『人生から無駄を省いたら何が残るか?』そんな質問をされたは、私は迷わず答えるだろう。死だ。
人間なんていうのは、例えばどんなに運の良い人でも、どんなに屈強な人でも、所詮寿命を迎えたら皆死ぬ。生前どんなに素晴らしいものを積み重ねていたって、それが例え自分の子供やら大切な人やらに良いものをもたらすものだったとしても、死ねば自分自身はそこから切り離されるのだ。自分という個体にとって、それは何ら意味を持たなくなる。つまり人一人の人生において、その数十年積み重ねたものは死ねばすべて無に帰す。すなわち人生と無駄は、イコールで結ばれているのだ。
──こんなド素人のいかにも「もどき」っぽい考えを、私は嫌なことが迫っている時や起こった時、どうしようもない壁にぶち当たったときなどに廻らせるのだ。
これが割と「どうせ寿命が来れば死ぬんだし、もうどうなっても良くない? 思いきって好きなようにやればいいよね?」と開き直る材料になる。だから、どんなに予想外の出来事が起ころうと、最悪どうなったっていいじゃんやってみれば案外どうにでもなるでしょ、と大抵のことは乗り越えられる。そう、思っていた。今までは。
その価値観がひっくり返ったのか、それとも単にその『大抵のこと』に当てはまらなかっただけなのかは分からない。ただ、私は今現在自分が置かれた状況に、どうしようもないほど「どうすれば良いんだろう」を繰り返し考えていたのだった。
*
最初に遭遇した『キャラクター』は、北斗心軒の店主、幾松さんだった。
無論黒い線で縁取られてなんていないし、平面なわけもない。現実世界と同じように、れっきとした三次元に存在しているのに、違和感も無く確たる自信を持って、その人間を『幾松さんである』と認識できるこの仕組みは、一体何なのだろうか。この感覚は、言葉に表せられるものじゃないのがどうにももどかしかった。
私が北斗心軒を訪れたのは、偶々前を通りかかったからだった。それと、メニューに蕎麦があるか──つまり時系列の確認。あと、強いて言えば好奇心。……嘘です、三つ目が相当な割合を占めてます。
紙面か画面越しにしか見た事のない場所に、足を踏み入れるというのはどうにも不思議な感覚だった。認めたくなどなかったのに、どんどん『此処は私の世界ではない』ことを自覚していくのが、少しだけ怖かった。
注文した小盛りのチャーハンを待ちながら、三回ほどメニューを確認した。結局、蕎麦の文字は見当たらなかった。あと思っていた以上に食欲は無く、申し訳ない気持ちになりながらも半分残した。
そんな私は今、カロリーメイトを貪りながら問題の「朱雀」とやらを探すべく取り合えず携帯電話(スマホじゃなくてガラケーだったから、扱うのが少し煩わしかった)で検索したが、案の定収穫はゼロ。まあそう簡単にいくとは思っていない、そもそもネット上に情報が転がっているならとっくに『こちらの世界にいたはずの私』が見つけているに違いない。しかし、せめてヒントの一つや二つくらい拾えてもよかろうに。早速詰んだような気がしてならない。
それからプライバシーもへったくれもないとブクマ漁ったが、こちらの世界にも某携帯ホームページだとか某イラストサイトだとか、同人ワールド広がってるらしかった。いやあ、良かった。なんてありがたいんだ。しかしこれにより分かったのは、こちらの世界の私と今ここにいる私自身は、まったく趣味が違うのだということだ。アカウントは全然持っていないようだったし、そういえば部屋の隅にあった小さな本棚には、私じゃ到底買いそうにないし読みそうにもない小難しい本が数冊あったことを思い出す。……それでも、その数冊はどれも新品ばりに綺麗な状態を保っていたので、単に好奇心で買っただけかもしれないが。そう考えると、好奇心が比較的旺盛という面で、私とこちらの世界にいた私は共通しているのかもしれない。しかし、どちらにせよ、名前も外見も同じの私たちは、しかしやはり、れっきとした別の人間であるということだった。
……以降、ややこしいのでこちらの世界にいた私は、私との唯一の外見の相違点から取って『赤目』と称することにする。
というか、こちらの世界にいたであろう私は今どこにいるというのだろうか。少なくとも、私と同じ場所に存在しているというのはまずあり得ないだろう。だって二人ともみょうじなまえ。完全にドッペルゲンガー状態だ。
そもそも、何故かの有名な漫画の世界に、私とクリソツな人間が存在している? ここは、あの世界のようであの世界ではないということなのだろうか? 果たしてそんなことがあり得るのか? それかまさかあれか、私が唯一選ばれた人間的なアッハイ黙ります。
つまり、何が言いたいのかというと、元々こっちにいた『赤目』は、私の世界に飛ばされているのではないだろうか? ということだった。
と、なると大変な問題が浮上する。はたして彼女仕事は出来るのだろうか。大丈夫? 私が帰った頃にはクビになってたりしないよね? 順応性あるよね?
私には極々ちょっぴりだが、一応ある。働かないと金が入らないイコール食べていけないイコール死ということで、とりあえず今日適当なバイトの面接へ行って来た。
それから、また自身に起こった怪奇現象について冷静に考えてみた。
私がこんな目に遭っているのは、やはり何か理由があるのだと思う。となると、やっぱりこの世界の主軸となる『主人公』との接触は必須なのだろうか。何せ、すでに廃刀令が出されているこの時代に刀! そんなおっかないものを私が所持してるってだけで末恐ろしいものだ。勿論、職質なんてかけられたらたまったもんじゃないので、持ち歩くなんて自殺行為はしないが。
でも、多分私はあの人に会ってもロクに話せないと思う。大好きなキャラと関わりたいという気持ちも無論あるが、うっかり可笑しなことを言って嫌われたり、変に思われたりしたくないという思いのほうが強い。
それに、どうせ最終的に私は私の世界に帰るのだろうから、話して、関わって、キャラクターではなく"彼自身"を知れば知るほど、別れが悲しくなるだけだ。学生の頃はトリップしてーとか(特にテスト期間に多く)現実逃避のように思っていた時期もあったが、二十も過ぎれば夢を抱かなくなるのだと分かった。
というか、そもそもフェアじゃないんだ。私は彼らのことをよく──もしかしたら、本人たち以上に知っている。でも、あちらは私のことを何一つ知らない。そんな二人が関わるなんて、甚だ可笑しいことじゃないか。
だけど、でも、帰るためにはそんなこと言ってられないのかもしれない。
(あー……気が滅入るなあ)
しかし行動しなければ状況は打破できない。そんなわけで私は例のファミレス、でにいすに寄ってみた。直接万事屋に赴くのはかなりハードル高いし用もなけりゃ金もないので、取り合えずそこでかの有名なツッコミストが働いてるか確認することにしたのだ。
──結果、そこには三次元化された志村新八がいた。
やっぱり黒い線で縁取られてないしちゃんと立体なのに、自分と同じ次元に存在しているのに、新八と判るし違和感など皆無だった。本当、どうなってるんだろうこれ。
数年前の初出勤並に緊張しながら、椅子に腰を下ろす。注文を取りに来た新八に内心荒れ狂いながら、ちょっと意識してイチゴパフェを注文した。今日の昼飯はこれである。不健康万歳。
ところで、あの台詞が発せられるのはいつなんだろう。少なくとも一年や二年後ではないと思うけど(だって新八今十六歳っぽいし)、早く原作に入ってほしい。まあ、入ったからと言って朱雀探しが進むかは分からんけども。
「あのー、相席良いっすか」
「あーどうぞー」
そもそも直感で朱雀を探せば帰れるって思ったけど、実際問題どうなんだろうか。でも、他にどうすればいいのかなんてアテもないし。あっちの世界にいる私が何かアクション起こさないと事態は好転しない、とかだったらそれこそ確実に詰んだ。それかアレか、まさか銀魂が連載終了して、この世界もそこまで展開が進まないと帰れない……とかじゃないだろうなまさか。
(……あれ?)
私はふと疑問にぶち当たった。もし、今あちらの世界にいると思われる赤目の私が、私の部屋にある単行本を見たらどうなるんだろうか? 自分の世界が漫画になってる!? ……ってなる? え、何そういう感じなの? そうなるともしかしてこの世界にも、私の元の世界が舞台となった漫画があったりするのか? …いや無いな。漫画にするほど面白いものじゃないし。
「…………ん?」
「あ?」
「あ、いえ……」
盛大に咳き込みそうになるのを、死に物狂いで耐えき切った私を誰か褒めてくれ。
額、首、背中にぶわりと汗が吹き出し、壊れそうなくらいに心臓が胸を打つ。震える手を無理矢理ぎゅっと握り混めば、手にも汗をかいているのがわかった。
なんてことだ。考え事に没頭していて軽く流していたが、私の向かいの席に腰を降ろしていたのは、あろうことかふわふわ銀髪携えた──この世界の"主人公"坂田銀時ではないか。
(ま、ままままじでか…!?)
余りの動揺に、思わず内心で銀魂語が飛び出る。慌てて怪しくない程度に店内を見回すと、私は見てしまった。あの豹的な天人! 数匹を! まじでかー!
まさか、今日があの記念すべき第一訓だと誰が思うよ!?
(どどどっどどうしようどうしようどうしよう!!)
焦りと混乱と動揺と緊張でパニックに陥る。やっべーわガチでリアル銀さんだ本物! あれ、なんか新八見たときと大分テンションが違うねてへぺろ! じゃなくて!
通りすがった新八にチョコパフェを頼む銀さんを、ちらりと盗み見る。本当に真っ白な頭が、光に当たってとても美しく見えた。瞳は赤ではなく原作カラーのようだ。服なんてコスプレみたいにコテコテしていないし、しっかりと着込まれている。くそ、ふざけるな。なんだよお前やっぱ何だかんだ二枚目キャラか。気だるそうな瞳とか、可愛すぎるわ! 好きだ!
改めて、自分は本当にトリップしてしまったのだと実感した。幾松さんに会った時点で大分実感してたけど、やはり主人公とあればそれの比じゃない。
て、いやいやいや。そんなこと考えてる場合じゃない。このまま原作通りに行けば、天人が新八を転けさせたあと銀さんがそいつをぶっ飛ばし、なんやかんやで役人が来て面倒になる。その前に逃げなければ。
そうは見えないかもしれないけど、いきなり別の世界に単身飛ばされて、私はかなり参っていた。何かに巻き込まれたりしたら死ぬ。確実に倒れる。
しかしどうしたものか。まだパフェは届いてないからこのまま帰ることは可能だ。しかし、銀さん視点で考えてみろ。俺が相席したら向かいの女が何も食べないうちに帰ってった。って、なんて感じ悪いんだ。できない、銀さん相手にそんなん絶対無理! 絶対嫌な意味で印象的すぎて顔覚えられる! それは後々何か聞きたいこととか助けてもらいたいこととか出来たときに困る!
ならば、逃げるチャンスは一つしかない。
きっとこれから銀さんのチョコパフェが届く。そうして間もなく新八がずっこけ、天人が殴られる。そこだ。そこできっと他のお客さんも逃げるはず。そのタイミングで私も当たり前のように逃げればいいんだ。それだ! 私冴えてるぅ!
でもせっかく会えたのに、もったいない……いや本当もったいないよ! あわよくばこのまま夢小説的展開に持ち込みたいよ! つっても私はそういう系のヒロインみたいな言動も考えもできないから、きっと記憶に残らないくらいに地味で気の利かない反応しかできないのだろうけど。いやでも、このまま私が原作に関わっていったらどうなるのかはちょっと興味がある。する度胸はないけど。いや本当、うっかり原作展開変えて何か問題が起こったら困るし。そうなったら私の手には負えない。……でも、後先のこと考えずに思うがまま引っ掻き回してみたい気もするわぁ……いやしないけどね! ほんと! 絶対!
邪な考えばかり浮かぶ頭をぶるりと振り、私はさも冷静そうな顔を取り繕った。そうこうしているうちに、私のパフェと同時に銀さんのチョコパフェも届く。私は自然に、落ちついてそれを食べ始めた。銀さんは心なしかきらきらした瞳で自分のパフェをなめ回すかのごとく眺めている。そういや一週間ぶりのパフェなんだっけね。そうやってもったいぶってるから全然手つけないうちに新八が突っ込んできちゃったんだよ……ドンマイ。
──ふと、思った。もし私が、新八が突っ込むタイミングで銀さんのパフェを持ち上げたら、どうなるのだろうか。銀さんが、天人を殴る理由が無くなってしまったら。それでも銀さんは優しいから、新八を助けるのだろうか。あの時の銀さんはやっぱり、パフェだけが殴った理由の100%を占めているとは思えない。いやまあ本当、絶対実行しないけどね。絶対に。
(あ、来る)
天人が新八に牛乳を頼んだ。もうすぐ、もうすぐだ。
「……アリ? ……アンタ、」
「え?」
目の前の銀さんが突然、私の顔をまじまじと見た。ドッドッと心拍数が高まっていく。頬が少しずつ、熱を持つ。目を真っ直ぐ向け続けるのが苦しくて、しかし逸らすことも敵わない。
あの、かっこよくて、強くて、優しくて、ずっと憧れていた銀さんが、私に興味を示している? ああ、でももし彼の期待する反応ができなかったら、こうして少しでも持ってくれたかもしれない、あるかもわからない好感がなくなってしまう? 幻滅されてしまう? ああ、いや、でも、
ぐるぐると目が回りそうなくらい、頭が混乱する。そんな私をよそに、銀さんは少し考えるような素振りを見せたあと、もう一度私と視線を合わせた。
「どっかで、会ったことねェ?」
カラン、と。スプーンが手からテーブルに落ちた。
何を、言い出すんだ、この人は。まさか、こっちの私は、過去に銀さんと会ったことがあるの? もしそうなのだとしたら、銀さんは朱雀のことを何かしら知っているかもしれない? でも、『赤目』の過去の記憶を、私は知らない。もし、二人に共通の思い出があるならば、私がこっちのみょうじなまえではないことがバレてしまうかもしれない。駄目だ。絶対に、駄目。絶対、理由も根拠もないけど、私がこっちのなまえじゃないことはバレてはいけないって、そんな気がした。
「き、」
気のせいじゃないですか、って。澄ました顔で、そう返すはずだったのに。タイミング悪く突っ込んできた新八がそれを遮った。チョコパフェまるまると私の食べかけのパフェが仲良く倒れて、中身がテーブルにぶちまけられる。
銀さんの視線が、完全に私から無残なパフェの残骸へと移った。命拾い、である。
それから原作どおりに、激昂した銀さんが天人をぶん殴った。騒ぐ客たちに紛れ、私も店の外へと走る。
「……あ、やべ、無銭飲食」
確かイチゴパフェは四百そこらだったはず。私は慌てて財布から五百円と取り出し、店内にこっそり投げつけると今度こそ足早に、逃げるように帰路に着いた。
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