末待たずボーイ
「こんば……いやおはようござ……あれ、」
すっかり日も落ちた時間、階下の事務所を訪ねると先客がいた。ソファーに座って項垂れているのは、短髪スポーツ刈りの男の子。私と同じ年頃か、下くらいだろうか。
昨晩ドラルクさんがたくさんクッキーを焼いたからお裾分けを、と連絡をくれたのだが、間が悪くて伺えなかったので、今日改めて事務所に顔を出した。だけどどうにもタイミングが良くなかったらしい。出直そうかと考えたところで、肩にジョンくんを乗せたドラルクさんがこちらにひょいと手を挙げた。
「やあエン君! 入って入って。彼のことは気にしなくていいから」
「なんでオメーが家主みたいになってんだ」
「えーと、じゃあお邪魔します」
言われるがまま入室するが、先客の彼は依頼人というよりは、ドラルクさんとロナルドさんの友人ということだろうか? ドラルクさんが奥の部屋にクッキーを取りに行ってくれている間に、ロナルドさんにそっと尋ねる。
「ロナルドさん、彼は依頼人とは違うんですか?」
「あーすまん、実はかくかくしかじかで」
「なるほど」
「さすがに憐れに思えてきたんだが……ま、単純な奴だからな。そのうち元に戻るさ」
「はあ」
女の子にフラれまくった上に、さんざんな目に遭ったというそこの彼。丸めた髪も元はもっと長かったらしく、余程精神的に堪えることがあったのだろう。
まあ次回までには伸びてるだろうからとかロナルドさんが言っている間に、悟りを開いたように虚空を眺めいた彼の目が、ふとこちらを向いた。
「……」
「……? こんばんは?」
「……っ!!!!」
なんだか憔悴しきっていた彼は、私と視線がかち合った瞬間に、その目を大きく見開いた。適当に挨拶を返してみると、彼は突然立ち上がって、私の隣に立つロナルドさんに火がついたように食って掛かった。
「いっ……いるじゃないですか!! いるじゃないですか!! いたって普通で純朴そうで可愛い女の子!! ロナルドさんなんで昨日紹介してくんなかったんスか!?」
「うるせええ! 昨日は連絡つかなかったんだよ!! つーかなんだオメー元気じゃねーか!!」
褒められているのだろうか? 悪い気はしないような、あけすけ過ぎてちょっと引っ掛かるような。きっと、よくも悪くもとても素直な人なのだろう。
その場に置いてけぼりにされていると、「やあお待たせ」と奥からクッキーを持ったドラルクさんが戻ってきた。わあい、と軽い足取りでそちらに向かうより早く、例の彼が私の前に滑り込んでくる。あまりの近さに、少しだけ背がのけぞった。
「お嬢さん! お名前は!」
「え? あ、エンです」
「エンさん! 俺武々夫っていいます! ヨッシクオネシァス!!」
「どうも、よろしくお願いします」
食い気味で名乗った武々夫くんに、社交辞令で軽く会釈する。うーん、何、どうすればいいの? 助けを求めるつもりでロナルドさんに目配せすると、彼は呆れたように、引き気味に武々夫くんの肩に手を置いた。
「イノシシかお前は。エンも迷惑そうにしてんだろーが」
「ロナルドさん! 俺のために紹介アザス!!」
「いやオメーのために呼んでねーよ!!」
「俺今度こそやってみせます! ぜってー落として見せます!!」
「オメーもう生涯鳥になっとけ!!」
赤裸々なやり取りが漏れる中、ドラルクさんが机を回り込んでクッキーを渡しに来てくれた。「たくさん詰めたからね。たくさんお食べ」「やった、ありがとうございます」嬉々として受け取ってお礼を告げる。ドラルクさん、料理もお菓子づくりもとても上手いんだよな。実はこれまでにもたまにお裾分けをいただくことがあった。正直お店を出せるレベルだと思う。
さて、当初の目的も済んだ。もう帰ってもいいだろうか。そんなことを考えていると、武々夫くんが再び私のほうに舞い戻ってきた。
「エンさん! ぜひもっとお話しましょう! エンさんはどんな男が好きなんスか!?」
「え? いや急にそんなん……シークレットで……」
「じゃあ一般論! 一般論でいいんで! ぶっちゃけ女の子ってどんな男が好きなんスか!」
「お前もう帰れ!! ハウス!!」
ぐいぐいと迫ってくる武々夫くんをロナルドさんが牽制しようとしてくれるが、武々夫くんの勢いはしばらく鎮火しそうにも見えない。今帰ったらロナルドさん困るかなあ、と漠然と考えて、別に急ぎの用事もないので私はソファーに腰を掛けた。武々夫くんはますます顔を明るくして私の対面に座り、その隣にはドラルクさんが、明らかに面白がっている顔で腰を下ろす。
「なんか……悪いな、妙なのに巻き込んじまって」
「いえ、お気になさらず」
諦めたように流れを受け入れたロナルドさんが、最後に決まり悪そうに私の隣に座った。
さてと思考を巡らせる。こういうのは人それぞれだとは思うけど、一般論となるなら……、
「無難ですけど……やさしい人とか、かっこいい人とかは人気なんじゃないですか?」
「俺じゃないスか……!」
「いや違えだろ」
「ああ、あと可愛い面もあるとギャップでときめくって友人は言ってました」
「俺じゃないスか……!!!」
「自己肯定感エベレストか!!」
「あ、あと強い人とか? ようはロナルドさんを参考にするといいんじゃないですかね」
「ヘアッッッ!?」
分かりやすい例として名前を出すと、ロナルドさんは真横でにわかに慌て出した。髪が白い分、顔が赤くなっているのがとてもよく分かる。この人は本当にシャイだな〜。なんだかちょっと面白くなってきた。いや、意地悪したいつもりではないんだけども。
「エン君、悪いがその推論は的はずれだよ。彼はモテた試しがないぞ」
「え? まさか〜。ロナルドさんがモテないならこの世の誰がモテるんですか」
「エン君、ロナルド君に弱みでも握られてるのかね?」
「失敬の権化かテメーは!」
正面からグーを食らったドラルクさんが砂になる中、武々夫くんは真剣な顔で顎に手を当てていた。「おかしい……俺かなりいい線いってるはずなのに……」とぼやく姿に、何と反応すればいいのか分からなくなる。
「あ、じゃあ逆に、女の子ってどういう男が嫌いなんスか!?」
「え? いやあ、それこそ人それぞれっていうか……」
「一般論! 一般論を!」
「ええ……」
「落ち着け鳥! エンもいい加減引き気味じゃねーか!」
「あ、そういやしつこい男は駄目ねって友人が言ってました」
「ドゥフッッッ」
「武々夫ーーーッ!!」
「あと、ばあちゃんが大人になったら安定した稼ぎのある人を選びなさいって。人気商売とかは危ないって言ってました」
「ゴフッッッ」
「スナァッッッ」
「ヌーーー!」
無理やり絞り出すと武々夫くんとロナルドさんが続けざまに倒れ、せっかく再生しかけていたドラルクさんも再び砂となり、ジョンくんが切なげに泣いた。そんなつもりはなかったんだけど、どうやらクリティカルヒットだったらしい。すみません。
でも正直なところ、武々夫くんの一番の敗因としては相性の悪さというのがあったんだと思う。ばあちゃんは昔『誰でもいいっていう人に自分を安売りしたらいかんよ』的なことを言っていた。要するに、誰でもいいからとにかく付き合いたい! と思っているなら、同じことを考えている人を探さなければならないのだ。そういう需要と供給のミスマッチがあると、なかなか上手く行かないだろう。
ただそれはあまりにも「貴方は女の子なら誰でもいいんですよね?」みたいな失礼さを極めた煽りになってしまうので、率直に伝えるわけにもいかない。しかし武々夫くんどころか他の二人のハートにもダメージを与えてしまったらしいこの惨劇を、どうにかするべきなのは誰かといえば、無論私なのだろう。
「……あの〜、でもまあ、縁と浮世は末を待てと言いますから」
「え……? なんスかそれ?」
屍になっていた武々夫くんが顔を上げた。これもばあちゃんが教えてくれたことわざだ。ばあちゃんは何でも知っている。きょとんと首をかしげる彼に、私は言葉を手繰り寄せて説明する。
「ようするに、良い縁は焦らず、ゆっくりのんびり待とうってことです」
「……、」
「そう気を落とさずとも、そのうち素敵な彼女さんできますよ」
励ましのつもりで適当に力こぶを作って見せる。──その拳を、一拍空けてがしっと両手で包まれた。
「エンさん! 俺と! 良い縁を結びませんか!!」
「あ、私、年上の落ち着いたクールな人がタイプなんで……」
突然直球に好意を向けられたものだから、つい反射的に先程伏せていた答えを返す。武々夫くんは再び固まって、真っ白な灰になった。
「ゴホン……エン君」
「はい?」
いつの間にか再生していたドラルクさんがドヤ顔で自分を指差したので、誤解を生まないようにそっと首を横に振っておいた。真っ白な灰が増えた。