなって悪い」
「ああ、いえ、私も忘れてたくらいなんでお気になさらず」
「サラダすげー美味かった! ありがとな」
「どういたしまして。そうだ、ロナ戦二巻も買いましたよ。すごく面白かったです」
「えっあっへへッて、照れるぜ……お買い上げありがとう……」
「実家の家族にもオススメしました」
「うあ……せ、宣伝ありがとう……」
頬を赤らめて困ったように視線を泳がすロナルドさん。本当にシャイな人だなぁ。だけど謙虚で奥ゆかしい、というタイプとはまた違うから、ただただ褒められ慣れていないということだろうか。飽きてしまうくらいに称賛の言葉を浴びていても、不思議じゃなさそうな人なのにな。
「シャイだな若造は」
「うるせー!」
煽るように笑うドラルクさんにも同じようにつつかれて、ロナルドさんは照れギレしながら叫んだ。うっかり口に出さなくて良かったなあと思いつつ、「これからどこかお出掛けですか? お仕事前でした?」と先ほどから気になっていた質問を二人に投げ掛けた。ただタッパーを返すだけなら、わざわざドラルクさんとジョンくんは同行しないだろう。恐らく何かのついでのはずだ。仕事前だったら立ち話で引き留めて申し訳ないと思ったが、ロナルドさんは、
「ああ、これからコイツの顔合わせでギルドにな」
と、ドラルクさんのほうを顎で示した。なるほど、コンビを組んだとなれば、実質ドラルクさんも
「そんでよ、せっかくだしエンも来るか? と思ってよ」
「え、いいんですか? 最近行けてなかったんですよね」
「おう! 暇なら一緒に行こうぜ」
「おや、エン君もそこの
ドラルクさんの問いに頷く。私はこの町に越してきてから、しばしば吸血鬼関連で彼らのお世話になることがあった。一番助けてもらっているのはやっぱり近所のロナルドさんだけど、他の
すぐ準備するので、数分だけ待っててくださいと言い残して部屋に戻る。返されたタッパーはピカピカに洗われていたけど、これを洗ったのがドラルクさんだと知るのはもう少し先のことだ。
*
「エン〜! 久しぶりだなぁ!」
「こんばんは、マリアさん」
新横浜退治人組合。通称ギルドに顔を出すと、私のほうに真っ先に声をかけてくれたのは修道女の衣装に身を包んだ
「最近全然顔出さねーからよぉ、ここのこと忘れたのかと思ったぜ!」
「いやあまさか。大学のレポートがあちこち重なっちゃって、先日やっと終わったんです」
「おう、そっか! お疲れ」
わしゃわしゃと豪快に頭を撫でられ、どんどん鳥の巣になっていく。ばあちゃんや兄によく撫でられていたから、慣れてはいるけど、身内以外にされると少し照れるというものだ。それにしても手鏡持ってきたっけ、慌てて出てきたからな……と記憶を辿りながら髪をかき混ぜられていると、逆どなりの席からツ、とジョッキが差し出された。
「やるよ」
「ショットさん。いいんですか?」
「学生も大変だな」
「いやあ、
キメ顔のショットさんがくれたのは、彼がいつも好んで飲んでいるクリームソーダだった。彼の熱望により、まかないメニューから恒常メニューに格上げされたというやつ。
結露で濡れたそれを手に取って、早速一口飲むと、人工的な甘さと炭酸の刺激が口に広がった。甘くておいしい。ショットさんも自分の分をもう一つ頼んでいたようで、私の様子を見て満足そうにしながらクリームソーダを啜っていた。
「あらっ、そこにいるのはエンちゃんね!? 久しぶりじゃない!」
「シーニャさん。お久しぶりです」
かわるがわる声をかけられ振り返る。先ほどから店内の騒がしさが増したと思っていたが、いつの間にかシーニャさんも参戦していたらしい。相変わらず寒そうな服だけど風邪を引かないといいな。きっと鍛えているから大丈夫なんだろけれど。
「ヤダ〜ッなんだかワイルドな髪型になってるわよ!」
「あ、そういえば」
シーニャさんはこちらに近づくと、手袋をはめた片手で私の頭を綺麗に梳いてくれた。なんだか撫でられるよりも気持ちがそわそわするが、嫌ではないので黙って受け入れる。そんな彼は、よく見るともう片方の腕に何か黒い布と砂を抱えていた。あれ、これドラルクさんでは? と気づいたが、ノータッチでいることにする。
それにしても、久々に顔を出したからか、やたらと皆が構ってくれる気がする。確かにここでは最年少あたりなのかなとは思うけど、学生とはいえ一応成人はしているのでなんだか少し気恥ずかしかった。嬉しいんだけどね。
*
さて、なんでこんなことになったんだったか。
いつの間にか勢いで始まったロナルドさんVSシーニャさんによる、ドラルクさん争奪戦。最初のうちこそロナルドさんはやる気の欠片も見せなかったが、途中電話が掛かって席を外してから突然闘志を燃やし始めた。「負けられない事情ができた」とは言っていたが、先ほどまでここぞとばかりに、シーニャさんにドラルクさんを押し付けようとして手を抜いていた彼に、一体何があったのだろう。まあ、ドラルクさんとしても追い出されては困るようだったので、ロナルドさんに火がついたのは喜ばしいことなのだろうけれど。
『さあ思ったより両者粘ります。それだけ地獄が長引いていく!』
ロナルドさんとシーニャさんは、今は第四戦目としてツイスター対決をしていた。二人とも大変な体勢になっている中、必死で取り合われているドラルクさんの嬉々とした実況が室内に響く。
「こいつは読めなくなってきたなぁ!」
「どっちが勝ちますかね」
隣に座るマリアさんにバシバシと背中を叩かれながら答える。ギルドでは基本的に
「ああいうサイドキックみたいなヤツがいるのもなかなか面白そうだよなぁ。エン、お前俺と組むか?」
「いやあ恐れ多い。私じゃ力不足ですよ」
「謙遜すんなってー! お前のどんな吸血鬼にも物怖じしない毛だるまハート、見どころあんぞ!」
私に良くしてくれるのはとても嬉しいけど、それにしても野生的な心臓だなと他人事のように思いながらホットコーヒーを啜った。クリームソーダで少し冷えたお腹が温まっていく。ここに来るようになるまでは、紙パックのコーヒーとか適当な缶コーヒーばかり飲んでいるような人間だったから、オシャレなコーヒーの種類や飲み方なんていまいち分からなかった。初めて来たときにマスターがお任せで出してくれたこれを、今ではよく好んで頂いている。特にこだわりはないんだけど、コーヒーの香りはとても落ち着くから好きだ。
ちなみにお酒を頼まないのは
「このロナルド様の辞書にはねぇー!!」
『ロナルド君決めたァーーーッ!!』
そうこうしているうちに、ツイスター勝負も決着がついたようだ。これで両者ともに二勝二敗。次の勝負でドラルクさんの運命が決まるようだ。そこまで見ていきたい気持ちもあるけど、そろそろ帰ったほうがいいなあと、スマホで時間を確認して考える。勝敗は今度誰かに教えてもらおう。
(でも、なんだかんだでロナルドさんが勝ちそうだな)
私の予想はそうだった。ロナルドさんとドラルクさんの間にある縁は、多分もう、そう簡単には千切れないものになっている、気がしていた。
共におしゃべりしていたマリアさんにだけ声を掛けて、席を立つ。マスターはドラルクさんと実況を交代して忙しそうだったので(ちなみにそのドラルクさんは、最終ゲームの棒倒しの砂にされていた)マスターの娘さんでもある店員のコユキさんに声を掛け、お会計を頼んだ。
店内の盛り上がりに水を差さないように、端のほうを通ってそっと店を出る。扉が閉まると、一気に周りが静かになった。
大学に入ってひとり暮らしを初めてから、静かな空間にいることが前よりさらに増えた。だけどこうして人の輪から外れた直後は、少しだけ寂しいような気持ちになる。
私は一人の時間がないと駄目なタイプの人間だから、四六時中誰かと一緒にいたいわけではない。ただ、誰かといる時間を、前よりもっと大事にするようになったかなと、漠然と思う。
「エンさん」
不意に名前を呼ばれ、店内の喧騒がまた一瞬だけ漏れる。振り返ると、サテツさんが私を追いかけるように店から出てきていた。
「送るよ。もう暗いし危ない」
「そんな……や、ありがとうございます。それじゃあ、お願いします」
悪いからと、一瞬断ろうとしたけれど、せっかく気を遣って出てきてくれたわけだし、彼はやさしいから断るほうが多分悪いと思い直す。素直に甘えることにすると、彼は細い目をさらに細めて笑った。
それにしても、皆が勝負に夢中になっている中そっと抜けてきたのに気づいてくれるなんてなあ。彼はいつもよく周りを見ていて、細かなところにも気のつく人だった。
「そういえば、この間警報が出てた
「ロナルドさんの助けが間に合ったので大丈夫ですよ」
「そうか、良かった……俺も近くにいたのに、すぐ駆けつけられなくてごめん」
「いえそんな、謝ることじゃないですよ」
「……ロナルドはすごいよなぁ」
トーンを落とした不安定な声に、ふと視線が上がる。サテツさんは長身で、多分私と最低でも物差し一本分は差があるから、ぐっと首をそらすことになる。彼はどこか自信を失ったような顔で、広い肩を落としていた。
「? サテツさんもすごいじゃないですか」
「ええ……? でも俺なんか地味だし影薄いし目立たないし……」
「いやあ、私の中では目立ってますよ」
サテツさんが驚いたように目を丸めて足を止めたので、私も合わせて立ち止まる。
あそこのギルドに属する
そんなことをざっくり伝えると、彼は困ったように顔を赤くして視線を泳がせた。この人も大概シャイなんだよな。やはり褒められ慣れていないのだろうか。
「サテツさんはロナルドさんみたいに前にガンガン出るっていうより、こう〜、後ろで支えてくれるみたいな。縁の下の力持ちなんでしょうね。皆さんもとても助けられてると思いますよ」
マスターも皆が敬遠する地味で面倒な仕事を文句言わずこなしてくれて便利、もといありがたい〜的なことを言ってましたし。というのは、ちょっとあけすけなので黙っておく。
「私もホラ、今だって」
私が帰るのにサテツさんが気づいてくれたおかげで、こうして危なくない夜道を歩けているのだ。そんな意図を込めて、自分の身を示すように振り返って両腕を広げて見せた。するとサテツさんは驚いたように、長い前髪の下で目を見張り──
ドガッ!!
「え?」
突然真横を通り抜けたサテツさんの左ストレートに、風圧で髪が揺れている間に背後から衝撃音。一瞬の出来事だった。
「っと……怪我はない!?」
「あ、えっと、はい……ありがとうございます……?」
鋭く殺意の籠ったような瞳が、一転していつもの人の良い目元に戻る。サテツさんが慌てたように私の肩に手を置く中、ちらりと視線を後方に送ると、私を狙っていたらしい下等吸血鬼が地面で目を回していた。
サテツさん、やっぱり全然地味ではないと思う。