ひとつ年下の彼は、昔から大人しい子だった。勉強も運動もいまいち得意とは言えず、ドジっ子で、おまけに自分に対してすぐ見切りをつけて諦めてしまう癖もついていて、それは中学校に入った今でも変わらない。それ故ついた不名誉の塊みたいなあだ名は「ダメツナ」。あだ名にまで駄目が入っている。もう駄目だ。
 そんな彼とは、小さい頃はよくどちらかの家や近所なんかで遊んでいた。家でゲームをしたり、外でボール遊びをしたり、彼の自転車の練習に付き合ったり。春は親たちの引率のもとお花見をしたし、夏は庭にビニールプールを出して涼んだり、秋は焼き芋を分け合ったり、冬は雪だるまを作ったり、私たちはいつも一緒にいた。
 小学校に上がってからは遊ぶ頻度が減ったが、交流はしばらくずっと続いていた。その中で、彼がガラの悪そうな上級生に絡まれてるのを目撃して慌てて先生を呼んだり、半泣きでそこに割り入ったことも何度かあったのを覚えている。ああいう不良っぽい人たちから見れば、彼の気が弱そうなところは、格好の餌食に見えてしまったのかもしれない。
 それでも彼は、素直で、純粋で、やさしい普通の子だった。私みたいな特段取り柄もない人間を、いつもニコニコと慕ってくれた。焦げて形も崩れてしまったホットケーキを、おいしいと大喜びで食べてくれた。彼にいい格好を見せたくて、彼が疑問に思ったことの問いを母に聞いてから、さも自分で知ってましたふうに説明しにいった私をすごいすごいとキラキラした目で見てくれた。誰がなんと言おうと、彼は大切な、私の自慢の幼馴染みだった。

 そんな彼──沢田綱吉が、パンツ一丁で意中の女の子にダイナミック告白したとかいう珍情報を、一体どうやって呑み込めばいいというのだろう。

「ナマエどしたの。朝っぱらからそんな溶けちゃって」
「いやちょっと……気にしないで」

 前の席の友人から見ても、今の自分は酷い脱力っぷりだったようだ。だけどあの子が心配で仕方ないのだ。この噂が本当なら、そんな奇行に走るほどストレスが溜まっていたのか、誰かに変に唆されるなり脅されるなりしたのか。そして、こんなにも噂が広まってしまった彼のこれからの行く末が、心配でならない。いや、ほんとうに……どうすんだこれ……。

「てかあんたの友達なんでしょ? 例の噂の……」
「今その件考えてたんだよ……」
「いやぁ、パンツ姿で告白なんて、そりゃ先輩のクラスにまで噂回ってくるだけあるわ……大丈夫なの? 頭とか」
「知らん知らん、何もわからんのよ私には……マジでぇ……」

 友人が憐れむように問いかけた時、突然クラスが沸き出した。だけど突っ伏した机から顔を上げる気になれず、耳を澄ませて会話を拾う。ササガワさん、モチダ、沢田、告白、侮辱、勝負──

「あらー、ササガワさんの受けた侮辱を晴らすために、持田くんがサワダくんと勝負ですって、持田くんやるね」
「説明ありがとう」

 はきはきと言葉を連ねる友人に、否応なしに現実と向き合わされる。あの、綱吉が? 確か剣道部の持田くんと? 勝負? そんなの、結果は見えている──持田くんの不戦勝だ。綱吉がそんな勝ち目のない勝負に挑むわけがない。そもそも、人と争うことも苦手で、いつだって相手に譲ってばかりだった子なんだから。
 あたりを見回せば、クラスメイトたちは好奇心に駆られ、決戦の場である武道館に向かっているようだった。友人もなんだかんだ興味があるらしく、そちらへ行こうと腰をあげていた。「なまえは行かないの?」と声を掛けてくれたが、私が行って、彼のために出来ることなんて何もないから、トイレに行ってから行くと、適当な理由をつけて一人で行ってもらった。
 がらがらになった教室で一人、ため息を吐く。

「おめーは行かねぇのか」

 ──と、誰もいないはずの教室に私以外の声が響き、思わず椅子からとび跳ねてしまった。なにか酸っぱいものを食べた時みたいに、変にぶわりと汗をかいた首もとを気にしつつ、辺りを見渡す。前、後ろ、左右……いない。こんなとき、ゲームだったら常套なのは下か、あるいは──

「なかなか勘の良いやつだな」

 上。もっと言えば、天井の蛍光灯。何か細くて頑丈そうな糸をそこに巻き付け、垂らした残りにぶら下がるのは、黒に身を包んだ小さな小さな──

「……ぬいぐるみ?」
「出会い頭に無生物と認識されたのは始めてだな」

 ひょい、と床から数メートルも離れた空中から、まるで重力なんて無いみたいに軽やかに降り立った"その子"。おしゃべり機能のある動くぬいぐるみだと言われたほうが、まだ信じられた。だって、こんな、小さな小さな"赤ん坊"が、私の言葉にしっかり意味をもった流暢な返答をして、アクロバティックな動きを見せるなんて──あまりにも得体の知れないその子に、出会って数秒で覚えたのは恐怖だった。

「ツナがガキの頃から世話になってる隣人がいると聞いて、ついでに見に来たが……ツナよりかは素質あるかもしれねーな。ま、比較対象が対象だから、妙に浮かれんなよ。ドングリの背比べってやつだ」
「いや、え、は……? あ、あの……だれ? 誰の……弟さん? 綱吉のこと知ってるの?」
「なにとぼけてやがんだ。おめー、オレが『ツナのことを知っている、誰かの弟』なんてありきたりなポジションに収まらねーことくらいは、もう何となく察しがついてんだろ?」

 まるで感情が読めない、大きな黒い瞳が、こちらを冷徹に見抜く。どくどくと心臓が跳ねた。
 当たり前だ。『普通の赤ちゃん』が、どうしてそんな身軽で機敏な動きが出来る? 黒いハットとスーツを身に纏い、こんなにもなめらかに、あるいは中学生の私以上に口が回る『普通の赤ちゃん』なんて、この世のどこにいよう。

「さて、悪いがオレは暇じゃないんでな、もう行くぞ。またな、なまえ」
「えっ?」

 その赤ちゃんは、困惑する私を置いて颯爽と部屋を出ていった。静かな静かな嵐が去っていったみたいで、私はいつの間にか張り詰めていた息をどっと吐き出す。心臓が忙しなく動いていた。

 また、って……何? また会うってこと? それに、なんで名前知ってるの? 綱吉から聞いた? 綱吉とはどんな関係なの? なんで貴方が、綱吉が世話になったっていう隣人なんて気にかけるの? "素質"って、一体なんの?
 人づてに聞いたことだから、私は実際には見ていない。けれど綱吉がしたという昨日の行動は、明らかに異常で可笑しかった。綱吉は、なにかよくわからない──彼にとって良くないことに、巻き込まれているのだろうか?

「──待って!」

 先程までの、得体の知れないものへの恐怖心も忘れて、私は勢いよく駆け出した。反動ですぐ後ろにあった椅子が派手な音を立てて倒れるが、それを直す余裕もなく教室を飛び出す。廊下を見回したが、あの赤ちゃんはもういなかった。それでもきっと、まだ近くにいるだろうと、当てもなく足を動かす。──否、私は微かな勘を頼りに、綱吉のいる一年の教室のほうへ向かっていた。
 「ついでに私を見にきた」と、あの子は言っていた。ならば、本来の目的は? それはきっと、あの子がもっもと多く話していた単語──綱吉だ。

 彼は無事なんだろうか。気弱で争い事も目立つことも苦手な彼が、変なことに巻き込まれてはいないだろうか。いや、すでに巻き込まれてはいるんだけども。
 私にできることがあるかなんてわからない。ないかもしれない。というか、多分ない。だけど、それでも私は、一心不乱に足を動かす。
 それは丁度、運動不足気味の己の醜い息継ぎだけが耳を支配するようになった頃だった。

「──何が何でも1本とる!!」

 耳の奥まで突き抜けるような怒声。それは、紛れも無く聞きなれた声でありながら、しかし聞きなれない声でもあるという矛盾を内包していた。
 派手な衝撃音と共に、数メートル先のトイレの扉が開かれる。そこから出てきたのは──例の噂に違わぬ、パンツ一丁の綱吉だった。

「っ……!?」

 あり得ないものを目の当たりにし、思わず喉が狭まって声が出なくなる。彼のその見てくれだけが原因ではない。綱吉の、やさしい色合いの髪に隠れる額から──炎が、ゆらめいている。
 なんだあれは? 手品? 幻覚? プロジェクター? 目の錯覚?
 しかしその炎は、作り物というにはあまりにも美しくて、そのどれにも当てはまらないように思えた。
 綱吉はメラメラと額を燃やしながら──不思議なことに熱がる様子も、髪が燃えることもなく──どこかへ向かって一直線に走り出す。彼は、あんなに足が速かったか? いつの間にそんなに成長したの? あんなに高く足をあげて強く地面を蹴って……そう、自信に溢れている彼を見るのは、生まれて初めてだったかもしれない。
 綱吉がとうとう見えなくなってからも、私は依然としてそこに立ち尽くしたままだった。その硬直を解いたのは、少し舌足らずな高い声。

「あれは死ぬ気弾による効果だ」
「!?」

 条件反射で肩を震わせた。声のした足元を見てみれば、つい先ほどまで必死こいて探していた例の赤ん坊。そしてその小さな手には──細く煙を吐き出す、黒い拳銃。

「ちゃおっス。ついさっきぶりだな」
「え……は……な……お、おもちゃ……? だよね……?」
「本物だぞ。なんなら試してみるか?」
「えっ!? い、いやあの……」
「おどおどすんな。撃つぞ」
「ひいっ!!」

 チャキッと銃口を向けられ、慌てて身を守るように腕でガードした。その防御力ゼロの盾の間から、私はおそるおそるその子に視線を向ける。

「し、しぬきだん……って、何? そういうおもちゃが流行ってるの?」
「いつまでカマトトぶってんだおめーは。やっぱ一発撃ち込んで……」
「嘘ですごめんなさい! それは一体何なんですか!」
「死ぬ気弾。ボンゴレ秘伝の弾でな、これで脳天を撃たれた者は、一度死んでから死ぬ気になって生き返る。死ぬ気になる内容は死んだとき後悔したことだ」
「へ……へぇ……?」

 曖昧に頷いたはいいものの、まるで理解が追い付かない。だがまたわけのわからないといった様子を見せれば、今度こそその、おもちゃか本物の危険物かも判然としないブツをぶちこまれることになりそうだった。

「そういや、自己紹介がまだだったな。オレはツナの家庭教師のリボーン。あいつをマフィアのボスにするために日本にやってきたヒットマンだ」
「ちょ……っと、待ってね」

 努めて冷静に断りを入れて、そっと目を伏せる。情報量があまりに多すぎて、処理しきれなかった。家庭教師? この赤ちゃんが? ってか外国人? こんなに日本語ペラペラなのに? どこかの国から遠路はるばる日本へ? しかも綱吉が先生じゃなくて、生徒? それにマフィアって? ヒットマンって? なんだっけ? 過去にやり込んだゲームに出てきた単語だ。殺し屋……だっけ? この子がそうなの? 綱吉を、殺し屋のボスにするってどういうこと? そういう遊び? というかなんでよりにもよって綱吉を選んだの? 遊びだから誰でもよかったの?
 ……違う。そんなわけがなかった。本当は薄々わかっていたのだ。この子自体、何かおかしい。あまりにも普通ではないのだ。それに、綱吉の様子も。「なにか」普通じゃない外的要因がなければ、あんなことになるわけがなかった。

「ちなみにマフィアのボスってのは、由緒正しきボンゴレファミリー10代目のボスであって……」
「じゃあ、きみなの? 綱吉をおかしくしたのは」

 その子──リボーンくんの言葉を遮って、慎重に言い放つ。困惑と、恐怖と。それから私は、どこかで怒りも感じていた。やさしい彼を、私の大事な幼馴染みを、わけのわからないことに巻き込んでいるらしいこの子に対して。

「おかしく? 面白ぇこと言うな。あれはツナ自身の力だぞ」
「本当に? 綱吉は運動が苦手で、争い事も嫌い。さっきの綱吉、まるで別人みたいだった」
「あれはツナの潜在能力だ。あいつはオレに撃たれて一度死んだ。その時に強く後悔したんだ。『死ぬ気になればオレでも、剣道部主将から1本取れたかもしれない』ってな」
「しっエッ、し……死んだ? えっ一回殺したの? な、んでそんなこと」
「その後生き返ってるから問題はねぇだろ」
「い、いや良くない、良くないよ……ちょっともう何言ってるか全然わかんない……じゃあその弾は? 傷跡とかは? 大丈夫なの? なにかリスクがあるんじゃないの?」
「それも問題ねぇ。あの弾は特殊なんだ」
「じゃあ、体が壊れる可能性は?」

 ピクリ、リボーンくんの小さな眉が動く。帽子の影で隠れながらも、辛うじて見逃さなかった。

「無理矢理に潜在能力を引き出したなら……鍛えられてない体は耐えられるの? 綱吉はほんとに大丈夫?」
「おめーはジャッポネーゼの中でも、随分と心配性らしいな。安心しろ、なまえ。ツナはそのうちオレが化けさせるぞ。今はその成長段階へ踏み出してるところなんだ。だから大丈夫だ」
「……根拠になってないよ」

 よくわからないことばかりを聞かされて、いい加減キャパオーバーだ。先程全力疾走したこともあって、足が震えている。私は今更になって、長いため息とともにへなへなとしゃがみこんだ。そもそも、小さな子と話すなら最初から目線を合わせるべきだったのだろうけれど、この子が『小さい子』とはあまりにも思えなくて、考えつかなかった。

「そんなに心配なら見に行けばいいんじゃねーのか」
「綱吉は……化けることなんて望んでんのかなぁ」
「無視か。いい度胸だな」
「綱吉に酷いことしないでよ……」

 懇願するような声が漏れた。リボーンくんは、口を閉じて私を見つめてくる。
 どうして綱吉に白羽の矢が立ったのかわからないけど、きっとリボーンくんは綱吉の意思なんて無視して、あのエキセントリックな出で立ちで駆け回るように仕向けているに違いない。だって選べるのなら、綱吉がそんなこと選ぶわけがないんだ。というか常識のある人間なら誰だって選ばないだろう。
 きっと綱吉は嫌がってる。苦しんでもいるかもしれない。だけどこの小さな赤ん坊ですら、私には止められないのだろうと本能……いや、長年培ったゲーム脳でわかる。そんな私が彼のために、一体何ができるのだろうか。

「大丈夫だぞ、なまえ」
「さっきからそればっかりじゃん……」
「疑うんなら、帰ってからでもツナんちに来て確かめてみろ。お前が思うような様子にはなってねーはずだ」

 リボーンくんの発言は、その内容も、声色も語気も、すべてが私とまるで正反対で、自信に満ち溢れていた。根拠なんてないはずなのに、私に少しずつ「大丈夫」と思わせていく。
 だけど私はまだ、この得体の知れない子を信用できない。それができるのは、綱吉がこの子を信用した時だ。

「……あのさ、リボーンくん」
「何だ、お前もボンゴレファミリーに入りたいのか?」
「言ってない言ってない。いや……そのさ、マフィアのボス? にしたいんだよね? 綱吉を」
「ああ」

 だからこれから紡ぐのは、せめてもの牽制と、嘘偽りのない私の本心。

「あのね、綱吉はそんな物騒なものにはなれないよ」
「……確かに、あの錆びた脳みそと萎びた身体能力は問題だな」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「?」
「──綱吉はやさしいから」

 リボーンくんはその丸い目を、さらにまんまるにした、ような気がした。黙ったまま、私の語りに小さな耳を傾けてくれる。

「やさしくて、やさしすぎるから。誰かを切り捨てることなんてできないし、人と敵対するのも向いてない。ましてやマフィアなんて」
「……随分ツナのこと理解してんだな」
「そりゃあね。家族みたいなものだからね」

 ずっと一緒だった。彼が生まれる前から母親同士の仲が良くて、彼が生まれてからも私はずっと、彼のお隣さんであり幼馴染みだった。物心ついてない時期も含めて良いなら、私たちは綱吉の生きた年月ぶんだけ、ずっと一緒に成長してきたのだ。彼がマフィアなんて非現実的で非人道的なものにどれだけ向いていないのか、私はよく知っている。

 リボーンくんは、私の言葉を最後に黙りこくったままだ。何を考えているのか、まったく読み取ることができない。黒ばかりで統一された服装の中、胸元の丸い飾りがその身を主張するように光った気がした。

「えっと……そ、それじゃ、私はそろそろ教室に戻るね。迷子にならないように気を付けて」

 そう言っておもむろに立ち上がるが、リボーンくんはまだ動かない。何かを考えてはいるみたいだったが、それを私が察することができる道理などなかった。
 後ろ髪を引かれながらも、踵を返して自分の教室へ向かう。まだまだあの子に聞きたいことはたくさんあったが、もう今日はいっぱいいっぱいだった。これ以上情報を与えられても、飲み込める気がしない。一度離れて頭の中を整理したかった。そうだ、綱吉本人の話も聞いてみよう。結局あの子の言う通りになってしまうが、放課後綱吉の家に寄ろうかなぁ。彼の家は少し久しぶりで、今からなんだか楽しみだった。

「……そうか。そうだったな」

 背後で何かぼそりと聞こえたような気がしたが、私の耳はしっかり拾うことはできなかった。けれどどうにも疲れてしまっていて、足を止めて聞き返す気力も起きない。

「家族(ファミリー)みてーなものだもんな」

 もちろん、後ろを振り返ることもしなかった私には、その時リボーンくんが私の背中を見て、どんな表情をしていたかなんて知り得ないことだ。

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