この世界にはみょうじなまえという人物が存在している。つい最近この"かぶき町"に引っ越してきたらしく、まだ手に職もない状態のようだった。部屋の隅には未開封の引っ越しのダンボールがいくつか置かれていて、なかなか綺麗な文字で書かれた履歴書が机の上に乗っていた。
 この世界の町には、アスファルトではなく、舗装されていない土が広がっている。その上を歩くのは、着物を着た女性。まげを携えた男性。そして、狼のかぶり物をした大きな大きな人。ウルトラマンのような覆面をした奇抜な人。
 この世界の空は、何か異質なものが飛行している。青々と澄み渡るそこをゆっくり移動しているそれは──船だった。飛行船などではない、通常海を渡る為に使用するはずの、船。

 机上の履歴書には、まだ糊付けされていない証明写真が一緒に置かれていた。それに写っているのは、カラコンをつけているのか、それともアルビノというやつなのか、日本人離れした赤っぽい瞳の女性。
 私と、まったく同じ顔の、瞳の色以外すべてが私と瓜二つなその女性。
 そんな彼女がいるべきはずの場所に、どうして私が──"私の世界のみょうじなまえ"がいるのだろうか。

 いくら頭を悩ませたって、結局答えは出なかった。







 穏やかな天候の日曜日。私はちょっと家のソファでうたた寝していただけだった。それなのに、次に目を開けたらそこは知らない部屋の中。
 戸締りは確実にしている私が、誘拐されるなんてありえない。しかし、はっきりした視界に、しっかり回せる思考回路。つねると痛い頬。つまり、夢でもない。
 証明写真を元の位置に戻し、私はフラフラと不安定な足取りで部屋の中を探索した。なんてことはない、よくあるアパートの一室のようだった。ただ一つ、家具に妙な和風感を覚えること以外は。
 箪笥の中身は、私の好みに見事ぴたりと当てはまるような柄の着物が一着。それ以外の服は和装とは程遠く、言うなればどことなくチャイナ風の衣装で統一されていた。しかしそれはコスプレらしさを感じるほどの派手なものではなく、具体的に言うと、前面にチャックがついた長めのトップスと、七分丈よりは短い黒のボトムス。一言で感想を述べるとすれば、動きやすそうだな、というものだった

 そして、どういうわけか禍々しいお札が大量に貼られた、箪笥の最下段。意を決して開けたそこには「残念! HAZURE」なんて殺意が芽生えるレベルのふざけた紙とがらくたが入れられており実際殺意を煽られた。が、まさかのダブルトラップ。その奥には、バスタオルに雑に包まれた棒切れが隠されていたのだ。
 棒切れというか、端的に言えばそれは──刀、だった。しかも模擬刀なんかではない、正真正銘の真剣。その鋭い刃は、彼女が女ながら"侍"であることの証拠だった。え、いや、銃刀法違反じゃないの? とまあそれはさておき。箪笥に恐らくこの時代の主流である着物がたった一着しかなく、代わりに動きやすさを重視したような服が入っていたのも、それが理由なのだろう。

 現状打破のため部屋をさらに物色し、私はあるものを机の引き出しに見つけた。"こちらの世界の私"の日記だ。先程の履歴書を見た時も思ったが、この人は随分字が綺麗だ。私と違って。
 それによると、どうやらこちらの私は"朱雀"という人物を探しているらしい。
 しかし、その二文字を見た途端、頭に鋭い痛みが走った。それから、いきなり沸きだした"朱雀"を探さなければいけないという使命感が、全身を浸していく。
 その時私は、どういうわけか、顔も性別も、みょうじなまえとの関係性も分からないその人を探し出すまで、元の世界には帰れないんだと直感した。

 そして、きっとそれには、この世界の"ヒーロー"との接触が、必要不可欠なのだろう、とも。
 ──コンビニと、ちょんまげと、宇宙人と、テレビと、侍と。現代と過去とファンタジーが混沌とした、この世界の主人公に。


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